第5話 糸屑マーギの戦い
マーギは優れた魔法使いであり、特に予見に関しては他の追随を許さなかった。だが、悲しいかな発言権はない。夕闇に包まれた宮殿の中、若い男の悲痛な声が響く。
「間も無く鉄すら啄む嘴、刃の鉤爪、堅牢な羽毛を持った凶鳥たちが港を襲うでしょう。我が師よ、迎え討たなければ港が滅んでしまいます」
「世迷いごとを!良いか?ここにいる糸紡ぎは誰も予見しとらん!紡ぎの内にも入れぬ糸屑がほざくな!」
糸屑とは、才能のない見習いへの最大の蔑称である。マーギはハイバル島に流れ着く前の記憶を持たず、己の名前しかわからなかった。しばらくはセイレーンたちに保護されていたが、膨大な魔力を持つとわかり旧き糸紡ぎの預かりとなったのだ。そして名だたる糸紡ぎたちに教えを受け、メキメキと頭角を現した。とうとう、保護されてたったの数年で師である銀の糸紡ぎを越えてしまう。だが、あろうことかこの師は過ぎた才を持つ弟子を疎み、確かな位を与えずに見習い以下の扱いとした。
「役立たずが!余計なことをすれば殺してやるからな!」
銀の糸紡ぎルカリアは弟子を蹴りつけ追い出した。マーギはぼろぼろになった衣を脱ぎ捨てる。それは、糸紡ぎ見習いが着る粗末な衣だった。島民たちがくれた簡素な上下のみになった姿で頭を下げる。
「お世話になりました。殺すなら明日の朝にして下さい」
「待て!なにをする気だ!」
足を一歩踏み出そうとして魔法が発動した。青く澄んだ光、マーギの魔力の色だ。地面をよく見ると同じ色に輝く結晶が点在している。
「舐めるな!こんなもの!」
銀糸を繰り出すが、ことごとく結界が弾く。逆に手傷を負いかける始末。見苦しい独り相撲を尻目にマーギは駆けた。
「みんな海の底に逃げろ!海中で息が出来ない人たちは森の中へ!」
島民たちと気安く、しばしば力になっていたマーギの言葉を誰もが信じた。その中に、まだ青年だったイルルカがいる。
「おいマーギ!お前は逃げないのか?」
「僕はここで戦う」
背後で夕日が沈み、あたりが蒼い闇に包まれてゆく。バルバンド内海とその先も。あるはずの満月が無いと誰かが気づいて叫ぶ。それは岩礁に住むセイレーンたちの悲鳴。
「浅瀬から離れられない彼女たちを見捨てられない。君は早く逃げろ!」
いくつもの青く光る結晶、それを結ぶ何本もの魔法糸を伸ばしつつ,満月を隠す群れを睨む。共に戦おうとしていた何人かが血相を変えて逃げた。一羽一羽が亜人の標準の倍はあり、翼を広げた全長は小さな家を覆う程だった。それが何十……いや、百は越える大軍で襲ってくる。
「逃げろ!振り返るな!」
間も無く、無数の凶鳥たちが港を目掛けて飛来した。セイレーンたちが歌で対抗する。波を磨き呪いを編み上げた歌だ。凶鳥たちの脳髄を揺さぶり、幾つも破壊した。生き残りも歌に惑い互いにぶつかりあう。その鳴きわめく喉を青い光が貫く。青黒い血が飛散した。マーギの操る結晶と魔法糸の威力だ。魔法糸を何本もの鞭にし、先端に結晶をつけた即席の武器だった。
「出来るだけ混乱させろ!一羽残らず撃ち落とす!」
戦いは未明まで続き、朝日が凶鳥の死骸に埋まる青い地獄を照らした。マーギは言葉通り一羽残らず凶鳥を倒し、その場に崩れ落ちた。波間を切り裂いて飛んだセイレーンたちが見たのは、自らの血に塗れた姿だった。
「マーギ!あんた耳が!」
「なんて事を……」
攻撃に魔力を集中する為だった。セイレーンの歌を防がなかった為に、マーギの耳は潰れてしまったのだ。後にある程度は聞こえるようにはなったが、読唇術の補佐程度となってしまう。セイレーン達が彼を慰め寿ぐ歌も、島民たちの感謝の言葉も、嫉妬と憎悪に燃えるルカリアの怨嗟も、遠い潮騒であった。
こうしてマーギは島民たちの英雄となり、ハイバル島に赴任していた糸紡ぎたちの敵となった。
「なんでマーギ様が死刑になるんだ!」
「私たちを守ってくれたのに!あんた達のことだって!」
「やかましい!我々は気づいて対策を練っていたのだ!それを閉じ込めて手柄を立てようとした!禁じられた量の魔力まで使って!奴は大罪人だ!」
「嘘つきめ!閉じ込められたのは嫌われモンのテメエだけ!それ以外は娼館でお楽しみだったじゃねえか!」
「あいつらも逃げるだけで戦わなかった!何が旧き糸紡ぎだ!威張るだけの卑怯者が!」
