第九話  十年前

 二本並んで植えられた、家人が双子梅と呼ぶ御神木の前に立っていると、後ろから声を掛けられた。


「兄さん、願掛けですか?」

「ちょっとな」


 家の御神木として大事にされてきた双子梅には家を守るための願掛けは必ず叶うという言い伝えがある。

 もっとも、二本の梅の木に化外のモノが宿っているなどの事実はなく、あくまでも言い伝えでしかない。そのうち、猫又や付喪神のように化けることがあるかもしれないが、少なくとも今はただの梅の木でしかない。

 妹が隣に並び、紅白の花を咲かせている双子梅を見上げる。


「……本当に家を出るんですね」

「大げさだな。全寮制高校に行くだけだって」

「父さんから聞いています」

「……ったく、愛娘には隠し事の一つもできねぇのか」


 頼りない親父だ、と首を横に振る。

 化外のモノの存在が正式に認められ激変する今の日本で家を守るその手腕は大したものだが、家族相手にはてんで強く出られないのが玉に傷だ。


「父さんは、私の口から兄さんを引き留めさせたかったんだと思います。兄さんは私に甘いので」

「兄らしく優しくはしているが、甘いわけじゃない。どっかの親父とは違う」

「私は兄さんが家にいてくれた方が嬉しいです」

「この問題にそれは関係ないな。お前も分かってんだろ。俺が家にいると不味い」

「化外のモノであっても、兄さんの能力なら隠し通せるはずです。だから、全寮制の高校なのでしょう?」

「あのなぁ……」


 確かに自らの能力は隠し通すことが可能な部類だ。無意識に発動するタイプではなく、日常生活に影響与えることもない。だからこそ、全寮制の高校に通っても問題は起きないと判断したのは事実だ。

 だが、ここは日本だ。化外のモノが公的に認められ、ファンタジーに片足を突っ込んだなどと言われてはいるが、科学が力を失ったわけでも技術力が衰えたわけでもない。


「遺伝子スクリーニング検査がある。化外のモノに関連する遺伝子も次々と見つかっていくだろう。俺も、検査されれば発見される。そうなったとき、家にどれほどの迷惑がかかるか分からない」

「それは――」

「幸いなことに、俺はぼんくらの放蕩息子で通っている。全寮制の高校入学は実質的な勘当か再教育だと、周囲の目には映るだろう。卒業後に家と疎遠になっても誰も怪しまない下地が完成する」

「兄さん!」


 滅多に聞くことのない妹の怒声は可愛らしいだけで迫力を感じない。明らかに怒っているその顔も、子供のわがままと断じて苦笑で迎え撃った。


「言うまでもないと思うが、お前の兄貴は甘くないぞ。どこぞの親父と違ってわがままは聞かない。論理的に、実利的に、説得できるって言うならしてみろ」

「……せ、生活はどうするんですか?」

「バイトする」

「兄さんは料理ができません」

「別に死にはしない。隔離区域で食うエサと変わらねぇだろ。なら、自由な分マシだ」


 もう説得材料が尽きたのか唇を引き結んで悔しそうな顔をする妹の頭に手を置く。


「家の心配もいらない。お前がいるからな」

「兄さんの方が優秀です」

「そんなことはない。俺はズルをしているんだから。まぁ、喧嘩別れをするわけでもないんだ。どうしても人手が欲しいってときにはお忍びで助けてやるよ」


 ――そんな約束をしたのが五年前。

 掛け持ちしているバイト先での勤務を終えて外に出れば、護衛を伴った妹が静かにたたずんでいた。

 五年間、情勢は悪化の一途をたどり、化外のモノの立場は非常に低い。いくら化外のモノだとばれていない人物とはいえ、将来を考えればどうなるか分からない。こうして良家の娘が会いに来るのは褒められた行為ではない。

