第7話 リヴァイアサンで昼食を

 結界の効果が切れると怒涛の質問責めだ。無理もない、周囲はいきなり全員が消えたようにしか見えなかったろう。


「あの糸紡ぎさん、お偉いさんの怒りを買っちゃったみたいで僕らまで査問されてたんですよ。本人は連れ去られました。二度と帰ってこないそうです」


「ええ、そうなんです。同胞が今までご迷惑をおかけしました」


ミストラはまだミトを依代に活動し続ける気だ。紫の瞳はフードで隠せばいい。他の銅の糸紡ぎたちは引きつった顔だ。


「アレキサンドラ様、お詫びにここにいる者たちで手伝いますわ。それにしてもお祭りのよう、どんなお知恵を?」


アレキサンドラはニヤっと口角を上げ、道の隅に並べてある見本たちを指差した。貝殻や珊瑚で作られた、この島独自の文化を。


「これは寝台……ああ、そうきましたか」


「その通り。リヴァイアサンの皮を寝台に敷くのさ。今までの硬かったり生臭かったりする寝床とおさらばって訳だ」


 リヴァイアサンの皮は、適切に処理すれば無臭で何百年も腐らない。ついでに周囲の工房も巻き込んで「どうせならより良い物を作って付加価値を付けよう」となり、豪華で心地いい寝台を作り出していったのだ。出来上がった寝台を道端に置き、試しに寝れるようにしたら注文殺到。程よい弾力、しっとりとした感触がそれまでの簡素な寝具に慣れた身体を包み癒した。


「旅人や商人にも受けて、来月から輸出するのも決まったよ。これは職人の腕がいいのと、フラー島と長く取り引きしていた実績のお陰だね」


「ですが、アイデアを纏めたのはあなた様。ご慧眼ですこと」


「僕にかかればちょちょいのちょいさ!と、言いたいけどアイデアはキサラさんの物だよ」


「キサラ……あのハルピュイアのお嬢さんですか」


 キサラは加工場で、海中生活者たちの有効活用法を聞いた。もともと一部の魚人たちは、皮を寝床に詰めたり、壁として利用していたのだという。丁度、この島の寝台に辟易していたキサラはそれを応用するのを提案したのだ。

 ただし、一つ問題があった。

 説明する為に工房の裏手に連れて行く。背後に森を抱えた空き地は広く、普段は様々な資材が転がる。今はその代わりに海中から引き上げられた皮が山と積まれていた。


「皮の塩抜きには時間がかかってしまう。真水の量も馬鹿にならない。そこで、僕ら魔法使いがちょちょいと手を加えるのさ」


 皮に手のひらを当てて呪文を唱える。見る見るうちに表面に塩の粒が浮いていく。


「『引き寄せ魔法』の応用さ。塩分を分離させるだけだから火起こしより魔力は要らないよ」


 近くにある物体を手元まで運ぶ魔法。基本中の基本だ。とはいえ、このように繊細なことが出来るのはアレキサンドラの腕が成せる技だ。師としてのミストラの目が輝いた。


「これは良い訓練になります。ねえ、貴方たち」


 銅の糸紡ぎたちの顔色が変わった。魔法とは、厳密な術式と魔力のコントロールによって世界に干渉する術である。どんなに簡単なものでも過てばしっぺ返しを受ける。ましてや、皮が含んでいる塩分だけを掻き集めるなど繊細な技。どれだけの集中力が必要か。

