第四話 刺客:河手
下層区と上層区を仕切るように聳え立つホテルの一室で河手は汚れたジャージを脱ぎ捨てた。
愛用の日本刀はテーブルの上に置き、窓辺に立つ。下層区を見下ろせるこのホテルは上層区民の一部に愛用されている。また、下層区民の中でも裕福な層も自らの足元を見るようにこのホテルを時折利用するため、かなりの利用客を誇るホテルだ。
河手は携帯端末を操作してクライアントに電話を掛ける。
「――どうも、毎度ご利用ありがとうございます。河手です」
クライアントが目の前にいないにもかかわらず、河手はペコペコ頭を下げる。
しばらく無言を通したクライアントは人気のない所に移動したのか、声を発した。
「成功報告か?」
短い質問。河手は下層区のとある路地を遠目に見ながら、まずは謝罪から入った。
「すみません。無関係の女性刑事を斬っちゃいまして」
「処理は?」
「無益な殺生は趣味じゃあないもんでして、息はあったので放置しておきました。多分、警察に回収されているかと」
「そうか」
叱責が飛んでくるだろうと予想した河手は目を瞑って受け入れ準備を整えるが、クライアントはそれ以上何も言わない。
様子を窺うように恐る恐る片目を開ける河手だが、当然ながら目の前にクライアントがいるわけでもなく、結局は尋ねるしかなかった。
「怒らないんで?」
「下層区では何が起きるか分からない。文句をつけられるはずがない」
「不問ですか。それはそれは、いえ、ありがたいんですけども」
「命の危険を伴う場所に送り込んでいる自覚があるのだ。多少の粗相には目を瞑る」
確かに下層区は治安が悪いが、腕に覚えのある河手は命の危険を認識することはなかった。
アパートで言葉を交わした三十歳そこらの男はそれなりに鍛えているようだったが、河手の敵ではない。あの程度の男が生きていける場所なのだから死と隣り合わせの環境というわけでもないだろう。
もっとも、クライアントに話すつもりもなかった。危険手当込みで依頼料を貰っているからだ。それに、クライアントは河手の生死に興味はない。失敗して死んだとしても、次の駒を送り込むだけだろう。
河手にとってはありがたいことにクライアントが話題を変える。
「それで、ターゲットはどうなった?」
「一応、教えていただいたアパートを訪ねたんですが、留守か居留守か……本当にあのアパートの二階に住んでいるんですか? 相手はハッカーなんでしょう?」
「アクセス記録等で特定したわけではない。そのアパートにいるのは確かだ」
クライアントは断言するが、河手はさらに不信感を募らせた。
ホテルの前を大型トラックが三台横切って、大学跡地の方角に向かっていく。そのテールランプを見つめながら考えを整理した河手はクライアントを刺激しないように言葉を選んだ。
「情報源が知りたいんですよ。そもそも、この依頼の内容自体が、住所と性別と大まかな年齢だけを頼りにターゲットを絞って殺せっていうんでしょう? それも、関係者ごと。写真なり、名前なり、特定材料をもう少し頂きたいんですよ」
下層区のとあるアパートに一人で住む若い女性というかなり大雑把な注文だ。いくら下層区の治安が悪くとも、若い女性はいくらでも住んでいる。今日、無関係の女性刑事を殺しかけたのも大雑把な依頼内容が理由の一つだ。
クライアントはしばらく言葉を発しなかったが、やがて静かな声で告げる。
「
告げられた名称に、河手は頷いた。
「人の頭に牛の体を持つという妖怪ですか」
人偏に牛という字面からも推し量られる姿の妖怪だ。
「能力は確か、必中の予言でしたか。予言した直後に絶命するとも言われますが」
「我々『怪会』はそれを飼っている。ターゲットの情報も件の必中の予言だ」
河手は言葉を失った。
どうにも曖昧な依頼内容だと思ったが、クライアントですらターゲットの容姿を含む詳細な情報を知らなかったわけだ。
だが、件の予言が情報源となれば、今日訪ねたアパートに住んでいることは間違いない。
「……その件にもう一度予言させることはできますかね?」
「あれは使い捨てだ」
「やはり、死んでしまいますか」
「代わりはいるが、相応のコストがかかる。乱用はできん」
「コスト?」
「クローン培養している」
「あはは……」
乾いた笑いがこぼれる。
必中の予言の代わりに絶命するのなら、クローンを作ればいい。その考えは極めて非人道的で、まさに使い捨て前提の計画だった。
しかし、利用客は多いだろうとも思う。気分のいい話ではないが。
「これ以上、この案件にコストはかけられないという話ですかね?」
「その通りだ。もとより、報復以上の目的がない。件を一つ消費するのもコストに見合っているか怪しいものだ」
消費と表現するクライアントに、河手は一つ質問する。
「単なる興味ですので秘密であれば教えていただかなくて結構なのですが、件は人ですか?」
「あぁ、人から生まれてはいるが、所詮は化外のモノだ。そもそも、人間であればクローン体を作るのに倫理的な問題があるだろう」
「まぁそうですね」
あなたの通話相手も化外のモノですよ、と指摘したところで意味はないのだろう。クライアントにとって、河手も所詮は道具に過ぎない。そうと割り切っていなければ、河手のような化外のモノは食うに困るのだ。
「他に何か質問はあるか?」
クライアントの問いに、ターゲットの情報、と言いたいところだったがおそらくは何も聞き出せないだろう。
