第12話 きらきらひかる
粘ついた闇の中、一人の若い女がアスファルトの上に倒れていた。
(ここは……?私、たしか……)
周りは鮮血に染まっていた。誰がみても助からない有様だ。体中、何ヶ所も骨折しており肉が裂け内臓がつぶれていた。特に胸部と強く打ち付けた頭の中が酷い。
(そうだ……私、ベラン、ダ……か……ら……)
体が冷たい、意識が遠ざかっていく。これが死ぬということかと実感した。これまでの人生や感情が浮かんで消える。
(いや……だ……まだ、たく……な……こんな……)
はくはくと声にならない声が唇から零れた。強い後悔と生への未練がそうさせた。その時、強い力でアスファルトから引き剥がされる。裂けた肉が折れた骨が潰れた内臓が激痛を生む。ゴボゴボと血を吐いた。
「きら!きら!なんで?目を開けて!」
母の声だ。自分を抱き起こしたのだろう。察した瞬間、ある感情が全てを塗り潰した。
(死ぬなら、あの世があるなら、こいつらの来れない場所に連れて行って!)
これが明希良きらの最期の記憶だった。
次に覚醒した時も、また闇の中だった。
「貴様がなぜ命を失ったかは知らんが、大切に使わせてもらおう」
(だれ……?)
誰かが明希良きらの頭に触れた。冷たく、大きな手が血塗れの髪を撫でて顔を覗き込んだ。目が霞んでよくわからなかったが、若い男のようだった。声は深い響きを持つ。聴いていると、闇より暗くて深い場所に引き込まれるような気がする。
「……貴様の魔力はさながら黄金の炎だな。その炎で魔物を焼き尽くせ。異世界の屍よ」
また意識が闇に落ちた。
「貴方は……こんな娘にまで手をかけたのですか?魔物を滅ぼす為だけに?」
誰かが怒りに震えている。
「そうだ。これを見ろ。この死兵の戦果を」
隣であの男がなにか言っている。けれど、少しだけ声が震えている。怒りではない。これはなんだったか。覚えがある。
「貴方は私の、私たちの友だった。貴方にとっての私たちも。だから加勢に来てくれた。……それに免じて一度だけ見逃します」
「お前は……君は、わかってくれると、同じだと、ミストラ。何故だ?僕は、ただ……」
ああ、悲しいのか。拠り所を喪って。よく理解できる感情だと納得した瞬間、目の前が黄金色に染まる。いや、違う。
「残念だよミストラ。わかってくれないならこうしないと……ごめんよ……ごめん……でも僕、誓ったんだ。君だってそうだろ?」
(私の体が燃えてる?でも熱くない)
黄金の炎はまるでストールかマフラーの心地よさ。包まれて陶酔する。
(気持ちいい……。そうか、これは私が出した、私の炎。私を守りそして)
炎に照らされた周囲をありありと眺めた。黒焦げになった塊がいくつも地面に落ちている。いくつかは黒焦げを通り越して炭に。かつては動物に似て非なる生き物、魔物だったそれら。
(ああ、そうだ。敵だ。敵を燃やさなくちゃ。命令された。敵、まだ燃えていない敵)
目玉をぐりぐり動かして探す。群れなす魔物の死体の向こう、眩しい光を見た。一目で察した。あれが敵だと。
「……我が傀儡よ。屍の戦士よ。汝が炎は我が炎!我が怨敵を燃やし尽くせ!」
悲鳴に似た叫びが闇を裂き、明希良きらの衝動を解き放った。敵に向かい、黄金の炎の波が押し寄せる。天を炙り地を抉り、無数の死体を塵に返しながら。間も無く、敵は波に飲まれた。なす術なく。勝利と殺戮の感触に唇が歪む。澄んだ声が響くまで。
「馬鹿な泣き虫さん。……力押しで倒される私ではなくてよ」
黄金の炎より眩しい光が敵を囲んで守っていた。それが輝く糸の集合だと気づく。ならば炎を刃にして斬ろう。だが、敵の魔法が身に迫る方が速かった。
「ぎゃあああああ!」
男の悲鳴が耳をつんざいた。同時にがくんと脚が、いや全身から力が抜ける。崩れる。単に体が動かなくなっただけではない。自分と男を繋ぐなにかが絶たれた。炎が搔き消える。意識も。
