第13話 間木継武

キサラたちが来るより前、早朝の頃。森の中、一人の老人がゆっくりと歩いていた。落ちくぼんだ顔には、久しぶりの外に喜ぶよりも『信じられない』という気持ちの方が強く出ている。早朝、ミストラの幻影が現れた時からずっと。

夜半、急に意識が遠のいていった。ままあることだ。魔法自体は意識がなくとも保てるので、身を委ねる。常に全身を苛む痛みが遠のいていった。それから、どれだけ経ったか。


『マーギ、長きに渡る役目、ご苦労様でした』


頭の中に直接話しかけられ、目覚めた。すぐに、死ぬにはまだ早いが役目を交代するのだろうと悟る。幻影の背後に平伏するミトがいたからだ。

ミト。銅の糸紡ぎたちのまとめ役。人間の若い女。この一年、なにかと敵意をぶつけて来るルカリアを抑えてくれていた。


「恐れながら申し上げます。ミト殿は若年。かような苦行を課すのはあまりに酷い……」


「間木くん。思い込み激しいところ変わってないね」


「は?……まさか君!」


つい立ち上がった。いや、おかしいと自分の脚に視線を移す。萎えて動かなくなっていたはずだ。いや、それよりも。

ミトの声がはっきりと聞こえた。


「耳も脚も上手くいったみたいだね。間木くんが意識飛ばしてる間に身体を弄ったんだよ。死兵作りの応用。関節や骨は貝殻で代用して、麻痺したり途切れた神経を魔法糸で繋いだの」


「き、君が?たった一晩で?」


簡単にいうが神業だ。百花大陸中探してもこれが出来る魔法使いが何人いるか。ミトこと明希良きらは微笑んで首を振った。


「ううん。ミストラ様だよ。私はただ、依代として身体を明け渡しただけ。そんなことより」


強い力で手を引かれる。逆らえず歩き出した。馴染んだばかりの関節がギシギシ音を立てる。ゆっくりとしか進めない。


「早く行ってあげて。彼女、ずっと待ってるんだから」


明希良きらはお構いなく急かす。階段の上に引きずり出されてしまった。


「いや、しかし、僕には役目が。そ、それに、会う資格がな……」


「人がマンションから落ちたのに責任感じてるみたいだけど、あれは自殺じゃなくて殺人……いや過失致死かな?まあいいからさっさと行きなさい」


「しかし君!この役目がどれだけ過酷かわかっているのか?」


「誰が役目を継ぐって言った?これから大陸維持魔法そのものが変わるの」


『そうです。貴方にも協力して頂きますが、これまでのような痛苦に満ちたものではありませんよ』


「わかったら降りて。……自己満足で伴侶に後追いさせるなんて最低。違う?」


ぐうの音もでない。事態を把握出来ないまま、間木は階段を下りた。驚いたことに、違和感こそあれ痛みも疲れもさほどではない。


(死兵作りの応用か……。さては痛覚を司る神経を鈍らせるか摘出したな。あとは魔法糸で衰えた筋組織の補強もしているのか)


考えながら苦笑する。いつの間にか、骨の髄までこの世界の魔法使いになっていた。脳裏に別れ際の一言が蘇る。


「あんたは私の不幸のほんの一部でしかない。それでも償いたいなら、百年待たせたあの人に償いなさい」


森の梢の向こう、色とりどりの貝の建物が見える。覚えているかつてより数が増えた。自分があの日、守りきった人々が住む街。そして建物の隙間からは港が見える。紺碧に輝く。バルバンド内海、愛しい番が住む海が。

間木紘武はいつしか涙を流していた。涙は後から後から流れる。やはりきっと、自分はもう長くないだろう。これはひと時だけの褒美だ。それを嘆く自分と、それでも喜ぶ自分。二つの感情がぶつかり、心が波打ち飛沫く。飛沫は涙となって皺だらけの顔を濡らし、懐かしい潮風に散った。


