第三話 大人げないから大人
猫元の店で買ったティラミスを食後のデザートに出すと、帆町は一口食べるなり目を輝かせた。
「美味しい。本物の味、です」
「舌に合ってよかったよ。上層区育ちのお嬢様を満足させるなら、猫元の腕も捨てたもんじゃないな」
パティシエの資格など持っていないはずの猫元だが、いったいどうやって身につけた技術なのか、多少気にかかるところではある。おおかた、元飼い主の影響だろう。
ティラミスはほろ苦さが強調されており、秋片にも食べやすい味だった。
「ところで、さっきから気になっていたんだが、あれはどこから引っ張り出してきた?」
部屋の隅の資料棚の端に何故か置かれていたゲーム機を指さす。かれこれ二十年近く前に現役だった家庭用ゲーム機だ。
いまどき、家庭用ゲーム機はインターネット対戦が主流となった影響でデスクトップパソコンにその座を奪われている。ハード競争なんて言われていた時代は遥か彼方だ。
自身よりも歳を経ているだろう家庭用ゲーム機を引っ張り出してきた犯人、帆町はティラミスをスプーンで掬いつつ答える。
「部屋に、ありました。遊びたい、です」
「遊びたいって、ネット対戦のサービスなんかとっくに終了している骨董品だぞ?」
「秋片さんが、います。コントローラー、二つあります」
「ほぉ、俺とまともなゲーム対戦ができると思ってんのか」
物置に放り込んでずいぶんと経つがそれなりにやり込んだゲームだ。ネットを介したサービスが終了している以上は新たなソフトを購入するわけでもなく、秋片がやり込んだ手持ちのソフトで遊ぶことになる。
「言っておくが、俺は大人げないほうだ」
「自慢に、なってないです」
秋片の格好悪いセリフに突っ込みを入れつつ、帆町がゲーム機をパソコン用モニターに繋ぐ。懐かしい起動音と画面に表示されるロゴマーク。どうやら、ゲーム機はまだ生きていたらしい。
協力プレイの表示を無視して対戦モードを選んだ帆町の隣に座り、コントローラーを握る。それだけで、感覚が何となく戻ってくる。
ゲームはいくつかの銃が転がっているフィールド上での撃ち合い。まだ銃が化外のモノ相手にも有効だと判断されていた世情がうかがえる。
「いま思えば、下層区と上層区での住み分けが始まったのはこの頃からだったな」
「ゲームの発売前後、ですか?」
「いや、このゲームの国内での大会があったんだ。それに優勝したのが化外でな」
一ドット単位で画面を認識できる能力を持った化外のモノだった。彼が扱う狙撃銃を前に逃げ切れるはずもなく、フィールド上の参加者が次々と狩られていった。
「その後は化外のモノの特別枠が作られて、人間との住み分けが始まった。まぁ、些細なことが社会制度に影響を与えた事例だな」
ゲームを開始すると同時に、二人のキャラクターが動き出す。
秋片は記憶を頼りにハンドガンを拾いに向かい、首尾よく手に入れて画面右上のレーダーを確認する。
彼我の距離を掴んだ秋片のキャラクターは予備の弾薬を拾うこともなく一直線に帆町のキャラクターが潜む森の中へと滑り込んだ。
彼我の距離が縮まるとレーダーで正確な位置を確認できないため、画面上を目視で探すことになる。
しかし、秋片はハンドガンで岩のやや上方に狙いをつけ、さっさと引き金を引いた。
直後、岩の後ろに潜んでいた帆町のキャラクターがヘッドショット判定を受けて即死する。
目を白黒させている帆町に、秋片は肩をすくめた。
「敵が来ると分かったらプレイヤーは大概その岩の陰に隠れるが、キャラクターの当たり判定が岩の頭から少し飛び出ているから遮蔽物としてはできそこないなんだ」
「う、うかつ、でした」
「やり込んだって言ったろ。基礎情報の量が違うんだよ」
まさに大人げない所を見せつけつつ、二戦、三戦と続けていくと帆町も対応し始めた。
秋片に近づくのは危険と判断して狙撃銃を選択し、木の陰に隠れてのヒット&アウェイ狙い。しかし、先回りした秋片が奇襲をかけて討ち取るといった流れができ始め、観念した帆町が別のソフトを選び始めた。
レースゲームではそれなりに勝負になったものの、ショートカットなどのダーティープレイを始めると秋片が一分以上の差をつけて圧勝する。
「お、おとなげ、ない、ですよ」
帆町の抗議を秋片は嫌味に高笑いして受け流す。
「ゲームルールが許す範囲で勝てばいい。マネしたければしてもいいぞ」
「……コツとか、要りませんか?」
「チューニングにもよるが、FR車なら時速三百キロ前後で突っ込めば、壁を縫っていけるぞ」
「やってみます」
帆町は勘が鋭いのか、言われた通りに時速三百キロを維持してショートカットを会得した。
今度こそ勝ってみせますと意気込む帆町に先行させて、時速三百キロを維持しているところに後ろからぶつけることで強制的に加速させ、秋片自身は減速する。
案の定壁に突っ込んで止まる帆町の横をすり抜けて秋片は高笑いをしながら差を広げた。
