百花綺譚
花房いちご(ハナブサ)
第1話 グローヴ島で休日を
グローヴ島は緑迷宮の別名に相応しい『島』だ。大半の島民が巨大な樹々の上で生活する。たっぷり幅がある枝は道に、絡み合う気根は橋に、それぞれ利用され様々な亜人が行き交う。年を通して初夏の爽やかさを保ち、天を見上げれば濃淡豊かな緑のモザイク画。息を吸えば瑞々しい風が身体を通って行く。
一仕事終えた体の疲れが取れるようだ。さっき食べた土産の花菓子のお陰もあるだろう。口の中、まだ花粉ビスキュイのサクサクしたかけらが残っている。仄かな甘味と濃厚な香りが織り成す美味。昨日まで居た『島』の味だ。
「マグメル島の花菓子はどれもこれも美味かったなあ。しかも見た目も最高だ。作り方は習ったけど、あの島以外じゃ花が揃えづらいのが惜しいな」
キサラはうっとりと浸った。胸から下は羽毛に覆われたハルピュイアの女だ。短く切った白銀の髪、明るい褐色の肌、金色の瞳。豊かな胸元から下は髪より少し濃い色の羽毛で覆われており、背中には大きな翼、鉤爪のついた黄色い鳥脚を持つ。
「日持ちする食材はたっぷり頂いたじゃないですか。後で何か作ってくださいね」
仕事熱心な料理人を笑うのは、エルフの少女アレキサンドラ。美形なのは勿論だが、髪と瞳の色が他のエルフとは違っていた。腰まで伸ばしたオパール色に揺らめく髪、緑柱玉の青緑と紅玉の赤が複雑に混ざった瞳。着ているのは、エルフ族の魔法使いに古くから伝わる緑と金で構成された礼装だ。また、肩にかけた複雑な植物紋様が刻まれたストラは、この『百花大陸』でも有数の大魔法使いである証だ。
「われは、くろっかぜりぃ、みつばらびすきゅ、ひゃっかぱい、たべたい」
同意してコクコク頷くのは、大量の荷物を背負った小さなミノタウルス、通称ゴンちゃん。背丈は他の二人の腰にも満たない。赤銅色の肌はベルベットの手触り、円らな瞳。今はあどけない姿だが、凄まじい怪力を持つ。
「いいぜ。この島は流通も活発みたいだからアレンジしたのも作れる。だけど菓子ばっかりも身体に悪いな」
「そんなの魔法でちょちょいですよ!ちょちょいったああい!」
お気楽能天気なアレキサンドラに蹴りが入った。ハルピュイアの脚力と鉤爪の一撃必殺。礼装と常に身を守っている守護の魔法がなければ大怪我するところだ。
「なあにがちょちょいだ!そのちょちょいで俺はあああ!」
「きゃあああ!頭を掴むのはやめて!鉤爪が防ぎきれなあああ!ゴンちゃん助けてえ!」
「じごうじとく。きさら、がんばれ」
暴れ狂うハルピュイア、頭から血を流すエルフ、無邪気に応援するミノタウルス。側にいた猿人や大栗鼠の尻尾を持つ亜人が飛び上がって逃げた。阿鼻叫喚の地獄絵図に怯えつつ、勇気ある伝言屋は話しかけた。
「あ、あの……ゴミ消し屋アレキサンドラ御一行様ですか?」
「ん?伝言か?」
「はい、そうです。お受け取り願えますか?」
話しかけたのは、キサラと違い腕がないハルピュイアだ。肩の付け根から髪と同じ桃色の翼が生えている。手紙が詰まった鞄をいくつも下げた、優しげな風貌の少女。キサラはあっと思ったが遅かった。アレキサンドラはサッと鉤爪から逃れ、パッと性別を変えてハルピュイアに跪く。
「可愛いお嬢さん、僕に御用ですか?」
「え?あの、女性?では?変身?」
「君の為ならちょちょいのちょいさ。お名前をうかがっても?番はいますか?もしや、まだ卵をお産みではない?」
「はぁ?あの、離してください!」
ドンピシャの美少女に鼻息が荒い。またか。まただな。と同行者らは目を合わせてため息だ。
「きさら、つかれてるなら、われが、やる」
「いい、やり過ぎたら止めてくれ」
「僕の卵を産んでげぶっ!」
鉤爪が不埒者を蹴り飛ばす。枝から落ちかけたが知るものか。
「セクハラ野郎がいない内に伝言を」
「あ、ありがとうございます。伝言はこちらです」