「如月くんに嘘ついたな。僕は……僕だって」


会いたくてたまらなかった。共に生きたかった。海とそこに住む番に会うため、間木継武は足を動かし続けた。


いつまでもキサラが泣き止まないので、一行は借家に帰った。


「落ち着いたらまた来て。ミストラ様と待ってるから」


明希良きらの笑顔に頷き、アレキサンドラはゴンちゃんに背負われた人の翼を撫でた。撫でながら語りかける。

大陸維持魔法の改良。アレキサンドラは以前から研究していた。本人は暇つぶしで発表する気はなかったが、研究動機はやはり糸車への同情だ。素直じゃないエルフなので認めないが。しかし、難航した。隠遁している身では、研究に必要な資料が手に入らない。旧き糸紡ぎとアルビレオンの王の杖が、大陸中の知識を半ば独占しているからだ。

アレキサンドラは半ば諦めていた。が、今回は糸車マーギこと間木から、宮殿書庫の閲覧許可を得ることが出来た。各島にある旧き糸紡ぎの宮殿。内部の書庫には膨大な資料が保存されている。しかも、ハイバル島の宮殿書庫は他島に比べても豊かだ。間木が召喚者を探す為と、島民の力になる為にあらゆる資料を集めさせた精華であった。こうしてアレキサンドラは、旧き糸紡ぎから逸れてからは手にできなかった資料を手にし、瞬く間に術式を完成させた。


「ふっふーん。僕にかかればちょちょいのちょいですよ」


調子に乗るアレキサンドラ。陽気さが今のキサラにはありがたかった。それに、結果的にキサラの願いを両方叶えてくれたのだから。


「ですがマーギのことも助けてやって欲しいなんて、お人好しすぎますよねー。さぞかし向こうの世界でもいいように使われてたんでしょうね」


「あれき、だまれ。……きさら、きさら、なくな、めが、とける」


溶けていい。いっそ涙で目が溶けていれば、気づきたくない事実に気づかずに済んだ。しかし、目が見えなくてもキサラは気づいただろう。微かな死臭を。


「マーギはローレイラと感動の再会ですよ。よかったですね」


なんとか頷いた。そうだ。よかった。明希良きらだって、幸せだという言葉に嘘はなかった。けれど、生きていて欲しかった。そうすれば。無数の感情が波打つ。永遠に続きそうな激しさで。しかし、長い時をかけて波が引いていく。残された砂浜には小さな真実が残った。どこかで悟っていた真実が。


