第二話  一日目の情報

 喫茶ニャン亭の猫カフェ部分は三人用テーブル席二つ、カウンターには四席あり、猫たちのスペースを確保するため広々としている。


「はい、自家製コピ・ルアクにゃ」


 そう言って差し出されたコーヒーに思わずのけぞった秋片を指さして、猫元が笑う。


「冗談、冗談ニャ。小粋な猫又ジョークにゃ」

「笑えねぇよ」


 猫元の入れたコーヒーを片手に、秋片は店内を見回した。

 客は秋片以外にいないものの、猫たちは思い思いの場所でくつろいでいる。猫又は猫元以外にいないようだ。


「猫元、ちょっと相談があるんだが」

「なにかにゃ?」

「十八歳ほどの小娘を拾ったんだ」

「にゃ? ……ニャ!?」


 小首をかしげた直後に話を理解した猫元が驚きの声を上げる。


「秋片、男が好きなんじゃなかったのかにゃ?」

「いろいろと誤解があるようだが、まず、俺は女が好きだ」

「にゃっはっはっは、わかってるにゃ。冗談にゃ。けど、女の子を拾うっていうのは驚きにゃ。秋片なら問答無用で警察に届けると思ってたにゃ」

「その警察に突き返されたようなもんだ」


 仙田の野郎、とぼやくと、猫元はなんとなくの事情を察したのか尻尾をピンと立てた。


「仙田のドクズに何を言われたか知らないけど、あいつは仕事に正義感以外の私情を持ち込まない奴にゃ。あれに断られたなら警察に連れて行っても碌なことにはならないだろうにゃ。化外だったりするのかにゃ?」

「さぁな。そこまでは分からん。それで、肝心の相談なんだが、人手を募集しているところを知らないか?」


 猫元は銀行を経営していることもあって闇市に顔が効く。


「職安じゃないんだけどにゃぁー」


 丸椅子に胡坐をかいてくるくると回りだした猫元は、すぐにあきらめたように首を横に振った。


「募集しているところはないにゃ。無駄な人手を雇える余裕がある店も多分ないにゃ。特殊技能でもあれば別かもしれないけどにゃ」

「そうか。技能に関しては本人にちょっと聞いてみる」


 やや酸味のあるコーヒーを啜った秋片に、猫元は尻尾をゆらゆらと揺らし、期待するようなまなざしを向けた。


「どうかにゃ?」

「まぁまぁ美味いんじゃねぇか。俺はもっと香ばしくて苦みがある方が好みだが」

「参考にしておくにゃ」


 秋片の反応に満足した猫元が話を戻す。


「人手は雇えなくても商品なら雇える店があるにゃ」

「拾った手前、その手の如何わしい店に放り込んだりできねぇよ」

「秋片ならそういうと思ったにゃ。秋片の探偵事務所で雇えばいいにゃ」

「上層区育ちの世間知らずをどうしろってんだよ。闇落ちするのがオチだ。例の麻薬、上層区にまで手を広げているらしいしな」

「あぁ、エンゼルボイスかにゃ? あれは上層区の方が売れそうな気配はあったにゃ。言われてみれば、秋片の部下になったらあの手の商品に触れる機会も多くなるし、世間知らずには危ない職場かもしれないにゃー」

「さっき見てきたが、闇市でも扱っている店があったな。まだ小規模販売みたいだが、杉本組が直接取引もしてるのか?」

「むしろそっちがメインにゃ。闇市周辺よりも、杉本組の縄張りでの取引の方が多いはずにゃ」


 やはりそうか、と秋片は杉本組の縄張りを思い出す。

 『百目』から買い取った情報では、エンゼルボイスの製造と流通は杉本組というヤクザ組織が一手に担っているらしい。

 杉本組はもともと下層区で賭けボクシング場を営む小規模な組織だった。選手の中に時々拉致してきた下層区の住人が紛れ込む程度の悪事しかしておらず、下層区の中では力が弱い組織だ。

 そんな杉本組は半年近く前からエンゼルボイスを徐々に売り出し、拡大路線を取っている。

 上層区にまで広がった麻薬の流通網は他のヤクザ組織から見てまさに金のなる木だ。杉本組はまだ構成員五名に満たない小規模な組織だけあって、大手に吸収される可能性が高い。

 秋片としては、相手が大きくなる前に仕事を完了したいところだった。

 明日にでも杉本組の縄張りに出向いて製造場所を探ることを決める。

 コーヒーを啜っていると、猫元がテーブルに白い厚紙でできた小箱を差し出してきた。


「なんだ?」

「拾った女の子を懐柔する秘密兵器にゃ」


 猫元が小箱を開けて中を見せてくれる。中に入っていたのは保冷剤とティラミスだ。ガラス容器のふたには『喫茶ニャン亭』の文字と黒猫の絵が描かれている。


「代替食材を使っていないガチのティラミスにゃ。上層区育ちでもこれにはケチをつけられないはずにゃ。二千円でいいにゃ」

「ちゃっかりしてんな」

「壁のクリーニング代が欲しいのにゃ。買ってー買ってにゃー」

「分かったよ」


 財布から代金を出すと、猫元が千円札に頬擦りしてゴロゴロと喉を鳴らす。


「にゃーこれで明日には壁を綺麗にできるにゃー」

「代わりに、紹介できそうな仕事があったら連絡してくれ」

「まかせるにゃ」


 秋片はコーヒーを飲み干すとティラミスが入った箱を持ち上げる。


「また来るにゃ」


 手を振る猫元に片手を挙げて返し、喫茶ニャン亭を後にした秋片は増えた荷物を揺らさないように注意しながら闇市を避けて帰路につく。

 今日集めた情報をまとめてメールで送ると、すぐに仙田から電話が入った。


「秋片、相変わらず仕事が早いな」

「製造場所については明日にでも探りを入れる。上層区の流通を担っている学生集団はそっちで片付けてくれ。事務所に戻り次第、学生証のコピーを送る。裏取りは忘れるなよ?」

