第10話 食わせ者の昔語り
キサラは吐き気をこらえながら間木と距離を置いた。貝殻を落としてしまったが、特性のそれはきちんと音を届ける。まさか、そんなと呟くのに間木は頷く。
「明希良くんが亡くなって君が事件にあった日の夜、部長から聞いたんだ。それで僕は」
「は?事件?」
覚えのないことに固まる。頭の何処かが軋み、爪先から冷えていく。黒い瞳が何かを悟った。
「如月くん、この世界に召喚されるのには幾つか条件があるのを知ってるね?一つは、召喚する日がこちらの世界で百年に一度の双極の日であること。一つは、召喚者が異界の扉を開けるだけの魔力と技術をもつこと。……そして、召喚される者が『此処ではない何処かへ行きたい』と願っていることと、大半が向こうの世界との繋がりが薄い死にかけか死体だということ」
最後の条件には覚えがない。馬鹿を言うなと叫びかけ、あることを思い出す。あの日、玄関のドアを捻って開けた。が、その前に解鍵していなかった。確かに鍵をかけていたはずなのに。
「空き巣だよ。大家の息子がマスターキーで忍び込んで物色していたんだ。日中はいつも居ないはずの君が帰ってきてしまったから、ヤケを起こして包丁で刺して逃げた。すぐ取り押さえられたけど、救急搬送された君は意識不明の重体で、いつ死んでもおかしくない状態になっていた」
扉を開けてすぐ召喚され、まもなく気を失った。本当にそうか?自分は死んで、あの魔法使いに操られているのか?噂にきく死霊術も、アレキサンドラなら……。
「キサラさんは死んでませんよ。確かに死にかけでしたが僕が治療しました」
かたわらにオパール色の髪がきらめく。いつの間に。アレキサンドラは意味ありげに微笑んだ。
「あなたが僕を想って下さったから、ちょちょいのちょいで飛んできましぐはっ!」
殆ど反射で腹に拳を沈めた。
「だ、誰がお前なんか!何しにきた!ろくでなし!しかも死にかけだったとか聞いてねえぞ!」
「ごほっ……!はぁ、い、言ってませんもん。ほら、あの後ですぐあなたが魔女いらずスープ飲んじゃってそれどころじゃなくなっ鉤爪危ない!」
「お前が飲ませたんだろうがあああああ!その所為で!俺は!鳥女にいいいいい!」
ギャンギャン騒ぐ二人に呆気に取られた間木だったが、先程からの疑問が氷解し得心した。魔女いらずスープ。数百種類のスパイスを具材と煮込み、魔力が宿るよう呪文をかけた料理だ。滋養があり魔力不足を補う為、一杯で寿命が十年伸びると言われる。ただし、魔法使いでない人間が食べると名前の通りの副作用が出てしまう。
魔女。一際特殊な能力を持つ亜人種族だ。姿形を自在に変えられ、生まれたばかりでもなければ真の姿でいることはない。これは身を守る為とも、性別が未分化であるからとも言われている。つまり、魔女いらずスープとは滋養と魔力と変身能力を与えてしまうスープなのだ。
「あれ、簡単で僕でも作れるし美味しいんですよね。分量守ってひたすら呪文唱えてればいいんで」
そんな単純なものではない。だが、間木は突っ込みを放棄した。話が進まない。
「効力はそこまで強力ではなかったはずですが……」
結界を張って攻撃を防ぎつつ、アレキサンドラは頷く。
「この僕が七日かけて作りましたし、実験で色々混ぜたからでしょう。もう一年経つけど治りそうもないんですよねー。魔法かけても解けませんし」
呑気な言葉に唸りガシャガシャと地団駄を踏むキサラ。脳裏に忌々しい記憶が蘇る。
昏倒から数日後、如月雲雀は意識を回復させた。自覚はないが、腹の傷も癒えている。ふかふかした布団は心地よく、二度寝しかける。幸せな微睡みを明るい声が阻んだ。
「あ。起きた。大丈夫ですか?気分は?」
