第6話 スピンドルは回った

 ルカリアが師の懲罰から解放されたのは一週間後だった。


『百年では成長しませんでしたか。お前を弟子にしたのは間違いでした。ですが、一度育てた子を捨てるのは道義に反します。今一度、ハイバル島に尽くして罪を償いなさい。出来なければわかっていますね?』


「も、もちろんです!ありがとうございます!私は貴女様の僕!御心のままに!」


師、ミストラは嫋やかな乙女の姿に似合わず厳格だ。今回も他の糸紡ぎの前で拘束し説教を浴びせ続けた。自分は幻影魔法でだ。弟子を締め上げながら、本体は悠々と好物の魔女いらずスープでも啜っていたのだろう。想像すると腹が煮える。

 そう、ルカリアは師を見下し蔑んでいた。少しばかり大戦で功績を上げたからと己の上に立つ、身の程知らずの非エルフ族がと。実際には、ミストラの功績も魔力も知謀も卑小な男に計り知れる程度ではないが、この男が悟る事は生涯なかった。


「金のスピンドルは我らがエルフが身に帯びる物……今に取り返してくれる!」


 それには先ず、他の金の糸紡ぎに取り入るのが手っ取り早い。幸い、その為の獲物は掌中だ。


「半端者の首一つすぐに手に入る」


 大戦の二十八魔法使いが一人。旧き糸紡ぎにもアルビレオンの王の杖にも属さぬ逸れ魔法使い。偉大なる輝石などと大層な名を付けられ畏怖されているが、どうせ戦で紛れ勝ちをしたか何かだ。ストラの件は卑怯な不意打ち、今度はそんなヘマをしないと配下を準備した。付き従うは銅の糸紡ぎ十名、一応は面に敬意を浮かべる。


「例の逸れ糸紡ぎは奇策と知謀を持って事に当たると言う。が、大魔法を使わずにあの『テールピュライ島の大岩』や『緑巨人腐敗事件』を解決したとは考えられん。私は以前から、奴は必ず違法な魔法道具を使っていると看破していたのだ」


 それがあの忌々しいストラだ!拳を握り唇を噛む。いきり立つ上司に何人かが死んだ目を向けた。


(やれやれ、またお坊ちゃんの思いつきか)


(どうせ本家に泣きつくだろうよ)


(言いがかりをつけてカツアゲとはエルフ族の誇りを忘れたらしいな。いや、元からか)


 ルカリア以外の糸紡ぎは、彼が再び過ぎた権力を持たぬよう、金の糸紡ぎの直弟子たちである。彼ら彼女らにとってルカリアは、それなりに魔法を使えるからと増長した無能だ。それに、上手くいかないと知ってもいた。決まり切った紡ぎの回転を速めるべく、一人が進言する。あのミトと呼ばれる銅の糸紡ぎだ。一年前からミストラの肝煎りで配属された者だが、有能なので銅の糸紡ぎたちの纏め役をしている。


「栄えある銀糸の君ルカリア様。アレキサンドラ様はリヴァイアサン皮革工房にいらっしゃります。なにやら手広く商っておられるご様子」


「なるほど陰謀だな。どれ、私が鉄槌を下してやろう!」


「よろしいのですか?ミストラ様はあの方々に協力するよう……」


「老いぼれの戯言なぞ聞くに値せん!」


 ミトの瞳に憐れみが滲むが、口にはなにも出さなかった。


「……畏まりました」


 意気揚々と銀糸を振り回しながら歩くのに着いて行きながら、何人かが思念で会話を交わす。


(ついでに代えも買おうかな)


(あんなの一枚で充分じゃないか?それよりアレをまた食べたいな)


(いいな。馬鹿を始末したら祝杯だ)


 ニヤリと笑みを浮かべた彼らの胸元で、銅のスピンドルがギラギラ光った。


「なんだ……?こ、これは?」


 ルカリアは間抜け面をさらした。工房街は時ならぬ喧騒に包まれている。さながら祭りだ。


「順番にお並びください!まだまだ数はあるのでご安心を!」


「訪問希望ですね?こちらにご住所と採寸を……大体で構いません。お色はどうされますか?」


 様々な工房の前に長い行列が出来ていた。売り子だけでなく、普段は貝殻の奥深く引っ込んでいる職人たちも接客に追われている。


「でしたら、こちらの朝焼け色の珊瑚はいかがでしょうか?丈夫で軽く、磨いていますので当たっても痛くありません」


「じゃあそれを骨組みにして。形はそうねえ……鳥の巣かな。落ち着きそう」


 建材売り場では珊瑚や貝殻が次々に売れて加工されていく。


「写しを拝見しましたが、あの貝殻に埋め込むなら真珠より貝裏か色硝子の方が映えるかと」


「だよなあ。番の真珠狂いにも参るよ」


「でしたら、真珠を連ねた天蓋はいかがでしょうか?埋め込むより華やかですよ。朝には朝日が、夜には月光が真珠を照らして光の粒を撒きます」


 真珠専門店たちは、せっせと真珠に穴を開けて糸を通す。

 しかし、やはり一番人が多いのはリヴァイアサン皮革工房だ。


「この揺り貝の内張に使いたいわ。孫がもうすぐ卵から孵るの」


「なんて見事なレース貝!腕が鳴ります!一番柔らかな腹の皮を使いましょう!」


「俺のは薄めにしてくれ。さっき試したが分厚いのは落ち着かんよ」


「慣れないとそうですね。この厚みでいかがですか?手間がかかっていますのでお値段は張りますが……」


「いいよ。イルルカの腕に払う。あいつは大したもんだ」


「なんだこの騒動は!逸れ糸紡ぎの惑わしか!」


 ルカリアの叫びに、先程まで溌剌と話していた者たちが身を竦めた。数人があからさまに舌打ちし睨みつける。糸紡ぎは本来ならば、宮殿を保ち魔物から民を守る者として敬われる存在だ。ルカリアがいかに民に嫌われているか、ありありと解ると言うものだ。


