第五話  杉本組事務所

「……起きて、ください。目覚まし、鳴っています、よ」


 揺り起こされて重い瞼を持ち上げれば、顔を覗き込んでいた帆町と目があった。

 半覚醒の秋片は携帯端末の目覚まし機能のけたたましい音を認識し、音を止める。

 自室のベッドだ。開いた扉から漂ってくる匂いに意識を引っ張られる。


「朝ごはん、出来ています」

「おう、ありがとう」

「ん。用意、しますね」


 部屋を出ていく帆町を見て、秋片は額を押さえて自身の迂闊さを呪った。


「くそっ飲みすぎた。揺り起こされるまで近くに人がいても気付かないとは」


 帆町は行き場のない猫を拾ったようなものとはいえ、油断しすぎた。部屋の鍵を掛け忘れたのも迂闊だ。

 気を引き締めようと洗面所で顔を洗って眠気を払い、朝食が用意された食卓に着く。

 ご飯に味噌汁、ナスの漬物と紅鮭、模範的な朝食のラインナップだが、一人暮らしの秋片は数年ぶりに見る光景だ。


「この味噌汁、美味いな」

「有りふれた、昆布出汁、です」

「……出汁から取ったのか?」


 顆粒出汁が棚に眠っていたはずだが、買ったのがいつだったかも思い出せない。

 帆町はキッチンを見た。


「顆粒出汁の、蓋が半開きで、中身はご臨終して、ました。乾燥昆布は、無事だった、ので」

「出汁を取った、と。昆布出汁だけでも腕が出るんだな。美味いぞ」

「どうもありがとう、ございます」


 秋片は味噌汁を啜りつつ、ふと思う。

 帆町は仕事をするよりどこぞに嫁入りさせた方が手っ取り早いのではないか、と。

 もっとも、一昔前の世話焼き婆のようなノウハウが秋片にはない。すぐに考えを振り払った。


「今日はすぐ仕事に出ていく。何かあったら携帯端末に連絡をくれ」

「はい。掃除、しています。来客があったら、知らせます」

「おう、ありがとう。助かる」


 事務所に人がいると仕事のとりっぱぐれがなくて助かるな、と秋片は一瞬、このまま帆町を雇う選択を選びそうになったものの、すぐに給料面の問題にぶち当たって見送った。

 朝食を済ませた秋片は帆町に見送られて事務所を出ると、時間を確認してから歩き出す。

 朝の八時、すでに日は出ている。

 向かう先はエンゼルボイスをばらまいている杉本組の縄張りだ。

 他のヤクザを刺激しないように、杉本組の縄張りは市街地の外れにある。

 放置されて雑草が生い茂る公園と稼働停止した缶詰工場の跡地が杉本組の縄張りだ。

 雑草に埋もれて錆びついた遊具が並ぶ、それなりに広い公園はエンゼルボイスの服用者らしき中毒者が転がっていて景観を損ねていた。

 秋片は公園を見回して薬の売人を探したが、それらしき人影は見つけられず、仕方なしに中毒者に歩み寄った。


「気分はどうだい?」


 ベンチに座って虚空と会話している中毒者に明るく声をかける。

 うるさそうな顔をした中毒者が秋片を見た。


「失せろ」

「天使に聞いてごらん。使いを送ると言っているだろう?」

「……あぁ、本当だ。すみません」


 にへら、とだらしない笑みを浮かべた中毒者に、秋片は苦笑する。


「薬を売ってくれるのは杉本組の人かな?」

「あぁ、そうです。だからここ以外じゃ買えない」


 杉本組が流通元であると裏が取れたため、秋片は礼を言って中毒者から離れた。

 本当に知りたいのは製造場所だが、杉本組も本拠地である缶詰工場で主力製品を作りはしないだろう。他の組織に嗅ぎつけられないような場所でこっそりと製造するはずだ。

 そもそも、杉本組が根城にしている缶詰工場の内部は賭けボクシング場として使用されており、薬の製造が可能な環境でもない。

 この公園に張り込んで売人に問いただすか、尾行すれば製造場所が割れる。

 しかし、ここは杉本組の本拠地だ。張り込みがばれる可能性が高く、尾行の成功率も高くはない。

 秋片はしばし考えた後、公園から離れて携帯端末を取り出した。

 表示させた周辺の地図を見て、製造場所の当たりをつける。


「虱潰しに行くか」


 周囲を観察しながら歩きだし、無人の家屋を覗き込む。閉じられた門扉を少し開閉して錆の具合や音の立て方を調べ、直近の使用状況を推測する。

 公園や工場跡地を中心に同心円状に散らばるそれらの候補を地道に一つずつ潰していくと、時刻が正午を回った頃、それらしき場所を見つけ出した。


「立派なお庭だなぁ」


 皮肉を呟いて、四階建てのビルの屋上から見えるそれを観察する。

 見つけたのは偶然だった。候補となったビルが空振りに終わり、高い場所から見回せば何かヒントがあるかもと屋上に出て双眼鏡を片手に周囲を見ただけだ。

 工場跡地から遠く離れた無人の空き地。かつてあった工場を取り壊して土地だけが残ったその場所は広々としていながら周囲をコンクリート塀で囲まれ、中を覗くのが難しい。

 そんな空き地に大型トラックが三台並んでいる。荷台部分のサイドパネルが開く、ウイングサイドパネルのトラックだ。

 現在、荷台のサイドパネルが大きく開いており、荷物が良く見える。

 荷物は大量の白い植物。花は咲いておらず、植木鉢に植えられて並ぶその植物は人の握り拳のような独特の形状の葉を茂らせている。


「多肉植物っぽいな。今は光合成の最中か」


 大型トラックに詰め込んで人気のない場所へ移動、サイドパネルを開いて日光浴させる。ある程度育ったら出荷するのだろう。

 もっとも、まだエンゼルボイスの材料と確定したわけではない。