うまく目が開けれず眩しい。どうやら雲雀を覗き込んでいる誰かの所為だ。顔全体も髪も声すら眩しい。唸っていると、誰かが雲雀の背を起こし優しくさすった。
「ごめんなさい。眩しかったですね。少し光を抑えました。ゆっくりでいいですから目を開けて下さい」
「う……ん……」
少しずつ瞼を開き、目を慣らす。まず、自分の荒れた手と手首、布団が見えた。温かみのある光沢、細かな浮き模様、一目で高級品とわかる。次に隣をゆっくり見た。さっきから背を撫でてくれている人を。
「どこか痛いところはありませんか?」
「ない……です」
あまりに輝かしい顔立ちに見惚れる。しかも、とても良い香りがした。花の香り。いつか嗅がされたジャスミンやライラックの香水が浮かぶ。しかし、すぐに別の香りが鼻を支配した。スパイシーで食欲くすぐる、あの香り。
「ん?……これ……カレーか?」
「カレー?そちらにも似た料理があるんですかね。これは魔女いらずスープ。弱った身体には一番効く料理ですよ」
サイドテーブルに芳しい香りを放つ鍋が置いてある。見知らぬ誰かは雲雀から離れ、鍋から皿に中身を盛った。木の盆に乗せて雲雀の膝元に乗せる。薄黄色いスープ、大きく切った鶏肉らしき肉と煮崩れた野菜が浮かぶ。スープカレーに見えるが、米は入ってないようだ。また、微かに甘い果実の香りもする。一時、カレーに凝っていたなあ。母ちゃんたちが飽きるまで色んなレシピで作ったっけ。懐かしい記憶がくすぐられて和んだ。
「よかったらどうぞ。唯一の得意料理なんです」
グウ……と、腹が鳴った。もし、如月雲雀の意識がしっかりしていれば断っただろう。料理も状況も怪し過ぎる。大体、病み上がりに刺激物は大敵だ。しかし、雲雀の頭は未だ泥に浸かっていたし腹が減っていた。
「いただきます」
まずは一口、スープを啜る。香辛料の香りが鼻を突き抜けるが、不思議と辛くはない。どちらかというと甘みがある。これは野菜の甘みだろうか。行儀悪くない程度に舌の上で転がす。甘みの向こうから旨味がやってきた。鶏肉らしき肉の出汁だろう。しかし、鶏肉とは少し違うようだ。もっとあっさりしている。
次は肉を掬って食べた。ホロリと崩れる繊細な繊維質。煮込んだだけでなく、元が柔らかいのだろう。数回噛めば蕩けてしまう。
次は野菜片を。黄色や緑はカボチャやピーマンだろうと当たりをつけていたが、全く違う味だった。黄色はマンゴーに似た甘さ、緑色は桃に似ている。赤はトマトっぽい。
甘めのスープと野菜、肉を同時に食べるとまた違った美味さがある。味が響きあっていた。
ふっと、久しぶりに笑った。
気づけばつらつらと、謎の料理について考え味わっていた。結局、自分は料理馬鹿なんだと、雲雀は自分を笑う。それは自嘲ではない、照れ臭いような誇らしいような笑みだった。
「お口にあったみたいですね。お代わりいかがですか?」
手元を見ると空っぽになっていた。少し気恥ずかしい。
「いや、大丈夫だ。……です。ところで、ここはどこでしょう?病院ですか?あなたは……?」
この時ようやく、見知らぬ誰かの耳が長いことに気づいた。が、遅過ぎた。
「ビョウイン?いいえ。ここは異世界です」
は?とは言えなかった。身体の中からぶわりと虹色の光が溢れたから。
「あ。そっか。異世界人でも人間族は人間族だから魔女いらずスープは駄目だったかー。うっかりしちゃった」
呑気な声に聞き返す余裕はない。声すら出せなかった。身体が中から作り変えられていくのがわかる。痛みがないのが余計に恐ろしく、身をよじって寝台から転がり落ちた。
「おっと。危ない。割れなくてよかった。大丈夫ですよー。数日で戻りますから」
背中、肩甲骨の辺りから何かが隆起する。床についた手の色が濃く、小さくなる。胸元から脚にかけて、なにかムズムズする。着せられていた服が勢いよく破れた。ふわりとした羽毛が視界を横切ったので、布団が破れたのかと思ったが違う。