 ある一人が全員の代弁を買って出ようと口を開きかけたが。


「できますわよね?」


「は……はい」


 ヨルムンガンドに睨まれた青蛙である。粛々と地獄の訓練が始まった。


「お。やってるな。お疲れさん」


 アレキサンドラへの差し入れを持って、キサラとゴンちゃんがやってきた。硝子の水差しからリモンと青ハッカの香りがする。人数が増えたのに軽く目を見開いた。


「手伝ってくれてるのか。すぐ用意する。昼時だし飯もいるよな?」


「えー?別にいいですよ。この人たち飲まず食わずで働かせても大じょ……あががががが!げぶっ……!ちょ、ゴンちゃ、まで!」


 お約束であるが、鉤爪がブラック魔法使いの非道たる口を潰そうと唸り、見た目より遥かに重い拳が脇腹を抉った。フン!ゴンちゃんは鼻を鳴らして襟ぐりを掴む。


「しお、かわ、はこぶ、てつだえばか」


「飯と水なしでな。俺の方は手伝うなよ。邪魔になる」


 アレキサンドラは自らの言動の責任を取り、銅の糸紡ぎたちは冷たい青ハッカ水にありつけた。アレキサンドラとミストラの指導、各自の努力の甲斐があり次々と皮の下処理が終わっていく。分離された塩はシュローの葉で掃き集められ、大半は袋詰めされて売られた。

残りはキサラの取り分だ。旅先で素材を仕入れて即席の店を構え、料理を売る。大事な収入源の一つだった。よく通る美声が響く。


「クレープはいかがですか?具の他にリヴァイアサンの皮、マグメリ島産花粉の生地が選べますー!」


 一番人気は、薄く切りパリパリに焼いたリヴァイアサンの皮に生野菜、ハーブ、リヴァイアサンのパテを入れた絶品だ。次から次へと売れる。他のクレープも好評で、急ごしらえで構えた屋台はさながら鉄火場だった。

 クレープを作るまでに試行錯誤したので好評で嬉しいキサラだった。最初は煮溶かしてゼラチンとして使えないか試したが、溶けるまでにかなりの時間と燃料がかかってしまう。質もよくないので諦めた。次に細切りにして茹で、調味料と和えてみた。リモン汁と醤油で和えたのが美味しかったが、歯が鋭い種族でなければ、かなりの細切りでも食べにくい。

 最後に、向こうが透けるほど薄く切った一枚を焼いてみた。パリッと香ばしく仕上がる。切るのは難儀だが、これはイケる。薄焼きせんべい風にしてもいいだろう。ただ、見た目はよくない。で、思い出したのがクレープだ。カイルもローレイラも珍しいと驚いていたし、華がある。何よりコツさえ掴めば小麦粉生地のクレープよりは焼き加減が楽で済む。さっそく作って工房街とリヴァイアサン加工場でふるまったら大好評だ。さらに島長の商魂に火をつけた。


「薄く切るのはうちがやります。お礼ははずみますから、作り方を料理人たちに教えてください。これは新しい名物になる」


 話し方も表情も穏やかなままだったが、まん丸い瞳が鋭く光った。あれは刃の輝きだ。カイルは人に作業させてふんぞり返っていると言っていたが、先見の明も投資する度量もある、なかなかの傑物だろう。


「繁盛してますね」


 カイルについて考えていたからか、本人がやってきた。ほぼ毎日買いに来るあたり、すっかりリヴァイアサンクレープに夢中らしい。客の切れ目だったのでキサラも休憩することにした。

 カイルはフラー島の買い付け業者たちがいかに食いついたか語った。寝台を見た業者らは大絶賛、対応したカイルの手をしっかり握って離さなかったという。


「海のない島じゃあ、ここの工芸品は憧れですよ。毎度毎度、もっと欲しいと言われます。若旦那、お暇ができましたら、わたしらに着いていらっしゃい。あなたの父君がどれだけ凄いかわかりますよ。もちろん、あなたの染めの腕の凄さもね」


「フラー島の旦那さんがた、親父の仕事を評価してたんですね。今まで、ちゃんと話したことなかったから知りませんでした」


 ついでに、俺の腕もと照れくさそうにつぶやく。キサラは我がことのようにフワフワの胸元を張った。 


「そりゃそうだろ。でなきゃわざわざ来ない」


「ですよね……わかってないのは俺だった」


 理由があるんですが。と、昔話が始まる。カイルの親戚は、イルルカの成功を妬んで悪い噂ばかり流していた。安く買い叩かれている、甲斐性なしだから嫁さんは逃げた。最初は本気にしていなかったが、確かに母の顔を知らない。いつしか信じた。小耳に挟んだのだろう、側にいた職人が大声をだす。


「馬鹿言いなさんな!あんたのお母様は寿命だったんですよ!」


 聞けば、銀の尾を持つ北方のフィンドル族だったという。外海を辿りここまで旅をして、イルルカに出会い恋をした。しかし、その頃には短い命は尽きかけていた。短命の種族だったのだ。


