第十四話 『スピーカー』
「――つまり、百目はあの川熊の後ろにいる組織に命を狙われていたから護衛に俺を選んだってことでいいんだよな?」
「そう、です」
「で、今後もその組織から刺客が送られてくる可能性が高いんだな?」
「そう、です」
「しかも、川熊に見つかった以上、俺の事務所に百目がいることは組織に知られていると見た方がいいんだな?」
「そう、です」
「盛大に巻き込んでくれたな、お前」
「テヘペロ――ぬむっ!?」
百目が出した舌を人差し指と親指でつまむ。
「この借りは高くつくからな? 覚えておけよ」
今更百目を放り出したところで意味がないことも分かったため、秋片は舌打ちをして百目の舌を放す。
病院の受付カウンターに座り、秋片は情報を整理する。
少女が百目であった以上、帆町花蓮のプロフィールを知っていたのはさしたる問題ではない。日常会話に支障のあるポンコツだが、情報屋としての腕は折り紙つきだ。
「おい、製薬会社のテロ計画を暴いたって言っていたな? もしかして、帆町花蓮の親が務めていた会社か?」
「そう、です」
「刺客を送り込むような組織のフロント企業がその製薬会社だったのか」
刑事の仙田も帆町花蓮の両親の自殺について、胡散臭い死に方だったと話していた。結局、事件性はないとのことで収束しているそうだが、怪しいものだ。
秋片にとれる選択肢は多くない。組織からの刺客をその都度撃退するか、逃げてしまうか、組織そのものに打撃を与えるかだ。和解するのは難しいだろう。
「その組織とやらは調べがついてるのか?」
「ついて、います。怪会、といいます」
「よりにもよって怪会か」
こんな形でまた争うことになるとは、と秋片はある種の懐かしさすら感じた。
「怪会全体で動いているのか?」
「製薬会社とは、支部単位でした」
百目が踏んだ虎の尾は製薬会社のテロ計画だった。百目に報復を企てているのは製薬会社と共同で動いていた支部の可能性が高い。
ならば、その支部に打撃を与えられれば、百目に関わっていられないはずだ。
「テロってもいい支部か?」
「支部の、建物内に民間人はいない、です。おすすめ、です」
「よし、教えろ」
百目から組織とやらの支部の位置を聞き出す。上層区に存在するようだが、下層区にほど近い小さなビルだ。
「どうしますか?」
百目に聞かれて、秋片は肩をすくめる。
「百目は『スピーカー』って奴について調べてくれ。まぁ、情報がほとんどないから難しいとは思うが――」
「もう、調べました。捕捉完了、済み、です」
Vサインしてくる百目に一瞬呆気にとられる。
「……お前、俺が得たエンゼルボイスの資料を盗み見ただろ?」
「……どうで、しょう。百目ちゃん、凄腕、ハッカーです。スーパーハカーです」
あくまでも自分で集めたと言い張る百目にため息をついて、秋片は気を取り直す。
「なら、百目は『スピーカー』を片付けてくれ。俺はちょっと電話をかけてくる」
「了解、です」
携帯端末を操作し始めた百目から離れて、秋片は仙田に電話を掛ける。
コール音が数回鳴り、面倒くさそうな声で仙田が応答した。
「忙しいんだ。何の用だ? 偽帆町花蓮の件なら切るぞ」
「それは片付いた。それより、テロ計画についてはどうなってる?」
「どうもこうもあるか。大騒ぎだ。今、殺害予定者リストに書かれているお偉方に張り付いて護衛してる。秋片こそ、どうなってる。『スピーカー』は見つかったか? なんなら杉本組を潰してくれても構わないぞ」
とにかく人手が欲しい、という仙田に、秋片は本題を切り出す。
「しばらくしたら杉本組が自首するから受け入れを頼む」
「……は? 秋片、お前、何をやる気――なんだよ、いま通話中……はぁ!?」
電話の向こうが忙しくなった気配を察して、秋片は通話を切る。
百目の方を見ると受付カウンターに座って足をぶらぶらさせていた。秋片の視線に気付いた彼女は両手でVサインを作る。
「『スピーカー』の、位置情報を、警察にお届け、しました」
