第29話〈噂話と黒い天使〉




庭には、随分たくさんの人が集まっていた。豪華なドレスやタキシードを着た貴族っぽい人たちはもちろん、それらよりも質素な礼服に身を包んだ平民らしき人、それよりもう少し粗末な服を着た人たちも見える。私達と同じくらいの少年少女や、それよりも小さな子供もいた。白いドレスの子やアマ―ルリリ―を刺した人はほんのわずかで、私たちは少し浮いていた。……浮いているから、その分合流しやすくはあったけど。

「どうでした?そちらは」

日向子がカルムとビオスに話しかける。そういえば、カルムとビオスは男たちのグループの方へ行っていたんだから、ヴェロナ伯爵を見かけていないだろうか。

「うーん、やっぱり国民とはいえ王都に知り合いはいませんし、話しかけづらいですねー」

ビオスは苦笑いした。隣でカルムが小声で「僕が名乗るわけにもいかないしね」と付け加える。そちらも、なかなか居心地の悪い時間を過ごしたらしい。

「でも、君たちの噂はなんだかよく流れていたよ。何でも、“異世界から彗星のように訪れ、クラサスを四厄災から救った勇敢な聖乙女二人組”とか……」

「なにそれ……」

思わず鼻で笑ってしまう。誰だろうそんなトンチキな噂を流した奴は。流石の日向子も少し困惑した顔をしている。ゴブリンを退治したのは殆どヘーレーやラ―ミナやエトワールだし、四厄災には勝ててない。むしろ命からがら逃げだしたのだ。救った、というにはちょっとお粗末な結果ではないだろうか。あと聖乙女なんて私達には似合わないにも程がある。処女なんてとっくにドブに捨てたしね。

「まあ、人のうわさには尾鰭が付くもんね。ところで、ヴェロナ伯爵ってそっちにいた?」

私の質問に、ふたりは申し訳なさそうに首を振った。

「それが……申し訳ないことに誰がヴェロナ伯爵か分からなかったんですよね……」

「彼の社交場嫌いは有名だからね……容姿を知ってる人は少ないんだよ……」

なんという誤算。こんなことなら、ヴァネッサとインカローズに容姿を聞いておけばよかった。それに、ニンファやエルジェベトも知っていたかもしれない。私達なんか要領悪いな……頭を抱えた私の肩を、不意に誰かがぽんぽんと叩いた。

「まあ、あなた方もしかして“聖乙女”さんじゃありませんこと?」

弾んだような柔らかな声に振り返れば、そこにはきらきらした水のような素材の、青いドレスに身を包んだ貴婦人がいた。周囲には何人か貴族らしき人がいて、好奇の目をこちらに向けている。

「ええと、あなたは……?」

私の戸惑った声に、貴婦人はにっこりと笑みを返しほほほと甘い声で笑った。どこかお喋り好きそうな、気安い印象を受ける。悪く言えば、ちょっと軽薄そうな感じ。

「ああ、申し遅れましたわね。わたくし、アクリマン子爵の娘のメロウと申します。お友達には“おしゃべりメロウ”なんて言われておりますわね。ほほほ」

……その自己紹介を聞いて、確信する。間違いなく、“クラサスを四厄災から救った勇敢な聖乙女二人組”なんて噂を流したのはこいつだと。私はちょっと嫌な顔をしたが、メロウは気にも留めなかった。

「わたくし達、“聖乙女”のファンですのよ。異世界からやってきて、厄災に焼き払われんとする街を救ったうら若き乙女だなんて!……ああ、まるで『シンの英雄譚』のようじゃありませんこと?きっとシン・マズロが偽りの英雄、魔人と化した冒険者たちを討ち、世界に平和をもたらしたときのように、あの恐ろしい“革命軍”を屠ってくださるんだわ!」

メロウはおおげさな身振り手振りを付けて、熱っぽい早口でまくし立てる。なるほど、ヒーローオタクか。でもそのよく知らん英雄譚に重ねられて私たちを勝手にヒーローにされても困るんだけどな。「世界の焼却を止める」なんて大層なお題目を背負わされてんだから、そう扱われても文句は言えないんだけどさ。

「屠る……のはなるべくしたくありませんが、彼らが世界を焼こうとしてるなら、わたし達が止めますよ!」

日向子が彼女へにっこりと笑う。やる気があるのは結構なんだけど、もっと大騒ぎされない?

