第9話 糸車の秘密・後編

(僕を包んで守っていた青い光、本当なら今すぐ僕たちを守れ!)


 次の瞬間、イルルカは土煙と礫を跳ね返す青い光を見た。ナツツは自分が取ったテッセンカが輝くのを見た。ココナは自分たちを守ろうとした男が、青い光を放ち辺りに光の壁を作ったのを見た。

マーギはあふれ出る光と力に陶酔した。頭の中で知らない声がする。


『外した。……ただ捨てれば足がつくか。おい貴様。死にたいならこのまま死ぬがいい。嫌なら今から言う呪文を唱えろ』


「回れ回れスピンドル。紡げ紡げ天の羊。回れ回れスピンドル。紡げ紡げ石の絹。回れ回れスピンドル。紡げ紡げ火の綿。回れ回れスピンドル。紡げ紡げ水の麻」


 光が膨らみ広がっていく。触れた礫が砕け散り消えていった。降りかかる礫がなくなってもまだ。今度は足元や木々が砕けていく。止めようとイルルカが叫ぶ。その脇を何かが飛びすぎ、銀の光の尾を引きながらマーギの光にぶつかった。青銀の光が炸裂し、辺りを染めた。光が収まると、気を失い倒れ込んだ三人と、崖の残骸だけが残った。


「上納せずに規定外の魔法を使ったのはそこの人間か」


 イルルカの背後から声が聞こえた。振り返って顔を白くする。新任の銀の糸紡ぎとその取り巻きだ。頭が固く強権的な魔法使いは畏怖の対象だった。


「お待ち下さいルカリア様!どうかマーギをお許し下さい!崖崩れからテッセンカ取りたちを守る為にしたことです!」


「なんだ貴様。我らに楯突くか」


 銀糸が不穏な音を鳴らしたが、ルカリアの動きが止まる。イルルカにも声が聞こえた。


『ルカリア、その者の言う通りだ。危害を加えてはいかん』


「貴方は……お手出しご無用に願います。お勤めをお果たしになることのみに専念されよ!」


『罪なき同胞を見捨ててか?彼は心健やかな上に中々の魔力を持っている。弟子にしてやれ』


 断わろうとしたルカリアだが、周囲に赤い水の帯が現れたのを見て渋々頷いた。内心では、まだこんな力があったのか魚人めと罵りながら。イルルカにも事情が飲み込めた。十数年前、急死した糸車の跡を継いだ銀の糸紡ぎ。赤水の結界師マーギ老が助けてくれたのだと。だが同時に、マーギが糸紡ぎたちの世界に取られてしまったのも悟った。


『ご友人、安心したまえ。私の力がある限り、彼に酷いことはさせんよ。いずれ、我が師もお目覚めになられる』


 豊かな魔力を持つエルフや人間は、例外なく魔法を学ぶもの。わかっていても、イルルカは不吉な予感を拭えなかった。

 悲しいかな、予感は外れなかった。

 マーギは宮殿で下働きとしてこき使われた。最低限の魔法を教えられながら。一日に課せられた量を熟せば後は自由だが、しだいに島民の相談を受けるようになる。やれ、次の大雨はいつか予見しろだの、倒れた貝殻の家をなんとかしてくれだの、病気を治してくれだの、恋の悩みを解決してくれだの……。


「陸ネズミども!マーギを困らせたら海に引き摺り込んでやるから!」


「そうだそうだ!大体、糸紡ぎに聞けばいい大事から野良魔法使いに聞けばいい小事まで切りがねえ!」


 ローレイラとイルルカは怒り狂ったが、マーギはなんでも引き受けた。しかも解決するのだから人波は途切れやしない。


「あの糸屑、なかなか使えるな」


「クズの相手はクズが一番さ」


「違いない。糸車の魚人も黙らせたし、精々働いてもらおう」


 老マーギが手出しできないようにした糸紡ぎたちは、糸屑マーギを酷使した。マーギは従う。何故かとイルルカが詰め寄っても薄っすらと笑うだけだった。


「きっと、これが僕の報いなんだ……。イルルカ、これをローレイラに渡してくれ。やっと出来たんだ」


 それは、七色の珊瑚を繋いで作った首飾りだった。盗まれかねないからつけれないが、対の首飾りは肌身離さず持っているからと言い添えて。自分で渡せと言っても頷かずに押し付ける。

「資格がない。要らないなら売るように伝えてくれ。せめてもの恩返しだ」

 崖崩れからココナとナツツを守ったあの日、マーギは記憶を取り戻した。ここではない世界で、ちっぽけなプライドを守るために周囲を追い詰め……殺してしまった記憶を。

これは自己満足だ。償いですらないとわかっていながら、ひたすらに奉仕する道を選んだ。皮肉なことに、それがマーギを成長させる。やれ、テッセンカの花を百個触媒用に変形させろだの、魔力糸を一昼夜紡ぎ続けろだの、資料の整理をして情報をまとめろだの、紅粉魚の粉をかき集めろだの、貝殻に反射した月光と夜露で薬を作れだのと……。

いつしか、マーギは島民から便利な下働きではなく頼りになる糸紡ぎとして崇められるようになった。下らない依頼も減り、マーギ個人への報酬も増える。本人は辞退するので、さらに名声が高まった。逆に糸紡ぎたちの評価は下がるばかりだ。逆恨みした糸紡ぎたちは辛く当たると同時に恐れた。人望といい、実力といい、この糸紡ぎ見習いに敵う者は居ない。そう、銀の糸紡ぎルカリアすら勝てないだろう。気づいていないのは、増長したルカリアだけだった。危うい均衡が崩れたのが、あの凶々しい夜だった。

