第3話 セイレーンは歌う

リヴァイアサン。この大陸ではバルバンド内海にしか生息しない海獣だ。大きさは鯱と小型鯨の中間ほど。普段は深海に潜むが、餌を求めて浮上し噛み砕ける全てを喰らう。獰猛な性質、堅牢な牙と鱗、刃の尾鰭、獲物を射竦める薄黄色い目玉。しかして、重要な資源でもあった。


「かつては外界と交流なくモグモグ……漁と狩りで生計を立てていた島民らはモグモグ……古来より獲物を実に……モグモグ……巧みに使いました。キサラさん、ショーユ取って。……モグモグ……また、それを可能にする技術と資源が……これはキサラさんの新作でひゅ?モグモグ……また腕あげました?口の中でミカヅキ魚が解れて花びらが」


「食ってから話せ。……おかわりならあるぞ」


「かふんもち、はなさらだ、おかわり」


「うーん。作ればあるけど、コガネキッカの花粉プディングもあるから我慢してくれないか?カロントの実も入った自信作なんだ」


「そっち!たべる!」


 キャッキャとはしゃぐ一行を星月夜だけが見ていた。ここは、マーギに指示された島長が用意してくれた家だ。淡いエメラルドグリーンの巻貝をつかっていて、立派な厨房まである。滑らかな光沢と曲線を描く室内、壁はランダムに大きくくり抜かれており、バショウのカーテンが揺れる。卓上には今まで旅して集めた食材と、この島で仕入れた食材を使った料理が並ぶ。

 リヴァイアサンの蒸し煮。カリィ魚の刺身、ライラの花入りミカヅキ魚の揚げ団子、色様々なパンセの花サラダ、バナーヌの葉で蒸し焼きにした花粉餅、ホロロ鳥のスープ。魚介類はハイバル島、花類はマグメリ島、バナーヌの葉とホロロ鳥はグローヴ島。ほぼキサラの手作りだが、蒸し煮だけは後学のために店で買った。リヴァイアサンを干物以外で食べれるのはこの島と周辺だけだ。白く柔らかな肉は旨味が濃く、香りにまで品がある。元の世界で例えるならば、鯛と鰤のいいとこどりだろう。これは料理しがいがあるとにやついた。


「今夜は小手調べだ。明日はもっと沢山の魚介類を仕入れる。ゴンちゃんが好きそうな果物と野菜も沢山あるみたいだしな。いや、先に食い歩きかな?知らない料理ばっかりだ」


「それは楽しみですけど、まずは仕事ですよ仕事。今回は難儀です。『雑魚も喰わないリヴァイアサンの皮』の処理なんて」


 それが、ゴミ消し屋アレキサンドラに舞い込んだ依頼だった。

ここ百年で、リヴァイアサンの需要は飛躍的に伸びた。島内で利用するだけでなく、主要な輸出品となっているのだ。肉と内臓は食用や薬に、堅牢な鱗と骨は鎧、盾、刀装具ほか各種工芸品に使われている。

 しかし、鱗を取り除いた皮は利用価値が低い。食用に出来ないことはないが分厚く固く下拵えが手間。他に美味い魚介類が溢れているので人気がない。かつては煮溶かして接着剤にしたり、鱗ごと船の材料にされたり、革製品として需要があった。が、優れた素材が溢れた現在では島唯一のリヴァイアサン皮革工房だけで加工されるのみ。消費が追いつかず海底に捨てていたが、魚も虫もこびりついた脂肪だけ食って放置だ。小山が出来るまで堆積してしまっているらしい。

 ハイバル島が元あった海域には、リヴァイアサンを皮ごと食べる海鳥やら海獣が複数種いるという。しかし、それらはリヴァイアサン以上に危険なので内海に来れないようになっているし、内海から向こうに送るのは禁じられている。

 島長はまず、糸紡ぎたちに相談した。彼らは協力的だったが、例の銀の糸紡ぎが突っぱねたのだ。曰く「そんな下らんことに割く余裕はない。卑しい者がやればよい」

ならばと、ゴミ消し屋に渡りを付けようとした。しかし今度は「この島に穢れた者共を入れる気か?」と難癖だ。困った島長はマーギに相談した。糸車が呼んだとあれば、糸紡ぎたちに止める術はない。


