第15話 おかしな三人とカロントの実・前編

キサラは姿を変えられて半月後、アレキサンドラの家から飛び出した。すっかり嫌気がさしたからだ。


「すぐ治るっていった癖に!ああもう翼!邪魔!」


無理矢理出た扉の外は中空だ。周りは巨大な木々や石柱に囲まれている。八角系の石柱同士はランダムに橋で繋がっていて複雑な構造になっている。さながら迷路か迷宮か。はたまたシナプスの森か。家は辺りでも一際巨大な樹の中ほど、うろ穴を利用している。扉からは、地上に降りるための階段が打ち付けられている。翼があるから飛べれると考えるほど単純ではない。階段を一歩一歩、慎重に踏む。手すりなどない。踏み外したら終わりだ。しかし、地上までが果てしなすぎる。中学の頃に行った某有名神社の階段が過ぎる。はたまた、某タワーの展望台から見た地上か。


「いや大丈夫だ。いけるいける……雲雀は根性持ちだって爺ちゃん言ってたし……ほら課外学習で登っただろ!気合いだ気合い!」


木肌には凹凸がある。小さな穴や掴みやすい小枝も。ゆっくり下る。半分くらいで、石柱同士を繋ぐ橋に降りれた。成長途中で飲み込まれたのか、端が少し樹にめり込んでいる。いい休憩場所だ。まだ早朝だし、アレキサンドラは昼まで起きないだろう。そもそも、自分を探す様なタマではない。木肌に翼を預けて座り込んだ。まだ翼のバランスがうまく取れず落ち着かないが、次第にうとうとしていった。緑揺れる森の中は、毛羽立った心をなだめて癒し眠りに誘う。

あちこちで葉ずれの音、鳥のさえずり、獣の声がする。呼吸すれば清々しい空気が体を清めてくれる。何処かで咲いている花か、熟れた果実の甘さが混じる。


「喉……かわい……た……」


降りれば水場も果実の茂みもある。今は寝たい。昨夜、殆ど眠れなかった。

あの変態めと顔が歪んだ。鼻先に昨夜嗅いだ生臭さが蘇る。人が寝ているのをいいことに、馴染みの獣人を連れ込んで寝たのだ。あの家には部屋がない。美しいタペストリーが仕切りになっている。かなり離れた場所でとはいえ、声は筒抜けだった。一晩中寝台の中でそれを聞かされた。少し見直していたのに台無しだ。

この半月、アレキサンドラは奇行ばかりだったが、師としては悪くなかった。話はわかりやすく、好奇心を満たす。


「台所事情は島や地域によってかなり違いますが、最近はこの簡易竃の普及が進んでます。火元には天火球……炎とガスを圧縮し岩石状にした燃料を使っています。熱量やガスの質で色が違うので注意を。扱いは簡単で……」


煮炊きの方法に始まり、この異世界の成り立ち、今住んでいる土地がどんな場所か、動植物魔物の基礎知識を惜しみなく与える。


「ここはミノース島。別名『石宮島』神聖視されていた島ですが、大魔王によって一度滅ぼされています。そのせいで……」


生臭い。アレキサンドラの言葉を浮かべているからか、生臭い匂いが強く……。気づけたのは奇跡に近かった。


「うわっ!……ひっ!」


グルル……ガウッ!緑色の風?いや獣が襲いかかる。なんとか転がって避けたが、獣は木肌を蹴って身を翻した。強烈な蹴りに木肌が割れる。


「お……狼……?」


ただの狼ではない。熊より大きく凶暴で、牙と爪は魔力を込めた一撃を放つ。魔獣、魔物、大魔王の落とし子の一種。フェンリルだ。獲物の獲物を屠らんと唸り、再び走り出す。


「くそっ!ーーー!ーーー!」


武器などない。使いたくなかったがやるしかない。間も無く甲高い電子音に似た音が辺りに響いた。怪鳥ハルピュイアの真骨頂たる『狂乱歌』だ。フェンリルは音に鞭打たれのたうち回り、自らを噛み爪で搔きむしり出した。


「ーっ!ヒュッ……っ!かはっ……!」


未熟なキサラは上手く歌えない。喉笛がひび割れる錯覚と激痛、込み上げた血が鼻と口から垂れた。涙が止まらないが、フェンリルには効いている。今のうちにと階段まで戻る。が、そこで迷ってしまった。

どこへ逃げればいい?

迷いは時を稼いでしまった。正気を取り戻したフェンリルが駆け、牙を剥く。


「しまっ……うわああっ!」


が、牙剥くあぎとは頭ごと潰された。新たに現れた巨大な存在によって。

そびえ立つ赤銅色、曲がった角、筋骨隆々とした半牛半人の獣人。話に聞いたこの島の支配者、ミノタウロス族の男だ。新たな敵かと構えかけ、アレキサンドラの友人ではないかと気づく。怒りで忘れていたが、今日中にミノタウルスの友人が来ると言っていた。


「娘、無事か?」


「あ……あ。ありが……と。かはっ……助かっ……」


「無理に話すな。礼など要らん。アレは我らが始末仕切れなかった所為だ。むしろ我は謝らなければならん」


膝をついての謝罪に慌てる。が、次の言葉に固まった。


「友であり恩人であるアレキサンドラの情婦に危害が……」


「誰があの腐れ魔法使いの情……げはっ!がっ……!」


「む?違うのか?」


「当たり前……!ぉ……れ、はっ馬鹿の……かっ……は、ひ、被害者だ!」


「馬鹿だなんて酷いですー。こんなに頑張ってるのにぃ」


「うるせっ……この!……離せ!」


喚き声に背後からの呑気なぼやきが重なる。もう起きて来やがったのかと振り向き様に肘鉄を繰り出した。が、ミノタウルスに腕を掴まれてしまう。ビクともしない。そのまま背負い籠の中に入れられてしまった。血塗れ涙塗れで最悪だ。喉笛だけでなく、背中まで荷物らしき硬い物が当たって痛い。