河手は窓際から離れて椅子に腰を下ろした。
「ターゲットは化外ですよね?」
「なぜそう思う?」
「下層区に住んでいるのも理由の一つですが、コストのかかる件を使ってまで特定を急ぐほどあなた方『怪会』にとって危険度の高い相手なのでしょう?」
クローン培養しているとはいえ、『怪会』が使う件が人から生まれているのなら河手のような化外のモノの血筋だ。人間の姿を持ち、多くは人間と同様に成長し、歳を取る。いわば超能力者が近い。
つまり、予言を行うには言語を介する知能レベルまで件が成長しなくてはならない。クライアントの言うコストとは金銭的な面に加えて成長にかかる時間も含まれている。
そんなコストに見合っているか怪しいという発言は、緊急の懸案であるとも解釈できる。コストに見合っているか怪しくとも利用せざるを得なかったということだ。
「件を運用できる組織力や資金力がある『怪会』に対してそれほどの脅威度を誇ると見なせる相手は、化外のモノでしょうよ」
河手が推測を述べると、クライアントはふっと、小さく笑った。
「在野の人材としておくには惜しいな」
「過分な評価ですねぇ」
「いいだろう。極秘というわけでもないが、内密に頼む」
そう前置きして、クライアントは話し出した。
「十年前、我々『怪会』の一支部が壊滅した」
「……十年前?」
「そうだ。今回のターゲットはその支部で飼われていた道具の可能性がある」
「ターゲットは若い女性とのことでしたが?」
「十年前だと、ちょうど十歳だろうな。今は二十歳になるだろう」
河手の脳裏にふと、今日斬ってしまった女性刑事の顔がよぎる。あの女性刑事も二十歳くらいではなかったか、と。
いや、それ以前に化外のモノとはいえ十歳の少女を道具として飼っていたという発言が気になった。それほど有用な能力の持ち主なのか。
「何の化外です?」
「それは極秘だ。戦闘力はない」
「肝心なところな気もしますが、戦闘力がないというならいいでしょう」
「……そうだな」
「なんですか、今の間は。不気味ですね」
明らかに何かを言いよどんだ気配に突っ込むと、クライアントは声を落としてつづけた。
「十年前の支部壊滅には謎が多い。分かっているのは我々『怪会』を狙い撃ちにした犯行であること、支部の会員は壊滅し同士討ちを誘発された形跡があること、生き残りは支部に火を放つよう暗示を掛けられた形跡があること」
「その支部に警備は置いていなかったんですか?」
「化外のモノが数名置かれていた。しかし、全滅した。その支部は地上げ屋と組んで当時価格が上昇傾向だった上層区の土地買占めでの資金稼ぎを行っていたが、その途上で何かの逆鱗に触れたのだろう」
日本の各地が下層区と上層区で分かれだしてしばらくは各地で土地価格が大きく変動した。下層区の地価は大きく値下がりし、二束三文で売りに出すくらいなら寺や教会に寄進してしまえという風潮さえあった。もっとも、当時の寺や教会は檀家や信者のコミュニティを利用して上層区の良い土地を紹介する不動産屋の真似事をしていたため、その利用料としての土地寄進もあっただろう。
ちょっとした土地バブルの様相を呈していた十年前であれば、『怪会』の資金稼ぎとしても手ごろだったことは想像に難くない。
そんな中、上層区に住まう資産家が自衛のために化外のモノを使うのもまた、在りうる事態だ。
「支部に火を放った生き残りはただ一人。そいつはこう言った。なぜ支部に火を放ったのか自分でもわからない。魔が差したとしか言いようがない、とな」
「魔が差した、ですか……」
得体が知れないとしか言いようがない。
河手は自動販売機で買っておいたペットボトル入りのお茶を飲んで口の渇きを癒す。
「今回のターゲットはその事件のどさくさに紛れて逃げたってことですよねぇ? 支部襲撃犯と一緒なんてことはないですか?」
「ないとは言い切れないが、可能性は低いだろう。もしも襲撃犯が連れ去ったのなら、いままで我々の他の支部が襲撃されていないのは奇妙だ」
「それならいいんですがね。その話を聞くと当初の予定通りにターゲットを殺していいのかちょっと疑問に思うんですよ。言ってしまえば、襲撃事件の参考人なわけでしょう?」
「これは報復だ。必ず殺せ。関係者を含めてすべてだ」
「そうですか。安心しました。依頼内容がぶれないのはいいクライアントだと思います。支部から逃げ出したというその少女の特徴などはわかりませんかね?」
「髪や目は黒といった情報しかないな。黒子の位置でも分かればよかったのだが、頭部を持って来れば歯で鑑定できる」
「了解です。では、頭部を持っていきますね」
「写真で構わん」
その手があったか、と河手は額を手でぺしりと打った。
「他に何か質問はあるか?」
「いえ、もうありません」
これ以上の情報は出てこないと判断して、河手は明日にでもアパートの家主を調べようと考えながら言い返す。
すると、クライアントから注文が入った。
「相手が相手だ。連絡は最小限にとどめたい。次の連絡は仕事の完了報告にしてくれ」
「えぇ、わかりました」
通話を終え、携帯端末を充電器にセットする。
「はてさて、何人殺す羽目になるのやら」
河手は窓の外、下層区のまばらな明かりを眺めて呟いた。
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