第4話 漁師飯とリヴァイアサン皮革工房

 一行はローレイラと操舵士を残し加工場に入った。

 加工場は、片側の三日月の切っ先近くの海上にある。これも巨大な巻貝を利用しているが、他の建物と違い横倒しだ。浮かんでいるのではなく、海底の巨大な珊瑚の隙間に嵌っているのだ。ちなみに、バルバンド内海の海中には同じように珊瑚や岩で固定されている貝殻が点在しており、海中で生活する者たちの住処になっている。

 加工場の中は完全な空洞で、何人もの職人が工程に分かれて作業していた。意外にも生臭さはそこまでではない。掃除と換気が行き届いているからだと、ふよふよと身体を揺らしながらゼリィフィッシュ族の島長兼工場長が案内してくれた。


「リヴァイアサンの解体は獲れた瞬間から始まります。縄付きの銛を体に打ち込み、弱点であるエラの隙間を切り裂いて息の根を止めます。大人しくなったら船で引っ張り、唯一皮が薄い腹に切り込みを入れて血を抜くんです。え?はい、漁師が泳ぎながらです。うっかり仕留め損なれば返り討ちですよ。年に一人か二人は死にますね」


 凄まじい話である。何故そんな危険を冒すのかと問えば、ぷるんと胸を張られた。


「リヴァイアサンは海が我らに下さる最大の恵み。その血は海に捧げよ。というのがハイバル島の古来からの習わしです。第一、私どもにとって海で死ぬのは本懐」


 ケッ!キサラの視界の端、カイルが小さく悪態をついた。島長は気付かずに続ける。


「運ばれたリヴァイアサンの皮を剥ぎます。腹の皮を完全に切り、肉との境に刃を入れて両側から開いていきます。皮は分厚く、幅は赤子の腕ほどありますね。同時に内蔵も取り出します。乾燥させて薬にしますので」


 十人ほどが大きな刃物や鰭を使い、息を合わせて剥いでいく。抜けきれなかった血が溢れる。赤いが微かに青みがかっていた。アレキサンドラが小声で忠告する。


「弱いですが毒です。触らないよう気をつけて下さい。島民は長く触れるうちに耐性がついたので平気なようですが」


 二人だけでなく、知らなかったのかカイルも興味深そうに聞き入った。絆されたのか少し目元を和らげる。


「海中で血抜きすれば、分散される上に塩の消毒作用で無毒化します。生で食べる前に切り身を塩水にさらすのも同じ理由ですね。無意味に思える習わしにも、時に確かな理由があるものです」


「じぶんを、たなあげ、よくいう」


「しー!ゴンちゃん、久しぶりにまともなことを言ってるんだから!」


「……あなたたちねえ」


 リヴァイアサンの解体に戻る。皮を剥がした後は、鱗剥がしと肉の解体に分かれる。

 鱗剥がしは、厚みがあって重い鱗を持ち上げる係と皮から切り離す係に分かれる。専用の鋸つきナイフが光る。職人たちの動きは素早いが、全て剥がすまで時間がかかる重労働だ。

 肉の解体は比べれば早い。巨体を捌くために開発された細長い包丁を二人で使う。かなり特殊な形だ。両端に柄があり、刃の幅が中心に行くにつれて広くなっている。三日月を引っ張って伸ばした形。とはカイルの談だ。

 まずは頭を落とし、三枚おろしの要領で肉と骨を外す。骨の周りについた肉も味がいい。丁寧に切り取り、残った骨は流されないよう紐で固定して海中に漬ける。後は集まった小魚にカスを食べさせ、乾かせばいい。

 三枚おろしにされた肉は、更に分割される。生のまま売られる分は速やかに港に運ばれ、干物用は薄く切られて最初に取り分けた内臓や骨と共に加工場の殻の上で乾かされる。切り落とされた頭も細かく捌かれて利用されるので無駄がない。特に頬と脳天は高級食材だ。


「加工過程で出るアラは、奥で煮込んでスープにします。私どもの賄いです」


 ちょうど昼休憩だ。職人たちが大鍋を囲んでいる。さっき食べたばかりだというのに食欲をそそられる香りがする。キサラは我慢できずに所望した。


「熱いのが食えるならいいぜ。駄目なら冷めるまで待ちな」


鼻から頭にかけて尖った鰭が生えた女性が椀に注いでくれた。古参らしく、言葉遣いをたしなめる島長にも悪びれない。口にしたスープには濃厚、いや強烈な旨味が凝縮されていた。しかも生臭さが殆どない。