「貴様ら……!ええい!答えよ!」


「お客様、どうなさったんですか?」


「そこか!阿婆擦れ!」


 現れたアレクサンドラに無数の銀糸が襲う。先にも出したこの銀の魔力糸は、ルカリアの魔力が練りこまれた特製で鋼すら寸断する。しかも、復讐のために威力が増すようたっぷり魔力を紡いでいた。だが相手が悪かった。


「懲りない若造め」


 瞳と髪に赤みが増す。一瞬、瞳が次いでストラが強い光を放った。それだけで陣もなく結界が発動する。アレキサンドラと糸紡ぎたちが先程までの空間から隔離された。そして。


「がっ!ぎゃあああ!」


 銀糸が跳ね返り、網となってルカリアを襲う。鮮血が散った。自慢の上衣を肌を髪を切り裂き、縛り上げる。瞬く間に血だるまだ。まるで網に押し当てられる幼虫。幼虫は裂けた唇で必死に叫ぶ。


「は、はじゅせ!ぁがっ……はやぐぅじろ!おい!」


 しかし、誰も動かない。銅の糸紡ぎたちは冷淡な眼差しを注ぐのみ。いや、一人だけが前に出た。ミトだ。フードを下げ、明るい茶髪とオレンジの瞳が露わになる。その瞳が瞬く間に紫になった。そして開いた唇から、あの耳触りのいい……断罪の声が滑り出る。


「ルカリア、我が弟子にして栄ある銀の糸紡ぎ」


「ひっ!し、わ、我が師!た、たひゅけ……!」


「だがあまりに卑小なる者よ」


ミトもといミストラの胸元、スピンドルのブローチから啜り泣きや嘆き声が聞こえる。ブローチを通してこの有り様を見ていたルカリアの身内だ。


「何百年生きても成長なき愚か者が。我ら糸紡ぎはただ島を繋げ保つ者。ましてや権威に溺れた君臨者ではない。お前の血族はお前の有様を見聞きし決断した。私もまた、百花大陸の礎の一人として決断しよう」


「ひっ!ち、ちが……誤解!誤解です!ああああ痛い!顔があ!嫌だああああ!」


肉が賽の目に裂け骨が砕かれる。だが最も不老不死に近いエルフの身体はまだ死なない。いや、死ねないのだ。


「ひひひ。蓑虫め。言い様だ」


低い笑い声が、アレキサンドラの艶やかな唇から滑り落ちる。それを諌める声も。


「アレキサード、あんまり、切っちゃだめ、はいはい。わかってるさサンドライト。お前は糸を紡げ、ミストラと共に」


アレキサンドラの瞳が、ほぼ青緑となる。あわせて髪の色も静まってゆく。豊かな森林を思わせる色相だが、その冷淡さは氷河か冬の水底であった。冷えた青緑は溢れる光となって右手人差し指に宿り、血だるまを指した。同じく、ミストラの断罪の白金もその右手人差し指から放たれる。


「ひゅ?……ぐひ、ひー?ひぃ?」


最早、意味を成さぬ唸り声しか出せぬ血だるま。二色の糸が巻き付き繭となる。


「お前は増長の対価を受けねばならない。その血肉と魂全てをかけて」


「ひぃ、ぁ……あ、ああ……!」


やっと気づいたが遅い。繭は罪人を封じた。繭はふわりと浮かび、進み出た二人がアレキサンドラとミストラそれぞれの糸を受け取った。宮殿の地下、罪人たちの繭が転がる部屋まで運ぶ為に。


「アレはこれから数百年、死ぬまで魔力を吸い上げられる存在に成り下がりました。皆、ゆめゆめあの様な破滅の道を辿らぬよう己を律しなさい」


ミストラは不肖の弟子を末路ごと利用し尽くす気らしい。甲斐あって、銅の糸紡ぎたちを纏っていた濁った気配が霧散した。誰もが、まさかミストラがここまで厳しくルカリアを罰するとは予想していなかったのだ。


「大変だね。お師匠様」


「ええ全く。あなた方も少しはこの苦労を味わうべきです」


ピシャリと言い返し、仕切り直しの笑顔を浮かべた。


「大兄様、大姉様、今回はお世話になりました。リヴァイアサンの皮についても、本来ならば私共が力にならなければならないこと」


「そう背負い込んではいけないよ。なんでもかんでも出来る奴なんていない。大体、君は大気脈の要石だ」


ミトを依代に使ったとはいえ、本来なら場を離れられないない身だ。そこまでして出張ったのは、不肖とはいえ直弟子に引導を渡すからだったのだろう。最も、直弟子はその慈愛に気づく事はなかったが。ミストラは全てを豊かな睫毛の奥に隠し、少しだけ後悔を紡いだ。


「引導を渡すのが遅過ぎました。せめて銀に位上げしてなければ命だけは助けられたのに。上納金の着服はおろか、マーギに献上された珊瑚と真珠の横流しまでしていては……あの子は愚かすぎました。高い位には重い責任が伴うと気づけなかった」


アレキサンドラは瞑目する横顔を見守り沈黙を保った。結界の効果が切れるまでそっとしてやりたかったから。それは、不出来な仲間が出来るせめてもの気遣いであった。

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