「俺……子供の頃、鳥になりたかった。空を飛べたらいいなって」


頭を撫でていたゴンちゃんの手が止まった。


「アッキーが自殺したって聞いた時、どこかで考えてた。俺が女だったら、もっと悩みを話してくれたかなって。なら俺は女に生まれたかったって」


本人や、他の女友達が言っていた。いくら仲が良くても男友達には話せないことがあると。


「アレキサンドラ、俺がこの姿になったのは俺の願いのせいなんじゃないか?だったら旅に付き合わせるのは……っ!」


口元にリヴァイアサンクレープが推しつけられる。アレキサンドラの昼食用に作っておいた分だ。顔をずらしてもアレキサンドラは逃さない。


「な、なんだよ。真面目な話を……むぐっ!」


「変な勘違いはやめなさい。あの時、なにも知らないあなたに魔女いらずスープを飲ませたのは僕だ。責任がある」


でもと言おうとしたが、普段とは違う柔らかな笑みに固まる。


「全く。あなたのお人好しは人を救うなあ。これだから見捨てられない。……料理の腕もなかなかの物ですし」


「われも、いぶくろ、つかまれた。つきあう、さいご、まで」


お人好しはお前らじゃないか。涙で言葉にならなかった。


泣き疲れて眠ったキサラを、ゴンちゃんが寝室に運んでやる。目で追いながらアレキサンドラは呟いた。


「信じやすい人でよかった」


昨夜のことを思い浮かべる。

ミトを介し、ミストラに連絡を取った。深夜、宮殿書庫に幻影で現れるようにと。


『キサラさんの願いですか。……残念ながら……不甲斐ない話ですが、糸車を無くすことは未だに出来ません』


「ははっ」


渇いた笑い声。紫の瞳が一瞬だけ剣呑に光った。


「ミストラ、取り引きしよう」


アレキサンドラは一枚の葉紙を差し出した。そこには複雑な術式と、その運用に必要な技術がびっしり書き込まれていた。アレキサンドラの文字で。


『……これは……』


瞬く間にミストラの瞳の奥で嵐が吹く。表に出さないのは流石だが、通じる相手ではない。アレキサンドラはさらに数枚、手渡した。それらはマーギから許可を得て宮殿書庫に入り浸った成果だ。これらは厳重に隠されていたが、封印まではされていなかった。隠した者の迷いを現すかの様に。前から疑っていたのだ。魔法は日々発展している。未だに旧来の手法を取っているのは不自然だと。それでも、最初は自分だけで術式と理論を完成させるつもりだったのだ。資料を漁るつもりがこうなるとは流石に驚いた。


「君も悪だよねえ。すでに代替え案が出てたのに握りつぶして。ま、不備も多いから補填したけど」


『……確かに見事な術式と理論です。初めて拝見しましたが、検証する価値はありますね。逸れ糸紡ぎにも優れた者がいるものです』


「君、語るに落ちるのが早すぎる。僕はこれを書いたのが逸れ糸紡ぎだなんて一言も言ってないよ」


『思い込んでしまいました。では、どなたが?』


「……ミストラ、茶番は終りにしよう。この術式を使い、マーギを解放して欲しい。叶えてくれるなら沈黙を守ろう。権威を保つ為に糸車たちを人柱にし続けていることも、君がブーカドゥーカを……」


その時、無数の光が現れ、瞬く間にアレキサンドラを蜂の巣にした。ミストラの魔力糸を練り上げて鍛えた剣の束、並み居る魔物を屠ってきた技だ。


『お口にはお気を付けあそばせ。ご存知でしょう。私は私と故郷を侮辱する者には手加減しませんよ』


血塗れになったアレキサンドラの幻影が消え、ミストラの背後に無傷の姿を現した。


「怖いなあ。言葉の綾じゃないか。……腕を上げたね。お姫様」


『……私を侮るか。呪われた兄妹よ』


「安い挑発は君に似合わない。取り引きしてくれないか?君が糸車たちの現状に納得しているとは思ってない。さっきはああいったけど、握り潰すよう主張してるのは他の金だろ?」


ミストラの瞳に影がかかった。長い睫毛と髪がくすみを帯び、常に盛りの白薔薇が枯れてゆく。大魔王によって世界が変わり果てて千年。永く生きるエルフですら、半生に当たる年月だ。人間の身にはさながら永劫。その永劫は、ミストラの魂を削り心を苛んだ。大気脈の要石として表にでないのも、しょっちゅう瞑想するのも、詰まる所、他人と関わるのに疲れてしまったからだ。


『……この術式はあなただけが考え、私に渡した。ハイバル島のみで試験運用する。他の島で使うかは結果次第……いかがですか?』


「いいよ。あの子も喜ぶだろう」


『……ええ』


懐かしい字を撫でる。丁寧で繊細な、書いた者の人となりを表す字を。ブーカドゥーカの字を。


『どうして貴方は壊れてしまったの。私たちにばかり苦労させて……』


アレキサンドラは静かな恨み言を背にした。感傷と後悔に溺れる白薔薇が悲痛を紡ぐ。


『ゴミ消し屋アレキサンドラ。取り引きとは別に依頼します。……あの泣き虫さんを眠らせて差し上げて』


ひらりと手を振る人を見送る。かつての姿が重なって消えた。二人分の魔力と業を背負った存在。何故、狂乱せずにいられるのだろう。


『私は、もう……無理だわ。……ああ、ルカリア……私は』


自分に弟子を断罪する資格などない。わかっていた。権力に溺れ安楽を望んだ、気高さを喪った身になど。だから見つけ出したあの日、どこまでも初心を貫くブーカドゥーカの手を取れなかった。

枯れゆく白薔薇は涙の夜露に濡れそぼる。いつまでも、夜が明けても。


アレキサンドラは階段を降りていく。宮殿書庫は中層、目指す階層は地下だ。闇に沈んだ貝殻の螺旋。こんな静かで、誰も側にいない夜は久しぶりだ。

普段は記憶の底に沈めている過去が浮かび上がってしまう。


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