 久しぶりに会えたセイレーンたちに助けられながら、無数の凶鳥を倒していく。ありったけのテッセンカの青石と魔力を込めて糸を紡ぎ放つが、倒しきれるだろうか。絶望はしかし、懐かしくすらあった。

 他エリアに比べ、上がらない売り上げ。平気で人を殴り土下座させ、ミスを押し付ける部長。かつては目が輝いていた店長たちは体調不良やらストレスやらで壊れていく。異議を申し立てても、簡単に握りつぶされた。辞めようにも「実家の住所はわかっているからな」と脅される。だが、どんな手を打っても改善しない。当たり前だ。安い早いが売りの定食屋の需要が低いエリアなのだから。新規客を開拓しようにも競合店が多く難しかった。むしろ、一定した売り上げを出していたのだから褒めて欲しい。自分も、店長も、店員たちも。


「俺がテメエを使えるようにしてやったんじゃねえか!役立たずのクソがナマ抜かすなや!」


 首から下は痣だらけだった。毎日が憂鬱で、どうしてこうなのか頭を抱えて……。自分が店長として別エリアにいた時はこうではなかった。


「店長のあいつらが使えないからだ。僕は悪くない。教育してやらなくちゃ」


 毎日毎日、売り上げと客の特徴と出た商品について報告させ、少しでも曖昧なら罵倒した。意識改革と称して毎週面談し、自分の欠点をレポートで提出させる。時には朝礼の場で読み上げさせ、店員たちに謝罪させた。シフトを減らしたり有給申請したりしても同じように謝罪させ、ペナルティとして時間延長や休日出勤を強要した。また、部長も月に一度は終業後に各店長と自分を呼び出して恫喝した。蹴られ殴られる自分を見て、何人かが恐怖に引きつり何人かがほくそ笑む。次は自分が彼らを罵る番だった。手は出さなかったが欠点をあげつらい、酷い言葉で追い詰めた。お開きの後、部長が一人を引き止めてどこかへ連れていく。恐らく誰もいない事務所かどこかで自分の様に殴られるのだ。ザマアミロ。いつも嗤って眺めていた。

 まるで鶏の群れ。上が下を、下はさらに下をいびり溜飲を下げる。罪悪感などない。自分は悪くない。殴る部長が、使えない下っ端が悪い。そんな都合のいい妄想に逃げたせいで、追い詰められた一人は空を飛んでしまった。翼のないその人は、羽ばたいて逃げることも出来ず地に叩きつけられ血に染まる。報せを受けた時、想像した凄惨さに何かが砕けた。


(僕は人でなしの人殺しだ)


「ごめん。ごめんなさい。明希良くん」


 許されない、償えない、帰れない、何もかもが喪われて取り返しがつかない。なのに楽になりたくて死を選び、挙句に生きたがった。


「明希良くん追い詰めて……気づけなくてごめんなさい」


 何故わからなかったのか。部長の異常性。深夜に残されていた者たちに与えられた暴力が、相手によって質が違ったことに。

 明希良きら。溌剌とした人だった。浮かぶのは、地毛だという明るい色の髪と、太めの眉の下で輝く瞳。死ぬ直前まで懸命に働き、周囲にも気を配っていた。何をされたか知っていたのは、部屋に残された日記だけだった。それを読んだ彼女の両親に罵られ、まさかと部長に確かめた。


「あのアマなあ。暴れるから腹を蹴ったんだよ。ゲロ吐いて汚かったな。乳も小せえし色気のねえ下着で萎えた。つうか写真撮っただけだぞ?なに死んでんだ馬鹿じゃねえか」


 裏サイトに写真ばら撒くか。実家の方が面白いかと笑う部長に吐き気が止まらなかった。とにかく逃げた。逃げた。なんでもっと早く逃げなかったんだろう?そう考えて吐き気がした。結局、自分の身の安全しか考えてない。こんな奴が生きていていいものか。いや罪を償うべきだ。千々乱れる心が砕ける音を聴きながら、アクセルを踏み込みガードレールへ激突した。

 次に目覚めたのは、生臭い臭いが立ち込める闇だった。あちこちに切り傷と打撲と擦過傷をこさえ、血塗れで横たわる。ああ、人でなしでも血は温かいんだと人ごとのように考えていたのは数瞬だけで、じわじわと痛みが広がっていく。たまらず呻いた顔を誰が掴んだ。薬臭くて骨ばった大きな手だ。


「外した。……ただ捨てれば足がつくか。おい、貴様。死にたいならこのまま死ぬがいい。嫌なら今から言う呪文を唱えろ」


 暗い声がなにか言っている。意味がわからなかったが、唇ははくはくと拙い言の葉を紡いだ。長い長い時をかけて。するとどうだろう。胸の中が熱く、明るい青い光があふれ出てきた。


「海と山のどちらだ?好きな方を選ぶがいい」


 また意味不明なことを。しかし、暗い声には相手を従わせる何かがあった。


「や……ま……いやだ……」


 だんだんと、血で霞んでいた視界が見えやすくなっていく。男の顔だ。瞳は赤黒くギラつき血走っていて、周囲は年輪状に皺が寄って窪んでいた。あとはよくわからない。ただ瞳だけが闇の中に浮かんでいる。


「海だな」


男は何やら呟き、床に手をついた。パッと赤黒い光が放たれた。


「精々足掻くがいい。異世界の死に損ないよ」


一瞬、顔がはっきり浮かぶ。尖った顎と耳、白髪の房が混じった長い紫紺の髪、蝋細工の肌、細い鷲鼻、あのギラついた瞳と歪んだ線を描く唇。

お前は誰だと叫ぼうとしたが光が眩し過ぎて何もわからなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る