「こらこら、運転するなら後方にも注意するのは鉄則だぞ?」
隣から怒気がほとばしるが、それすらも勝利の美酒といわんばかりに秋片は笑う。
ひとしきりおちょくって笑い疲れた秋片は、誰にも邪魔をされない一人プレイを始めた帆町のプレイ画面を眺めつつ、食品棚から紫蘇焼酎を取り出した。
カランカランと氷が音を立てるグラスを持って、帆町に声をかける。
「何か飲むか? 麦茶くらいしかないが」
「棚の、リキュールを」
大人げないダーティプレイで散々に負かされ、酒でも飲まなければやっていられないらしい。
秋片は棚の奥に隠してあるリキュールのラベルを思い出す。
「ダメだ。あれは秘蔵の――っていうか、未成年だろうが」
「飲酒年齢、引き下げられ、ました。知りません、でしたか?」
化外のモノの登場で鬼などを大人しくさせるために飲酒年齢が引き下げられている。何年か前の法改正だが、下層区ではそもそも誰も法律を守らない。
だが、秋片は秘蔵のリキュールを帆町に飲ませるつもりがなかった。
「法改正は知っているが、慣習ってのがある。麦茶でいいな」
「はい、です」
渡された麦茶を飲んでゲームを再開した帆町の横に座る。
「帆町はなぜ下層区に来たんだ? 上層区に知り合いもいるだろう?」
「……両親が、やらかしました」
「製薬会社の重役だったらしいな」
「調べたの、ですか?」
「電話一本で判明することは調べたとは言わない。家出人の可能性がある以上、素性を知るのも当然だろう?」
「まぁ、そう、ですね」
帆町の表情は動かない。視線はまっすぐに画面を見つめており、画面上の車の動きからも動揺は見受けられなかった。
「お前の両親が半年前に首を吊ったと聞いた。その後、お前はどこで何をしていた?」
半年は短いようで長い。その期間は住む場所があったはずだ。上層区の人間がわざわざ下層区に落ちてくるには少々短い期間でもある。
帆町は秋片に教わったショートカットをこなしながら口を開いた。
「相続した株が、紙切れになりました」
「両親が勤めていた製薬会社の株か?」
「そう、です。テロ計画を企てていたとかで、もう潰れました」
化外のモノを利用したテロ計画については警察の捜査が入っている。仙田の情報とも合致しているため、秋片は深く聞くつもりはなかった。
「家は?」
「ローンを、払えないので、売却しました。半年前の財産は百二十万円、でした」
「ほとんど残ってないな」
「買い叩かれたので……。首吊り自殺の起きた、事故物件で、テロ容疑も掛かっていた夫婦の財産です。上層区では買い手がつくだけ、ありがたいくらいでした」
ゲーム画面にゴールの文字が表示され、リザルトが表れる。帆町はコントローラーを置いて、ため息を吐いた。
「まずは、上層区でバイトを、探しました」
「見つからなかったのか?」
「報道の影響で、断られました。ネカフェ難民になって、資金が乏しくなって、下層区に流れて来ました。ここなら、犯罪者の家族でも雇ってもらえるって、聞いたので」
「行き倒れるわけだな。むしろ、よく死ななかったもんだ」
上層区のお嬢様の転落劇。犯罪に巻き込まれる前に秋片に拾われたのは不幸中の幸いだろう。
紫蘇焼酎の香りを楽しみつつ、口を開く。
「下層区であれば、犯罪者の身内だろうが犯罪者本人だろうが大して気にも留めない。正当防衛での殺人が普通に行われる場所だからな。あ、そうだ」
秋片は立ち上がって机の引き出しを開ける。
「自衛用にこれを持っておけ」
引き出しから出したスタンガンを帆町に渡す。こんなモノでもないよりはマシだ。
「だが、基本的には逃げの一手だぞ。逃げ切れないときに使う保険だからな」
「わかりました」
帆町は頷いてスタンガンを受け取る。その迷いのない手つきを意外に思い秋片は目を細めたが、使う覚悟が最初からできているのならそれに越したことはない。護身用とはいえ武器だから、と怯えるような人間は下層区で生きていけないのだから。
「バッテリー、あるの、ですか?」
「どうだろうな。長らく使ってなかったし。充電器があったと思うが……」
机の引き出しを開けた時には視界に入らなかったから、別の場所に保管しているのだろう。秋片は心当たりを探すべく立ち上がる。
スタンガンのにぎりを確かめ、腕を突き出したりして間合いを覚えながら帆町がふと何かに気付いたように秋片を見る。
「秋片さんの、武器は?」
「ただの銃だ」
「……銃を、過信するなって、言ってました、よね?」
「過信はしていない。不信感を抱いていないだけでな」
「屁理屈、です」
「それも武器だ」
「大人は汚い、です」
レースゲームの画面をちらりと見て、帆町が耳に痛いことを言う。
しかし、秋片は鼻で笑って、探し出した充電器を差し出した。
「朱に交われば赤くなるもんだ」
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