第28話 〈貴族と奴隷〉



「は、え、バトリー辺境伯家のエルジェベト様に、ベラドニア子爵家のニンファ様……?」

安易に差し出された手を取ろうとしたところで、後ろからビオスの冷や汗をそのまま音にしたような声が聞こえた。思わず振り向けば、ビオスの顔はもう蒼白で、隣のカルムもなんだか微妙な顔をしていた。彼らの反応の理由がわからない私たちは、そろって首を傾げる。


「……どうしたの?折角誘ってくれてるのに。もしかして受けちゃダメなやつ?」

「い、いや、そういうわけではないんですけれど。あの」

急にしどろもどろになってしまったビオスを横目で呆れたように見つつ、カルムがそっと解説をしてくれる。

「ニンファ・ベラドニア子爵に、エルジェベト・バトリー辺境伯。どちらも幼くして家督を継ぎ、家や領地を大きく興隆させた高名なアンネリヒトの才媛だね。あまりにも有名で、うーんと……きれいな人たちだから、平民の中に憧れてる人は割といるんだよね」

「サインください」

「こんな風に」

エルジェベトに魔法でハンカチにサインしてもらっているビオスに深々ため息を吐きながら、カルムは「パーティが始まったら彼女たちの周りはもっと人が来ると思うよ」と付け加えた。……なるほど、アイドルみたいなもんなのか。ということは、ゆっくり話せるのは今だけということだ。貴族には人気がないのか、ふたりに話しかけてくる人はまだいないようだし。

「でも、パーティ開始前に男女が長い時間個人的に話すのはアンネリヒトではマナー違反なんだ。残念だけど、ふたりでお世話になっておいでよ」

後ろでビオスが明らかしょぼんとしている。そういえばあの鬼婆になんか男と話すなとか言われてた気がするな。ファンのビオスが話せないのはかわいそうだけど、ここはお言葉に甘えて私たちふたりだけで行ってこよう。


「お誘いありがとうございます、ニンファさん、エルジェベトさん!

ぜひ、ぜひ、お喋りしましょう!」

私たちの話を聞いていたのかいなかったのか、日向子は真っ先にふたりの手を取った。めっちゃぐいぐい行くなこいつ、と思うものの、特に遮る理由もない。私も隣で、習いたてのぎこちないカーテシーをする。それを見て、ふたりは満足そうにうなずいた。

「それじゃあ、私たちの特等席に案内してあげる。」

「こっちよ、ついてきて!」

ニンファにそっと手を取られ、やさしく引かれる。ああ、なんて柔らかい手なんだろう。

こんな手を持っている人は、きっと慈悲深くていい人に違いない。



……と、思ったんだけどな。もしかして私、人を見る目がないのかもしれない。

二人に案内されてたどり着いたのは、庭園がよく見える大窓の傍の席だった。

乳白色の上品なクロスが掛けられた丸いテーブルの両サイドに、ふたりの従者が控えていた。間違いなく、彼女らの従者だ。メイドと、たぶん執事。

メイドのほうに問題は無さそうだった。紫がかった黒い長髪に、丸いチェーンの付いた眼鏡をかけている。目が……ちょっとギラギラした蛍光ピンクで怖いけど、美人だしニコニコしてるし、うん。多分大丈夫な人だ。服のデザインがエルジェベトと似てるから、たぶん彼女はエルジェベトのおつきの人だ。でも……。

「……あのさ、ニンファさん」

隣のニンファに恐る恐る声をかけながら、ちら、と執事さんのほうに目を向ける。

執事のほうの姿は、はっきり言って異常だった。

まず鉄の固そうな首輪、それから猿轡とマズルガードに目が行く。よく観察すれば深い森のような長い緑の髪と燃えるような赤い瞳を持つ凛々しい美丈夫だけれど、その印象を緊迫感のある黒々とした拘束具が塗りつぶしている。それから反対側で優しく微笑んでいるメイドさんとは対称的に、その燃える炎のような瞳でこちらを憎々しげに睨みつけていた。まるで、人間すべてが憎いかのような……。どう見ても、使用人という雰囲気ではない。これではまるで……。

