第二十一話 アンティークショップ寺島
もうすぐ夜が始まろうとしている。
長く伸びた影は先回りをするように散冴の向かう先へとついてくる。沈もうとしている夕陽を気にするかのように振り返った。
グレンチェック柄パンツのポケットを右手で探る。取り出した懐中時計は、まだ五時前を指していた。
マフラーの影も揺れている。
「少し急がないと店を閉められてしまうかもしれませんね」
ひとりごちると、黒い山高帽へ右手を添えて被り直した。
首都高速の高架下はすでに薄暗い。
そこに流れているはずの川は
その公園を抜け、面影を残している堤防を越えると散冴は再び裏通りへ出てきた。
歩を進めるごとに闇が濃くなっていく。
行きかう人も少なく、不釣り合いに広い道を先へと急ぐ。まだ作業をしている町工場の明かりが舗道に漏れていた。
金属を加工する音が遠くなっていくと戸建ての家々が建ち並びはじめた。そこで彼は立ち止まった。
二階は住居なのだろうか。下町らしい雑然とした街並みにあっても違和感は無い。
間口は狭く、外には看板も出ていなかった。
扉にはめ込まれたアンティークガラスを通った光が揺らいでいる。
散冴は迷うことなく、その扉を開けた。
中へ入るとすぐ右手には胸の高さほどもある木彫りのガネーシャ像が出迎えている。天井まで届こうかというトーテムポールや青磁の壺、細かな彫刻が施された
無造作に並べられた品々の間を通って奥へと進む。
昔の長屋のように奥行きのある建物だった。
入り口から五メートルほど入ったところに小さなカウンターがある。
「こんばんは、
声を掛けられ、うつむいていた老人が顔を上げた。
伸ばした白髪を後ろで束ね、紺色の
「ごぶさたしています。金央建設の件ではお世話になりました。相変わらずお元気そうですね」
老人は返事の代わりに、ニッと笑う。
右の糸切り歯が金色に光った。
「今度は池袋にある山木産婦人科クリニックを調べて頂けますか」
前置きはなく、茶のベルベットジャケットの内ポケットから封筒を取り出してカウンターに置いた。
「職員の構成や患者からの評判、経営状況や金の流れ。分かることはできるだけ知りたいんです」
黒革の手袋をしたままの左手をカウンターに乗せ、散冴はさらに続ける。
「どこと、何で繋がっているのかも」
老人は黙ったまま封筒を受け取ると、カウンターの端を跳ね上げた。
中へ入るように目顔で促す。
散冴が狭いスペースへ入ると、カウンターの下にあるモニターが目に入った。
足元には大きなサーバーもある。
画面は十六分割されていた。
「防犯カメラですか。さすが、セキュリティには気を使ってらっしゃる」
老人がキーボードを操作すると一つの画像が拡大された。
通りの向こう側から、中の様子を伺う二人の男がいる。
「やはり。背中に感じていたのは彼らでしたか」
散冴が入ってきたのとは逆方向を、老人は親指で指し示した。
「いえ。ここで巻いてしまうと寺さんに迷惑が掛かります。彼らなら見かけたことがあるので大丈夫でしょう」
少し間をおいてそう答えると、入口の方へ歩き出した。と思うと、すぐに立ち止まって振り返る。
「寺さん、あのガレ……本物ですか?」
老人は金歯を見せながらニッと笑った。
あっという間に夜の
表へ出た散冴はマフラーを巻き直し、駅へ向かう道を歩いていく。後ろを気にする様子はない。
人通りが多くなるにつれ、コンビニや飲食店の明かりが目立つようになった。
駅前のロータリーまで来ると、男はコーヒーチェーン店に入っていく。
飲み物を手にしてオープンテラスへ腰を下ろした。
この季節、この時間、ここに座る客はほかにはいない。
しばらくすると二人の男がテーブルに近づいた。
カーキ色をしたコートの襟を寒そうに合わせながら年配の男が隣へ座る。
「俺たちを待っていた、ということでいいのかな」
「ええ」
短く答えると、散冴はカップを口に運んだ。
「店の中でいいじゃねぇか。何もこんな所じゃなくっても」
「私は構いませんが、そちらは周りに人がいない方がいいのでは?」
そう言うと後ろに立っている若い男に目をやった。
「赤池、そんな所に突っ立ってたら目立つだろうが」
椅子の背を引いて座らせる。
グレーのスーツに濃紺の薄手なダウンジャケットを羽織った赤池は、山高帽をかぶった散冴へ警戒を隠さない。
「いつから気づいてたんだ」
「警視庁 組織犯罪対策第五課、銃器薬物対策第一係の御園さん、ですよね」
二人の男の目つきが変わった。
腰を浮かしかけた赤池を、御園が左手を伸ばして抑える。
自分は身を乗り出して散冴をねめ上げた。
「どうしてそれを」
「以前、私の友人があなたたちに助けていただいたので、どこの方だろうと思いまして」
互いの視線が交わる。
「まったく。喰えねぇ奴だな、お前さんは」
御園は背もたれに体を預け大きく息を吐いた。
椅子を手前に引き直す。
「
「その呼び名をご存じとは」
「こっちも情報で食ってる仕事なんでな」
「
「お前さんもよく知ってるな。両方だよ」
「御園さんっ!」
赤池が慌てて止めに入る。
「こんな所でまずいですよ。しかも何者かも分からない部外者に」
「誰も聴いちゃいねぇよ」
テラス前を通り過ぎていく人たちをあごで指す。
「それにこの男から言い出したことじゃねぇか。ま、そもそも部外者とは限らねぇがな」
上目づかいに散冴をちらと見て口角を上げる。
その視線を受け流し、表情を変えずコーヒーカップに口をつける。
「どういうことですか? こいつは企業相手の裏稼業屋だと言ってたじゃないですか」
「たしかにな」
ポケットの名刺入れから一枚を取り出す。
「通称、山高。大企業を顧客にしてヤバいことでも何でもやる
テーブルの上に置いた名刺には
「これだって偽名だろ。格好つけやがって……」
「どの名前にも何かしら意味があるんですよ」
「どんな意味があるってぇんだよ」
「そもそも、何でもやるわけではありません。殺しはやらないので」
答えをはぐらかした散冴が続けた言葉に、三人のテーブルが一瞬で張り詰めた空気に包まれた。
「だとさ」
御園は赤池へ笑いかけた。
「この男は危ない橋を渡って来ているはずなのに、容疑者にすらなったことがない。当然、素性も分からない。おかしいと思わねぇか?」
「まぁ、確かに」
「ひょっとしたら、こっち側の者じゃねぇかと思ってるんだ」
「それって、
目を見開いた赤池に、御園は黙ってうなずく。
「まさか公安……」
「そう考えりゃ
「買い被り過ぎですよ」
二人の会話にやんわりと釘をさす。
「龍麒団のことも、ちょっとしたトラブルに巻き込まれただけですから」
「ま、そういうことにしておくか」
テーブルの縁に両手を掛け、椅子を後ろへ押した。
「そういやぁお前さんと同じように、企業を相手にしていた凄腕のハッカーが三年くらい前に引退した話を聞いたっけなぁ。何でもその爺さん、趣味の骨董で店を始めたとか」
御園の視線を微笑みで返す。
「うらやましい生き方ですね」
鼻白んだ顔を見せ、御園は立ち上がった。
「山高、俺たちの邪魔だけはしてくれるなよ。いいな」
去ろうとした背中に散冴が声を掛ける。
「あの名刺、お客様にしかお渡ししていないんですけれど一体どこで?」
振り返らず右手を軽く挙げ、赤池を連れて店を出て行った。
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