第2話 ハイバル島の糸車

 翌朝、旅客鳥ロック便に乗り込み空の旅を行く。ロック便は巨大鳥ロックの背に卵から作った旅客球を固定してあり、所々に硝子が嵌め込んである。ロックの背が獲物を背負うために大きく窪んでいるから出来る業だとは、アレキサンドラの弁だ。広々と湾曲した館内は自由席で、旅人たちは思い思いに過ごす。


(海老の煮込みとマリネサラダ、大蛇と青菜の油炒め、ホロロ鳥の煮込み、黄化蛙のハーブ煮、緑蔭豚の葉包み焼き……。うーむ、やっぱり大蛇を蒲焼きに出来なかったのが惜しい。ギリギリまで醤油が見つからなかったからなぁ)


 葉っぱの画帳を広げ、自前の羽根で拵えた羽根ペンでレシピを纏めるキサラ。ちなみにイラストも描いているが壊滅的に下手だ。


(娼館に行く時間はありますかねえ。まあ漁師を引っ掛けてもいいですけど、キサラさんたちにまで手を出される訳には行きませんし……)


 真面目な顔で地図と文献を眺めながら、煩悩に塗れるアレキサンドラ。男の姿で女とフィーバーしたい気分だが、男同士もオツだと悩む。いっそ両方か?


(キサラは浮かれ気味だ。夢中になると他が見えず危うい。アレキサンドラは頼りにならんし、我がしっかりせねば)


 窓辺ではしゃぐ子供たちに紛れ、気合を入れるゴンちゃん。ちょっと周囲が暑苦しくなって迷惑である。

 ロック便は、グローヴ島霧滝渓谷の瀑布を過ぎ、透き通る碧瑠璃の内海を越えて行く。間も無く、目的地である三日月型の『島』の港に着いた。砂浜の純白、透ける碧瑠璃の内海と青銀に光る外海の二種類の青、多様な樹影の緑。

【本日はロック便スパルナ号をご利用頂きありがとうございます。当鳥はまもなくバルバンド港に着陸します。着陸後多少の揺れがございますが、ロックの喜びの舞です。ご容赦下さい】

 ここはハイバル島。広大かつ深淵な内海バルバンドを内包し、外海カイナンにも面している百花大陸最南端の島だ。通称『三日月珊瑚島』名の通り、三日月の湾曲の中を満たすバルバンド内海は珊瑚礁が透けて見える。ほぼ独立した島だが、三日月の両端はグローブ島にくっついている。

 旅客球のハッチが開く。船着場の桟橋から島に降り立てば、漁や遊覧している無数の船、歓声、フレアスカートの形をした色とりどりのビスカ花が出迎えた。


「二つの海を持つ島、ハイバルにようこそ!鯨乗りにご興味ございませんか?」


「今宵の宿はぜひウチで!バルバンドの珍味を味わい、水色の貝殻で眠る贅沢!」


「珊瑚のアクセサリー、テッセンカのお守りはいかが?」


「貝染めバショウの外套、帽子、スカーフ、陽射しからあなたを守ります」


「甘くて蕩けるバンレイの実、酸っぱくて冷たいパインアの実、暗黒糖菓子はいかがですかー?マンゴルの実たっぷりの削り氷もありますよー!」


「ミカヅキ魚のソテー、ミカヅキ団子麺ー」


 旅人を我が店に呼び込もうと、海の香りの島民らがやってくる。港に待機していた黄色い鱗があちこちに浮いた少年、桟橋の下から飛魚の羽と鰓をもつ娘、屋台から首を伸ばす海鳥の頭を持つおかみさん。


