【2】非凡と化した世界の中で

 苦しくて、意識が朦朧としている。

 彼女は僕の頬に涙を落として叫んでいる。


「ねえお願い、お願い! 死なないで!」


 あれ。誰だ、この人。


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「うわあ!!」


 眼が覚めると、顔中に滝のような汗が垂れ流れ出している。酷い疲れが常に押し寄せてきて、呼吸困難に陥ってしまいそうになり、必死に呼吸する。

 少し落ち着いてから、ゆっくりと周りを見渡してゆく。自分の好きなゲームや本、床に乱雑に落ちている制服のズボンや教科書の山たち、ここはれっきとした、僕の部屋だった。


「……隕石は、隕石はどうなったんだ⁉︎」


 僕はベットから飛び出してカーテンを開ける。

 そこに写っていたのは--全く代わり映えのしない、至って平凡な、僕のよく知る町の姿だった。


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 それから、先に朝食を始めていた両親に、隕石について聞くみると、そもそも隕石の存在すら知らないようで、「何を言っているんだ?」という感じで返答された。

 学校に行き、クラスの奴にも聞いてみたが、やはり全員、同じような反応をしてくるだけであった。

 かくして僕は、あの隕石が、そもそも限りなく本当に近い夢であったのだと思い始めていた。

 そして、STを済ませて部活へと向かう。

 僕が所属する部活は文芸部だ。

 文芸部とは言っても、正直ほとんど文芸などしていない。空き教室に部員が集まって、ただただ漠然と会話を楽しむだけ。後輩もいないので、このまま誰も入ってこなかったら、僕らの代で廃部になるだろう。そんな、なんだかんだでありながら存在する文芸部室へと、僕はいつもどおり到着したはず何だが--


「--部活の名前、変わってんじゃん」


 いつも扉の横にある出っ張りにかけてある表札の素材自体は変わらずだが、名前だけが文系部ではなくなっている。

 まあもしも、『雑談部』とかになっているのなら、それは別に事実ではあるわけだから、特にスルーするまでなのだが。今回はそういうわけにもいかなかった。


「『異陽専問影炎対策部(いようせんもんかげろうたいさくぶ)ってなんだよ」


 全く意味がわからなかった。何で中二病臭い名前になっているのか。

 こんなしょうもないボケを考えるようなやつは居ないはずだが、まあ部員の誰かがやったんだろう。


「とりあえず、中に入って聞いてみるとするか」


 僕はいつものように扉を開けた。


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「こんにちは、人と会話できないコミュ障だから、独り言でしか声を発することができない惨めな男子高校生、天草(あまくさ)家の勇莉(ゆうり)君」

「おい、始めから僕のことを馬鹿にしすぎだろ。それに、天草家と言ったらお前も天草家だろ」

「ふーん、つまりは人と会話できないコミュ障というのは認めるってことね?」

「誰も認めてない!」


 と、部室に入った途端からエンジン全開で絡んでくる、黒く長い髪を後ろで一つに結んでいる生意気なこいつは、僕の妹--正確には双子の妹の、天草詩織(あまくさしおり)だ。

 扉の前で立って話していたので、僕はいつもの配置である、彼女が座る椅子の、机二つを挟んで反対側にある椅子に腰をかけた。


「ていうか、僕の独り言、聞こえてたのか?」

「ええ聞こえてたわ。ただ、いかんせん勇莉の言うことだから、内容なんて聞けば破廉恥なことで確定なはずだし、一切聞かないようにしていたわ」

「何で僕が独りで破廉恥なことを言わなくちゃいけないんだよ……」

「でも、毎夜毎夜大好きな巨乳のアレで破廉恥なことを--」

「何でそんなこと知ってるんだよ!」

「そりゃあ、廊下中に響き渡るほど大きな声を出しているものだから……」

「僕はそんな大声でやっていない! サイレントでしかもイヤホン付きだ!」


 全く、こいつは好き勝手言いたい放題である。

 でも、今度からはフェイクでクラシック音楽でも流しておこう。


「--って、それより何なんだよあの表札、部活名、おかしいだろ」

「何がおかしいの? 私たちはれっきとして名前の通りに活動しているじゃない」

「あのなあ、いくら僕と話すのが楽しいからって、あんな中二病くさい名前にするなんていうしょうもないボケはやめろ」

「中二病とは心外ね。中二病なのは、黒いマントに黒い手袋、それに眼帯をつけて、“漆黒の炎の前に消し炭となれ!”とか言ってた勇莉の方じゃない」

「僕はそんなことしていない」

「ああじゃああれかしら? 自分のことを我とか呼んで、気取ったつもりだけど、周りから見れば、クッソ気持ち悪い感じなっちゃった方かしら」

「そんなこともしていない……」

「わかったわ。中学の頃に書かされたプロフィールに、“高二病です”と書いて、クラスの陽キャラさん達に“何それキモい”って言われて、独り虚しく枕を濡らした方かしら?」