「役立たず!マーギ様を返せ!」
耳は聞こえずとも、牢屋に繋がれたマーギには外の喧騒が手に取るようにわかった。自分が処刑されることも、それが原因で不穏な空気が流れているのも。
だから、助け出すために牢屋に忍び込んだセイレーンに優しく語りかけた。鎖を壊そうとナイフを振るう。長時間、乾いた場所にいるせいで尾は乾いて血が滲んでいた。手を動かすたびに血が溢れる。それでもやめなかった。
「僕はもういい、捨てたはずの命を君たちは掬い上げてくれた。こんな役立たずの屑が、その君たちを救えた。……嬉しくて仕方ない。このまま死んだって……」
「バカ!」
セイレーンはその先を言わせなかった。頬を叩き胸ぐらを掴む。鎖が揺れて彼女の叫びと共に悲鳴を上げた。
「私たちは!私は!嬉しくなんかない!あんたが一人で死ぬくらいなら一緒に死んでやる!」
聞こえない、口の動きが早過ぎて読めない。だが感情は波となって伝わり、マーギを揺さぶった。久しぶりに涙を流す。涙は熱くとめどなく、マーギは自分がまだ生きた人間だと気づく。
「……駄目だよ、一緒になんて……君たちが、君が……僕は……」
後は海が香る唇に奪われ続かなかった。
翌朝、セイレーンたちはバルバンド内海の深部へ向かった。高額で取引されている大粒の真珠や珊瑚を探す為に。生きる気力を取り戻したマーギの為に。
「他の人たちも協力してくれるって!ハイナンの方でも探してくれるらしいし、一日で充分だわ!」
「業突く張りの糸紡ぎどもめ。金さえ貢げば解放するに決まってる」
「そうよ。あの銀屑野郎は無理でも、もっと上に交渉すればいい」
「マーギの耳だって治してもらえるはず」
「そうしたら、可哀想で可愛いマーギにまた歌を聴いてもらいましょう。あの子きっと泣いてるもの」
「ええ。祝福と癒しを絡み合わせて、海の底から天の果てまで届くように」
セイレーンたちが歌いさざめきながら苦手な潜水を繰り返している時、マーギは牢屋から解放されていた。
「ごめんな。みんな」
彼方の海面を眺めながら連れて行かれた。紡ぎ場たる宮殿まで。
あの時、マーギの身体を揺さぶったのはセイレーンの叫びだけではなかった。
『金が用意出来れば君は助かるだろう。だが、ルカリアの怒りは鎮まらん。必ず君とセイレーン、いや島民たち全てに復讐する。あの男はそれだけ腐っている』
それは、間も無く身罷ると噂の糸車その人だった。ルカリアの兄弟子にあたり、弟弟子とは違う誇り高き銀の糸紡ぎだった。
『我が師が瞑想されてさえいなければ……。アレでも後ろ盾がある上位に属する糸紡ぎだ。動きを封じられた私では君たちを守り切れない。君たちを救いルカリアが手出し出来ないようにするのはこれしかない』
「ありがとうございます。そこまで考えて下さって」
骨と皮ばかりになり、柱に半ば融合している糸車の前に跪く。マーギは敬意を込め、その手を戴き自らの額に当てた。赤い水掻きのついた手から最後の輝きが迸る。それは弱く儚かったが、温かく優しかった。まだ傷が痛む身体に染み渡る慈雨であった。
祝福の雨に打たれながら、マーギは静かに継承の祝詞を読み上げ誓う。
「我が身はハイバル島の民と運命を共にし番う。故にこの島の民は我が身そのものである。我が身が柱に有る限り、糸紡ぎが彼らを傷つけることは許さぬ」
背後でルカリアが間抜けた形に口を歪めるが後の祭りだ。新たな糸車の宣誓は強力な呪文であり掟となる。そして、糸車を傷つけることは糸紡ぎたちには出来ない。彼らもまた、そのように魂を縛る宣誓を課せられているからだ。卒なくルカリアらの動きを封じたマーギに前任者は頷いた。
「……後は任せたぞ。マーギ」
身体が完全に柱に融合していく。最後に顔だけが浮かび、少しだけ微笑んだようだった。
溶け込んだ魂と体は魔力に変換され、術式を宮殿に浮かび上がらせ輝かせる。新たな糸車を縛り付ける為に。
空を焼く光に、セイレーンの一人が気づいた時には遅かった。継承の儀は滞りなく終わり、マーギは新たな糸車……生ける人柱として死ぬまで宮殿に縛り付けられる存在となってしまった。
「特に仲の良かったセイレーンたちの哀しみぶりは酷いもんでな。ほら、ああやって慰めようとしている」