「ここにしか無い美しい晴れ着!千年持ちますよー!!」


 一行の元にも売り子が走り寄って来た。青い肌で腰からイルカの尾が生えた青年だ。素肌に羽織った鮮やかな模様のベストが目を惹く。


「このベストをご覧下さい。何の皮で出来てるかわかり……」


 アレキサンドラの顔を見て血相を変えた。


「その髪色……!あなたはかの大英雄!偉大なる輝石アレキサンドラ!もう来て下さったのですか!」


「その呼び名は不快です。やめて下さい」


 長い耳が不機嫌に揺れた。燃え立つ怒りに青年の尾が跳ねる。キサラがすかさず割って入った。


「我々は伝言を受けて参上した。糸車への取次を願う」


「あ、も、もちろんです!さあこちらに!」


 早足で道を行くのについていきながら、なんとか怒りを鎮めようとしているアレキサンドラの肩を叩く。


「……ごめんなさい。僕ってやっぱり修行が足りないな」


「知ってるよ。今ので言われなくなっただろうし、さっさと切り替えて仕事しようぜ」


「ふふ。キサラさんってお母さんみたぎえええええ!ゴンちゃん助けてあだだだ!」


「きさら、まわり、ひいてる、ひいてる」


 ハイバル島の建物は巨大な貝殻や珊瑚、あるいはそれらの粉を利用して作られている。海岸線を囲むように林立していて、それ以外の土地は緑深き森か農地だ。その森の中央に、目的地である巨大な巻貝がそびえている。一行は青年の案内を受けながら、舗装された道をゆっくり歩く。道は穴の空いた白い石と貝殻が敷いてあり、目に涼しい。

 森の地面には極彩色の蛙に虫。草木は濃密に絡み合い、目に眩しい葉っぱや花をひらめかせる。よくよく観察すると、草木に擬態している虫や色鮮やかな鳥もいる。キサラはよく見ようと身を乗り出しかけ、肩を掴まれた。


「道からそれないで下さい。この辺りは毒蛇と毒虫の温床です」


 油断大敵だ。確かに立て看板があちこちにあった。道の上だけ魔法がかかっていて大丈夫なのだという。


「わかった。ありがとう」


 素直に礼を告げ微笑んだ。青年は青色の肌をさらに青くする。照れているらしい。よく見れば、まだ少年に近い顔立ちだ。


「道案内は助かるけど、長い間陸に上がっていて大丈夫なのか?」


「大丈夫です。我々フィンドル族はどちらでも生活できるようになっています。海より陸に住むもののほうが多いくらいですよ」


 海の種族も色々なのだろう。


「ええ。海中と陸上で生きる者、海中だけで生きる者、海を泳ぐことは出来ますが陸上でしか生きれない者、様々です」


 話す内に目的地に着いた。巻貝の建物……宮殿に。階段で上らなければならないと聞き、キサラとアレキサンドラは閉口したが、美しさには惹かれた。全体が淡く桃色に輝いており、殻は薄っすらと透けて螺旋状の階段の優美さが見て取れた。ただの貝殻ではなく、魔法糸が張めぐらされている。この宮殿が、糸車が住み旧き糸紡ぎたちが魔法を紡ぐ紡ぎ場だった。

 『糸車』は、各島に一人ないし数人があたる役職である。勤めの内容は島によって微妙に違うが『島にかけられている安定の魔法を保つ者』であり、大多数が魔法使いである。


「こんにちは、カイルさん」


一行を出迎えた糸紡ぎは、青年もといカイルと気さくに挨拶を交わした。フードと口元を隠すベールで顔は見えないが、女性らしい。


「ミト様。マーギ様へのお取り次ぎをお願い致します」


「畏まりました。言うまでもないことですが他の部屋、特に地下にはお入りにならないようお気をつけ下さい」


 フードが少し上がり、オレンジ色の瞳と明るい茶髪がのぞいた。


「アレクサンドラ様、お付きの皆様、此度はハイバル島のためにありがとうございます」


 ぺこりとお辞儀するのに礼を返し、階段を登る。


「糸紡ぎにしちゃ真っ当な挨拶をするなあ」


 しかも敵意を感じなかった。ゴミ消し屋は、旧き糸紡ぎに属さない魔法使いが多い職業だ。露骨に蔑まれることも多い。そんな事情を知らないカイルは首を傾げる。


「そうなんですか?お一人以外は丁寧な方々ばかりですよ。昔は酷かったらしいですが……」


 カツン、カツン。螺旋階段は小気味よい音を鳴らす。周りを囲むように大小の部屋の扉や廊下があるが、魔法で中は伺えない。代わりに外の景色が透けて目を楽しませた。景色は上がるほどに広がって行く。緑滴る森、小さな家々、紺碧の海と港、晴れ渡る空。薄虹色に烟る港はちょっとした絶景だ。少し立ち止まる。それぞれが感嘆していると無粋な声がかかった。


