第十五話 教唆
杉本組の拠点となっている廃工場とエンゼルボイス中毒者のたまり場だった公園は昨日とは打って変わったあわただしい雰囲気にのまれていた。
廃工場の前には大型トラックが三台停車しており、パソコンや何らかの資料が組員の手により荷台へ運び込まれている。
公園にいた薬物中毒者たちは杉本組のあわただしさから異常を察知したのかどこかへ逃げ出したらしい。姿は見当たらなかった。
煙草と同程度の依存性しかないというエンゼルボイスだけあって見切りをつければ逃げ出す判断ができるらしい。もっとも、一度麻薬を知った彼らが日常生活に戻れるのかは疑問だった。
秋片は以前にも上った四階建てビルの屋上から現場を調査し、杉本組の戦力と想定される者を数えた。
「杉本組は全員揃ってるな」
昨日、秋片は杉本組のパソコンを操作して警察署にデータを送りつけた。杉本組があわただしく事務所の備品やら書類やらをトラックに積み込んでいるのは、警察が乗り込んでくると恐れてのモノだ。
殺害予定者リストに記載された要人の護衛で警察の人手は手一杯だと杉本組は知らないらしい。手が空いていたとしても下層区の奥にあるこの場所まで即日で警察が踏み込んでくるとは考えにくいのだが、たった五人の小規模組織である杉本組は万が一の可能性に備えているのだろう。
秋片は屋上を後にする。
敵戦力は五人。目撃者はなし。
「手早く片付けないとな」
ビルから出た秋片は拳銃を抜き、公園の外周に沿って植えられている木の陰に隠れながら廃工場入口へ接近する。
警察がいつやってくるのかと、そわそわしながら周囲を警戒している杉本組の見張りが二人。
秋片は一人に狙いを定め、引き金を引く。
銃声が響き、見張りが足を撃ち抜かれてその場に倒れ込んだ。
もう一人の見張りが慌てて仲間を振り返る。廃工場の中でも人が動く気配がした。
大型トラックで逃走されては困るため、秋片は見張りに聞こえるように声を張り上げる。
「サツだ、立てこもって応戦するぞ!」
秋片が杉本組を装って声をかけると同時に、無事な見張りが工場入り口へ走り出す。
廃工場の入り口に狙いを定めた秋片は、無事な見張りが走り込むその瞬間に銃撃し、腹部を撃ちぬく。
あと三人、と呟きながら、廃工場入口を無視して裏手を目指して駆けだした。
廃工場の中から怒号が聞こえてくる。
入り口を見張っていた二人が立て続けに倒れたことで、中にいる者は迂闊に外へ出られない。
なにより、平静さを欠いている杉本組は秋片からすればただの獲物だ。
廃工場の採光窓を叩き割り、内部の杉本組を脅しながら裏手の事務所スペースに回り込む。
以前忍び込んだ時に脱出路として用いた窓にそっと近づき、中を覗く。
杉本組の組長、杉本轟冶の姿があった。重要な書類を詰めてあるらしい段ボール箱が置かれた事務所の壁に背中をつけ、油断なく銃を構えている。事務所の扉と窓の双方を警戒できる位置だ。流石に組長だけあって肝が据わっている。
秋片は首をひっこめる。
できれば事務所部分から侵入して入り口を警戒している杉本組の背後から奇襲を掛けたかったが、これでは難しい。小規模な組織とはいえ、本拠の防衛上の弱点は理解しているようだ。
もっとも、組長が孤立しているのならそれはそれでやりようはある。
秋片は踵を返し、昨日、秋片にそそのかされた薬中が割った採光窓へと戻る。中は静かだが、微かに息遣いが聞こえた。昨日の侵入経路をそのまま残しておくわけがなく、組員が見張りとして配置されているらしい。
昨日、侵入する際に使ったドラム缶に足をかけ、手鏡で中を覗く。
物陰から窓を注視していた男が鏡に気付いた。
「――こっちからかよ!」
男が慌てて銃を構える。鏡に当てる自信がないのか採光窓に銃口を向けたまま射撃姿勢を取っていた。
秋片は鏡に映った男に声をかける。
「下っ端だな。組長を連れてくれば減刑できる。協力しろ」
「……信用できるかよ」
「こちらも長く下層区に留まれない。早く終わるに越したことはないんだ。いいか、これはテロ容疑での制圧だ。殺しても問題ないと言われている」
「殺っ――」
男の手が震えている。組長とは違い、そこまで肝が据わっているわけではないらしい。だが、銃口は窓に向けたままだ。肝は据わっていなくとも戦う覚悟はきちんとしている。相手次第では、男は自身の役割を全うできたのかもしれない。
だが、秋片は手加減するつもりが一切なかった。
手鏡に映る男をにらみつつ、秋片は口を開く。
「仲間を売り渡せば助かる。いまなら不意を打てるから楽な仕事だ。躊躇う理由がどこにある?」
「それは……」
「もう外にいた見張り二人はやられている。勝てるわけがない。なら、減刑を目指した方がいいはずだ。『スピーカー』も捕まっている」
秋片が『スピーカー』の名を口にした瞬間、男の顔がこわばった。自体がすでに挽回不可能な所まで来ていることを理解したのだ。
秋片はダメ押しに噛んで含めるように、見張りの心の隙へ言葉を送り込む。
「最良の選択は、仲間を売ることだ。いま動け。手遅れになる前に」
「――っくそ!」
男が数歩後ずさり、事務所の方へ走り出す。
秋片はドラム缶から飛び降り、事務所の窓に向かって走り出した。
乱暴にドアが開かれる音、怒声、銃声が連続する。
事務所の窓から内部の様子をうかがうと、完全に不意を打たれた杉本轟冶が涙目の男に組み伏せられていた。
素早く窓を割って事務所内に入った秋片は、用意していた縄を涙目の男に投げ渡す。
銃で撃たれたのか、肩から血を流している杉本轟冶が縄で縛られながら秋片を見上げて悔しそうに歯噛みした。
「てめぇ、ウチのモンに何しやがった!?」
「二人撃った。まだ生きてるぞ。止めを刺すつもりがないからな」
肩をすくめてすべては語らず、秋片は事務所の入り口に銃を向ける。
騒ぎに気付いた最後の一人が入り口に姿を現した瞬間、引き金を引く。
「制圧完了っと」
一息ついて、秋片は杉本組の五人を縛り上げる作業に移った。
※
最低限の怪我の手当てを行い、杉本組の五人を賭けボクシングのリング上に座らせる。
抵抗できないように武器はもちろん、下着を残してすべて剥ぎ取って縛り上げてあり、五人とも諦めたようにうなだれていた。
秋片は廃工場内から見つけ出したエンゼルボイスを片手に杉本轟冶に声をかける。
「これの使い方は知ってるか?」
「んだよ、ここで訊問か? つーか、他のサツはどうした?」
「確か砕いて鼻から吸引するんだったかな」
杉本轟冶の問いを無視して、秋片は袋に入ったエンゼルボイスの錠剤を砕く。
訝しそうに秋片をにらみつける杉本組の面々に、秋片はエンゼルボイスの粉末が入った袋を近づけた。
「はい、お前ら全員にラリってもらうから、楽しくトリップしてどうぞ」
「てめぇ、何考えてやがる――むがっ」
手始めに杉本轟冶の鼻と口を覆うように袋の口を近づけ、エンゼルボイスを吸引させる。
「お前らに自首してもらおうと思ってな」
「じ、自首……?」
意味が分からない、と杉本轟冶を捕えた涙目の男が首を振る。
秋片は笑顔とエンゼルボイスの袋の口を向けた。
「雪女、座敷童、鎌鼬、有名な化外はいくらでもいる」
次々とエンゼルボイスを鼻吸引させ、薬が回るまでの時間潰しに秋片は話す。
「そして、慣用句にまでなっている化外のモノといえば、河童の川流れ、鬼の目にも涙などなど、これもそれなりにいるんだが、俺も慣用句になっている類だ」
袋に〝証拠品″と書いて糸を通し、杉本轟冶の首にかける。
秋片は杉本組全員が視界に入るように立ち位置を調整しつつ、話を続ける。
「名乗るのは好きじゃないんだが、お前らにはどの道忘れてもらうから構わねぇか」
エンゼルボイスが効いてきたのか、杉本轟冶たちの視線が泳ぎ始める。まるで、囁きかける見えない誰かを探すようだった。
昨日公園にたむろしていた中毒者たちとおなじ症状だ。
「お前らは薬の影響で今日の事をど忘れする。二度と思いだせない。そうだろう?」
「そんなことは――」
「あるんだなぁ。さて、本題だ。お前たちはこれからトラックで上層区のとある場所に向かい、そこを制圧してもらう。自首するにしたって、警察に手土産の一つもないと減刑してもらえないからだ。お前たちの手土産はとある製薬会社が企てていたテロ計画の協力組織そのものだ」
「怪会か」
秋片は一瞬で答えに至った杉本轟冶に内心違和感を抱きながら、拍手する。
「そう、それだ。そして、お前らは警察に聞かれるだろう。なぜ、こんなことをしたのか、と。お前らは古式ゆかしくこの慣用句を口にすればいい」
秋片は自身の化外のモノとしての性質をあらわすその慣用句を杉本轟冶たちに囁き、縄をほどいた。
「――それじゃあ、行ってこい」
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