「お母様は覚悟の上であなたをお産みになったんです。……産んで数ヶ月ともちませんでした。工房長はあんたが気にしないよう黙ってたんでしょう」


「知らなかった……言えよ馬鹿親父」


 コラっ!と、通りすがりのゴンちゃんが叱る。


「いわない、おまえ、おなじ、いきてるうちに、はなす!」


 ペチペチ叩かれてしょんぼりするカイル。少し涙目だ。


「本当だ。俺、何も知らなかったのに決めつけて……馬鹿だ」


「あまえた、はんせい、しろ!」


「ぎゃん!」


 ペチンッと、一際強く叩かれ叫ぶカイル。周りは声を上げて笑って眺めた。だからカイルが小さく「俺はまだキサラさんに相応しくないな」と呟いたのは誰にも気づかれずにすんだ。 

  

 糸紡ぎたちにも休憩の時が来た。振る舞われた焼きたてのクレープを頬張り、ミストラが感嘆の声を上げる。


「久しぶりに美味しいものを頂きましたわ!皮の香ばしいこと!」


 口の中で砕ける海の香り、パテの甘味、シャキシャキした野菜の食感を堪能する。銅の糸紡ぎたちもそれぞれが好みのクレープを頬張り楽しそうに語り合っている。数人が酒類を手にしているが、厳しいミストラも問題を起こさない限りはいいでしょうと見逃した。料理を褒められたキサラは照れながら解説した。


「焼かないと固くて食い辛いけど、パリパリにしすぎると割れて具を巻けない。ちょうどいい火加減をみつけるまで試作の山だったよ」


 コツを掴んだキサラは、料理人たちに教えるだけでなくレシピも書いている。もっとも、字も絵も読みずらいのでゴンちゃんに清書してもらうことになっているが。いずれは家庭料理になればいいと考えてのことだ。ミストラは密かに関心した。一つ一つは平凡な手段ではある。が、リヴァイアサンの皮は誰もが捨てるしかないと思い込んでいた。その有効活用に真剣に取り組み、短時間で立て続けに結果を出してみせたのだ。しかも、地元民に快く受け入れられる形で。人徳だろう。いい手段があっても反発されては意味がない。


「こんなのも作った。こっちの方が簡単だし、麦酒に合うぜ」


 葉皿に盛られたのは、縮れてカリカリになった皮の切れ端。リヴァイアサン皮の唐揚げだ。揚げ油に混じって芳しいスパイスの香りが鼻をくすぐった。以前、カレー粉を再現しようと調合していた物で、なかなか近い風味になっている。これもレシピを作っておかなきゃなと考えていると、ミストラがポツリと呟いた。


「魔女いらずスープに似た香りですわね」


「え?……あ、ああ。そういえばそうかな?」


 引きつった顔をミストラは見逃さなかった。傍らの兄かつ姉分も、一瞬だが耳をそばだてていた。不審だったが、今は美味が優先だ。実に優美に指が動き皮を摘む。噛むと焼いたものよりも軽妙に砕け、数種類のスパイスとハーブで深みの増した味が舌を喜ばせる。これは確かに麦酒を飲むべきだろう。意を受けたキサラが麦酒や果実酒を追加してくれた。一通りくるくる働き、慌ただしく屋台に戻っていく。


「素敵な方ですわね。あなた方好みで」


「体はともかく中身はちんちくりんのガキだよ」


「なるほど、大事な人ですか。祝福しますわ」


「……人の話を聞いてくれ」


 日が傾きだした頃、キサラは店仕舞いして宮殿に向かった。早仕舞いに嘆く人々にまた明日と手を振って。あのバスケットにクレープを詰めて。


「キサラさん、さっきはご馳走様でした」


「ミト、マーギ様にお目通り願えるかな?差し入れしたいんだ」


「貴女なら構いませんが、お食事はもう……」


 そんなに悪いのか。無理強いしないことを約束して階段を上った。


「本当にいい子。貴女に聞いてた通りね」


 ミストラはキサラが差し入れてくれた花蜜たっぷりのクレープを齧りつつ呟いた。

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