「逸れた糸紡ぎ、穢らわしい鳥女、卑小な魔物……。ゴミ消し屋風情が神聖なる紡ぎの場に何用か」


 悪意がざらりと肌を撫でる。発したのは金糸の髪と薄青い瞳を持つエルフの青年だ。実にエルフらしい美形だが、その美は嫌悪と蔑みで歪み、隠しようのない傲慢さがまなじりの険となっていた。身に纏う白絹の上衣は銀の魔法糸で術式が刺繍され、それを左肩で留めるブローチは銀製の紡錘……スピンドル。銀の糸紡ぎだ。

 不味いな。と、キサラとゴンちゃんは視線を交わす。旧き糸紡ぎは最上位の金が現在十五人、銀が百人前後、銅が五百人前後から成る組織である。各島に実際に派遣されているのは銀と銅で、銀は島長に等しい権限を持つ。その銀から睨まれることは珍しくないが、ここまで露骨だとやり辛い。


「何用かと聞いている!答えよ!」


 怒号にカイルは震え上がった。しかし、思うところがあるのか一行の前に進み出る。


「る……ルカリア様。こ、この方々はマーギ様のお客人でございます。どうぞお控えください、いかに貴方様とはいえ……」


「私といえなんだ?控えよだと?生臭い息を吐いて賢しげな言の葉を吐くな!貴様らの安寧を保ってやっているのが誰か忘れたか!」


 上衣の銀糸が解けた。カイルを切り裂かんと唸る。


「危ない!」


 キサラは咄嗟に青年の腕を掴んで後ろに翔んだ。銀糸が空を切り、壁に鋭い切れ目を入れる。島民に対してなんたる非道!憤ったが、すぐにそれどころではなくなる。


「わわわわわ!と、飛べ!この!」


 翼でバランスを取るが上手く行かない。もろとも落ちていく。痛みを覚悟したが、視界の端で何かが飛び跳ねた。さながら赤黒いボールが二人を掴んで降り立つ。ゴンちゃんだ。


「きさら、こぞう、ぶじか?」


「ゴンちゃんありがとううう!カッコいいよお!」


「ひ、ひえ……し、死ぬかと……」


 わちゃわちゃと無事を確かめあう面々。ルカリアは文字通り見下した。


「無様な。飛べぬハルピュイアなど聞いたこともな……奴はどこだ?」


 気づいた時には遅かった。視界が金と銀の光で覆われ、全身を締め付けられる。


「ぐっ!が……!な、に……!」


 アレキサンドラのストラがルカリアの身体を縛りつけ締め上げる。自慢の上衣も力及ばず指一本動かせない。メキメキと骨が軋む音が響く。


「無様ですねえ。貴方いま光り輝く蓑虫って姿ですよ。プチっと潰しちゃおうかなあ……」


 ぎぎぎと肉が圧縮されていく潰れた悲鳴がストラの隙間から溢れた。


「蓑虫さん、聞こえませんよう。頑張って命乞いしなさいな。それとも穢い汁を垂らして潰されますか?」


 きゃらきゃら笑うアレキサンドラ。爛々と光る髪も瞳も炎の色。静かな怒りのまま蓑虫を焼く。その火を鎮める涼しげな声がするまで。


『お待ち下さい。弟子の非礼は心からお詫び致します』


 蓑虫とアレキサンドラの間に白金色の光が灯る。光は膨らみ、嫋やかな腕を持つ美女の姿となった。幻影魔法だ。


「君か」


『お久しぶりです大兄……いえ、今は大姉様ですか』


「どちらでもいいさ。君は相変わらず岩山の中かい?」


『ええ。ここへは仮の姿で精一杯ですわ』


 うねる白金の髪、白薔薇の肌、若紫の瞳、白金色の優美な礼装。美しいがエルフではない。人間の魔法使いだ。額に煌めくティアラといい姫君めいた姿だが、長き歳を重ねた者特有の憂いと落ち着きがある。胸元を飾る金のスピンドルと金色のストラは、旧き糸紡ぎの最高位の証だ。