「いつもみたいに、うめればいい。それか、もやせ」


「どちらも量が多過ぎるので、移動だけで手間と費用がかさみます。試算したらこの島の一年分の収入が吹っ飛びました。それに燃えにくいんですよね。リヴァイアサンの皮って。かつては耐火素材として重宝されていたらしいです。とはいえ、サンダーウッドやサラマンダーの皮に比べれば格段に落ちます。燃え難いだけでシワが寄って台無しになりますし」


「微妙だなあ……あっ!なら!」


 キサラの脳裏が千載一遇の機会に閃いた。


「黒死大島に行く言い訳が立つ!何もかも溶かす火山があるんだろ?そこに投げ入れると言えば!」


 アレキサンドラは申し訳なさそうに首を振った。


「確認したところ、すでに島長が上申して却下されているそうです」


 撃沈だ。一気にやる気が失せた。


「あせらない、あせらない、いまは、かせぐ」


「うん……花粉プディング持ってくる」


 中座する背を見送る。翼がくったりして見えるのは錯覚ではないだろう。ゴンちゃんは思念で語りかけた。


(哀れだ。もう一年経つ。お前が旧き糸紡ぎに便宜を図れば済む話だというのに)


(ふふん。変化を厭い、時から背を向けた者たちのお仲間にはなりませんよ。何百年かかろうと、許可が下りるだけの額を稼いだ方がマシです)


(それだけか?)


 ギラリとミノタウルスの瞳が光る。比喩でなく火花が散った。


(入れ込んでいるが、あの坊やに妙なことをすれば貴様でも焼き殺す)


 火花を受けてオパールの髪が赤みを増す。


(入れ込んでいるのは貴方じゃないか?雷火の魔王よ)


「二人とも待たせたな!めちゃくちゃ美味いから熱い内に食ってくれ!」


 キサラが戻って来た。気分を切り替えれたらしく、一触即発の空気に気づかず熱々のプディングを振る舞う。コガネキッカは菊に似た大きな花だ。その長く香り高い花弁を布を敷いた器に敷き詰め、乾燥花粉と花蜜を混ぜ合わせた生地を注ぎ、蒸し焼きにすれば完成だ。花びらは火を入れても歯ごたえがよく、生地はもっちりとした食感。使う花粉によって味が変わる。マグメリ島では上面にも花びらを敷くが、今回は固まりかけた頃に粉砕したカロントの身を振りかけてある。丹精して育てた木ノ実の装いがゴンちゃんの気をなだめた。


「うまそう!きさら、さいこう!」


(今宵はこれまでだな。だが、我は常に貴様を見ている)


「うわあい!いただきまあす!んー!三つの食感と香りがたまりません。生地が紫がかってますが、クロッカの花粉を使ってるんですか?」


(異議なしです。ところでゴンちゃん、悪い虫は僕だけじゃないんで気をつけてあげて下さいね?)


「あんまりガッつくなよー。仕方ない奴らだな」


 嬉しそうに頬を染め、形良い胸や翼を揺らして喜ぶキサラ。人目引く美貌である上に、意外にも人懐っこい。昼間も、助けられたという事もあるだろうがカイルが秋波を送っていた。本人は呑気なもので、感謝の気持ちとして魚を渡されたり、市場や料理屋を案内されたりして喜んでいたが。


(睨めば散る雑魚ばかりだが、油断せぬよう努める。貴様も妙なのを引っ掛けて巻き込んでやるなよ)


 ギクリ。心当たりがありすぎるアレクサンドラは目をそらした。


(あ、はい。それはその……気をつけます)


「ゴンちゃん、そんなにアレキサンドラを睨まなくてもまだまだあるぞ。明日用にもう一つ蒸しておくし」


 なにも知らないキサラはのほほんと笑う。初日はこうして更けていった。



 翌朝、三人は廃棄現場に向かった 。大型漁船に乗り込み、水飛沫を上げながら進む。泡懐石を利用しているため漕ぎ手が要らないので、一行以外の同乗者は操舵士の他に二人だけだ。廃棄場所は港からかなり遠く、数刻かかかった。その辺りの海域にはかなりの深さがあり、腹を空かせたリヴァイアサンがうようよ泳いでいる。