「トメトの実を入れてブイヤベース風にしてもいいし、酒を加えて煮詰めればソースになる。ポロネギを蒸してかければ……」


 自分の世界に入るキサラ。アレキサンドラとゴンちゃんはいつものことなので放置し、堆積している皮を見に行った。


「あんた料理人かい?ハルピュイアにしちゃ珍しいね」


「良く言われる。姉さんはどの工程の職人だ?」


「あたしは漁師だ。リヴァイアサン専門のね」


 ヒュッと、鋭い鰭つきの腕を振る。半透明のこの鰭が刃となるのだろう。詳しく話してくれた。彼女ら漁師は海中の珊瑚礁を住処にしている魚人で、本来は海中でしか生きられない。陸に上がる時は空気玉という丸薬を飲み、報酬と賄いに預かるという。


「今日は二匹仕留めたから全員上がりさ。あんたら、もう少し早く来てたら漁を見れたのに残念だったね」


 話しつつ、自分の取り分らしき肉の包みを袋に入れ、かわりに七色の珊瑚で作った飾りを出した。


「それは首飾り?色んな人が着けてるな」


「あたしのは腕飾りだよ。大昔に番が作って寄越した。こんなもんつけたまま漁は出来やしないってのに間抜けだよ」


 惚気と嫌味の混じった声に、結婚指輪のようなものだろうと理解した。ハイバル島の風習か。


「七色の珊瑚で作った飾りは既婚か、相手はいりませんっていうアピールだ。最近じゃあ、あってない様な決まりだけどね。あんたも遊ぶつもりがないなら着けといた方がいい」


「考えとく。ご馳走さまでした。美味かったよ」


 皆と合流しようと立ち上がったが、気さくさを気に入ったのか別の漁師らが声をかけて来た。


「皮の処理に来たって話だが無理するなよ。ワシらは困っとらんからの」


「そうそう。最初は邪魔だったけどね」


「つってもよう。あんまり増えれば珊瑚が死ぬぜ」


「まあなあ……毎日一枚は出来るもんな」


 聞き捨てならなかった。


「ちょっと聞かせてくれないか?」


 昼過ぎ、海水にさらされていた皮を何枚か引き取って港に戻った。

 ぽよんぽよんした謎の棒が歩いている。道行く人の好機の眼差しが、棒とその足元のミノタウルスに注がれた。ぽよんぽよん、プルプル……。大きな絨毯のように丸めて束ねた皮をゴンちゃんが抱えているのだ。かなりの重さと大きさだが、ミノタウルスにとっては羽の如くだ。

 まずは皮を加工している工房に向かう。浜辺と森の際に、様々な工房や店が密集している一画がある。真珠専門店、刃物類の工房、靴とサンダルの工房、珊瑚・貝・骨ビーズ製作所などなど。黒っぽい巻貝が目指すリヴァイアサン皮革製作工房だ。


「説教臭い爺いですが、腕は確かですから」


「クソガキ!だーれが爺いだって?」


「おめえだよクソ爺い!お客の前で絡むんじゃねえよ!」


 カイルと同じ種族の初老の男性が出迎える。親だというだけあって似ていた。しばし息子と舌戦を繰り広げていたが、キサラたちには穏やかに挨拶して案内してくれる。中は加工に使ったのか、脂と草木の香りが満ちて……暴力的な生臭さと薬臭さの不協和音だ。鼻を抑えたキサラとゴンちゃんに青ハッカの束が渡された。


「すいません酷い匂いで。嗅いでおくとマシですから」


 アレキサンドラは平気で作業場を眺め回す。


「資料で読みましたが、想像以上に手間がかかっていますね。真水で塩抜きしてから鞣すそうですが、期間はどれほどです?」


「大きさと状態によるなあ。服一枚分なら二週間から二ヶ月だな」


 四角く切られた皮を台に乗せる。厚みと大きさから大判の辞書か何かに見えた。これを木槌で叩いて伸ばし、服が作れるだけの大きさにするという。叩いて伸ばした後は木ベラや棒で鞣して厚みを均一にする。完全に終わるまで一カ月半から二ヶ月、さらに染織作業もある。