「……まあ!なんて頼もしいんでしょう!ほほほ、あなたたちの英雄譚が吟遊詩人たちに歌われる姿が目に浮かぶようですわね!」

案の定、メロウは目をきらきらとさせて日向子の手をぶんぶんと振った。後ろの取り巻きからも、どっと歓声が上がる。ああ、これはさらにめんどくさいことになるやつだ。げんなりして後ろのカルムとビオスを振り返って助けを求めようとしたその時、太いラッパの音が高らかに庭に響いた。

「あら、殿下の挨拶が始まるみたいですわね。それではまたお目にかかりましょう、小さな英雄さんたち!」

ぞろぞろと動く人の波に乗るように、メロウは水のようなドレスを翻して取り巻きと共に去っていった。私たちに、親し気に手を振りながら。私はほっと息をつく。綺麗な人だったけど、なんだか胃もたれがする感じ。

「大丈夫ですか?最近のメロウ嬢のお喋りは有名ですからね……」

ビオスに水を渡される。それをはしたなくごくごくと飲み干して、私はようやく息をついた。

「最近、ってことは前はそうじゃなかったの?」

「うん、一度会ったことあるけど、もっと大人しそうな人だったよ。あのほほほって声は同じだけど」

今度はカルムが答える。それを聞いて、日向子が首を傾げた。

「うーん?じゃあ、どうしちゃったんでしょう……?」

「なんでも、特別なお薬を処方されて陰鬱な性格が治ったようですよ。パーティ前にすれ違った男爵がうちの息子にも処方してもらいたいと言っていました」

それを聞いてげえと声を漏らす。性格を矯正する薬だなんて、なんだか気味が悪いなと思った。そりゃ、私もこの根暗やねじまがった性格に散々損はさせられてきたけど、薬飲んでまで治したいかっていうとちょっと微妙だ。……そういう激変には、ちょっと嫌な思い出もあるし。

「わあ、気分が明るくなったのなら素敵ですね!“おしゃべりメロウ”になってしまうのも分かる気がします」

そしてその嫌な思い出の主である日向子は、相変わらずの頭お花畑ぶりだった。嫌な予感がしているのは私だけなんだろうか?

「……なんだか嫌な予感がするね。杞憂だといいんだけど」

あっ良かったビオスもだった。訳もなく彼を抱きしめたくなった。しないけど。

でも、その嫌な予感を私たちはこれ以上追えなかった。「なんとなく違和感がある」くらいのことで、それ以上どう進めていいか分からなかったから。


だから、ひとまずエルヴェのスピーチを聞くことにした。

音楽隊の軽快なラッパの音や民衆の歓声と共に、黄金色の髪の毛を持ったエルヴェ王子が白い石でできた道を歩いてくる。青と銀の布で出来た美しい衣装を煌かせて、金色のぴかぴか光る王冠を頭に乗せている。実に立派で、いけすかない。フンと鼻を鳴らして、私はその後ろを歩いてくる人物に目をやった。

「綺麗ですね……ヘーレーさん」

隣の日向子が、彼女を見てほうと溜息をつく。確かに、エルヴェの後から歩いてくるのはヘーレーだった。いつもポニーテールにしている麦穂色の髪を下ろし、繊細な細工のティアラを付けている。服装も鎧やバトルドレスではなく、銀色と青のふんわりとした、まさに“お姫様”といった風情のドレスだった。美しい、と私も日向子と同じ感想を抱く。けれど、それと同時に“似合わない”という感想も頭に浮かんだ。淑やかな王女の装いをした彼女は、どこまでも居心地悪そうに見える。私が見慣れてないだけなんだろうか。

「お集りのアンネリヒト国民の皆様、本日は僕の誕生を祝う舞踏会に参加してくださってありがとう。今日という日を、愛する民と迎えられたことを誇りに思う」

エルヴェの言葉に、わっと民衆が沸き立つ。なるほど、人間の民には随分と人気らしい。ラーミナやエトワール、異種族の人々に対する対する態度を知っている私は、どうしても複雑だった。それでも、一応彼のスピーチには耳を傾ける。

「さて、近年は人外種どもの活動が非常に活発化している。最近のクラサスをゴブリンが襲った事件に始まり、 “革命軍”を名乗る人外種どもの群れがその最たる例だろう。奴らが引き起こした5年前のウィンドダリア滅亡事件は我々アンネリヒトの民の記憶にも新しい。友である西の大国の喪失は我が国にとっても世界にとっても重大な損失であり、また人外種の害悪を物語るものである」

