第14話 アレキサンドライト

「俺の妻は私の夫はどこだどこに」


千年と少し前、二人のエルフが常若の国ティールナグル島から逃げた。赤い髪のアレキサードと緑の髪のサンドライト。エルフの双子の兄妹で、どちらも並外れた魔力と才能を持っていた。次代を担う存在として大切に育てられていたが、ある年の祝祭で下った予言が立場を一変させてしまう。


『赤髪の若者と緑髪の乙女が成した子が、全てのエルフの頂点に立つであろう』

周囲はこれを信じ、兄妹同士での子作りを強制しようとした。二人は大暴れの果てになんとか逃げ切った。島から出さえすれば、外界を嫌う者たちは追ってこない。念には念を。魔法と船を乗り継ぎさらに遠くへ向かった。エルフも住む場所がいい。探した先がアルビレオン諸島連合王国だった。大小の島々を王家が支配する国で、当時には珍しく様々な亜人が暮らす国だった。ただ、魔法使いは一部の島を除いてまだ少なかった。なので、二人のような腕利き魔法使いは重宝された。貴族の口利きで王島に出向くようになるまで、さほど時間はかからなかった。そして、自分たちと同じ双子の魔法使いに出会った。

彼らは人間の魔法使いだった。おっとりしたライラとラック。長く紫に光る黒髪に金緑の瞳が姉のライラ、青紫の瞳が弟のラック。彼らはアルビレオン諸島連合王国一の魔法道具職人だった。得意なのが礼装作りで、エルフの中ですら彼らに匹敵する者は稀なほどだ。


「二人で紡いだ魔法糸を私が織って、ラックが刺繍して仕上げるの」


「一針、一針、守護の魔法を込めるんだ。君たちにも作るよ」


 二人が作った礼装はアレキサードとサンドライトを助け、さらに強くしてくれた。それだけでなく、心遣いは孤独を癒してくれた。魔法使いの少なかったアルビレオン王島ではライラとラックも寂しかったらしく、四人は二組の夫婦となり幸せに暮らすようになる。

 千年前の大陸誕生の時も、なんとか危機を脱した。だが、大半の魔法使いは戦に参加しなければならない時代になってしまう。ライラとラックはアルビレオン王島に留まり礼装作りに追われた。アレキサードとサンドライトは大陸中央、大魔王がいる黒死大島を目指し旅をした。無数の戦い、出会い、別れ、繰り返される。油断すれば、負ければ、魔軍は世に満ちる恐怖と焦燥。エルフには一時に過ぎない一年、いや一日が永劫の時に感じられた。

 ニ十年ほどラックたちに会えない時期が続いた。便りを送る間もない。一目だけでもと兄妹で嘆きあっていた。そんなある日、出し抜けに魔軍がアルビレオン王島を襲ったという報せが届く。


「アレキサード!ここ、押さえとく、行って!」


 折悪く戦の真っ只中だった。数千、いや万を越す魔軍を最中央部に押し留める激戦である。こちらも二万を越す兵力があるが、それを割く余裕はない。だが、万が一陥落したら?サンドライトは召喚魔法を使い、兄をアルビレオン王島に飛ばした。そして、動揺する他の魔法使いや騎士を叱咤し励ました。


「狼狽えるな!我が兄は必ずや王島を守り抜く!王島の守護とて破られたわけではない!我らは我らの勤めを果たさねばならん!アルビレオンの為に!名も知らぬ島々の為に!」


 滅多に怒鳴らない魔法使いの檄に諸将は奮い立った。一人一人が一騎当千の働きをし、三日後には半数以上を弑し、残りは押し戻された。最も活躍したのはサンドライトだった。それに次ぐ働きをしたブーカドゥーカが肩を叩く。


「サンドライト殿、兄君の元へ。しばらくは奴らも動きません。ここは私とミストラ殿にお任せ下さい」


 おぞましい技に倦厭されがちだが、ハーフエルフの青年は優しく誠実だった。泣き虫ブーカドゥーカとからかわれるほど涙もろく、また周囲に愛されていた。この頃は、まだ。


「ありがと、様子、見てくる!」


 サンドライトは自らに召喚魔法をかけ、懐かしい王島に飛んだ。胸騒ぎがする。

 しかし、召喚場所である王城も周辺も平和そのものだ。襲撃を国境で防げたのだと勝利に沸き、遠方で快進撃を続けるサンドライトを讃え労った。祝宴への出席を固辞しつつ、深く安心した。流石は我が兄だ。間に合ったと。本人はまだ国境にいるだろうから迎えに行ってやろう。しかし、その前に家に寄りたかった。十年ぶりに一目でも会いたかった。


「ラック、ライラ、どこ?」


 久しぶりの我が家は懐かしかったが……糸を紡ぐ音も機織りの音もしない。人っ子一人おらず、しかも長期間空けているのがありありとわかる有様だった。庭は荒れ果て、家具や道具には布がかけられ、床には埃が積もっている。ラックたちの弟子すら影も形もない。ギッと心臓が軋む。ざわざわと吐き気が込み上げた。家を飛び出し、近所の者に確認する。