日に数度、高く低く何人ものセイレーンたちの歌声が島を包む。魔力を吸い上げられる痛苦が和らぐようにと。
だが、その歌は壊れた耳には届かない。
「俺たちも衣やら花やらを届けてはいるが、それがなんになるかと虚しくもなる。身につけない貢ぎ物は銀屑野郎が取り上げやがるしな」
「身につけた物もどうなるか……。見たところ、寿命が近いから宣誓のタガも外れかけていますよ」
「なに?」
手短にカイルが被った災難を説明した。最初は渋面だったイルルカだが、経緯にニヤリとする。
「銀屑に楯突くたあ痛快だ!ちったあ頼れるようになったな」
「本人に伝えてあげれば励みになりますよ。それに、ここを飛び出す気も無くなるでしょう」
「そりゃどうかな。アイツの母親は旅好きだったしなあ」
しかし、職人としての腕は確からしい。
「特に色選びと染色技術は俺以上だ。アレで商売人としてもそこそこイケて……おい、お前ら何笑ってやがる!手を止めてんじゃねえ!」
我に返って照れだした工房長に戯けて首を竦める職人たち。いい職場だ。
「この方々にお願いしましょう」
「そうだな。信頼できる」
「いぎなし」
そうと決まればと、大きな葉を束ねた画帳を取り出す。
「俺が描く」
「キサラさんの絵はわかりにくいから駄目です。ゴンちゃんに羽根ペン貸してあげて下さい。……拗ねないで下さいよ。向き不向き、適材適所です」
「きさら、われは、きさらのえ、すきだぞ。じゆうで、どくそうてき」
慰めかトドメかわからない言葉に打ちのめされつつ、ゴンちゃんに羽ペンとインクを貸す。ゴンちゃんは絵が得意で、たまに小銭稼ぎに似顔絵やら風景画を売っている。サラサラと描き、これまた流麗な文字で説明もつけた。やり取りを眺めていたイルルカが覗き込み目を見開く。ややあって額を叩いた。
「ああ!その手があったか!」
連れ戻されたカイルも目を輝かせた。
「これは売れますよ。貝殻に合わせて色を変えれば……柄つきもいいな……。親父、気合い入れて作れよ!」
「誰に言ってんだクソガキ!さっさと手伝いやがれ!」
早速、試作を作ってくれる事になった。
後は彼らに任せ、一行は港に戻った。
「ちょっと寄っていきますね」
港からそれて浜辺を歩く。アレキサンドラは歩きながら小さな巻貝の貝殻を二つ拾った。小指の先に乗る程度の大きさだ。ストラから魔法糸を出し、貝殻の中に入れて呪文を呟いた。
「風よ唸れ響け。音のまにまに留め伝えよ」
小さな貝殻が蛍色に輝く。瞬きの間に光は収斂し、鎮まった。
「なんだそれ?」
「昔の仲間が教えてくれた術です。誰にも頼まれてないのに旧言語の収集と研究に熱心で。熱中し過ぎて旧き糸紡ぎから離脱しちゃった変わり者です」
残り二人は、変わり者はお前もだろうと突っ込んだ。また歩き出し、やがてセイレーンの棲む岩礁地帯に差し掛かる。巨大な岩は珊瑚の死骸や砂が堆積し、波によって穴や隙間が空いている。彼女らはその凹凸を住処にしていた。楽しそうに笑いさざめく声に混じり、一際よく通る歌声が空を舞い、高く高く伸びた。青光りする黒髪が、海色の翼と尾が、白い背中が天まで届く歌声に震えている。ローレイラだ。
ーーーララーララララールルールルルルー……ーーー
キサラは節回しに奇妙な懐かしさを感じた。不思議だ。セイレーンらの歌はほとんどが何千年も歌い継がれた古歌だというのに。声、歌、今回の旅はそれらが耳を引く。これも、今は彼女らに近い種族だからだろうか?
「アレキサンドラ様たち!会いに来てくれたんですか?」
気づいたローレイラが歌をやめて翼を羽ばたかせた。
「噂の変わり者の魔法使いか?本当に貝裏みたいな髪してるな」
「可愛い!お仲間のお嬢ちゃんと小さな旦那さんも」
「あ!あんた、くれーぷ?っての作った料理人?あたしにも作りなさい!真珠あげるから!」
「うふふ。こっちにいらっしゃいな」
色とりどりの海の花たちが笑いさざめく。みな美しいが、あの七色珊瑚の飾りをつけている者は疎らだった。中でも見事な一人にアレキサンドラは手を伸ばす。
「今日の僕らは伝言屋です。美しい方、伝言を受け取りに参りました」
オパール色の魔法使いは、きょとんとするローレイラに先程の貝殻を差し出した。
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