「ミストラああ……!返せ!それは僕のだ!僕の死体だ!返せええ!」
また完全な闇が下りた。
懐かしい過去を浮かべながら、明希良きらは変わり果てた友人に微笑んだ。それにしても、何て姿に変えられたんだと口の端が歪む。誤魔化すために明るくはしゃぐ。
「ヒバリんの事だから心配したよね?私を助けようと動くつもりだったんじゃないかな?でも大丈夫!見ての通り私はピンピンしてるよ」
「え、じゃあ、生き返ったのか?よかった!」
如月雲雀は涙を浮かべて駆け寄ってきた。手を握られる。温かく柔らかな感触は、彼の心そのもののようだ。お人好しで真面目で優しくて……人の言葉の裏を見ない呑気な男。
「うん。だから私のことはいいの。ヒバリんは自分の心配だけして。向こうに帰りたいんでしょう?」
感極まったのか金色の瞳から雫が溢れた。ポタポタと温かなそれが手に落ちる。落ちた場所が疼いた。肌が触れている場所も。ミストラが中にいない今、あまり温もると傷んでしまう。そっと手を離して距離を置いた。
(声かけた時は利用するつもりだったのになあ。いい子なんだから)
「あ、アッキー?」
「私は帰らないから」
空気が凍った。短くない沈黙。何故?と問われる前に口火を切る。声が震えないよう気をつけながら。
「ここに居たいの。帰る場所もないし。……ヒバリんには話してなかったけど」
あまり生々しくならないよう、気をつけて話しだす。脳裏に忘れたい夜が蘇る。ゴミみたいな部長、盛大にゲロをぶっかけてやったら怯んだ。隙をついて股間を蹴って逃げてやった。触られた場所が汚らしくて、身を整えながら服まで汚れて腐る気がした。明希良きらとしては、もう少し稼いだら辞めてやる気だった。が、もう我慢ならない。原付を走らせながら唇を噛む。
(パワハラの記録は用意してある。大丈夫。うまくいけば訴えることだって)
自室に隠してある日記と、端末に保存してある叱責の録音。他にも手は打ってある。先程の暴行を記録出来なかったのは痛いが充分だろう。後はあの部長より厄介な家族をどうするかだ。
両親は昔から明希良きらを搾取し、年の離れた弟を溺愛していた。母は叱るか愚痴るか以外で娘に話しかけない、常に誰かに責任転嫁していなければ生きられない人、父は酔うと妻か娘を殴り、給料の大半を賭博か服に費やす人だった。
そんな両親の元に生まれた明希良きらは、高校に入学してすぐバイトで稼ぐよう強要された。家計を支える為に。周りに助けを求めようにも、慈しんでくれた父方の祖父母は既にいない。母方は祖母が存命だが疎遠だ。赤の他人は両親の外面に騙される。相談した担任教師に至っては両親の肩を持ち叱る始末。
「明希良が嫌がる気持ちもわかるけどな?ご両親だって苦労して明希良を育てたんだから。それに、バイトくらいしたらいいじゃないか。社会勉強になるしさ。大体、弟さんばっかり構われて焼きもちなんて子供っぽすぎるよ」
育ててくれたのは祖父母だ。強要されて給料を奪われてるんだ。勉強どころじゃない。焼きもちだと?両親に構われたいなんて思ったこともない。とは言えなかった。諦めてしまったから。
「きら!先生に余計なことを言ったでしょう!そんなに私が悪いっていうの!産んでやったのに!あんたがしっかりしないから叩かれてるのに!」
「うるせえぞグズ!おい、今月の稼ぎ足りねえな?てめえ隠してるな?ああ?」
「親父、リビングで暴れるなよ。そいつの部屋でやれって」
弟は端末かゲーム機から目を離さずにほざく。どちらも姉のバイト代で買った癖に。諦めて流されて。親のいいなり弟の奴隷として生きてきた。外でまで虐められないよう、愛想よく明るく振る舞いながら。
(こんな人生も終わり)
