第十三話 川熊
大門総合病院は二十七年前まで存在した大きな病院だ。ここに来れば大概の怪我や病気に対処できるほどのモノだったが、医療事故をきっかけに落ち目となり、化外のモノの排斥運動が重なって地域住民の貧困化が加速したことから利用者が激減、閉鎖された。
元が大きな病院だけあって建物も四階建て、複数の棟があり、駐車場も広い。
秋片はエントランスがある本棟の入り口を潜った。
「一人ですか?」
エントランスの奥、受付カウンターを盾にするように佇むジャージの男に声を掛けられた秋片は、さらに奥に目を凝らす。
電気が通っているはずもない廃病院だけあって奥に行くほど暗くなるが、椅子に縛り付けられている少女の姿が見えた。
秋片はジャージの男を無視して少女に声をかける。
「帆町花蓮の死体が見つかった。お前は誰だ?」
声を掛けられても少女は俯いたまま、反応を示さない。
胸が上下していることから死んでいるわけではなさそうだと判断して、秋片はジャージの男を見る。
ジャージの男は秋片と少女を見比べた。
「あぁ、もしかして、またやっちゃいましたかね?」
「何をだ?」
問いかけると、ジャージ男はバツが悪そうに頬を掻く。
「もしかして、あなたはこの少女の正体を知らないのではないか、と思い始めてまして。いえ、同じ部屋で暮らしていたのだから、そんなはずはないと思うんですが、今の質問を聞くとねぇ」
「正体は知らないな。知っているなら聞きたいんだが、そいつが何者なのかあんたは知ってんのか?」
秋片の言葉に嘘はないと判断したのか、ジャージ男は額をぺちりと打ってため息を吐いた。
「いや、それを言ってしまうとあなたを殺さなくてはならないんですよ。あぁ、この仕事は本当にうまくいかないなぁ。お祓いでもしようかなぁ」
ぼやいたジャージ男は腰から下げている刀の柄に手をかけ、秋片を見た。
「無駄な殺生は趣味ではないものでして、何も見なかったことにしてくれませんか?」
良い提案でしょう、と笑顔で言うジャージ男に、秋片は少し考えた後、肩をすくめた。
「俺がこの建物を出ていけば殺さないって事か?」
「えぇ、その通り」
カウンターの内側から出てこないジャージ男の言葉に嘘はなさそうだ。
秋片は警戒しながら後ろへ歩き出す。
「もう一つ聞きたい。その娘の正体は『スピーカー』か?」
「スピーカー? いいえ、違いますね」
聞き覚えのない単語だったらしくジャージ男の発音は秋片のモノと異なっている。演技ならば大したものだ。
秋片は両足が外に出たタイミングで、口を開く。
「どうやら、本当にお互い無関係みたいだな。運の悪い巡り合わせだ」
「まったくです。ですが、こうして円満にお別れできそうで安心しましたよ」
「悪いな。――円満ってのは錯覚だ」
秋片は素早く愛用の拳銃を引き抜いてジャージ男に銃口を向ける。
ジャージ男も警戒していたのだろう、即座に反応してカウンターを飛び越えざま、腰から下げていた日本刀を引き抜いた。
妙な動きだ、と秋片はジャージ男に照準を合わせたまま、引き金を引くのをためらった。間合いを考えれば、秋片が発砲するより早く距離を詰めて日本刀を振るうことなどできるはずがない。
銃の優位性を覆す何らかの能力を持った化外のモノと考え、秋片はひとまず距離を取り直すべく後ろへ跳ぶ。
直後、虚空から黒い毛に覆われた獣の腕が現れた。
「――ちっ」
獣の腕の狙いが拳銃を持った右手の手首と気付いた秋片は銃口を下げ、獣の腕を躱す。
すぐに獣の腕を観察し、大型の肉食獣の腕、おそらくは熊だと当たりをつける。
「川熊か」
「よく御存じで!」
ジャージ男が日本刀の間合いに秋片を捉える。しかし、あと一歩踏み込まなければ致命傷は与えられない。
秋片は拳銃を持った右手を挙げ、甘い狙いでジャージ男へ牽制の銃弾を放つ。
しかし、ジャージ男は構わずにもう一歩を踏み出した。盾のように獣の腕が虚空から現れ、頭部や心臓を守っている。
ジャージ男が勝ちを確信した表情で日本刀を逆袈裟に振り上げ、直後に驚愕に目を見開く。彼の意思に反して、日本刀を振るう腕が秋片の胴に食い込む前にぴたりと静止したからだ。
脇腹すれすれで止められた日本刀には見向きもせず、秋片は無表情で拳銃をジャージ男に向け、獣の腕で守られていない両足を撃ち抜いた。
途端に姿勢が崩れたジャージ男が両手で地面を勢いよく突き、反動を利用して跳び退る。
「な、なんです、今の?」
日本刀を握り直しジャージ男は利き腕に異常がないかを確かめる。思う通りに動く自身の利き腕に安堵するわけにはいかなかった。
秋片は拳銃をジャージ男に向けて口を開く。
「同意してくれただろう。建物を出ていけば殺さないって」
ジャージ男は撃ち抜かれた両足からだらだらと血を流しながらも日本刀を構え、秋片をにらむ。
「何者です、あなた?」
「……川熊は秋田の妖怪だったな。川に潜んで鉄砲を奪う逸話がある。だから、拳銃を狙えたわけか」
秋片は独り言を呟いて、ジャージ男の胸に狙いを定める。
「知名度で言えば、川熊よりもよほどメジャーなんだが、名乗るのは好きじゃないんだ」
引き金を引くと、ジャージ男を守っていた獣の腕から血が飛び散った。
立て続けに放たれた弾丸が獣の腕を弾き飛ばし、守る盾を失ったジャージ男が苦し紛れに構えた日本刀をかすめてジャージ男の心臓を貫く。
反動で後ろ向きに倒れる男になおも銃口を向け続ける。
「……死んだか」
秋片はジャージ男の死体の横を抜けて受付カウンターへ向かう。
椅子に縛られたままの少女を見下ろし、声を掛けた。
「いい加減に狸寝入りはやめろ」
「……助かり、ました?」
顔を上げた少女に銃口を向ける。
「で、お前は何者だ?」
銃口を向けられた少女は秋片を正面から見つめ返す。
いつまでも口を開かない少女に、秋片は銃口を向けたまま問いただす。
「帆町花蓮は二か月前に死んでいる。なぜ、お前は帆町花蓮を名乗った?」
「……うーん」
小さく唸った少女がちらりとジャージ男の死体を見る。
「どこから、話しましょう、か」
「最初から全部話せ」
目の前の少女が何者かに命を狙われていることは秋片も分かっている。しかし、助けを求めるのであれば正式に依頼するなり、警察に駆け込むなりすればいい。それができないのは碌でもない事情だからと察しが付く。
秋片は、その碌でもない事情に巻き込まれたのが気に食わなかった。
少女は秋片を見つめて、口を開く。
「DHA7H89G」
少女がパスワードめいた言葉を口にした直後、秋片の携帯端末が勝手に起動する。
秋片は少女から視線を逸らさず、携帯端末を警戒した。
「いやっふぃー『百目』ちゃんだよん!」
携帯端末から機械音声が流れる。
こんな時に面倒くさい奴が出てきたと舌打ちしかけた直後、少女と機械音声が同時に同じセリフを口にした。
「目の前の美少女が私、秋片の仕事仲間、情報屋『百目』ちゃんでしたー。驚いた?」
こめかみがヒクつくのを感じて、秋片は少女をにらむ。
「おい、どういうことだ?」
「AFG963F」
「きゃあーこわーい。あっきーったら、こういう時こそ喫茶ニャン亭で培ったにゃんにゃんを披露するべきだよ。ほら、にゃんにゃん」
「DGY3G」
「製薬会社のテロ計画を暴いて警察にツーホーしたら、なんか厄介な組織の尻尾を踏みにじっちゃったらしく、絶賛命を狙われピンチモードなのだ。助けてー」
「……おい」
「KR6TR8」
「なんじゃらほいほほい?」
「パスワードを音声入力して機械音声に喋らせるのをやめろ」
「長いセリフ、練習しないと、喋れない、です」
いつも頼りにしている愉快な情報屋が日常会話に支障をきたすポンコツ少女だったことに頭痛を覚えながら、秋片はひとまず『百目』を椅子に縛り付けている縄を切った。
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