「お疲れさん。俺はちょっと杉本組に行ってくる」
「私は、どうすれば、いいですか?」
「喫茶ニャン亭で待ってろ」
「にゃんにゃん」
受付カウンターから飛び降りて、勢い余ってたたらを踏んだ百目は秋片に軽く手を振って喫茶ニャン亭がある闇市の方向へ歩き出した。
秋片は拳銃の弾倉を入れ替える。
「ようやく仕事が終わる」
最後の一働きだ、と気合を入れ直して、秋片は杉本組の本拠地である廃工場へと向かった。
※
上層区の住宅街に身をひそめた『スピーカー』は開いた傷を押さえながら青い顔で空を仰いだ。
不測の事態、そんな一言で片付けるには状況が悪すぎた。
「待ち受け変えておいたぞい!」
電源を落としたはずの携帯端末が勝手に起動し、機械音声がふざけたセリフを読み上げる。
横目で携帯端末の画面を確認すれば、高価な高性能大型スピーカーのネット通販ページが表示されている。
「そうそう、これ、好きなんでしょ? じつは『百目』ちゃんも大好きなのだ。のだのだ」
機械音声が何かをアピールした直後、流れてきた音声は大手動画投稿サイトで活動するASMR投稿者、『紗々夜気トーカーズ』の動画。
なんでそんなプライベートなことまで知っているのか、『スピーカー』は唇を噛みしめる。おそらくは携帯端末の履歴から探りを入れたのだとは思うが、探り当てるのが早すぎる。
「へいへーい、息上がっちゃってるねぇ。おっと『百目』ちゃん速報、スクープだプークス。君を斬った辻斬りがお死にあそばしました。ふっ、仇は取ったぜぃ。あ、君は死んでなかったね!」
死んだ。自分を斬ったあのジャージの男が、死んだ?
なぜ、斬られたことを知っている。なぜ、斬った奴を知っている。なぜ、斬った奴が死んだことを知っている。
なぜなぜなぜなぜ――
「どうして、私が『スピーカー』だって――」
「どうしてって、『百目』ちゃんがバカじゃないからだよ?」
絶妙な速度、音程で調整された機械音声がバカにしたように言い返してくる。
「知りたいと言われれば答えてあげよう。なぜなら『百目』ちゃんは情報屋だからね!」
情報屋として法外な対価を要求し、結局は話さないつもりかと思えば、意外と素直に『百目』は特定方法を白状した。
「まず、製薬会社による化外のモノを利用したテロ計画を「おまわりさーん」したのは『百目』ちゃんなんですよー。その捜査に誰が入ったのかなーって調べてみたら仙田刑事たちでしょう。これが一点目」
製薬会社のテロ計画、そんな初めから調べがついているのかと『スピーカー』は乾いた笑いをこぼす。
「その直後に杉本組に『スピーカー』がエンゼルボイスの製法を流したわけよ。おんやぁ、おっかしいぞーってなるよねぇ。まぁ、この時点では邪推だけど」
二つを関連付ける根拠はないから邪推としたのだろうが、『スピーカー』を特定したうえで帰納法的に解釈すれば紐付けることができる。
「で、エンゼルボイスの中毒者が殺人事件を起こすんだよ。現場で、中毒者に天使の声で命じた化外のモノがいるっぽいあの事件。現場にいた人に見覚えがあるよねぇ。そう、仙田刑事です。でもあの人は違うよねぇ」
仙田刑事はいま、どこで何をしているのだろう。政治家か企業の重役の護衛にでも駆り出されているだろうか。
ぼんやりと『スピーカー』は上司の顔を思い浮かべて、壁にもたれた。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。警察車両だろう。
「そして、杉本組への定期連絡が途切れちゃったあの日から意識不明になっている人がいる。いや、もう、おまえじゃーんってなるよね。あはは」
あえて耳障りになるように調整された、不協和音の機械音声の笑い声。
「しかも、病院で意識を取り戻した途端に中毒者が動き出して攫われるでしょ? もう、隠す気ないよね――橋本さん」
そうだ、隠す気はない。その意味ももうない。