伝言屋は器用に羽を使って鞄を開け、目当ての手紙を渡して去った。軽く手を振って見送り、封を切る。
「おい、セクハラ糞野郎。次の仕事だってよ」
「はやく、たて」
アレキサンドラは、冷ややかな同行者らに涙目になりながら立ち上がった。元の少女の姿だ。
「ひっどおい!僕の柔肌があ……あーん、埃と木屑だらけですぅ……。うえ?なにこれ?樹液?」
ウッゼーなコイツ。アレキサンドラは青筋を立てる二人を流しつつ手紙を読む。
「なになに……ふーん。あそこかあ。隣島です。期限は年内ですが、休養を取ったら行ってみましょうか」
「異議なし。稼がねーとな」
「びんぼう、ひまなし」
「いやキサラさん、ゴンちゃん、僕らそんな貧乏じゃないですからね?ちょちょいと事情があるだけで……」
その発言はキサラの心の羽毛を逆撫でするに充分だった。
「そのちょちょいで俺はあああああ!」
「ぎゃあああああ!ごめんなさいごめんなさい!」
「はらへった……」
今日も騒々しい一行だった。
ここは『百花大陸』
千年前、大魔王によってわずか一晩で島同士が融合した大陸だ。
元は別の島々であった為、多様な亜人種族と文化がひしめき合う。また、気候や地形風土も様々。これはそれぞれの島民たちが変化を厭い、融合前の状態にできるだけ近くなるよう魔法をかけているからだ。大陸となってから五百年ほどは魔軍との戦いに明け暮れたが、大魔王封印後は大きな戦もなくなった。特にこの二百年は平和である。
各島は旧来の自治を保ちつつ、大陸がこれ以上変化せぬよう、また大陸中央『黒死大島』に封じられた大魔王を目覚めさせぬように魔法結社『旧き糸紡ぎ』が管理し、事実上支配していた。唯一、完全なる独立自治を保ち国家を名乗るのは、西方に位置し大陸の十分の一を支配する『アルビレオン諸島連合王国』のみである。この二つの支配者は、対立せず対等に協力し合っている。大半の島々も無益な争いを好まず、大陸全体を通して異文化交流が盛んだ。中央部以外の行き来は活発で、流通も整備されている。
空を翔ける『操音』怪鳥ハルピュイア、魔法の『真王』たる常若のエルフ、雷火司る『天牛』の戦士ミノタウルス。彼らのような異種族同士の一行も少なくない。
島渡りまで数日間、ゆっくりと休養を取り観光に勤しんだ。繁華樹林は歩くだけで楽しい。たまに川が空を流れて魚が落ちる。いよいよ翌日には出発となり、気根で編んだ籠宿の中、地図を広げて話し合う。
「こことの島境いは緩やかな渓谷です。魔物は少なく、旅客鳥でひとっ飛び出来るので楽ですね。目的地の気候は常夏。ここまで密に木々が繁っていないので日差しが厳しいですが、平地ですし海に囲まれているので暑さはそれほどでもありません」
重装備が必要ないのはありがたい。
「海沿いの島は久しぶりだな。何が食べられる?」
また食べることだ。アレキサンドラとゴンちゃんは顔を見合わせてによによした。
「べ、別におかしくないだろ。俺はお前らの食事管理もしなきゃなんだし」
「おかしいなんて言ってないですよねー」
「ねー、きさら、かわいい」
キサラは顔を逸らして話を元に戻すよう促す。アレキサンドラは続けた。
「あなた、きっと気に入りますよ。海の幸がたっぷり楽しめますし、郷土料理が有名です。特に生魚を使った料理が有名で、わざわざ食べに通うお大尽までいるくらいです」
その夜、キサラは楽しみから何度も翼をバタつかせハンモックを揺らした。ぐふふ。だの、へへへ。だの、笑い声まで響かせるので、他二人は安眠妨害されてウンザリだ。
「まさかショーユまで買い込んではしゃぐとは思いませんでしたね」
「さしみ、たのしみ。こきょうのあじ、いってた」
そう言われると、結果的にキサラから故郷を奪った身としては何も言えない。うつ伏せになって寝入る背中を撫でてやり、穏やかに呪文を囁く。
「可哀想で愛おしい僕のハルピュイア、今は深くお眠りなさい」