「ただ染めるだけなら一日仕事だがな。模様付きは槌で叩いてから染めていく。婚礼用で早くて半年ってところだ。そこから縫製に回すから……全部合わせて一年かもっとだな」


 途方も無い話にクラクラする。かつては職人だけではなく島民全員が従事していた生業だが、今はカイルの父であるイルルカと他数人だけが生業にしている。


「時代遅れだから止めろっていってるのによ」


「この良さが分からんガキは黙ってろ。わかる人はうちの皮が欲しいって何度も買いに来て下さるんだ」


「買い叩かれてるのに馬鹿じゃねえか!フラー島じゃ卸値の二十倍で取り引きしてるんだぞ!」


「あのなあ、手間賃って知ってるか?あの人たちは大変な島渡りを繰り返して持って帰るんだぞ。大体、ここで売るより高く売れてるじゃねえか。しかも見たこともない見事な紋様の発注までしてくれるんだぞ。職人冥利に尽きるたあこのことだぜ」


 イルルカは本気で満足しているらしく、瞳を輝かせて胸を張る。


「どこかの島で俺が鞣して染めた皮が上着やら鞄になってるって話だ。嬉しいじゃねえか。ここから何処にも行かない俺らの代わりに旅をしてくれ……」


「お、俺は……!俺は違う!金貯めたらこんな島出て行くからな!」


 言い捨ててカイルはどこかへ走り去ってしまった。年の近い職人が追いかける。


「すいませんねえ。もう五十を越えたってのにガキのまんまだ」


 三人それぞれお構いなくと表情と仕草で示す。イルルカはまなじりに皺を寄せ、フラー島用の皮を広げてくれた。魚子地に籠目、花に蔦、流水に雲、崩した椰子紋様、人魚に貝……。どれもこれも緻密で何色もの染料が使われている。


「面倒な注文も多くて難儀してるがね。元締めが話のわかる人で納期に余裕がある。つっても、早く仕上げたからって素直に渡せば次から納期を早められるから油断できねえ。報酬もな。駆け引きって奴は面白いが、足元すくわれちゃあしまいだ」


 世知辛いのはどの世界も同じなのだろう。


「こっちはハイバルで使う分だ」


 伝統的な柄は至ってシンプルだ。しかし、模様一つ一つが大きく色どりが鮮烈で華やかだ。フラー島用は夕闇の落ち着きなら、ハイバル島内用は日中の明るさだろう。

 ビスカ花、流水、ミカヅキ魚、海鳥……。


「色数と紋様には意味がある。例えば、婚礼用は必ず七色使う。紋様は七色ビスカかこの花蔦紋様だ。これはテッセンカっていう鉱性植物なんだが、蔦は成分の殆どが鋼で丈夫な上によく伸びる。おまけに花は宝石だから縁起がいい」


 見覚えのある紋様に三人同時に顔を見合わせる。マーギの衣装そのものだ。


「ああ、あの衣装も俺らが作ってる。『我が身はハイバル島の民と運命を共にし番う』って誓って役割を引き継いだんだよ。元は余所者だってのに大した奴……お方だ」


 ハイバル島では、大戦後に何度か魔物の襲撃があった。ともすれば大被害を被るところだったのが、今から百年前の『青き月の夜』だ。グローヴ島との島境いで大発生した青い凶鳥の一部が、周辺の獲物を食い尽くし新たな獲物を求めてバルバンド港を襲おうとした。夜行性の彼らは夜空を埋め尽くし、その翼が月を青く見せたという。

 グローヴ島の糸紡ぎたちのなか、襲撃を予想したのはマーギだけだった。


「他の糸紡ぎの旦那さん方?さあねえ、まさか気づいておられない訳じゃなかっただろうさ。そうだろう?ただお忙しかったんだよ。下々に構ってられねえぐらいな」


 皮肉に歪められた口元。苦々しさに率直な感情が滲む。三人がもっと聞きたいと目で訴えた。


「あんた、偉い魔法使いなら結界張れるよな?出歯亀に聞こえなくなる奴。張ってくれるなら教えてやるよ」


 アレキサンドラは快く応じた。

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