 見張りに立っている男たちを双眼鏡で覗く。杉本組の主要構成員ではない。賭けボクシング用に拉致ってきた人間を見張りとして使い回しているとみるのが妥当だろう。

 秋片はビルの屋上に陣取って、杉本組の構成員がやってくる現場を押さえることに決めて腰を下ろした。

 太陽が出ている間は変化もないだろうと、杉本組の本拠地である工場跡地に双眼鏡を向けてみる。


「……ん?」


 違和感を覚えて、秋片は工場跡地を注意深く観察する。

 出入り口が閉まっているのは問題ない。窓もすべて閉じられている。

 周囲に見張りはいない。だが、中から人の気配もない。


「無人か? 不用心だな」


 中で見張りが寝ている可能性もあるため断定できないが、秋片は携帯端末で日没までの時間を逆算し、ビルの屋上を後にした。

 内部が無人ならば、エンゼルボイスの製造に関する資料や顧客の名簿が手に入るかもしれない。そうでなくとも、エンゼルボイスで急成長中の杉本組の内部資料は情報屋『百目』が買い取ってくれるだろう。

 公園に到着した秋片はいまだにトリップしている中毒者に声をかける。


「杉本組の工場が無人みたいだ。窓を割って入れば薬が手に入るぞ」

「……そんなことしたら、二度と薬が買えなくなる」

「誰も見てないんだ。誰がやったか分からないだろ」

「監視カメラがあるかも」


 中毒のくせに頭が回るな、と秋片は内心舌打ちし、周囲に声が漏れないように囁きかける。


「薬中は顔が変わるんだ。お前も例外じゃない、監視カメラの映像から特定するのは不可能だよ」

「たしかに」


 中毒者は納得した様子で立ち上がり、工場へ目を向ける。

 秋片がその背中を軽く押して促してやると、まっすぐに工場へ歩き出した。徐々に気分が乗ってきたのか中毒者は走りだし、工場の壁にたどり着くや採光用の窓にジャンプして取り付こうとする。

 届くはずがないと気付いた中毒者が転がっていたドラム缶を足場に採光用の窓をたたき割り、中へと入っていくのを眺めていた秋片は改めて周囲を見回した。


「やっぱり無人か。重要な資料はないってことなのか?」


 腑に落ちないが、中を確かめられるチャンスを見逃すほどの違和感でもない。

 秋片はのんびりと工場まで近づき、監視カメラを探す。

 問題がなさそうだと判断して、採光用の窓から内部に潜入した。

 中毒者が中を物色している。あまり散らかさないでほしい所だが、彼はいうなれば囮だ。仕事を全うしているともいえるため、秋片は注意をせずに工場を見回した。

 この工場跡地は出入り口を入ってすぐに賭けボクシング場があり、その奥に選手控室、さらに奥に杉本組の事務所がある。秋片が入り込んだ場所は選手控室だ。

 目当てのものがあるとすれば事務所の方だと、秋片はロッカーを無視して事務所に向かう。

 事務所の扉には鍵が掛けられていた。


「防犯意識がしっかりしていてなによりだな」


 だが無駄だ、と秋片は扉を蹴破った。

 これほど乱暴な侵入であれば、本来なら事務所に控えている組員が対応するのだろう。

 しかし、今は無人。騒ぎに気付く者もおらず、秋片はまんまと事務所に足を踏み入れた。

 奥のデスクにあるパソコンを起動する。


「パスワードは……これっぽいな」


 デスクの最上段の引き出しの中に張り付けられていた紙に書かれた七ケタのアルファベットを打ち込む。


「パソコンごと持って帰るのも手間だから助かったぜ」


 何故か入っているエロ動画は無視して、メーラーを開く。

 パソコン内部の情報を丸ごと警察署に送り付けるように設定し、膨大なデータ量も無視して実行する。

 これで用事は済んだ、と秋片はパソコンを放置し、デスクの引き出しを開けて面白そうな資料がないかを探す。

 ボクシング場の選手名簿などが出てきた。邪魔なだけなので引き出しに戻す。


「エンゼルボイス愛用者の名簿とか、顧客リスト的な物があればいいんだがなぁ」


 なおも漁り続けていると、クリアファイルに収められたA4のコピー用紙を見つけた。

 コピーの内容にざっと目を通し、秋片は携帯端末で写真を撮る。


「……予想外にやばいのが出てきたな」


 そろそろ出ていこうかと思っていると、工場の入り口が開く音が聞こえた。

長居は無用、と秋片は事務所の窓から何食わぬ顔で外に出る。

 入り口を開けたのは内部に侵入した中毒者だったらしく、駆け去る後姿が見える。

 秋片は監視カメラを避けて工場跡地を離れ、ビルへ向かった。

 ビル屋上から空き地の大型トラックがまだ停まっているのを確認し、秋片は仙田に電話する。

 すぐに仙田の渋い声が聞こえてきた。


「お前か、ウチの署に馬鹿でかいファイルを送りつけてんのは」

「杉本組のパソコンだ。誰がやったんだろーな。戸締りはしっかりしないといけねぇな」

「白々しい。ヤクザの事務所に入ったからって不法侵入に問う気はないぞ」


 痛快だ、と笑う仙田に、秋片は対照的なまでに冷たい声で続けた。


「それより、やばい話がある」

「なんだ?」


 秋片は杉本組で見つけたコピー用紙のタイトルを読み上げた。


「エンゼルボイスによる殺害予定者リスト」

「……先日の重役殺害の続きがあるってのか?」

「誰の企画かは分からないがな。あとで写真を送る。できるだけ早く対応してくれ。杉本組の本拠地が空なのも気になってるんだ」

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