「ううー……ひっ……ぐ、うぅ……」


「とりあえず家へ。キサラさん、怪我してますし」


幸い、怪我はすぐに治った。魔法で回復力を上げて傷を塞ぎ、水でうがいして薬湯を飲む。


「今日は歌ったり大声を出さないで下さいね。じゃ、朝ごはんお願いします」


呑気に強請るのにイラッとしたが、命の恩人もいる。仕方なく、昨日のうちに仕込んでおいた朝食を用意する。その間、アレキサンドラが事情を説明することとなった。


「アレが例のゴンちゃんか。馬鹿魔法使いが変なこと吹き込まなきゃいいけど……」


手元に集中する。細い蔦で縛った木の皮を剥がして蓋を開けた。豊かな香りが広がった。余り物の様々な野菜とハーブを煮込んだスープ。鍋ごと紙の様に薄切りにしたサンダーウッドで包み、一晩保温しておいたのだ。


「ん。美味いな。やっぱりトメトはトマトとほぼ変わらないのか……あと一塩っと……」


肉や魚は一切入れていないが中々美味い。この世界でも農業は発達しているのか、アレキサンドラが寄越す野菜や果物は全て味がいい。次は焼いて数日経ったパンを薄く切る。この島には小麦畑はない。使った小麦粉は遠方から取り寄せたもので、古くなっていたのかあまり美味くはならなかった。しかも固い。が、卵液や果汁に浸けて油を塗ったフライパンで焼けばイケる。スープグラタンにしてもいいが、甘いもの好きだと聞いているので果汁を使う。アポル果汁に漬けて焼いていると、怒鳴り声が聞こえて来た。


「我を喚び出すつもりだった?同じ島内だ!我なら三日かからん!報せを寄越せ!」


「だって使い魔飛ばしたり手紙を送るの面倒なんですもん!」


「複雑な魔法陣と長時間詠唱の方がよほど手間だろうが!……それであの娘を巻き込んだのか……憐れな……」


心底、同情しているらしい声に凹む。と、同時に腹が立った。


「勝手に憐れむな。不快だ」


乱暴に机を整え、朝食を運んでいく。スープ鍋とお椀と取り皿、大皿には山盛りのパン、巨大な果物籠にはアポルとブルルの実がたっぷりと。聞き入った所為で焼いていたパンが少し焦げたり焼き目が剥がれてしまったが、味に問題はないはずだ。アポルは味も見た目も林檎に似た果実だ。林檎より汁気が多く、火を通すと風味が増す。ブルルの実はサファイア色の丸い実だ。スイカぐらいの大きさでアポル以上に汁気が多い。皮を小さく切って中身を吸う。熟すほど甘くコクが出る天然のジュースだ。


「パンとスープは熱いうちに食え。あとハーブも好きなんだよな?サラダも作るか?」


「……」


固まるゴンちゃん。嫌いな物でもあったかと心配したが。目がキラキラと輝いている。


「これは……娘、お前が?食べていいのか?」


「ああ。遠慮するな。俺は作っただけだし、燃料だの食料費だのはこの馬鹿のだ」


「馬鹿馬鹿って言わないで下さいってばー。あ、このスープ美味しい。ゴンちゃん食べないなら私が全部……」


「我も!我も食う!」


ゴンちゃんは天に祈りを捧げ、椀に手を伸ばした。


「……美味い!口の中が踊る!彩りも素晴らしいな!」


「お、大袈裟だなあ。刻んで煮て焼いて味を整えただけだっての」


照れるキサラにアレキサンドラは微笑みかけた。


「素直に讃えられて下さい。実際、貴方の料理の腕前は大したものですよ。半月前は野菜を切るのも火加減の調整も一苦労だったのに」


「バラすな!」


怒鳴りつつ最初の頃を振り返る。アレキサンドラの作る物を口にしたくないからと台所に立ったはいいが、慣れない体や道具や未知の食材に手こずり失敗ばかりしていた。しかし、アレキサンドラは一度も叱らなかった。料理をすると言い張るキサラに根気よくやり方を教え、作ったものは(命の危険がない限り)全て食べた。感想も素直で簡潔、いいところは褒める。自分は料理をしないのに料理本や道具まで取り寄せてくれた。


「……おい、トンチキ魔法使い。昨日のアレは水に流してやる。外でヤれねえ時もあるだろうから、今度から俺の耳を防げ」


「アレって……。あっ!……あのー……ひょっとして結界張り忘れてました?」


頷けば机に突っ伏した。耳まで真っ赤だ。安心した。どうやらそこまで恥知らずでも、キサラを蔑ろにしている訳でもないらしい。幸せそうにパンを頬張っていたゴンちゃんが首を傾げたので、簡単に説明する。目から輝きが消えた。


「最低だな。他人と暮らすなら気を使え。娘、他になにかされてないか?」


「視線が気色悪い。さっきもブルルの実と人の胸を見比べてた。あと馴染みが俺に突っかかってくる」


「うええん!ごめんなさいってばー!ぐえっ!ごんちゃ……!いた……つぶれ……!っ!」


三人の関係が決まった瞬間だった。


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