高校卒業と同時に社会人になって、少しずつだが世界が広がった。似たような境遇や、そうではないが真剣に話を聞いてくれる友人知人が増えていく。端末は、知識と知恵を得るのにうってつけだ。なにより、収入のある程度を自由に動かせるようになった。
日付けが変わる頃、大半の住人が寝静まったマンションに帰り着いた。誰も起こさないよう静かに鍵を開け、自室に戻る。かねてからの計画通り、数日分の着替えが詰まったリュックをクローゼットから出した。
(そうだ。さっきの騒ぎで無くしてないか確認しなきゃ)
常に持ち歩いてるカードと印鑑と通帳。家族には隠してる口座のものだ。薄いポーチに入れて首から下げているが、服を脱がされた時に投げ捨てられた。逃げる時に拾ってはいたが、中身が落ちたかもしれない。胸元から取り出して中を開ける。全て揃っていた。
「よかった……」
「なにがよかったの?」
比喩でなく息が止まった。母だ。振り返りたくない。ポーチを持つ指が凍りつく。だめだ。いつも通り振る舞え。ゆっくり体を向けて喋った。
「起こした?うるさかったならごめん。研修がもうすぐだから荷物を確認……」
「それ、なに?荷物も大き過ぎるわよね。……あんた、まさか。私らに隠れてなにしてるの!こそこそと!」
母が猛然と向かってきた。掴み掛かられる。取られる。
「触るな!これは私の金だ!」
反射的に突き飛ばした。ドア横の壁にぶち当たる。母に手を上げたのは、これが最初で最後だった。だからすぐ逃げなければいけないのに固まってしまう。そうこうしている内に、父が起きてしまった。開きっぱなしのドアから中に入って来る。
「おい、どうした。……なに寝て……おい!」
母に身を寄せた為、人が一人通れる間が空く。急いですり抜ける。このポーチさえあればいい。早くマンションから出なければ。しかし、玄関から出る前に肩を掴まれ、次に頭に火花が散った。堪らず崩れ落ちる。父はそれを蹴りつけながら何か喚いた。恐らく罵倒だが、よくわからない。野犬が泣き喚いているとしか思えない。野犬め。
(駆除してやる!)
「ぎゃあっ!きら!離せこの馬鹿!」
素足に噛み付く。バランスを崩した脚の脛を思い切り叩いた。狙い通り父は尻餅をつく。無理な仕事で培った体力が役に立った。だが。
「親父?……おいブス!なにしてんだ!」
玄関に近い部屋から弟が顔を出した。再び廊下を走る。反対側に。玄関は駄目だ。ならこうするしかない。リビングのベランダから助けを求めるしか。
窓を開けて飛び出した。叫ぼうと開いた口を鷲掴まれた。なにか叫んでる。弟だ。歯を立てれないよう指を喉に突き入れられる。押さえ込まれた。引きずられる。中に入ったらおしまいだ。必死に手足をばたつかせ、拘束を解く。背中に当たる。大して高くないベランダの柵。
(あ、まずい)
そう感じた瞬間、バランスを崩し中空に放り出された。
「で、死んじゃった。それからこっちに召喚されて操られてたのを、ミストラ様に助けて頂いたの。運いいよね私」
本当に幸運だ。もう殴られたり稼ぎを取られたり罵られたりしないで済む。嫌な記憶しかない世界から逃げれた。今の仕事だって、自分から希望したのだ。だから。
「私、幸せよ。だから泣かないでヒバリん」
如月雲雀。何もかもが明希良きらと違う男。どんなに愚痴って不満を吠えても、仕事の手を抜かない。そして家族に大切に育てられた男。与えられる言葉全てを真に受けて悩む、他人を信じれる男。
そして、自分や間木と違ってあちらの世界に絶望しないですんだ友達。
「私のことも間木くんのことも心配いらないから」
(もし私が死体でなければ……旅についていけるのにな。ヒバリんと戻れるならあの世界も悪くないのに)
明希良きらは、どうか気づいてしまいませんようにと願いながら、熱のない指で如月雲雀の涙を拭ってやった。
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