「なんでそれだけ本当のことなんだよ!」


 思い出したくもない過去である。

 しかも、陽キャラさんってお前とその友達のことじゃねえか。


「それに」

「それに?」

「私は勇莉のことが大嫌いだわ」

「飛躍させすぎだーー!」


 実の兄妹だと言うのに、ここまで言う必要があるのだろうか。


「って、もうこの辺でいいか? 僕は早々に疲れてしまったよ」

「ごめんなさいね、ついやりすぎてしまったわ。でも、中二病というのは本当に心外よ。さっきも言ったけど、私たちは名前の通り活動しているじゃない」

「そうだな、僕たちは『文芸部』だ」

「違うわ。この学校に『文芸部」などないもの」

「それこそ違うな。この学校には『異陽専門影炎対策部』という部活がないんだ」

「何を言っているの? もしそれが私をからかっているのだとしたら、すべての異陽専門家を舐めているということになるわ」

「その異陽専門家というのがそもそもなんなんだよ。僕はそんな専門家を聞いたことがないな」

「……それ、本気で言っているの?」


 詩織の態度が急に真面目になり、その綺麗瞳が、僕の瞳を突き刺すように睨んでくる。その視線のあまりの鋭さに、僕は黙ってしまい、沈黙の空気が流れた。

 何故、本当に『異陽専門影炎対策部』があると言わんばかりの態度をとっているのか。

 もしかすると、僕が知らないだけであって、元々この部活はそういう名前だったとか--いや、そんなわけがない。僕が所属するこの部活は、絶対的に文芸部であるはずだし、部活動の欄にもそう書いてあった。

 それでは何故、彼女はこんな態度をとるのか。

 これが演技である可能性は否めないが、恐らくそれはないだろう。詩織は僕がツッコめる、つまり、僕がボケだと認識できるレベルでしか演技をしない。だからこの場合、この態度は演技ではなく、本当なのだ。

 では、そもそも『異陽専門影炎対策部』とはなんなのか。

 彼女が言うことが本当なのだとすれば、『異陽専門家』というのが、僕や彼女に何らかの意味で関係してくるものだというのはわかる。

 だとすれば、『影炎』とはなんなのか。

 夏に見えるあのボヤボヤとした現象のことか? いや、その場合の漢字は『陽炎』であって『影炎』ではない。

 --では、『影炎』とはなんなのか。

 部活の名前には『影炎対策』という文字がある。つまり、もしもの話であるが、僕や彼女に関係する『異陽専門家』というものに、なんらかの敵対性を持つものなのだとすれば--

 考えを張り巡らせていたその時であった。

 大きな破壊音と落下音と共に、教室の天井が崩れ落ちてきたのだ。


「うわあああああああ!」


 あまりの衝撃に、僕は座っていた椅子から転げ落ちた。酷い煙の中で、何が起こったのかわからなかったが、次第に煙が掃けていき、何が起きたのか、何がそこに落ちてきたのかわかった。

 そこにいたのは、真っ黒な姿で、目や鼻や口もない能面で、黒い炎を纏い、明らかに人とはかけ離れた--化物だった。


「な、なんなんだよこいつ⁉︎ ここ3階だぞ⁉︎   

屋上から落ちてきやがったのか⁉︎」

「こいつは『影炎』、人間の闇なる部分、つまりは『影』が具現化し、黒い炎を纏った姿よ」

「な……⁉︎」


 この得体の知れない化物が、『陽炎』。不恰好で、人間の僕からすれば、姿だけでなく、その存在自体に強い嫌悪感を抱いてしまうほど、とても気味が悪いものだった。


「とりあえず、勇莉は逃げて! ここは私がなんとかする!」

「ああ、わかった……って、あぁ……⁉︎」

「どうしたの⁉︎」


 あまりにも不気味で恐怖心を煽る姿に、なんと僕は、恐怖で腰が抜けて。一歩も動けなくなってしまったのだ。

 影炎には知性がないのか、機械音のような音を鳴らしながら僕の方に向かってきて、伸びる黒い腕で、僕を攻撃をしてこようとしている。

 こんな、訳も分からないような状態で--訳も分からないようになってしまった世界で、僕は訳も分からないまま、訳も分からない奴に殺されるのか?

 そんな風に絶望しながらも、一歩も動けない僕は、咄嗟に顔を伏せ、目を閉じようとした瞬間だった。

 伸びた黒い腕が--いや、奴の四肢や頭が、誰がやったのかもわからないほどの速さで、一瞬にして切り落とされたのだ。


「ごめんねえ。部活来るの、遅くなっちゃった」


 そこに写っていたのは、輝く銀と桃色の刀身をしている西洋的な刀を持ち、季節感どうしたのって感じのマフラーをつけた、ブラウンみのあるボブスタイルの髪型をしている、あの少女だった。

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