通話中と表示された携帯端末を持ち上げた『スピーカー』、橋本は百目に声をかける。
「あなたも化外のモノでしょう? 正当な権利が欲しくはないの? 能力を隠していられた私はまだマシな方。それでもいつばれて隔離区域に送られるか、下層区に追いやられるかってびくびくしながら生活しないといけなかった。おかしいとは思わないの?」
「どうでもいいと思うよ!」
あっさりと、きっぱりと、楽しそうに言い返す機械音声に呆気にとられる。
「だって興味ないんだもん。正当な権利? 地位の向上? 引きこもりはそんなモノに釣られないってーの」
「だ、だったら! 邪魔する必要もないでしょうが!」
橋本が思わず怒鳴ると、機械音声が途端に抑揚のない声で告げた。
「計画が成功すると化外のモノ脅威論が盛り上がる。それは困るんだよね。だから、製薬会社のテロ計画も通報したの」
「困るって、その先に――」
「先に興味はないよ。私はね、彼とイチャイチャしたいだけなんだ。一緒にご飯食べて、一緒にゲームして、あんなことやこんなことをしたいんだ」
「……は?」
「私の視界は七割が彼のために使われている。ずっと、ずっとずっと、あんな所やこんなところを見てきたんだ。一人で仕事をしているところも栄養価を気にしない適当なご飯を食べているところも戸棚の奥のお酒を大事にちびちび飲んでいるところも全部全部見てきたんだ。彼との通話記録だって残してあるんだ。でも一人でいる場面は全部見てきちゃったからこれからは二人でいるんだ。二人でいろんなことをするんだ。ツーショットだよツーショット。これからは正真正銘のバディになるんだ。二人で仕事をして二人でご飯を食べて二人でお酒を飲むのはまだ無理みたいだけど必ず飲むんだ。つい最近寝顔の彼とツーショットなんて貴重な体験もできたんだ。化外のモノ脅威論から排斥運動なんて起きたらこんな生活できないじゃないか。それは困る。困るよ。絶対にそんなことさせない、だってまだ、デートもしていないんだから!」
無機質な機械音声で垂れ流される生々しい欲望に橋本は言葉を失いかけたが、絞り出すように問う。
「……あんた、いったいなんなの?」
「恋する乙女」
いや違う、もっと醜悪な何かだ、と喉元まで上がってきた言葉を飲み込んだ橋本に、抑揚を取り戻したふざけた機械音声が告げる。
「おっと、喋りすぎた。乙女心は内緒にしなきゃ。女同士、協力してくれるよね?」
「……協力を断ったら?」
「うん? 絶対に許さないけど?」
具体的に何をするかを聞かされるよりよほど恐ろしい言葉に、橋本は押し黙り、顎を引いた。
「はい、承諾いただきましたー」
「……あなた、私の事をそばで見ているの?」
「見てるよ。そばにはいないけど。言ったでしょう? 百目だって」
百目、その名を持つ化外は複数存在する。鬼であったり、妖怪であったり、女だったりするのだが、共通するのは無数の目を持つこと。
遠視か透視の能力でも持っているのか。どうであれ、もう逃げ場はないだろうと橋本はため息を吐いた。
遠くに聞こえていたサイレンはまっすぐこちらに向かってきているのが、音の響き方で分かる。
「諦めた?」
「どうせ、もうそばに薬中はいないんでしょう?」
「いないよー」
地面に座り込んだ橋本は開いた傷を押さえるのもやめて携帯端末の向こうに声をかける。
「犯罪教唆ってどれくらいの罪だったかしら?」
「人間なら、今回の場合、殺人罪相当の扱いかな。テロ計画の方で裁かれるならどうなるか分からないけどね」
「死刑かなぁ」
「化外のモノだもん。当然、死刑でしょ」
「その量刑の差が理不尽だって思わない?」
「どうでもいいよー」
この『百目』という人物を懐柔できれば逃げる算段もあるのだが、望み薄らしい。
橋本は今度こそ諦めて、空を仰いだ。
「……嫌な世界」
「橋本ちゃんも恋をすればよかったのにね!」
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