彼は朗々と、憎悪の籠った硬い声で、演説をする。そこにはあの城で見たふらふらとした感じはどこにも無かった。


「毎年、殿下のスピーチはウィンドダリア滅亡事件の話から始まるね」

ふと、隣に立った誰かが私に話しかけてきた。振り向けば、それは十三歳くらいの少年だった。さらさらとした金髪と透けるように白い肌、琥珀色の大きな瞳。怪我でもしたのか、左目の上瞼と下瞼が痛々しく縫い合わされている。しかしそれでもなお美しい容貌に浮かべられた微笑みは、人智を超えた“何か”を孕んでいた。真っ黒なコートとスーツに身を包んだ、まるで黒い天使のような彼は、強い力を持つ隻眼で真っ直ぐにこちらを見上げている。王子のスピーチを邪魔しないように潜められた声も、宝石のような硬さを持ってはっきりと私の耳に届く。……異質。その単語は、目の前の少年にぴったりと嵌っていた。

「そうなんですか?」

私の隣から日向子がひょいっと顔を出す。その奥に並んでいるビオスとカルムも、興味深そうな視線を向けてきた。エルヴェの立派な胸糞悪いスピーチからは、完全に意識が反れる。

「そうだとも、よっぽど恨みが深かったと見えるね。まあ、数百年に渡り同盟を組んできた親友とも呼べる国を滅ぼされれば、当たり前の反応だと思うけどね」

からからと笑いながら、少年はエルヴェの方を見る。壇上の王子と王女を見上げるその瞳からは、何の感情も読み取れなかった。まるでドールアイのような、琥珀の瞳。

「現アンネリヒト王は老齢で、もう長くない。彼が即位すれば、ますます異種族への風当たりは強くなるだろうね。王女殿下には気の毒だが」

私は思わず、壇上のヘーレーへ視線を向けた。彼女はただ苦い顔で、兄の演説を聞いている。

「……ヘーレーさんが、王女さまが即位する方法って、無いんですか?」

真剣な顔で、日向子が少年に問う。少年はふっと笑って答えた。

「あるにはあるよ。一番手っ取り早いのだと、王位継承権第一位であるエルヴェ殿下が“不幸にもお亡くなりになる”とか」

「それ以外では」

日向子は彼の言葉を遮るようにそう言った。彼女が人の言葉を遮るのは少し珍しい。

「失礼……悪い冗談が過ぎたね。あとはそうだな、現王がヘーレー殿下の方に王位継承権を移すとか、エルヴェ殿下が自ら王位を放棄するとか、「ヘーレー殿下を女王に」という民衆の嘆願が寄せられるとか、かな。まあ、どれも難しそうではあるけれど」

その通りだった。ヘーレーは父親である王にも、人間である民にも嫌われている。

彼女はあんなにも、民を思いやっていたというのに。

「わ、わたしたちが嘆願をするのではだめでしょうか……」

日向子がヘーレーを見上げる。彼女自身は、どうやって王位を奪うつもりなのだろう。

「駄目だね、親王女派ってことは君たち旅人だろう?嘆願はこの国の民でなければ聞き届けられないし、仮にそうだったとしてもたった4人の嘆願ではね」

少年に無慈悲に言い放たれ、日向子はしょぼんと俯く。まあ、そんな気はしていた。


「でも」

少年が、微笑みを浮かべてヘーレーに視線を移す。

「彼女は決して、王位が継げないからと全てを諦める娘ではない。そうだろう?」

私ははっとして、もう一度ヘーレーの顔を見る。兄王子の後で、ただ人形のように黙りこくる彼女。しかしその瞳は、決して死んではいなかった。

エルヴェが、壇上で吼える。

「僕はこの国を、いいやこの世界の人間たちを、幸福へと導いてみせる。人外種どもの侵略に屈せず、強く強くこの北の大国アンネリヒトを治めていく」

エルヴェの力強いスピーチよりもなお強く、ヘーレーの瞳は燃えていた。

自分は人間のみならず、異種族たちをも幸福へ導いてみせる。彼女の瞳はそう、何よりも雄弁に語っていた。

「あの、あなたは……?」

ビオスが、少年に名を問う。けれど少年は、ただ微笑んだままで。

「名乗るほどの者じゃあないさ。ただ、“王女殿下と志を同じくする者”ではある」


エルヴェが、高らかに宣言する。

「誇り高きアンネリヒトの民よ!歩いて行こう、より良き世界のために!」


「“より良き世界”の為に、ね」

少年は、エルヴェのスピーチに重ねて言葉を続ける。

彼の纏ったコートの裾には、三つ尾の鳥が大きく翼を広げていた。


《30話に続く》

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第一幕 シロツメクサの天使たち 水色猫 @cyan910

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