 船が襲われないのは『水先人』が乗っているからだ。


ーーールル、ルリリリリリィー……ラーライ、ラララライ、ラーイ、ララララー……ーーー


 高く低く、波音に絡む惑わしの歌。歌うのは妖艶な女。うねる長い黒髪、空と海の青を混ぜた瞳、艶やかな唇。そらした喉の下に、七色珊瑚の首飾りに彩られた豊かな乳房。腕の代わりに肩から海色の翼が生え、腰から下は魚の尾。ハイバル島を中心に生息する有翼人魚、セイレーンだ。

 耳栓ごしでも魂を揺らす歌声に眩暈を感じつつ、カイルが声を張り上げた。


「目的地までの辛抱です!気つけの青ハッカをしっかり噛んでいて下さいね!姉さんの歌は島一ですから惑わされますよ!」


 警告通り、魂が深海に引きずりこまれてゆく……と、言いたいが一行には影響がなかった。アレキサンドラはセイレーンの胸元ばかり見ているし、ゴンちゃんは青ハッカが口に合ったらしく夢中で食べているだけ、種族が近いキサラは全く違う理由からぐったりしている。


「だいじょぶ?ふなよい?」


「んーん……寝床が合わなかった……」


 ハイバル島では寝台すら貝か珊瑚で作られている。亜人大の巻貝を縦割りにしてくり抜いたり、二枚貝をそのまま使ったり、珊瑚の枝を組み上げるのだ。島民はそこに薄い布、シュローで編んだゴザ、乾かした海藻などを敷いているが、硬かったり生臭かったりでお世辞にも寝心地は良くない。近くにあった宿から羽毛布団を借りることが出来たが、薄すぎてあまり意味がなかった。常に気温が高いため、分厚い寝具は作られてないのだ。


「だから僕がちょちょいと手を加えるっていったんですよ」


「うるさい……下手にお前に任すと……ロクなことに……」


 歌が止み船が止まる。


「着きましたよ」


 セイレーン、ローレイラが微笑む。話し声ですら蠱惑的な艶があった。船のヘリに寄って確認すると、海中に白い何かが沈んでいる。


「全体を把握しました。お二人も確認出来るよう目を閉じて下さい」


 小さな詠唱の後、アレクサンドラの二色の瞳が揺れ青みが強くなる。手のひらが目を閉じた二人の顔の前でひらめいた。瞬間、二人は白くぶよぶよした板状のものが堆積し小山になっているのを見た。形や大きさはまちまちだが、一番小さなものでも大型漁船の倍はあるだろう。確かにこれは処理に難儀するだろうと肯き合う。アレクサンドラは魔法を解いて確認を取る。


「これで全部ですか?」


「いいえ。ここまでではありませんが、港の加工場にもあります。同じように海に沈めてますが、なにせ量が多く旅人に見咎められないかとヒヤヒヤで……」


「なるほど。ここから運ぶつもりでしたが、そちらで回収して確認しましょう」


 なにを確認するのかと問う眼差しを無視し、港に戻るよう指示するアレキサンドラ。昨日のやり取りがを尾を引いている。キサラは助け船を出した。


「俺たちはゴミ消し屋だけど、まずゴミを有効活用できないか確認するんだ。例えば大量の生ゴミは肥料に、邪魔な大岩を加工して石材にって感じにな」


「大魔法でパッと消したり燃やしたりしないんですか?」


「それは最後の手段、知ってるだろ?大規模な魔法は金がかかる」


 ああ。と、カイルは頷いた。この百花大陸は魔法で維持されている。それ以外に大規模な魔法を使えば維持する魔法に影響が出かねない。だから一定以上の魔力を使う魔法には旧き糸紡ぎの許可が要り、許可には見合うだけの上納金がいるのだ。これは、大陸中央部などの一部の地域に入るのにも必要だ。違反すればその倍の罰金を要求されるし、下手をすると処刑もありえる。上納金は組織運営と経費に使われるが、ぼったくって私服を肥やす糸紡ぎも多い。