「誰に言ってんだ。警察は調べるのが仕事だ」


 その仕事を一部とはいえ横流しした口で言うのか、とは秋片も突っ込まない。横流しされる仕事で食べている身だからだ。

 代わりに持ち出す話題は橋本の事だ。


「容体はどうだ?」

「まだ意識が戻らない。現場も下層区だから鑑識が入れず、捜査は進んでない」

「そうか。引き続き、調査する」

「そうしてくれ。じゃあな」


 通話を切り、秋片はアパートの階段を上って事務所の扉を開けた。

 ふわりと中からバジルの香りが漂ってきて、秋片は顔をしかめた。

 キッチンの方を見ると、帆町と目があった。


「おかえ、りなさい」

「ただいま。何をしてるんだ?」

「昼食、作って、います」


 居候なので、と動機を語るところから察するに、二人分を作っているのだろう。

 秋片は生活雑貨が入った買い物袋をソファに置くと、冷蔵庫にティラミスを入れる。


「ちょうどよくデザートを買ってきた。食後に食べよう。それで、何を作ってるんだ?」


 帆町が作っていた緑色のペーストを覗き込む。バジルの香りがほんのり爽やかだ。

 乏しい料理知識から、それがジェノヴェーゼソースだと当たりをつける。


「パスタは戸棚の上にあるぞ」

「すぐ、茹でます」


 塩茹でし始める帆町を余所に、秋片は買ってきた生活雑貨を放置したままパソコンの電源を入れた。

 メーラーを開くと画像が添付された『百目』からの情報が入っていた。中身はエンゼルボイスを上層区で流通させている大学生の学生証だ。


「勉強でもバイトでもなく犯罪に精を出すとは、不健康だな。まさに不良学生って感じだ」


 呆れつつも、仙田にメールを送りつけて後の対応を任せる。

 今日の仕事はこれで終わり、と秋片が一息ついたタイミングを見計らったように、声を掛けられた。


「……できました」


 帆町がテーブルに皿を置く。

 緑色のソースをからめたジェノヴェーゼパスタだ。

 秋片もパソコンの前からどいて食卓に着く。


「松の実はなかったはずだよな」


 ソースに混ざる粉々にされたナッツを見つけて問いかける。ジェノヴェーゼはバジルと松の実をペースト状にしたソースだが、ろくに料理をしない秋片のキッチンに松の実はない。バジルはつい最近、依頼人が庭に繁茂しすぎたといっておすそ分けしてくれたものを持て余していたのを使ったのだろう。


「クルミが、ありました、ので」

「あぁ、あれか」


 晩酌用のつまみだったのだが、と秋片は少し残念に思ったが、ジェノヴェーゼパスタを一口食べた瞬間、残念な気持ちは彼方へと吹き飛んだ。


「美味い……」


 思わず口を突いて出た感想に秋片自身も驚くほどに自然に感想がこぼれた。それほどまでに衝撃的な美味しさだった。

 乾煎りしたクルミの香ばしさをバジルの爽やかさが引き取って消えていく。若干固めにゆでられたパスタはクルミの香ばしさを引き立たせる歯触りを実現し、微細な粒として残るクルミの触感に違和感を抱かせない。

 いいものを食べていればそれが基準となり、料理の腕すらも上がるというのか。上層区との文化レベルの違いを垣間見た気分だった。


「ふっ……」


 帆町がイラッとくる得意げな顔をする。しかし、このジェノヴェーゼパスタを食べた後では許せてしまう。いや、むしろ認めてしまう。


「これだけの料理の腕があるなら、飲食店で厨房に入れそうだな」

「洋食、得意、です」


 仕事先の候補ができたのは喜ばしいが、困ったことに下層区に飲食店はさほど多くない。個人店舗ばかりで厨房に立つのは店主と相場が決まっていることもあり、ヘルプとして呼ばれることはあっても安定収入に繋げるのは難しい。

 秋片はちらりと帆町を見る。

 下層区ではなかなか見ないタイプの上品な顔立ちをした美少女だが、問題はコミュニケーション能力だ。ぶつぶつ途切れたような話し方は接客業に向かないと容易に想像できる。

 両親が務めていた製薬会社がテロを計画した容疑で倒産し、両親も自殺しているのだ。対人能力に問題を抱えるのは仕方のないことかもしれない。

 しかし、飲食店で働くとなれば、厨房担当だけで済むとは思えない。確実に客の相手も業務内容に入る。


「いや、選り好みしても仕方がないな。知り合いを当たってみよう」


 猫元の伝手が一番の頼りだが、業種を絞れるのなら他にも口利きしてもらえる当てがある。

 これが味わえるなら常連になりそうだ、と秋片はおもいつつ、パスタを平らげた。


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