「ハルピュイアですか。ああ、なにが起こったかわかりませんよね」
呑気な声が呪文を呟き、目の前に鏡面が現れた。映った姿が信じられない。いったい、これは誰だ。
白銀の髪、明るい褐色の肌、金色の瞳。豊かな胸元から下は髪より少し濃い色の羽毛で覆われており、背中には大きな翼、鉤爪のついた黄色い鳥脚……。小説か漫画かゲームかアニメかファンタジー映画でしかあり得ない姿に、雲雀はなっていた。
「なにが……え?」
声が違う。低めの女声だ。喉に手を当てる。喉仏がない。
「うーん。種族と性別の両方が変わるパターンは珍しいですね」
「は?え?なに?なにが?」
見知らぬ誰かは出来が悪い生徒に教えるように、ゆっくり優しく説明した。食べさせたのが魔女いらずスープで、弱った身体にいいのは本当だが、人間などの一部種族に変身能力を与えてしまうこと。ここは異世界で、雲雀は召喚されてしまったこと。しかもその理由が理由だった。
「友達のゴンちゃんに会いたくなっちゃったんです。普通に会いに行ったら時間かかっちゃうんで、ちょちょいと召喚しよーって。で、その日が百年に一度の双極の日って忘れてたんですよねー」
双極の日とは、二つの違う世界がもっとも近づく日のことである。通常は成功率の低い異世界召喚が最も成功しやすい日だ。また、召喚関連の魔法ならば全てが異世界人召喚に成りうる日でもあった。雲雀は目を回し、再び気が遠ざかるのを人ごとのように感じた。つまりなんだ?自分はうっかりに巻き込まれて異世界とやらに連れてこられ、鳥もどきに変身させられたと?項垂れる雲雀。偶然にも崩れた横坐りになっていて、悲劇ぶりが際立つ。だが、そんな憐れさを意に介しない人物が一人。
「しかし愛らしい。ちょっとキツい顔立ちですけど。どうです?せっかく女性になったんですから味わってみません?」
なにを味わえというのか。と、思う間も無く細い指が頬を撫でた。
「女同士もイイものですよ」
柔らかな囁き、唇が迫り……。
「ふざけるな!クソ野郎!」
「ぎゃん!」
思いっきり腰をひねって放った蹴りが決まった。逃げようと走りかけた。が、いや、あれは女だったよな?やり過ぎたか?と立ち止まってしまう。
「イテテ……男の方がよかったですか?」
振り返った先、腹に手を当てながら立ち上がる男がいた。そう、男。さっきの見知らぬ誰かをそのまま男体化させたかの様な美青年が。
「見惚れて頂けて恐縮です」
いつの間にか側にいた。くいっと顎を掬い囁く。あまりに美形で、不覚にも心音が高鳴っ……。
「処女ですし優しくしま……ゲブ!」
「触るなクズ!」
商売道具である手を出してしまった。右ストレートが顔面を抉る。相当、痛いだろうが気がすむはずもない。
「戻せ!戻せ戻せ戻せえええええ!」
ガシャガシャと地団駄を踏むが、誰かはしれっとしていた。また女の姿に戻っている。
「心配いりません。数日経てば戻りますよー」
「本当だろうな!それと!元の世界に戻せよ!」
「それは無理ですね。諦めて下さい」
絶句する雲雀、淡々と説明する誰か。
要するに、双極の日でもなければ異世界召喚も異世界返還も成功率は低く、無理に行えば命に関わるのだという。
「あと約百年ですね。大丈夫大丈夫。ハルピュイアから人間に戻っても、百年くらいなら命を長引かせれま……危ない!ちょ!鉤爪やめ!」
「と、いう経緯だったんですよー。いやあ、なだめるの大変でした。後でゴンちゃんにもボコられましたし」
懐かしそうに話すアレキサンドラ。間木はしばし絶句していたが、これだけは確認せねばと口を開いた。
「あの、そもそも召喚魔法は禁呪中の禁呪ですが……」