「馬鹿馬鹿しい決まりです。百花大陸の維持と民衆の安寧の為と言いながら、私服を肥やす以外には機能してない」


「ひえ!お、おやめ下さい!」


「口を慎め!聞かれるぞ!」


「あれき!こら!」


 また邪魔立てされては敵わないと抗議するが、青緑と赤の炎は絡み合い燃え上がるばかり。瞳だけで相手を死に至らしめるといわれても納得するだろう。


「誰に向かって言ってるんです?そんなヘマはしませんよ。さっさと港に戻って下さい」


 すっかり臍を曲げた様子で船の最後尾に腰を下ろす。こうなると長い。


「うちの責任者が悪かったな。アレでも腕は確かだから安心してくれ」


「はは……苦労されてそうですね」


 安心からか、カイルの腹の音が鳴った。


「もう昼過ぎだもんな。よかったら食べてくれ。そっちのお姉さんと操舵士の兄さんも」


 用意していた大きなバスケットを開ける。中には様々な具が入ったクレープがギッシリだ。生地は花粉とカロント粉を牛乳と混ぜたもの。具は甘い物からしょっぱいものまで様々。花蜜とカロントの実、三日月魚のハーブ焼き、パンセの花と解したホロロ鳥のロースト、即席で作ったパインアのジャムなどなど。


「あり合わせで悪いな。取り分けるから好きなのを選べ」


「まあ!ご馳走!」


「こ、こんな凄い料理!いいんですか!?」


 照れ笑いしつつ、テキパキと葉皿に取り分ていく。


「遠慮するな。兄ちゃん!舵から手が離せねえなら持って行ってやるよ!」


 生き生きと身軽に給仕しにいく姿を眺めつつ、ローレイラは髪の一筋を操ってクレープを取った。大多数の有翼種は腕がない為、髪や羽使いが巧みだ。


「『腕あり』のお仲間とは珍しいですね。ご出身は北方?あちらには腕ありで白い翼を持つ方が多いと聞きますが」


 厳密には別種族だが、セイレーンらにとって翼がある者たちは親戚のような感覚だ。


「ながれものだ。ほんにんもわからない、らしい」


「そうでしたか。苦労したのでしょうね……」


 ゴンちゃんは、以前聞いた過去を浮かべて頷いた。勿論、秘密なので口にはしない。だが秘密は微かに香りたつ。ローレイラは追求しようとしたが、何気なく食べたクレープが絶品だったためそちらに夢中になった。カイルも無言でガッついている。


「口にあったか?ティザン茶も冷やしておいたからどうぞ。ロイセーン島の名物で食事に合うんだ」


「いただきます!」


「ありがとうお嬢さん。こんなに綺麗で美味しい料理は久しぶり。ふふ。腕があるって色んな料理が出来て素敵ね。ちょっと羨ましい」


 屈託無く賛辞を送られ、初心なお嬢さんははにかんだ。


「ありがとう。でも、俺は飛ぶのも歌うのも下手だからなあ……ハルピュイアとしちゃ落第だよ」


「何かが足りないからといって、持っている物の価値は変わらない」


 それはストンと胸の中に落ち、穴だらけの自尊心を奮い立たせた。


「貴女は素敵よ。お嬢さん」


 黒髪がキサラの頭を撫でる。優しい感触。まるで遥か遠い日の母のような。温かい笑顔のあの子のような。


「あ、お、俺!あいつに渡してくる!」


 顔を真っ赤に染めて、バスケットを抱えて逃げてしまった。かしゃかしゃと鉤爪が鳴る。


「愛くるしいこと。……食べてしまいたいわあ」


 妖艶に歪む唇、しかし次の瞬間引きつった。


「おんな、やめろ」


 小さな身に似合わぬ殺気。飛び跳ねて下がった。


「てをだしたら、ゆるさない」


 目玉から火花が散る。ミノタウルス。雷火司る恐るべき天牛。


「……わかりました。誓います」


「そっちの、こぞうも」


「えっ!いやそんな恐れ多い!」


 心当たりがあるカイルは、真っ白になって否定した。ならいい。と、食事に戻る。


「大切になさっているのね。別の種族なのに」


「そうだ。わるいか?」


「いいえ、お仲間だなと。……私も可愛い人がいますので」


 だからさっきのは冗談、手を出したりしませんよ。ローレイラは請け合い、またクレープを頬張った。

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