 妹はその程度の事を理解できない無能ではない。何らかの事情があるのは間違いない。

 妹は、他人行儀な口調で切り出した。


「秋片進さん、あなたにお願いがあって参りました」


 その瞳に再会の喜びともどかしさを見て取りながら、バイト先で磨き上げた営業スマイルを返す。


「どこの良家の娘さんかは存じませんが、ご内密の話であれば場所を変えましょう?」



 ビル三階の空きテナントに入る。実家の持ちビルの一つだ。

 壁に背中を預けた秋片は妹と護衛を見て口を開く。


「それで、何があった?」

「我が家の土地の一部が地上げ屋に狙われています」


 妹の言葉に、秋片は「またか」と呟く。


「最近は地上げ屋の話をよく聞くな」

「このご時世ですから」

「そのご時世に俺に会いに来るほどの用だとも思えないな。こすい地上げ屋程度、黙らせる力はあるだろ?」


 実家の力を正確に認識しているからこそ、ただの地上げ屋程度は問題にならないと知っている。何か別の問題が複合していなければ、妹が訪ねてくることはなかったはずだ。


「警察が動かないのと関連があるのか?」

「そこまで知ってるんですか」

「バイト先の一つも地上げ屋に狙われて面倒なことになってる」

「道理で」


 妹は頷くと護衛に目くばせする。護衛が鞄から地図が記載された書類を出した。

 護衛から書類を受け取って、目を通す。地上げ屋を行っているらしいヤクザの事務所と親分の住宅の記載に加え、構成メンバーの名前や化外のモノか否かなどが詳細に調べ上げられている。だが、それらの情報よりも目を引くのは星マークで記載されている部分だろう。


「なんだこの『怪会』ってのは」

「地上げ屋を雇っている、いわば黒幕です」


 黒幕ということは、警察が動かない理由の一つなのだろう。

 秋片は知り合いの若手刑事、仙田の顔を思い浮かべる。飲みの席の世間話程度に地上げ屋の話をした際、仙田は苦い顔で言っていた。


「迂闊に手を出すと人死が出るって話を聞いたが、これが原因か」


 書類には『怪会』についての記載もいくらか乗っている。

 妹が説明してくれた。


「その組織はいわゆる人身売買を生業にしています。もっとも、商品は人間ではなく、化外のモノです」

「一応、犯罪だよな」

「有名無実化していますが犯罪です」


 妹が感情を押し殺した声で答えた。

 人間を商品として扱えば問答無用で罪に問われるが、政府レベルで隔離地区を作って管理している化外のモノを商品としても罰則はまず受けない。法の上では化外のモノも人権が与えられているが、その法を扱う人間は人権を制限する方向で動いているからだ。


「単純な身柄の売り買いだけでなく、能力の利用料を取る商売もしているようです」

「有用な能力持ちの化外は多いからな」

「兄さんがそれを言いますか」

「実感がこもっているだろう?」


 おどけて肩をすくめる秋片に、妹は曖昧に笑った後、真面目な顔に戻る。


「地上げは『怪会』の資金稼ぎの一つのようです。支部レベルの動きではあるようですが、彼らが商品として扱っている化外のモノが警備として流用されているようで、警察も手を出せずにいるようです」

「警察は戦力不足か」


 素性の調査が入るため、警察には人間しかいない。もっとも、戸籍上は人間である秋片でも警察にもぐりこもうと思えば潜り込めるため、化外のモノが潜入していないとは限らない。

 だが、警察内部に潜んでいても化外のモノとばれれば解雇の上で隔離区域送りだ。表向き、化外のモノがその力を発揮することはない。


「公安なんかは動かないのか?」

「公安は『怪会』を泳がせて利用者ごと捕える方向で動いているそうです。何年かかるか分かりません」

「キナ臭い上に実現するかも怪しいな」


 化外のモノの中には情報収集に長けた能力持ちも多くいる。代表例は心を読むサトリだろう。公安は『怪会』が運用する化外のモノ相手にいたちごっこを演じる可能性が高い。

 ノーマークの秋片が動いた方が事態の収束は早いと考えられた。


「俺に話を持ってきたのは親父の考えか?」

「いえ、私が提案して父さんが了承しました。兄さんに会いたかったので」

「動機が不純だぞ」

「純粋な家族愛です」


 心外ですよ、と睨んでくる妹に苦笑して、秋片は書類の地図で『怪会』の支部の場所を確認する。


「どれくらい準備期間を設けられる?」

「引き延ばすだけなら何年でも。ですが……」

「資産家が一進一退の攻防を繰り広げていたら、ハイエナがうじゃうじゃ寄ってくる。その損失は無視できないだろ」

「はい。私の見立てでは『怪会』に打撃を与えつつ引き延ばせる時間は一か月から二か月だと思います」

「まぁ、そんなところか。十分だ」


 書類上の『怪会』の資金力や戦力から判断すれば三か月前後は引き延ばせるはずだが、あくまでも一支部を相手取った場合だ。長引かせれば本丸が出てくる可能性があるため、拙速を貴ぶのが正しい選択になる。


「親父に伝言だ。親孝行してやる」

「喜びますよ」

「どうだかな」


 兄を買いかぶりすぎている妹とは違って状況を正しく認識している親父は喜ばないだろう、と秋片は曖昧に笑った。

 何しろ、この件を片付けた後、秋片は上層区にいられなくなるのだから。


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