第3話『引き出し二段目の異世界』

第3話『引き出し二段目の異世界』


 ユウタは、あの日本当に何が起きたのかを理解した。彼の死因は、トラックに轢き殺されたのではなく、自殺であった。


「俺……誰かに殺されたんじゃなくて、自分で自分を殺してんじゃん……」


 異世界転生の起点は他殺ではなく、——自殺。異世界転生前後の記憶がもやがかかったように、あいまいなものだったのだった事にも説明がつく。


 

 最後に感じた、この世界での痛み、衝撃は……トラックに轢かれたのではなく、飛び降り自殺をした際に地面にぶつかった事による衝撃と痛み。——ユウタの脳内に、死の前後の記憶が流れこむ。


「知りたくなんてなかった。こんな事実なら……、こんな思いをするくらいならっ! 俺はこの世界に帰ってきたくなかった!!」


 ユウタの記憶のの直前の『コンビニ帰りにトラックに轢かれた』という記憶は全てでたらめ。生前に感じていた無力感、自己嫌悪、希死念慮が、堰を切ったように溢れ出し、それが涙という形にかわり、体外に漏れ落ちる。


「……もう一度この世界で死ねば、俺はあの異世界に帰れるのか……」


 ユウタは固く目を瞑り、短刀を自身の喉元に突きつける。——異世界に戻るため、そこに黒ローブの少年が声をかける。


「——、残念だけど違うよ。キミがこの世界で死んだら、そこでおしまいだよ」


 瞑っていた目を見開き目の前の少年を見据える。この世界に帰還した際に一番最初に遭遇したあの黒ローブの少年だ。


「お前は、あの時の……。お前の目的は、俺を明日、殺す事だろ。——お前には、俺が死のうが関係ないはずだ」


「余命宣告の日に、キミを殺すのがボクの仕事。でも、それ以外にボクに課されている制約はない。ボクが助言しようが、それは課されたルールに背くことにはならない」


 普段のコンディションであればユウタは激昂し即座に戦闘に移行していただろう。だが、今は喪失感から言い返す気力もない。無言をもって、少年に次の言葉を促すのであった。


「キミへの助言は二つ。異世界は、キミの勉強机の引き出しの上から二番目。もう一つは、この手紙の中に書いてある。引き出しの中の異世界を覗いた後にでも読むと良い」


「……。引き出しの中の異世界……、わからねぇ」


「今は分からなくても構わないよ。——そこにいけば分かる」


 黒ローブの少年はそう告げると、そのままユウタに背を向けたまま歩いて去って行った。死を覚悟していたユウタには疑う気力すら無かった、りユウタは自宅へ向かうのであった。


「自宅かぁ、……いざ母ちゃんと会うと思うと気まずいよなぁ。生前の引きこもり時代はめちぇめちゃ迷惑かけたしな。それに、俺の今の状況をなんて説明したもんかな……」


 引きこもって迷惑をかけた挙句に飛び降り自殺をした自分は、母親に会わせる顔などない。ユウタは、彼の自宅である越谷の公営住宅——、生前に暮らしていた日番谷家に向かう。彼の知る限り、この時間帯は、母は仕事に出ているはず、顔をあわせなくても済むと考えれば気が楽だ。ユウタは、自宅の扉の前に立つ。


「……家の鍵は、ポストの裏っ、と」


 決して治安の良くない団地であり、ポストの裏に鍵を隠すのは危ないと、生前にはユウタがそのことを指摘しても母のくせは直らなかった。鍵を開け、靴を脱ぎ自分の部屋の勉強机に向かう。勉強机とはいっても、この机でユウタが勉強に費やした時間よりも漫画を読んでいた時間の方が長いくらいではあるが。


「あいつの言ってたのは、勉強机の引き出しの2段目——だったか」


 黒ローブの少年の言葉を頭の中で反芻しながら、引き出しを引く。『キミの異世界は自宅の引き出しの2段目にある』。その言葉でユウタが想像していたのは異界と繋がるゲートのようなモノであった。だが、目の前にあるものは——、


「手垢のついた、ただのノート……?」


 引き出しの二段目には、夥しい数のノートが引き出しいっぱいに積みあがっていた。手垢で汚れ、ページもところどころ破れている。そのノートを無作為に手に取り、ユウタは読むとでもなくペラペラとめくり、眺める。


「はは……。すげぇ。これ、——確かに、——俺のいた異世界だよ」


 トラックに轢かれた事によって転生した『ユウタ』という少年が主人公の異世界転生物語。このノートに書かれている物語は、すべてユウタが異世界で経験したことであった。ページをめくると、確かにそこには確かにユウタの異世界が存在していた。彼の恋人であるエルフのリーファちゃんも、魔人族のサラーニャさんも、妖精族のティータたんもみんなそこに居た。


 素人が書いたつたない文章ではあるが、そこには一つの異世界が存在していたのだった。まるで、ユウタが書いた日記のように、彼の冒険の様子が克明に描かれていたのだった。異能の『タキオン粒子』は、彼の好きな日曜日の朝にやっている変身ものヒーローがその元ネタなのは明らかであった。


 そもそもユウタの母自身も『タキオン粒子』なるものがどういうものなのか正確に理解できていない。SF設定資料集を基に学習しているに過ぎない。万能で便利な異能として行使できるのは、彼女の知識不足によるものであるという面も否めない。


 ユウタの居た異世界が彼にとって都合の良いものであったのも当然である。なぜなら、彼の母が死後に、遺品整理をしている時に自分の息子がどんなものに興味があるのかを知り、その設定が反映されていたのである。彼の転生した異世界が、やたら亜人やロリが多かったのも、彼の残したPC内の保存画像や、ブックマークから彼の好みそうな女の子を、登場させていたからに他ならない。


「母ちゃん……」


 彼はひとしきり彼の母が記したノートを読み漁ったあとに、少年から渡されていた手紙の存在を思い出す。封をされた少年からの手紙を開けるとそこには一枚の紙きれが残されていた。


 彼の母親がガンの手術に備えて入院していること、そして手術の日が、今日の17:00であること。そして、その手術は非常に困難なことであることが書かれていた。手術の予定の刻限は、あと2時間ほど。


「力場形成——タキオンドライブ・エア」


 異世界で彼の授かったタキオン粒子を操る異能。超高速移動のほかにも、靴底の直下にタキオンの力場を形成することによって、まるで空中を地面のように駆けることができる。


 日番谷家のベランダから、空中に力場を作りながらまるで地面を駆けるように疾走するのだった。

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