第十六話 魔が差す

 大型トラックが三台、夕方の上層区を走っていく。

 夕日を受けて橙色に色づいた車体はこじんまりしたとビルの前で停車した。

 大型トラックから杉本組の組員がぞろぞろと降車する。

 ビルの守衛が顔に警戒の色を浮かべながら、無線機を手に取り、その相方が警棒を抜いて杉本組の組員に誰何した――直後、杉本轟冶が守衛を殴り飛ばした。

 途端に杉本組のメンバーはもう一人の守衛を蹴り飛ばし、ビル入り口のカギを奪うと中へと侵入した。


「――いったい何だ!?」


 混乱するビルの中で、杉本組は部屋を一つずつ制圧していく。


「お前らが化外のモノの売買をしてるって裏は取れるんだよ!」


 杉本轟冶の大声がビル内部にこだまする。

 守衛とは違うガタイの良い男たちが拳銃を持ち出してくると、杉本組も容赦なく拳銃を構え、ビル内部で銃撃戦が始まった。

 その一部始終を杉本組が携帯端末で録画し、動画サイトで生放送していることにビル側は気付いていないのだろう。

 秋片はのんびりと闇市へ歩きながら、携帯端末で生放送を眺めていた。


「再生数がうなぎ上りだな」


 これは早めに帰って大きいモニターで観賞した方が面白そうだと、対岸の火事とばかりにのんびり考える。火をつけたのが秋片であることを自分しか知らないのをいいことに。


「それにしても、動画を撮るなら服を着ていけばいいものを」


 動画にちらちら映るボクサーパンツ一丁の杉本轟冶たちに苦笑する。 

 秋片は闇市の外れにある喫茶ニャン亭の前で足を止めた。ガラス窓の向こうにコーヒーとチョコレートケーキを挟んで談笑している猫元と百目の姿が見える。

 秋片に気付いたのか、猫元が右手で招いてきた。

 苦い顔をしつつ、秋片は入り口を潜る。


「いらっしゃいニャー。どちらのご利用かにゃ?」


 早速、猫元が定型句を口にし、ルールの遵守を迫った。


「すぐに帰る。百目、行くぞ」


 待ち合わせ場所としてしか利用する気がなかった秋片は颯爽と踵を返す。

 しかし、猫元と百目が同時に腰を浮かせて声を上げた。


「待つにゃ!」

「生にゃんにゃん、見たい、です!」

「やるわけねぇだろ。事後処理も残ってるんだ。あの川熊が倒した観葉植物も直して、掃除もしないとなんねぇし」

「せめて、『怪会』支部襲撃、生放送が、終わるまで見たい、です」

「百目も見てんのかよ」


 猫元が百目の携帯端末を覗き込み、喫茶店スペースに置かれているテレビを操作する。すると、画面上に杉本組撮影の支部襲撃映像が流れだした。


「警察に自首する前の慈善事業だ!」


 ヒートアップしている杉本組の組員が宣言する。動画上を流れるコメントは煽る物が多いが、中には化外のモノの売買を行っている怪会側を応援する物もあった。


「これ、秋片が仕掛けたのかにゃ?」

「あいつらが自首する前に警察への手土産を準備しているだけだろ。俺は無関係だ」

「どうだかにゃー」


 隙あらば店から逃げようとする秋片の外堀を埋めるために、猫元がコーヒーを淹れている。

 百目も椅子を引いて座面をポンポンと叩き、座るように促していた。

 いつの間にか、店の猫たちが秋片の背後、出入り口との間に群れている。我が身を挺して秋片の退路を塞ごうというのだろう。


「ほら、秋片もこっちくるにゃ」

「絶対に言わないからな」

「いまさら何を恥ずかしがってるにゃ」

「百目、お前も例の合い言葉を口にしたのか?」

「何の、話、ですか?」

「ほら、あれだ。あれだよ」

「なんですか? あれでは、わかりません、よ?」

「……この流れで言わせようとしても言わないからな?」

「ちっです」

「ちっにゃ」

「こいつら……」


 テレビに映る杉本組と怪会の抗争は佳境に入り、騒ぎを聞きつけたか杉本組が事前に自首すると通報したのか、警察がビルを取り囲んで大騒ぎになっている。

 秋片は椅子に座って猫元が淹れてくれたコーヒーを飲みつつ、突入していく警察を眺めた。


「猫元、俺もチョコレートケーキを一つ」

「すぐ出すにゃ」


 猫元が冷蔵庫から作り置きのチョコレートケーキを出してくる。


「この動画を撮影している奴らって杉本組だよにゃ? エンゼルボイスはもう手じまいってことかにゃ?」

「そうだろうな。というか、結局スピーカーは誰だったんだ?」


 聞きそびれていたことを聞くと、百目は携帯端末に上層区のモノらしい監視カメラの映像を表示した。

 女性が刑事二人に両脇を押さえられて車に押し込められている。


「この人、です」

「……橋本か」

「そう、です」


