第十話 怪会支部壊滅事件
「これは秩序を守る正義の行いだ。君はその補助をしている。誇るべきことだよ」
子供は正義の味方が大好きだろう、と副音声が聞こえてきそうな薄っぺらい笑顔を向けられて、少女は疑問を引っ込めた。
こいつに聞いても何も答えを得られない。
「分かった」
短く答えて、少女は渡された写真の人物の行動を説明する。
「黄色い電車に乗って移動してる」
「どこ行きかな?」
「次の駅が低円寺」
「そうか、そうか」
満足そうなスーツの男に少女は追加の報告をする。
「携帯端末でメールしてる。宛名は大篠」
「……文面を読め」
途端に険しい眼つきになったスーツの男に命じられ、少女はメールの内容を読み上げる。
「遊園地のスタッフが夢の国に招待してくれるってさ。今週末にでもデートにどうかな――送信した」
「調達先がばれたか」
舌打ちをしたスーツの男が携帯端末を取り出してどこかに電話を掛けながら、足早に部屋を出ていく。
「隔離区域からの輸入がばれた――」
分厚い扉が閉められ、少女は天井を見上げた。東西南北上下、どこを見ても変わり映えのしないコンクリート打ちっぱなしの部屋。
部屋の隅に置かれているベッドに寝転んで、布団に包まる。光が遮断された真っ暗闇の視界とは別にいくつもの景色が頭の中に展開されていく。
黄色い電車から降りた男が商店に入っていく。菓子パンとペットボトル飲料を買って出てきた男は迷いのない足取りで歩いて行き、住宅街を抜けていく。
男が足を止めたのは一件の民家。ポケットから取り出した鍵で中に入った男。
男へ、玄関で待ち伏せしていた大型犬が尻尾を左右に振りながらとびかかる。
予想していたように大型犬を抱きすくめた男はだらしない顔で大型犬の頭を撫でまわす。
しかし、大型犬が突然歯をむき出して男の背後を睨んで唸り声を上げた。
はっとした様子で男が振り返る。
何かを見た直後、男は目を見開き、体に力が入らなくなったようにその場に倒れた。大型犬も手足が痺れたようにその場に伏せるが、敵意をむき出しにして何かに唸り続けている。
ゆっくりと玄関の扉が閉められる。残されたのは倒れ伏した男と大型犬が一頭のみ。男は震える手で菓子パンを取り出そうとする。大型犬が菓子パンに気付いてよろよろと立ち上がり、包装ビニールを噛み破いて食べ尽くした。
よほど腹が減っていたのか、必死の形相で菓子パンをむさぼる大型犬に男は苦笑して目を閉じ、二度と起き上がることはなかった。
少女は布団から出て仰向けに寝転がる。
「今回は餓死?」
前にも同じような死に方をしていた男がいた。他にも、火に巻かれて死んだり、頭だけの犬に噛み殺されたり。一部始終を見ていなければ他殺と断定できないような死に方を見てきた。
全部、少女がスーツの男に見たことを話したすぐ後の事だった。
明らかに殺されている。それも、組織的な動きで殺されている。十歳の少女でもわかることだ。
秩序を守る正義の行いだと、スーツの男は言っていた。
「バカじゃないの?」
客観的事実を口にするように呟く。
隔離区域に送られ、さらにこのコンクリートに囲まれた部屋へと送られた、世間を知らない少女でも彼らが正義の味方ではないことを理解できる。
どちらかといえば、悪の側だろう。
だけど、と少女は思う。
「正義って何?」
正義の味方とは?
そんな者がいないのならば、誰も誰かを助けない。隔離区域やこの場所にいる化外のモノを助ける者もいない。
きっとそんな者はいないのだ。仮に存在しても、人を殺す片棒を担いでいる自分のような者は悪として殺処分だろう。
少女は体を横に向け、猫のように手足を伸ばす。
こんな殺風景な部屋では何もすることがない。思考に時間を費やすか、外の景色をこっそり覗き見るくらいしか娯楽がない。
それにも飽きたら死ぬのだろう。願わくば早く飽きますようにと、少女は再び布団を被り、外の景色を見て――布団を跳ねのけた。
防音設備が整ったこの部屋には何も聞こえては来ない。
だが、少女は異常をはっきりと
この建物の入り口にいた守衛が銃をもって建物内に乗り込んでいく。
奇襲に驚く建物内の人間を縛り上げ、抵抗しようとした者を容赦なく射殺する。
縛り上げられた人間に後から建物に入った二十歳ほどの男が何かを囁きかけ、解放する。それだけで、解放されたことに感謝するように銃や刃物を手に取り建物の制圧に加勢していく。
ネズミ算式に増える制圧組に対して、組織はあまりにも脆弱だった。警備として使われていた化外のモノも人数差を覆せず、為すすべもなく倒れ伏していく。
「殺される……」
少女は呟いて両手で髪を整え始めた。ついでにベッドも整え、服のしわを伸ばす。顔を涙と鼻水で濡らし惨めに醜く命乞いをして制圧されていく大人たちのマネは矜持が許さなかった。
綺麗に身支度を整え、少女は扉が開くのを待ちながら建物の内部を見る。
