第八章二節 忠告

 翌朝。


「ふわぁ……何とか眠れたな」


 まだ眠りがまとわりつく体に喝を入れ、シュランメルトが起床した。

 廊下の気配を探ってから内側から鍵を開け、部屋を後にする。


「さて、何はともあれ朝食にするか……」

「おはようございます、シュランメルト」

「フィーレか、おはよう」


 食堂に向かう途中で、フィーレと合流したシュランメルト。


「昨日の夜、客人が来たのを知っているか?」

「そうなんですの? わたくしは既に眠っておりましたゆえ、さっぱり存じませんわ」


 驚愕しながら答えるフィーレ。

 まさか自分が眠っている間に来客があったとは、思いもしなかったのである。


「やはりか。だが『朝食をいただく』と言っていたからな、恐らく会えるだろうさ」

「分かりましたわ。どのようなお方か、お顔だけでも拝見させていただきたいですわね」


 二人が話していると、いつの間にか食堂の前に来ていた。

 既にリラが、準備を始めている。


「おはようございます。シュランメルト、そしてフィーレ姫」

「おはようございます。お邪魔させていただいている旅の者にございます」


 男がうやうやしく一礼する。

 その顔を見たフィーレが、固まった。


「えっ……」

「どうされましたか? 私の顔に、何か付いておりましたか?」

「い、いえ……」


 男の声で、どうにか驚愕を飲み込んだフィーレ。

 そこに、黒猫がやって来た。


「またおれに撫でてほしいのか。よしよし」

「ニャーン♪」


 パトリツィアが変身したままの姿である黒猫は、喉をゴロゴロ鳴らし始める。

 それを見た男が、ほほ笑んだ。


「ふむ、コチラでは猫を飼っていらしたのですか」

「ミャッ!? ……ニャーン♪」


 一瞬、男の声に反応した黒猫。

 しかし特に警戒心を出さず、シュランメルトに撫でられるがままになっていた。


「さて、後で手を洗うか」


 シュランメルトは朝食の用意が整うまで、黒猫を撫で続けていたのであった。


     *


「「ごちそうさまでした!」」


 それから30分後。

 全員が朝食を食べ終え、片付けに入る。


「グスタフ、フィーレ姫。今日は貴方達に、手伝いをお願いします」

「はーい、ししょー!」

「かしこまりましたわ」

「貴方は休んでいて下さい。私の工房では、客人に手伝いは願いません」

「では、そのように」


 リラの指示で、グスタフとフィーレが食器を洗い始める。

 残されたシュランメルトは、歯を磨こうとしていた。


「もしもし」


 しかし、客人の男から呼び止められる。


「何だ?」


 男は微笑みながら、シュランメルトに告げた。


「実は貴方さまに、忠告したい事があるのです」

「忠告だと?」

「はい。昨夜お邪魔したのですが、生憎と寝ていらしているようでしたからね」


 男はまっすぐシュランメルトの目を見つめ、告げた。




「“神殿騎士団”の一人が、貴方さまのお命を狙っているようです。ご注意を」




「神殿騎士団が、おれの命を狙っている……だと?」

「はい。噂によると、その者はつい最近入団したばかりの新人だとか。まさか貴方さまが恨みを買うなど想像も出来ませんが、出来る限りの警戒はしていただきたく」

「色は?」

「“色”……とは?」

「“神殿騎士団”が駆る魔導騎士ベルムバンツェの色は知っているか?」

「そうですね……。敢えて表現するのであれば、“黄色”、あるいは“山吹色”と言ったところでしょうか」

「そうか。紫ではないのだな」

「はい。その点は、『間違いない』と断言させていただきます」

「となると、ノートレイアではないという事か……」


 シュランメルトは天を仰ぎ、目を閉じて思慮した。

 しばし間をおいてから、男に尋ねる。


「ところで、お前は何者だ……?」

「それはお答え出来ません」

「何故だ?」

。ふふふ」

「どういう意味だ、それは?」

「『それはいずれ分かる』。今はそれだけ、お答えいたしましょう」


 男はシュランメルトの質問をはぐらかすと、ゆっくりと立ち上がった。


「さて、今のうちに荷をまとめておきますかね。お世話になりました」