「壮健そうでなによりだよ。ミストラ」


 名前にアレキサンドラ以外の顔色が変わる。ゴンちゃんは警戒し、カイルは平伏、キサラの顔に皮肉が浮かぶ。

 白金糸のミストラ、葬列の白薔薇、ミストルティンの復讐姫。他、麗麗たる尊称で仰がれる大戦の二十八魔法使いが一人。


(千年前の大英雄か。弟子の躾は失敗したらしいが)


『言い訳しようもございません。厳しく叱責しますが、どうもこの子は血気盛んで……』


 心を読まれたのかと総毛立ったが、ミストラは優雅に微笑み光の粉を振り撒いた。


『お顔に出てますわ。勇敢なハルピュイアのお嬢様、そちらのミノタウルスの殿方も。……素敵なお仲間をお持ちで安心しました』


「……心配かけてるのはわかっているよ。君には済まないとも……」


『いいえ。どうか御心のままに。他の方々はともかく、私はあなた方の幸福を祈っております』


 姿が消えていく。アレキサンドラは懐かしい姿に免じてストラを解いてやった。気を失った身体が崩れ落ちるのを抱きとめてやり、額に手をかざして何やら呪文を呟く。


「ん……?ここは?」


「宮殿の上階さ。ミストラが呼んでいるから早く行きなさい」


「そう……か……わ、かった」


 ふらふらと降りていくのを見送って、アレキサンドラは一同に微笑みかけた。


「さあ、彼が正気に戻るまでに行きますよ。もっとも、怒ると怖すぎる師匠に絞られるから大丈夫でしょうけど」


 もう髪も瞳もいつもの穏やかなきらめきだ。キサラたちは密かに安堵の溜息をこぼした。怖いのはお前だ。と、胸の内に留めつつ。


「マーギ様、アレキサンドラ様御一行をお連れ申し上げました」


 ハイバル島の糸車、マーギは最上階にいた。天井から差し込む光が貝殻の壁を柔色に照らし、中央の柱に身を預ける老人を浮かび上がらせる。周りには何枚ものバショウの布が垂れ下がり、沢山の花が貝殻や器に活けられていて芳しい。その芳しい香りに浸り眠っている様子だ。カイルは入り口脇にある紐を揺すった。紐の先にある貝殻と珊瑚が揺れ、壁を叩いて小気味いい鈴の音となる。壁に反響した音が増幅され、巨大な楽器の中にいると錯覚しかけた。

 椅子に腰掛けた老人が顔を上げる。勤めの凄まじさを表す落ちくぼんだ瞳とやつれた顔。しかし、黒い瞳はキラキラと輝き顔いっぱいの皺が柔らかな親しみを滲ませていた。


「ようこそお越し下さいました」


 マーギの声が響く。嗄れているが意外に若々しく、耳馴染みがいい。また顔以外の全身を包む衣も艶やかだ。首から下は厚みのある黒衣で、花蔦らしき紋様が様々な色で描かれている。頭を覆う布は薄く、裾に小さな貝殻の飾りがびっしりと縫われ、わずかな空気の動きに涼しい音を出していた。最も目を引くのは首飾りだ。七色の珊瑚で作ったビーズが何連にも繋がっていて首周りを彩っている。


「ご足労をおかけした上、座したままの挨拶をお許しください。近頃は立つのも難しく……」


 アレキサンドラは老人の状態を察し、出来るだけ分かりやすいように大きく口を動かした。


「お気になさらず。どうぞ楽になさって下さい」


 話すだけでも苦痛も酷かろうにと、アレキサンドラは同情とも嘲りともつかない表情になる。糸車とは魔法の循環器。いわゆる人柱だ。生きながら魔力と生命力を絞られながら魔法を維持する。精神崩壊に至る者も多く、信仰に近い敬意を抱かれるのは当然だろう。その痛苦と重責を感じさせない表情でマーギは語った。


「来ていただいたのは他でもない、リヴァイアサンについてです」


 

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