第十二話 誘拐犯
河手はアパートの管理人を訪ねていた。
「二階の部屋ねぇ」
管理人である初老の女性は不審そうに河手を観察している。
ジャージの上下にコートを羽織り、日本刀をぶら下げている河手はあからさまに怪しい人物だったが、下層区には掃いて捨てるほどいる種類の人間だ。
「部屋は埋まっているけど、個人情報だからねぇ」
漏らすわけにはいかないという管理人に、河手は頷いた。
「まぁ、そうでしょうね。実はあの部屋に家出した妹が住んでいるという情報がありまして、それを確かめに来たんですが」
「あらぁ、そうなの? けど、これはやっぱり決まりだから、話すわけにはいかないわよねぇ」
管理人は同情するような顔をしたが、やはり個人情報をぺらぺらと話す気はないらしい。
しかし、河手の言葉を否定しないのならば、アパートの二階に少なくとも河手よりも若い女性が住んでいるのは間違いなさそうだ。
河手は残念がる演技をしつつ、管理人に追加の質問をする。
「妹は元気にやっていますか?」
「妹さんかは分からないけれど、部屋から出る様子はないわねぇ。家賃は欠かさず入れてくれるから大丈夫だと思うわねぇ」
河手は感謝の言葉を告げて頭を下げる。
「ありがとうございます。ひとまず安心できました。私が来たことは内密にお願いします」
管理人の家を後にして、河手はアパートに向かう。
クライアントから提供された件の予知や管理人の証言から、おそらくアパート二階に住む若い女性がターゲットで間違いはない。
部屋から出る様子がないとの情報からも、交友関係は極めて狭いと考えられる。これはアパート二階に事務所を構える男の証言とも一致している。
ターゲット一人を殺すだけで済みそうだ、と河手は胸をなでおろした。
関係者皆殺しという依頼だが、何人も殺すのは面倒だ。
アパートに到着した河手は日本刀の留め金を外しながら周囲に人目がないのを確認し、アパートの階段を上る。
部屋は二つ。片方は探偵事務所、もう片方が目的の家だ。
扉越しに気配を窺うが、中からは何も聞こえない。探偵事務所があるようなアパートだけあって防音がしっかりしているのか。
河手は玄関の鍵穴に針金を通した。なんてことのないピンシリンダータイプの鍵は針金二本で簡単に開く。
鮮やかにピッキングした河手は音が出るのも構わずに玄関扉を開けて中に入り込んだ。
「――っと、これは、これは……」
靴も脱がずに入った部屋の様相に河手は絶句する。
肌寒いくらいに冷房が効いている。除湿剤が念入りに三つ、玄関に置かれていた。
二十畳もある大きなリビングだ。左手側に個室の扉が二つある。元々、一人住まい用の部屋ではないのだろう。
部屋の中央に座面が回転するタイプの丸椅子が置かれている。ガラステーブルの上に料理本が何冊か。ティッシュ箱なども置かれている。そんな生活感と部屋の状況はあまりにもミスマッチで眩暈がしそうだった。
河手はリビングに当たる部屋の惨状から目をそむけ、左手側にある扉二つに歩み寄る。
警戒しつつも躊躇なく扉を押し開く。
「……あぁ、これは、怖いなぁ。まぁ、おかげで斬ることにいささかの躊躇もなくなりましたかね」
部屋の様相を見て、日本刀の柄を握る手が汗ばんだ。
寝室らしい。高級スピーカーと繋がったパソコンが一台置かれている。金属製のラックにはハードディスクがずらりと並んでいた。ご丁寧に日付までも書かれており、整理整頓が行き届いている。もっとも古いデータが十年前、最新のモノは昨日。
河手は寝室を出て隣の部屋に入る。こちらは資料室か何からしく、印刷した地図や文書のコピー、手書きと思われる化学式の書かれた紙などが本棚に詰まっている。
「この部屋だけはまともですねぇ」
ようやく一息ついたものの、河手は頭を掻く。
この部屋にいるはずの住人はいなかった。無人の部屋に起動しているパソコンなどが安置されているのだ。
逃げられた、と判断するのが妥当なはずだが、そうと結論を下せないのは状況が状況だからだ。
資料室らしき部屋を出て、河手は改めてリビングを見回す。開きっぱなしの扉から寝室の様子もうかがえる。
「ぞわぞわしますねぇ」
――無数の目がこちらを見ていた。
壁の下地が見えないほどに張り付けられたA4サイズの盗撮写真。監視カメラ映像のキャプチャ画像も混ざっている。
住宅街で、闇市で、喫茶店で、廃ビルの中で。
散歩中を、買い物中を、食事中を、銃撃戦の最中を。
偏執的なまでに、どれも同じ人物を写している。その生活の一切を切り取って手元に置きたいという汚れきった欲望が充満していた。
「お隣の事務所の男性ですかねぇ」
このアパートに初めて訪れた際に見た探偵らしき男を思い出す。壁に張り出された写真の男と記憶を照合し、間違いないと結論付けた。
河手は日本刀の柄を人差し指でトントンと叩きながら、玄関に向かう。