 それだけ言い残すと、自室へと去っていったのである。


「何だったのだ、あの言葉は?」


 一人残されたシュランメルトは、男の言葉を、何度も脳裏に反芻はんすうさせるのであった。


---


 それから、30分ほどして。

 男は支度を整え、リラ工房を後にしようとしていた。


「この度は、大変お世話になりました。ご恩は一生忘れません」

「いえいえ。私達は、出来る限りの事をしただけです」


 男の挨拶に、リラが返す。


「貴方の旅に、幸多からん事を」

「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」


 その言葉を最後に、男が工房を後にする。

 リラやシュランメルト達はしばし手を振って見送っていたが、やがて見えなくなると同時に、屋敷へと戻り始めた。


慇懃いんぎんな男だったな」

「そうですね。部屋の使い方も綺麗なものでした」

「だな。しかし、あの声……」


 シュランメルトは、心の中の違和感に注意を傾ける。

 と、そんなシュランメルトを妨害する者がいた。フィーレだ。


「シュランメルト。よろしいですか?」

「何だ?」

「あの客人の殿方について、少々お話がありますの。後でわたくしの部屋にいらしてくださるかしら?」

「承知した」


 そんな会話を挟みながら、一同は屋敷の中に戻ったのであった。


---


「さて、話というのは何だ? フィーレ」


 その後、シュランメルトはフィーレの部屋にいた。


「わたくし……あの殿方の正体について、心当たりがありますの」

「それを教えてくれるのか?」

「ええ。耳を貸してくださいませ」


 フィーレがシュランメルトに、客人の男の情報を打ち明ける。


「何、だと……? その名前、おぼろげだが……聞いた事があるぞ」

「そうなんですの?」

「ああ。ところで、一つ聞きたい事がある」

「よろしいですわ」


 フィーレの了承を得たシュランメルトは、フィーレの目を見て話した。


「フィーレ。お前はあの男と共に、肖像画にえがかれた事はあるか?」




「ええ。ありますわよ」




 フィーレの簡潔な返答は、しかしシュランメルトにある決断を下させるのに十分であった。


「やるべき事は決まった。フィーレ、その男の情報がありそうな場所に、心当たりはあるか?」

「王城内の書庫ですわ」

「リラに伝えてくれ。『記憶にまつわる手がかりを探してくる』と」

「えっ、シュランメルト――」


 それだけ伝えたシュランメルトは、大急ぎで屋敷を後にしたのであった。


     *


 その日の夕方。

 客人の男が、ある酒場に来ていた。


「いらっしゃい!」

「いつも世話になる」


 男はちらりとマスターを見ると、やや早口で言葉を告げる。


「では、いつものだ。“スローベリーのジンをショットで三杯貰おうか”」


 それを聞いたマスターは、「特別なメニューをご案内します」と言いながら、カウンターの奥にある扉を開く。

 その先には、地下へと続く階段があった。


「毎度あり、です。“将軍”」

「ああ。いつもお疲れ様」


 マスターは男を見送ると、すぐに何事も無かったかのように営業を続けたのであった。


---


 客人の男が階段を降りると、そこにはがらんどうの空間があった。

 否、暗闇によってがらんどうに見えるだけで、実際には様々なものが雑然と配置された空間があったのだ。


「諸君。ただいま帰ったぞ」


 男は短く、しかしはっきりとした声で、空間に声を響かせる。

 一瞬のち、空間にあかりがともり始める。


 そしてそこには、二人の女性の姿があった。


「お帰りなさいませ、“将軍”(あなた)」


 一人は山吹色のフード、もう一人は銀髪碧眼という見た目に分かる特徴を有していた。

 男は二人を見ると、嬉しそうに呟いた。




「今日は久しぶりに、息子に会ってきたのさ」




 その声は、一帯にこだましたのであった。

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