制圧があらかた済んだのか、外付けハードディスクや土地証書らしき書類が入ったファイルなどが纏められていく。抵抗せずに捕まった者が会議室のような大きな部屋に集められ、銃や刃物を持った数名が互いに殺し合って数が減っていく。
この事態を引き起こしたらしい二十歳ほどの男が警戒しながら部屋を一つ一つ改めている。
扉の前に男が立った。少女のいる部屋の扉だ。
少女は背筋を伸ばし、その時を待つ。
警戒した様子で扉がゆっくりと開かれる。最初にスーツの男が入り、後に控える二十歳の男を手招いた。
「この部屋が最後です」
スーツの男は何時も少女と接する時とはまるで違う媚びた表情で二十歳の男を招き入れる。
「これで、自分が不穏分子ではないことはわかっていただけましたか? 今回の地上げだって、『怪会』の商品であるこれらの拡充を最終目標とした資金調達で――」
「うっせぇよ」
「す、すみません」
苛立った様子の二十歳の男は殺風景な部屋を見回して呆れたような顔をする。
「家具が置かれてないってことは化外か。何人目だよ」
「三つ目です」
「警備の奴いれて六人か。抱え込みすぎだろ。隔離区域から拾ってきてそうだな。その資料も出せ」
「部署が違うのですが……」
「お前がとって来いって言ってんだよ。言い方を変えてやろうか? パシられろ」
「あ、はい」
「資料を警察に届けておけ。取引材料にしてるんだ。それから、この建物を出る時、この建物に火を放て」
素直に資料を取りに行くスーツの男の卑屈な態度に唖然とする少女に向き直った男は面倒くさそうに「ついてこい」とだけ言って歩き出した。
すぐに殺されるわけではないらしい。少女は男の後を追いかけながら尋ねる。
「あなたは正義の味方?」
少女の問いをどう受け取ったのか、男は面食らったような顔で振り返る。
「法治国家で人を殺して正義の味方なわけがあるか。自己都合で乱入した通りすがりだ」
驚いて目をぱちぱちと瞬く少女から、男はバツが悪そうに目を背ける。
「悪かったな。正義の味方じゃなくてよ。会いたいなら探しに行けばいいんじゃねぇの? どっかにはいるだろ。いないなら作れ」
投げやりに言った男の隣に並んで少女は男の顔を見上げる。
視線が合うのを嫌がるように顔を背けられたが、少女の視界は男の顔を真正面から捉えていた。
「とても単純で分かりやすかった。お兄さん、先生になれるよ」
「ならねぇし、なれねぇよ」
あちこちに可燃物が設置された廊下を通り抜けて会議室に到着する。
会議室には二人の化外のモノがいた。少女と同じく能力を利用されていた者たちだ。
この建物で働いていた組織関係者はほとんどが建物内のどこかで死んでいるか、殺し合いの真っ最中なのを少女は視界に捉らえていた。
男は資料などが入った段ボールを抱えると、会議室を見回した。
「よし、お前ら注目。俺は記憶を操作する能力を持つ化外のモノでな。お前らにこれから能力を使う」
ざわざわと煩くなりかけた会議室の中で、男の声はよく響いた。
「なに、大した記憶じゃない。今日ここで起きたことを全部忘れるだけだ」
それは十分に大した記憶だと少女は思う。こんなにも強烈な記憶をどうやって忘れるのか、とも。
じゃあな、と男は軽い調子で言って会議室を出ていく。
化外のモノ二人が顔を見合わせる。
「……あれ、なんでこんなところに?」
「いま部屋を出て行ったのって誰? 職員?」
二人の会話を聞いて、少女は首をかしげた。
この部屋に来るまでの経緯も、いま建物の中で何が起きているのかも、この二人は完全に忘却したらしい。
しかし、少女は記憶が残っていた。
どういうわけか男の能力に対抗できたらしい。だが、それをここで明かす気もなかった。
男が素性を隠したがっているのは理解できたからだ。
「君、冷静だね。何か知ってるのかい?」
化外の一人が怪しんで声をかけてくる。
少女は声を無視して、会議室の窓に駆け寄った。
「ちょっと、君、勝手にここから出たら何をされるか分からないぞ!?」
「早く逃げないと焼け死ぬよ?」
少女が窓から身を乗り出しながら言い返すと、化外の二人は一瞬の間を挟んだ後、慌てた様子で立ち上がり、少女に続いた。おそらく、何らかの能力でこの建物に可燃物が仕掛けられていることやスーツの男が火を放ったことに気付いたのだろう。
少女は窓から外に出ると走って建物の正門から飛び出す。周辺に人がいないのは知っていた。
「君、どこに行く気!?」
敷地を出ても足を止めない少女を化外のモノ二人が引きとめようとする。
少女は振り返って口を開いた。
「下層区!」
隔離区域で聞いた下層区の噂。化外のモノが自由に生きている場所。
コンクリートに囲まれた部屋から何度も眺めたその場所に逃げ込もう。
あの男も下層区に向かっているのが見える。
つまり、この選択が最良なのだと男を根拠にして少女は上層区を走り抜けた。
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