エジルの心臓
❄️れん❄️
【1】それでも、あなたなら
初夏だとは思えないほど、涼しげな風が、僕の頬にぶつかる。そして、何事もなかったかのようにスルリと通り過ぎていく。それを鬱陶しくおもいつつも、僕は歩みを進める。
半分以上欠けてしまった、なんとも言えない不恰好な月と、大小あれど、輝き続けている星たちは、いつもとなんら変わりのない、僕のよく知る町の夜空だった。
--ひとつ、大きなことを除いては。
「今日は、観測史上類を見ないほどの隕石の急接近が起こるそうです!」
今朝のニュースキャスターは明るめな声でそう言っていた。
実際に鮮やかで透き通った夜空のど真ん中を、青い光を放ちながら横断していて、あたかも自分は主人公だと振舞う様に佇んでいるのがわかる。
特にこれと言って星や空が好きというわけでもないのに、僕は凸凹と均一性のない石たちが無数に転がり埋まっている山道を、あの青く輝いた大きな隕石のために、普段の倍もありそうな歩幅で、我急ぎしと歩いていた。
ここまで大変な思いをしてまで見に行かなければいけないものなのかと言えば、多分全然、そんなことはないだろう。むしろ、かれこれ1時間程度。こんな風に夜の山道を歩いていて、誰1人として人気を感じないというのは、それはそれは、僕は馬鹿であること極まりなしであろうと思う。それでも、何故だか歩いていて、歩かなければいけないような気がして、僕は今もなお、歩みを止めることはしなかった。
「--なんだか主人公みたいだな、僕も」
ふと、あの大きな隕石と、何も誇ることもない自分を重ねながら呟いた。なんてことはない程度の、行き当たりばったりの言葉だ。それでいて、僕という平凡な男を、僕という平凡な男が皮肉っている、という皮肉でもある。
なんだか、自己肯定感が年々低くなっているような気がして、僕は1人、それに寂しくなった。
こんなことをだらだらとしていると、ようやく、山頂の手前までつくことができた。
そこまでの山ではないと舐めてかかっていたが、1時間以上歩いていれば、涼しい風を浴びながらの登山とは言えど、汗ばんでしまうくらいには消耗していた。
最近は、学業のついで以外では運動をしていないものだから、やはり衰えてきたのだろうか。中学まではもう少し動けたはずなのに、人間は老いるのがとても早い生き物らしい。
そんな自分に落胆しつつ、僕は山頂へと登りきる。
するとそこには意外な発見があった。
とは言っても、そこまでのことではないのだが、なんだか僕は、それがなんとでもなく嬉しかった。
ピンクと白のパーカーで、何かおしゃれな絵か写真がプリントされている。それに黒に白の一線を加えたズボン。そして季節外れも良いところだろと思ったが、黒いマフラーをつけている。暗がりであるが、肌は白く、女性的な形をしている。フードを被っていて髪や顔はよく見えないが、それでも輝いている青い瞳は、ボーッとしていると吸い込まれてしまいそうなほど綺麗だった。
そう、僕の他にも人がいたのである。
失礼なことではあるが、僕と同じように、ただ星を見るためだけに山を登るような奴がいるのだと、少し喜んでしまった。
とはいえ、僕の本当の狙いは星を見ることであって、同じような思考の仲間に出会うことではない。
脱線していたところをぐっと立て直し、本題のなすままを求めて、僕は目線を空へと変えた。
すると--地上で見ていた時の何倍も美しく、より輝きと大きさを増した様子で佇んでいる。
空全体を埋め尽くすほどに堂々としていて、欠けていた月も、輝く星も、そんなすべてを--何もかもを飲み込んでしまうような姿で、ただ漠然と見ていた僕は、その美しさに膝が抜けて、そのまま地面に座り込んだ。
その、町をも消えてしまいそうな、消してしまいそうな迫力に、高校生で大人を気取っていたような僕は、心底子供のように圧巻されてしまった。
まさか、隕石というものがここまで迫力があるもので、ここまで想像を超えてくるものだなんて知らなかった。
そんな風に、見たこともない非日常に心を奪われていると、
「ねえ。あれ、すごい綺麗だよね」
先ほどの人が、僕の横に座り込んで、話しかけてきた。
見ず知らずの人に話しかけられることなんてそうそうない。知らない誰かと話すのはとても緊張する。
それだけではない、被っていたフードをとっていて、先ほどはわかりづらかったが、だいたい同い年くらいの少女で、ブラウンみがあるボブスタイルの髪型に、思っていた倍以上の端正なお顔の持ち主で、ちょっと恥ずかしさが込み上げてきた。
だがそこはぐっと我慢できるほど、今の僕は隕石で興奮しているので、普段の状態で会話するよりは、ずっとずっと気にならなかった。
僕は彼女に目線を合わし、
「こんなに綺麗な隕石なら、僕は一生見ていたいなと思うよ」
と、顔を赤らめながら言った。
我ながら、だいぶ痛々しい返事をしてしまった。というか、とんでもなく気持ち悪いことを言ってしまった気がする。緊張しないと言ったが、それはあくまで普段と比べてであって、やはり僕は、知らない人と話すのが苦手なコミュ障であった。
そんな僕の思考を知ってか知らないか、彼女は合わせた目線に、もう一度判を押すように、
「そうだね。私も、こんな夜はずっと続いてくれたらなって思うよ」
と、にっこり笑って言った。
何とロマンチックなことを言うのだろう。
もしも僕らが恋人同士だったならばよかったなとかそんなしけた妄想をしながら、僕は彼女の言葉を噛み締めた。噛み締めた言葉は、なんだか懐かしい味がした気がした。
人生、生きていたら何が起こるかわからないものである。隕石が急接近してくれるような特別な日に、こんなに可愛い少女が横に居てそして会話することができるだなんて、運命というのはこういうものなのかと思いながら、もう一度空を見た。
すると--隕石は、先ほどの青色よりも赤色を纏い、視界に映る空だけじゃなく、この町を、ましてやこの地球を飲み込んでしまうかと錯覚してしまうほど、明らかに誇大化していた。
--そう、隕石は落下してきていたのだ。
「ちょ、君! 一緒に逃げ--」
彼女の手を握った瞬間に、僕の視界は一瞬で消えた。消えそうな視界に映るのは、何かを欲したげに手を空へと伸ばす、彼女の姿だった。
--その日、僕は死んだ。
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