 百目はチョコレートケーキをちびちびと食べつつ話し出す。


「十年前、『怪会』の支部が何者かに、襲撃されました。その何者かの能力を、再現するため、開発されたのが、エンゼルボイスでした」

「へぇ」


 身に覚えがありすぎる秋片は適当な相槌で誤魔化す。


「再現力は、低かったためお蔵入り、しました。それを、テロ捜査に入った、橋本が持ち出しました」

「橋本がスピーカーだとして、なんの化外だったんだ?」

「おそらく、木霊、です」

「木霊か。音関係の化外ではあるが……」

「正確には、反射音の能力、です」

「あぁ、そういうカラクリか」


 反射音を自在に操る能力であれば、特定の人物にのみ音が聞こえるように音を反射させて届けることもできる。

 納得した秋片とは違い猫元はしきりに首をかしげていた。上層区で起きた事件すら知らない猫元は秋片たちが何の話をしているのかもさっぱりわかっていない。

 説明する気もない秋片は猫元を無視する。


「橋本が、病院から拉致された際の、動画がネットにありました。これです」


 百目が携帯端末でSNSの動画を表示する。

 病院にエンゼルボイスの中毒者が押し掛け、院内の患者を拉致する様子が撮影されていた。


「この動画の撮影者が、中毒者に掴みかかられた時の、音声を抽出します。すると」


 百目が動画の一部の音源を取り出し、ノイズを除去する。


「――院内の女性を攫いなさい。病院内の女性を攫いなさい。病院内の女性を攫いなさい」


 ソプラノボイスが繰り返し誘拐を促す声が流れた。

 秋片は眉をひそめる。天使の声の正体と思しきそのソプラノボイスはよく聞くと橋本の声に似ている。


「ボイスチェンジャーで弄ってあるのか」

「そう、です」

「この動画と音声解析のデータを警察には届けたか?」

「まだ、です。秋片から渡せば、お金になるはず、なので、とっておきました」

「幾らだ?」

「二万円で、お譲りです」


 右手でVサインを作る百目に秋片は若干悩みながら財布を取り出そうとする。

 スピーカーはすでに橋本で確定し、その身柄も警察が取り押さえている。だが、今後の裁判を考えれば百目の出してきたこの証拠は十分に価値がある。仙田と交渉すればいくらかの追加報酬を期待できるだろう。

 しかし、百目はVサインをひっこめると口を開いた。


「もう一つ、条件が、あります」

「なんだよ?」

「一緒に、暮らしたい、です」

「……はぁ?」


 筋の通らないことを言い出した百目に呆れながら、秋片はテレビ画面を指さす。


「お前が今後逃げ隠れしないで済むように、『怪会』の支部を襲撃させたんだろうが」

「……やっぱり秋片の仕業にゃ」

「もう俺が護衛してやる必要はないだろ。巣に帰れよ、巣に」


 途中で差し込んだ突っ込みを聞き流された猫元がつまらなそうに尻尾を揺らし、遊び道具を見つけたように目を細める。


「そうにゃ。秋片は一応、恋愛対象は女にゃ。同棲するのはよろしくないにゃ」

「一応ってのはなんだよ。そもそもそんな話はしちゃいねぇ。俺は今回、百目の事情に巻き込まれて事務所を荒らされてんだよ。護衛料ももらってねぇんだぞ」


 一緒に暮らそうものなら、この凄腕情報屋がどんな恨みを買ってきてそれに巻き込まれるか分かったものではない。


「護衛が欲しければきちんと代金を払え」

「美味しい、ご飯、作りますよ?」


 ふと、百目が作ってくれた料理の数々を思い出す。


「……いや、そうじゃない。金だ、金」

「悩んだ、です」

「悩んだ、にゃ」

「というか、思い出したぞ。百目を追ってたあの川熊、俺の事務所の隣の部屋を訪ねてたんだ。お前の家、あの部屋じゃないだろうな?」

「なんのことで、せう」

「やっぱりお前の部屋じゃねぇか!」


 つまり、アパート近くで行き倒れていたのも完全に演技だったことになる。百目が最初から自分をまきこむつもりだったと知って、秋片は絶対に護衛料を請求してやると心に決めた。


「くっそ、見積もり出してやる。びた一文まけねぇからな。きっちり払えよ!」

「そもそも、百目はなんで秋片と一緒に暮らしたいにゃ?」

「ゲームで、まだ勝ってない、です」

「負けず嫌いだにゃー」


 三人が騒いでいる合間に、テレビ画面ではビルに突入した警察により杉本組もビルにいた怪会の構成員も両方捕えられていた。

 杉本組の携帯端末を押収した警察が生放送を終了させるために電源を切る直前、愕然とした様子の杉本轟冶が映り、その一言が配信された。


「魔が差したんだ――」

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