この部屋にターゲットが住んでいたとして、この場にいないのは逃げたからだとするのなら、この写真の群れは何か。
「ストーカー、なんですかねぇ」
仮説としてはあり得るのだが、奇妙な点もあった。
襲撃を予期して逃げたのだとすれば、人質候補となりそうな者の写真をこれ見よがしに残したまま逃走するだろうか。
ターゲットが襲撃を警戒して逃げたのは間違いないと河手は思う。だからこそ、この写真は罠ではないかと警戒していた。
全く無関係の人間と争わせるために罠を張ったのではないか、と。
「手練れと戦わせて返り討ちにする。如何にもありそうな気がするんですよねぇ」
先日、偶然言葉を交わした探偵の男はさほど強そうには見えなかった。しかし、ここは下層区だ。身体能力が戦闘能力に直結しない。
しかし、仮に罠であっても無視するわけにはいかなかった。依頼内容は関係者の皆殺しなのだから。
河手は秋片探偵事務所の扉をピッキングし、一気に扉を引き開けると日本刀を抜き放ちながら中に駆け込んだ。
ターゲットの部屋と思しき隣と間取りは変わらない。
リビングに入った河手は観葉植物の陰に隠れている少女を発見し、一息に距離を詰めた。
少女が観葉植物の陰から転がり出る。河手は観葉植物を蹴り倒し、少女に対して日本刀を一閃した。
ぎりぎり間合いの外に逃げ切っていた少女は斬撃をやり過ごすとスタンガンを構える。
少女の動きに躊躇はない。不用意に近づけば必ずスタンガンを押し当ててくるだろう。
目に強い意志が宿る少女だった。覚悟を持って対峙してくる相手を何人も見てきた河手から見ても、少女の覚悟は本物だ。
明らかに荒事に慣れていない細く白い手足、体捌きも素人そのもの。それでも命乞いも降伏も頭にない構えは好感が持てた。
しかし、日本刀とスタンガンでは間合いが違う。くわえて、このリビングは応接間としても機能しているのか、広々としていて日本刀を振り回すのに邪魔なものがほとんどない。
少女がじりじりと後退していく。分の悪さには気付いているのだろう。
河手は日本刀の切っ先を少女に向け、壁際に追い詰めていく。
逃げ場がなくなるのを嫌った少女が斜めに移動して河手の周囲を回ろうとするのを日本刀の切っ先の動きで牽制する。
追い詰めながら、目の前の少女がターゲットなのか河手は判断しかねていた。ただの探偵事務所の事務員の可能性もあるのだ。
無駄な殺生はしたくない。スタンガンを構える少女との隔絶した実力差を認識しているからこそ、我を通す余裕もあった。
しかしこれは仕事、と言い聞かせ、いつでも殺せるように思考を切り替える。
突然、少女が身をかがめ、横に跳んだ。
河手もサイドステップで横に移動して脇を抜けられないようにする。
少女がソファのクッションを掴み取り、乱暴に河手に投げつける。
子供だましだ。河手は肘でクッションを払いのけると、勇敢にもスタンガンを押し当てようと突進してくる少女を視界にとらえ、日本刀を一閃した。
スタンガンが少女の手から弾け飛ぶ。
スタンガンが斬撃を受け止めたことで無傷で済んだ少女は――その場で足をもつれさせてすっころんだ。
ガンッと盛大に痛ましい音がリビングに響き、頑丈そうな事務机にぶつかった少女は頭を押さえて丸まった。
「い、痛い……」
「でしょうねぇ」
思わず同情してしまうほどいい音がしていた。
毒気を抜かれた河手は少女の後ろ髪を掴み、乱暴に顔を上げさせる。
「ひとまず来てもらいましょうか。あなたがターゲットかどうか、いまいち確証が持てませんので」
「殺さ、ないんですか?」
「下層区暮らしの人間に恨みを買うのは得策ではありませんし、人質は生かしておかなければ価値がありませんから。それとも、殺される心当たりがおありですか?」
「……ない、です」
あると答える奴もいないだろう。だからこそ、今回は生かして捕えたのだ。
この少女を拉致し、探偵事務所の男に少女の正体を問いただす。それでターゲットとその関係者と判明すれば殺せばよし、そうでないのなら逃がせばいい。
関係者皆殺しという条件がある以上、この探偵事務所の関係者なども洗い出さなくてはならない。情報源になりうるこの少女を殺すわけにもいかなかった。
少女の腕を縛り、書き置きを残して外へ出る。
こんなことなら車でくればよかったと思いながら、大門総合病院へ少女を連れて歩き出す。
河手はちらりと少女を見た。空から降る太陽光に眩しそうに目を細める少女。
一見無害なこの少女がターゲットだとしたら、あの写真だらけの部屋に住んでいたのも……。
「なん、ですか?」
河手の視線に不快そうな顔で少女が問いかける。
考えすぎか、と河手は首を振った。
「先に聞いておきましょうか。あなたの正体について――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます