第七話  差別意識

 事務所兼自宅へ帰り、扉を開ける。


「おかえり、なさい」

「――お、おう」


 いつもの調子で無言のまま玄関扉を開けたことを若干後ろめたく思いつつ、顔をそむける。


「ただいま」

「……照れて、ますか?」

「うっせぇ」


 顔を覗き込もうとしてくる帆町を避けて、秋片はさっさと事務所の奥へと入る。

 くすくすと笑いをかみ殺す声が聞こえてきた。

 調子を狂わされた、と秋片は頭を掻きつつ、荷物を置いてパソコン前に陣取った。


「さて、どうしたもんか」


 エンゼルボイスの流通元は杉本組で確定だ。その製法、材料についても判明し、製造場所も『百目』が大型トラックを追跡することで割れるだろう。

 当初の依頼分の働きはしたが、テロ計画の要である『スピーカー』の捜索が新たに依頼に加わった。

 手掛かりがほぼないため、仙田もあまり期待してはいないだろう。少しでも人手が欲しいだけだ。それも、下層区で自由が効く人手が。

 秋片は殺害予定者リストを上から順に一人ずつ検索し、ネット記事をあさる。標的となっている人々の共通項から『スピーカー』の狙いなどを調べるためだ。

 下は三十代から上は七十代、男女の別はなく、全員が上層区に住んでいる。

 企業の重役や議員などが名を連ねる中、秋片の興味を引いたのは研究員だった。

 ネットに転がっていたインタビュー記事から、研究の内容と研究員個人の価値観が読み取れる。


「なにを、読んでいるん、ですか?」


 画面を覗き込んだ帆町が嫌そうな顔をする。

 帆町の反応に秋片は好意的な笑みを浮かべた。下層区で生きていくのなら最低限必要な倫理観を備えていることが、その反応で分かったからだ。

 同時に、上層区では少々外れた価値観でもある。


「化外のモノの工業利用に関する研究をしている奴のインタビュー記事だ。根底に、化外のモノは厳格な管理が必要な危険ブツだから、能力だけを再現して工業分野からはじき出そうって考えがあるのがわかるよな」


 上層区の人間は化外のモノが治安を脅かすと考えている。ゆえに、下層区に化外のモノを追いやっている。

 化外のモノは総じて危険とする考えは差別的ではあるが、上層区の人間は治安の悪い下層区の状態を指さして「それみたことか」と証拠にあげつらう。その経済的、政治的、行政的な背景を無視した結果だけでは証拠能力がないのだが、上層区の人間が納得できればそれでいいのだろう。

 かくして、現在の上層区と下層区の確執が生まれ、深まっている。

 それでも化外のモノの能力は利用価値が存在する。今でも上層区には隔離区域の中に特別工場や研究所が作られ、化外のモノの一部はその中で監視付きの暮らしを送っている。

 インタビュー記事はこの隔離区域に存在する研究所の研究員の物だ。上層区で日常的に化外のモノと関わる人間ですらこの認識なのだから、上層区に蔓延する化外のモノへの差別意識の重篤さがうかがえる。

 秋片は研究員のインタビュー記事をそのままに別のタブを開き、リストの名前と化外のモノを組み合わせて検索をかけてみる。


「確定ではないが、これが動機だろうな」


 殺害予定者リストに上がっている者たちは全員が化外のモノに対する差別意識を抱え、上層区から完全に締め出そうと考える者か、隔離区域での厳重管理を唱えている。流石に虐殺などを表立って唱える者はいないが、下層区にもその手を広げようと考えている者も多い。