「知らなかったのか?半年前だったかね。魔法使いと騎士は能力関係なく国境の守護に当たれって」


「王様じゃない。なんだっけな、アンタら魔法使いの元締めだ」


 聞いていない。箝口令を敷いたのは明らかだった。

 サンドライトは急いだ。嫌な予感が確信に近づいている。ここから国境へは召喚術を使えない。風を巻き上げて飛んだ。朝が終わり昼が過ぎ夕刻になってようやく着いた。

 東の島境、新バルラ高原は地獄の有り様だった。魔物と亜人種族が死屍累々。腐った血肉と怨嗟の海。荒ぶる死の波は島境を守る結界壁とその守護石の大半を破壊しており、いかに戦が激しかったかを語った。破壊された壁や石が発する魔力は、懐かしく愛しい夫とその姉のものだ。間違いない、二人はここにいる。サンドライトは生者がいる砦を見つけて降り立った。


「サンドライト様!」


 師匠の奥方を弟子が見とめた。水色の髪のエルフ、一番弟子のシャルだ。血の滲んだ包帯と涙の跡でボロボロの顔で駆け寄ってくる。サンドライトが口を開くより早く手を握り引っ張った。


「お早く!どうか!せめてあの方だけでも!」


 案内された一室、寝台が三つあった。一つには赤い髪、二つには紫に光る黒い髪がのぞく。赤い髪を持つ青年は、辛うじて生きている気配がしたが……。


「……ラック……ライラ……」


「お師様たちは……壊れた守護石を補強しようとして襲撃にあい……間に合いませんでした」


 なぜ?ラックとライラは後方支援として懸命に働いていたはずだ。馬鹿な問いをしそうになる。そうせよとクロウリーに命じられたからだ。クロウリー。数千年を生きていると噂される大魔法使い、魔法の探求と民の為ならばなんでもする男。


「クロウリィィ……!」


 サンドライトの瞳が青緑に燃え上がった。バキバキと床石が割れていく。


「サンドライト様、お気持ちは私も同じです。いずれあの老爺には報いを……ですが今はアレキサード様を」


 シャルの声に血を分けた半身を見遣る。身体の半分以上が吹っ飛んでいたが、エルフの生命力の所為で生きていた。いや死ねないのだ。青緑の瞳から嘆きが溢れる。


(アレキサード、アレキサード、私の兄、私の片割れ、この有り様、どうしたの?)


(サンドライト……すまん。二人を庇ってこの体たらくだ……。なのにライラもラックも……俺の所為だ)


(それだけは違う!ああ、アレキサード……時間、ない。命を繋がれたい?眠りたい?)


(選べるなら……頼む)


 無事だった瞳がギョロリと動いた。

 それは禁忌であった。だが、サンドライトはしばしの問答の末に諾といった。情と、打算の果てに。


「私だけ、では、倒せない」


復讐のために。


ーーーリーン……リーン……ーーー


貝殻の螺旋に澄んだ音が響く。一階の奥、地下通路への扉が壁に隠されていた。場所を正確に把握し、術式を発動させねば開かない。が、アレキサンドラには容易い。

現れた扉を開ける。生臭くおぞましい闇と無数の魔法糸が現れた。身を投じた瞬間、アレキサンドラの姿も扉もおぞましい闇も消えた。消えた先、アレキサンドラは無数の繭が吊り下げられた空間に立ち尽くしていた。繭から出ている……繭の中身から紡がれる魔法糸は、宮殿を始めとするハイバル島のあらゆる場所に蔓延り陣を描き、魔法を維持している。


「『糸車』か。名は体を表すとはよく言った物だよね」


「全くです」


男は侵入者に微笑みかけた。木でできた椅子に座り、机に向かってなにか書き物をしている。


「しかし、彼らの苦労も報われる時が来ました。先日、私が作った術式なら負担を分担できます」


アレキサンドラは頷き、男に近づいた。


「君はいつも、誰かのために頑張る子だったね。偉かったね」


思い出すのは、なんとか仲間を生かそうとする姿だ。誰になんと罵られようと、殺されかかろうと、直向きに治療に当たった。それでも助からぬ命は多い。死霊が迷わぬよう嘆きを聞いてやり、祈りを捧げた。亡骸は丁寧に弔うか、防腐して故郷に返した。戦のあとなぞ何百何千もの亡骸が出るというのに、蔑ろにすることはついぞなかった。身を削り心を削る様、悲嘆に涙する男を、いつしか仲間たちは愛するようになった。

いつだったか、誰かが聞いた。何故そこまで献身するのかと。


「私……僕は……ううん。僕、助けたいのに助けれないから……皆、死なせちゃったから、少しは役に立ちたかったんです。大好きだったから。なんて……子供っぽいですよね」


長い腕が男の頭をそっと抱きしめた。きしり、きしりと骨が軋む。


「優しくて可愛い僕らの泣き虫さん。もういいよ。おやすみ」


指先が背中の、心臓の真裏を押した。それだけで、男の魂をこの世に繋いでいた最期の糸が切れた。カシャンと軽い音がして、白い骨が崩れ砕ける。身に纏っていた衣も塵となる。自らの死体を操ってまで魔物殺しに執心した、死体使いブーカドゥーカの最期であった。


「心配ないよ。君が愛した人たちは、今も君を愛しているから」


アレキサンドラはストラを肩から外し、亡骸を包んだ。この罪人たちの揺り籠からは動かせないが、せめて弔ってやりたい。それぐらいしか出来ないから。

仲間を送るのは何度繰り返しても応えるなと、少しだけ目が潤んだ。

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