呪文に誘われたか、籠の網目から蛍たちが舞い込む。蛍光に照らされたキサラの顔は、常になく穏やかだった。
そのお陰か、キサラは久しぶりに夢を見た。人間の男、如月雲雀だった頃の夢を。
如月雲雀は、食材を切りレトルトを寸胴鍋で温めて提供する為に生きて居た。安くて早いが売りのチェーン店。ノルマと勤務時間は過酷で、睡眠時間は削られる一方。自分で店を開くために勤めているはずが、いつしかそれを忘れていた。
ノルマ、ノルマ、ノルマ。人員不足、補充、また退職、募集、エリアマネージャーの罵声、店長である自覚を持てと叫ぶ。部下は恨みがましい眼差しで早く電話を済ませて業務に戻れと念を飛ばす。調理師専門学校を出て就職し、五年。ただ仕事にすり潰される日々。退職届はとっくに書いたが、切り出せなくてお守りになりつつある。
別店舗で店長をしている同期とのやり取りが唯一の安息だった。
『また一人辞めやがった』
『ウチもだよー。もう半年くらい一日三時間しか寝てない』
『おいおい大丈夫かよアッキー。いや、俺も四時間しか寝てねーわ。ウケる』
『笑いごとじゃねーよ!ヒバリん!誕生日来るし生きて』
『そっちもな』
これが最後だった。数日後、アッキーは帰らぬ人となる。深夜、家族と住むマンションの一室から飛び降りたのだ。報せを受けて病院に駆けつけた。が、遺族は面会を拒否した。
「人殺しがなにしに来やがった!」
「証拠はあるんだからね!潰れるまで絞ってやる!」
自殺だ過労死だと叫ぶ遺族。会社関係者は全て追い出された。
「なんでこんな……なんで……」
雲雀より激しく拒絶されたエリアマネージャーが脂汗を流しながらボヤく。雲雀たちより一年早く入社した男は、かつてはポッチャリとした顔で優しく笑う好青年だった。今は顔立ち以外に名残はない。脂汗と負の感情が混ざり合い歪み崩れていた。
「全く迷惑な話だよ。死ぬなら後任を用意してから死ぬべきだ!ああー最悪だあ。これじゃボーナス出ない……」
人が一人死んだのにボーナスの心配か。いや、この男もこれから上から締め上げられるのだ。アッキーの様に死ぬまで。
「俺は嫌だ。死にたくない」
衝動的に辞表を叩きつけて逃げた。着信拒否し、アパートに逃げ帰る。何かを察したのか、好奇心に満ちた隣人がニヤついた顔を覗かせた。寝て起きる為だけに住む場所。安らぎもクソもない。ここからも逃げたい。
だが、何処へ?
ああ、もういい。もういいだろう。包丁もあるし、ビニール紐もある。実家の両親と妹たちには悪いが、向こうにはアッキーと爺ちゃん婆ちゃんたちがいる。きっと、爺ちゃんたちは叱らない。きっと、転んで怪我した時みたいに頭を撫でて慰めてくれる。黙って話を聞いてくれる。アッキーだって。
『ヒバリん!もうすぐ誕生日だしさあ、パーっとやろう!ほら、ヒバリんがバイトしてたイタリアンとかで!マスターいい人だし美味しかったなあ。同期集めてワイワイやろうぜ!』
「うん、はは……みんな辞めちまったか休養中だから無理だろ……はは……えっ?」
なんだか楽しい。ドアノブをひねり中に入って……眩い光に包まれた。
何百もの緑と赤の信号が交互に瞬き踊り狂う。身体はそのダンスに巻き込まれてどこか遠くへ飛んでしまったらしい。ステップ、アップ、ステップ、またアップ。補色光をタップしてダウン。着地点はどこだ?
光が収まった。まず気づいたのは、足元がコンクリートでも自宅の玄関マットでもなくなっていることだ。磨かれた木目に精緻な模様の織物が敷かれている。
「あっちゃー……うっかりした。あなた、誰ですか?」
いや、お前が誰だよ。ここは俺の家だ。そのはずだ。呑気な声に顔を上げると、さっきの光より眩い少女が居て……如月雲雀は気を失った。
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