第4話『異世界は生きている』

「タキオンドライブ・イクイップ・アーマー」


 ユウタがその詠唱を終えると体の周りを覆う粒子化された異世界の装備、クレイモアが実態化し、ユウタは一瞬にしてファンタジー世界の冒険者風の姿へ変身する。これが、異世界のユウタの姿だ。


 ユウタがタキオン粒子の力を最大出力で扱うにはこの世界の物質で作られた衣類はあまりにも脆い。——彼の加速には耐えきれないのである。


 団地のベランダから、ユウタを飛び越え外に飛ぶ——足元に青色の光と、六芒星が描かれた魔法陣が出現、——ユウタの足元に、ガラスのような足場を作る。今のユウタは地面を走るのと同じように空中を駆けることが可能である。


 曇天の空の下、空を駆け、母の入院する病院の個室に向かうべく空を駆けるユウタ。3年間に及ぶ異世界での暮らしの中で異能『タキオン粒子』を扱うのは、身体の一部を動かすのと同じように動かせるようになっている。


 ——ユウタの母の入院している病室まであと2キロメートル


「——タキオンドライブ・ブレイク・エアッ!!」


 空気という見えない壁を弾き飛ばし、速度を更に加速させる。今のユウタの加速力であれば時速297kmを誇るヤマハ YZF-R1のと並走することも可能であろう。異世界でも実現しえなかった、——超加速。母の居る、病室の窓を最小限の破壊によって、開き病室に入る。


「かあちゃん……っ!」


 ユウタの母は頬もやつれ、顔色も悪い。目は虚ろに天井を眺めており、意識は朦朧としている。窓からの息子の侵入にも気づいていない。濃密な死の気配と死臭。ユウタは、母のベットまで歩き、そこで母に声をかける。


「——俺、かえって来たよ」


「ゆうちゃん? ゆうちゃんなの?!」


「ああ、母ちゃんの息子の雄太だ。異世界から、戻ってきたんだ……」


「ゆうちゃん……」


「ごめん」


「いいのよ」


「ごめん。かーちゃん、本当に、ごめん。ごめん、ごめんなさい。ごめん。俺……、本当に」


 雄太の頬を涙がつたう。


「うん、分かってる」


「俺、自分で勝手に一人で、……自分のことしか考えずに、死んだ——、一人で育ててくれた母ちゃんの気持ちも考えずに死んだ。全部、全て自分で自己完結して、それで死んだ。……俺は本当に親不孝な馬鹿だった」


「ふふ……そうね。ママが一番知ってるわよ。ゆうちゃんはお馬鹿さん」


「馬鹿でクズでカスでそのくせ自尊心は大きくて……しかも自分勝手でモテない。そんなゴミを育ててくれた母ちゃんに、感謝の言葉一つ、遺言すら残さず自分勝手に死んだ! 俺は謝っても謝っても謝りたりねぇ。母ちゃんに言うべき言葉が見つからねぇ……」


「ゆうちゃんは、死んだんじゃないでしょ——」


「いや、死んだ。俺は確実に死んでた——、図書館の新聞資料室で俺の死因を読んで、それを思い出した! 路地裏の地面の冷たさ……。口の中に溢れる鉄の味、今際の際に死にたくないと思っていた気持ちも、全て思い出した……。だから死んだんだ。俺は!」


「——異世界に行ったんでしょ。ゆうちゃんは」


「あれは——、俺がいた世界は、母ちゃんの作った物語上の世界。すべてが俺の都合の良いようにできた、俺のために作られた偽物の世界だ」


「ゆうちゃん、それは違うわ。——あなたの異世界は本当に存在している。今も」


「…………」


「確かに、ゆうちゃんが死んだ時は、物語の中の世界でだけでもゆうちゃんを生かしてあげたいという気持ちはあったわ。だけど、途中からは物語の方に逆に私が書かされていたのを感じていたの。不思議よね」


「——物語に、書かされる?」


「そう——。たとえば、あなたの恋人のエルフのリーファちゃん。あの子なんて、とても私の中から生みだされた存在とは思えないわ。キャラクターが動き出すという言葉があるけど、まさにそんな感じね。ママが、リーファちゃんに動かされていたような奇妙な感覚があったわ」


「……。そんなことが」


「あるのよ。異世界は生きているの——、エルフのリーファも、魔人族のサラーニャも、妖精族のティータも、あなたの世界に居る人間は、本当に生きている。だから、ゆうちゃんそれを疑わないで。あなたのいる世界を、信じてっ!」


「こんなに迷惑をかけて、母ちゃんを不幸にした俺が生きていていいのか?」


「ふふ、……本当にゆうちゃんは馬鹿ね。あなたは死んでいないし、ママがゆうちゃんに死んでほしいと望むわけないでしょ。ママはね、ママだけはあなたの世界を執筆するという行為を通して観測することができる。だから、ゆうちゃんが元気に活躍している姿を見ているママは寂しくなんて……、ないのよ」


「母ちゃん……」


「——。それにね。変な話ではあるけど、予感もあるの」


「……、予感?」


「きっと……。執筆者である私が死んで、が中断されても、あなたの世界は動き続ける。なぜなら、すでに生み出された世界だから。きっと世界が物語なら、物語の神様が最後まで書き続けてくれる」


「…………」


「ママ、物語に書かされているっていう話をゆうちゃんにしたわね。そうなの。不思議な感覚なんだけど、最初は心の慰みに書いていた物語がまるで、命をもっているかのように動き出しているの。だから、あなたのいる世界は、もうきっと既に——、ゆうちゃんとママの二人だけのための世界じゃない」


「……。死んでもなんて、寂しい事を言わないでよ。ママ……。俺は絶対にもう死ぬなんて言わないし、死なないよ!! だから、ママも手術を受けて元気になってよ!! 絶対に死なないで!!! いやだよ、ママ!!」


「ふふ、ゆうちゃんは本当にいつまでも甘えん坊ね。異世界で、ドラゴンや四天王を倒して逞しくなったなぁと思ってたけど、やっぱり元のゆうちゃんなのね。分かったわ——。ママちょっと疲れたから眠るね。ゆうちゃんとの約束を守るために、手術、成功させなきゃいけないから。一つだけお願い」


「なんでもするよ、……ママ」


「ママが眠るまで手を握っていて」


ユウタは無言で手を握り、細くなった母の手を優しく包み、母が眠りにつくまでずっと手を握っていた。

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