「ふうん。そうでしたっけ。まあ、もう証拠はありませんが」
証拠はないだと?戦慄が走る。もしや、それが理由でキサラの姿を変えた上に元に戻さないのではないか?ならば許し難い。
「なにか勘違いしてません?発動を検知できなかったんだから罪に問えないって意味ですよ」
へっ!攻撃を諦めたキサラが口撃に移った。心なしか表情が荒んでいる。
「どうだかなぁ。根性ババ色の腐れ魔法使いが」
ひどーい!と叫ぶのを無視する。構ってられるか。間木は居た堪れなわ頭痛がするわで頭を抱えた。よく平気で共にいれるものだ。元部下に心から同情した。如月くん、あんまりなのは君じゃないか……。
「大丈夫ですって。黒死大島にさえ行けば、姿現しの池やら異世界との接近点があります。その為に稼いでるんですよ」
「うるせえ!何年かかるんだよ!この甲斐性なしが!」
「僕が口添えしようか?白金のお方も事情をお伝えすれば協力して下さるだろう」
「ありがたいけど、それは……ほら、こいつの責任だし」
キサラは困った顔をして言葉を濁した。
「駄目ですよ。この人は変に誇り高いというか堅物だから」
「ああ、覚えがあります。奢った缶ジュースの代金を返された時は驚きました。真面目というか頑固というか」
「わ、わかったような口きくな!自分の金は自分が稼ぐもんだ!」
アレキサンドラははいはいと流し、真面目な顔で間木に向き合った。
「貴方を召喚した男に心当たりがあります。召喚後に接触はありませんでしたか?」
「いいえ。一度もありませんでした。……お心当たりというと、やはりあの男は」
「古馴染みです。そうか、少なくとも百年前は生きていたのか。死体使いブーカドゥーカ」
疑問符を浮かべるキサラに手早く説明する。大戦の二十八魔法使いの一人。稀代の死霊術師だ。死んでさえいれば操れぬ種族はなく、またそれらは長持ちした。たとえ千に切り刻まれても復活し、半永久的に戦い続ける。大戦が終わる頃には、ブーカドゥーカの死兵隊は五千体以上に膨れ上がっていた。仲間と旧き糸紡ぎを結成し、金に就任した後は魔物狩りに精を出した。だが。
「誠実で直向きな子でした。優しくって、死兵を作る時も弔う時も泣いているような泣き虫で……だから壊れた」
ブーカドゥーカは助からなかった命たちに必要以上に罪悪感を抱いた。
「魔物を殺しきらないと……皆が報われない……もっと強い……種族を……兵に……死体、死体、死体……集めないと……」
仲間が気づいた時には遅かった。
「最初は魔物、次に罪人、それに飽き足らず異世界召喚に手を出した。しかも大量にね」
異世界から召喚される死にかけだの死体だのは、召喚時に強力な魔力を得る。魔力の質や量によっては死兵にするにうってつけだ。間木の場合は相性が悪かったので捨てられたのだろう。
「確かにブーカドゥーカの死兵たちは活躍しましたが、無制限な召喚はあちらとこちらの均衡を崩しかねません」
お前がいうな。二人からの視線を無視して続ける。ブーカドゥーカは位を剥奪され討伐された。龍の炎に魂ごと焼き尽くされた。はずだった。
「生き延びて再び召喚に手を染めたか……見つかっていないということは、糸紡ぎの魔法が及ばない黒死大島に潜伏しているのでしょう」
「ええ。きっとそうです。……如月くんにも関係のある話だよ」
間木の言葉に嫌な予感が募る。召喚条件を満たす死人を二人はよく知っている。
「あの日の夕方、明希良くんのご遺体が行方不明になった。僕らも疑われたんだけど……恐らくこちらに召喚されている」
僕らみたいにタイムラグがあるかもだけどと、間木は締めくくった。
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