 下層区には化外のモノが多く暮らしている。治安の悪さなどの問題は抱えているが、おおむね自由を享受している。

 褒められたことではないが、下層区にまで手を出そうとしている上層区の人間を、自由を守るために殺害しようという考えが生まれるのは理解できた。


「計画を実行したところで、化外のモノ脅威論が盛り上がるだけだと思うが……まぁ、考えるだけ無駄か」


 『スピーカー』の政治思想そのものに秋片は興味がない。動機から素性を推測し、『スピーカー』にたどり着ければそれで十分だ。

 上層区で起きた先日の事件の概要も踏まえて考えれば、『スピーカー』が化外のモノである可能性は高い。それも、音に関する能力を持つ化外のモノだ。

 ちょっとしたシンパシーを感じないでもない秋片だったが、仕事は仕事と割り切った。

 秋片は現場写真や事件発生前後の監視カメラ映像をまとめてある捜査資料を眺める。


「『天使様に命じられた』ってのも、どう命じられたか知りてぇな」


 中毒者は標的以外の人間に危害を加えていない。無差別に殺せ、とは命じられていないだろう。

 しかし、名前や特徴を挙げた上で殺せと命じる場合と、目の前の人間を殺せと命じる場合で、指示した『スピーカー』が現場の状況を把握できていたかどうかの推測材料になる。

 後で仙田を通して中毒者に尋ねようとメモに書き留めつつ、監視カメラを眺めていると見知った顔を見つけた。


「この前、来た人、ですね」


 秋片と同じ人物に目を止めた帆町が画面を指さす。


「橋本だな。現場に居合わせたとは聞いたが、仙田とは別行動していたのか」

「前回より、私服が可愛い、です」

「子供っぽくないか?」


 橋本の私服に無責任な評論をしつつ、秋片は仙田が写っている映像を探す。


「仙田も私服か」

「オジサン、臭い……渋くて、良いと、思います」

「無理やり褒めなくていいぞ。渋い男を演出しようとしてただのダメ親父になってるだろ」

「思春期前に、娘に嫌われる、タイプ、です」

「ははは、ざまぁねぇや」


 仙田には可愛い盛りの娘がいると知っている秋片は嫌味な高笑いをして、なおも映像を調べていく。


「下層区の住人はいないようだな」

「分かるの、ですか?」


 帆町が不思議そうに秋片を見る。


「ファッションセンスとかでな。一番顕著なのは人ごみの歩き方だ。下層区の奴は周囲に気を配るしパーソナルスペースが広い。スリを警戒するからな」


 上層区を下層区の住人が歩く場合、壁際を歩きたがる。壁側への注意を別の方向に回せるからだ。


「上層区に慣れている、場合も、ありませんか?」

「そういうやつは下層区では有名人だ。金か人脈があるってことだからな。俺も商売柄、その手合いは顔を覚えている」


 とはいえ、絶対とは言えない。変身能力のある化外のモノもいる。

 『スピーカー』につながる情報は得られないとみて、この二日間のニュースに大小問わず目を通す。

 杉本組と『スピーカー』の間での定期連絡が途絶えたのが二日前。何らかの事件に巻き込まれた可能性がある。

 とはいえ、下層区での事件はニュースにならないことが多く、あまりあてにはできないが。

 夕食前に煩わしい仕事を片付けておこう、程度の考えだ。

 ニュース記事を読み漁っていると、帆町が秋片の周りをうろちょろし始める。

 ゲームソフトを秋片の横に並べてみたり、コントローラーを無意味にいじり始めたり、携帯端末でゲームのオープニングムービーを流し始めたり。


「……構ってもらいたい猫か、お前は」

「ゲーム、しましょう?」

「仕事中だ」

「うーん」


 なおもちょろちょろしていた帆町だったが、やがて諦めたのかキッチンの方へ去っていった。

 手の込んだ料理でも作るつもりなのか、食材のチェックを始めている。

 無視していると、秋片の携帯端末に着信が入った。


「はい、秋片」

「あなたの目となり耳となる! 『百目』ちゃんでーす!」


 もう夜だというのにテンションが高い情報屋の機械音声を聞き、秋片は携帯端末を耳から遠ざける。


「例のトラックの行先が分かったか?」

「大学の跡地に入ったよ」

「大学? どこのだ?」

「牛を育ててるとこ」

「あぁ、無駄に広いあそこか」


 闇市で売られる新鮮牛乳や自家製チーズが作られている下層区の農場だ。


「そこで黄色い液体が入った瓶を購入して、さらにトラックで移動した」

「黄色い液体……あぁ、正体は言わなくていい。夕食前なんだ」

「そかそか。そんで、トラックは都立公園の跡地で停まった。積んでいる荷物もそこのプレハブ小屋に運び込んだのを『百目』ちゃんは目撃しちったわけですたい」

「分かった。ありがとう」

「ふははは、もっと頼りにしてもいいんじゃよ? にしても、天使の声を聴くのにあんな材料が必要とはね。まさにもしもし下々しもしもですわ。ばいちゃー」


 下品な冗談を飛ばしたかと思うと電光石火の勢いで通話が切られ、秋片は複雑な思いで携帯端末を見る。


「夕食前だって言っただろうが……何の恨みがありやがる」


 ため息をついて、『百目』からの情報を仙田にメールで伝え、秋片はパソコンの電源を落とす。

 『スピーカー』に関する情報は足で稼ぐしかなさそうだ、という判断だった。最悪の場合、杉本組に直接問いただせばいい。

 秋片が仕事を切り上げたことに気付いたのか、帆町がキッチンから顔を出す。


「ゲーム、しますか?」

「あぁ……そうだな。すぐに食べたい気分じゃなくなった」

「じっくり、煮込んで、います。時間、あります」


 まるで予測していたかのような料理の選択だ。


「今日こそは、負けません」

「なんだよ。裏ワザでも調べたのか」

「……秘密です」

「嘘が下手だな」


 苦笑しつつ、秋片はコントローラーを手に取った。


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