「あら!もしかしてシュシュが気に入ったの?だめよ、これは『売り物』じゃないんだから」

私の抱いた疑念は、即座にニンファが補ってくれやがる。

『売り物』。その言葉に、不穏さを感じ取らない方がおかしかった。


「……もしかして、あの、彼、あなたの奴隷なんですか……?」

日向子が、憐れみを籠めた目でシュシュと呼ばれた男を見上げ、分かり切ったようなことを言う。それを受けて彼の眼は、一層激しさを増して燃え上がった。ああ……これはすごい怒ってる……。

「ああ、異世界の人じゃ知らないかしら?ニンファはねえ、アンネリヒトの一等地に店を構える敏腕奴隷商人なのよね!」

ね~、と何でもないことのように自分のメイドと顔を見合わせるエルジェベトと当然のように微笑んでうなずくニンファに、私は食ってかからずにいられなかった。

「待ってよ……あんた達そんな当然みたいな顔で人を売り買いしてるの……!?」

思わず言葉が乱れる私にも、ふたりは首を傾げて何言ってんだこいつという顔をした。

「あら、人じゃないわ。人外種よ?この子は吸血鬼よ、それもとびきり強力な、ね。かつては一国の王だったのよ」

ニンファはうっとりとした顔で、シュシュの豊かな髪に細い指を絡ませる。おぞましい物を見るような、憎悪と嫌悪の情を瞳の奥に滾らせる彼に対し、ニンファは白い頬を薄桃色に染め、まるで自慢のペットか……恋人でも、自慢するような顔だった。ちょうど、あの華やかな食卓で惚気を披露したジリアのように。

「でも……あんなにお口につけていたら、痛そうです。何も話せないですし……外してあげられないんですか?」

日向子が眉を下げて、ニンファの顔とシュシュの拘束具を見比べる。けれどニンファは、微笑んだ顔のまま残念そうに首を横に振るだけだった。

「駄目よ、マナーなの。こういった場に奴隷を連れ出すときは、最低でも首輪とマズルガード、顎が発達した種族や鳴き声が人の精神に影響する種族は轡も付けないといけないの。それでも、完全に従順になっていない奴隷を公の場に連れてくるのはいけないことなのよ?私以外は、ね」

ニンファは赤い唇を吊り上げ、どこからか取り出した短い乗馬鞭でシュシュの脇腹をくすぐる。シュシュは憎々しげにニンファを睨みつけたが、それだけだった。黙って、屈辱に耐えるように、その上品な執事服に包まれた体を震わせるだけ。


「あーあ出た出た、ニンファのトロフィー自慢。

わたし、もう聞き飽きたわ。ねえ、カーミリア?」

エルジェベトがうんざりといった様子で、背後に控えるメイドを振り返る。

カーミリアと呼ばれたメイドは、愉快そうにほほほと笑った。

「あら、私は嫌いじゃありませんよ。微笑ましいじゃありませんか」

どこが……???と言いたい気持ちで、カーミリアを見る。流石の日向子も目の前の光景と「微笑ましい」が結び付けられなかったのか、読み込み中……みたいな顔をしている。


……トロフィー。彼女らにとって、人外種はその程度の扱いなのか。

当たり前のように所有し、当たり前のように辱める。人と区別し、憎みすらしない。

まるで……取るに足らない、禽獣を扱うような。

また、怒りがこみ上げる。でも、ここは今までの場所とは違う。

今までみたいにあたりかまわず怒り散らせば、招待してくれたヘーレーや、ドレスを作ってくれたヴァネッサやインカローズたちにまで迷惑がかかる。あくまで私たちの目的は、ヴァローナ商会の主コルニクス・ヴェロナ伯爵に会いカルムの国の仇ジークリードのことを聞くことなのだ。ここでつまみ出されては、元も子もない。

ぐっ、と拳を握って、我慢する。

「……でも、よくない事です。人をこんな風に、縛り付けるなんて」

日向子がうつむいて、ニンファの瞳をまっすぐに見据えた。


丁度その時、盛大なファンファーレが鳴り響いて、日向子の言葉をかき消す。

少し向こうからわっと歓声があがり、窓から見える庭にも、続々と着飾った平民らしき人々が入ってきていた。

「あら、始まったみたいね。今年もお客さんがいっぱいで良いわねえ」

ニンファがそう呟きながら席を立ち、シュシュの首輪の鎖を引く。

エルジェベトも同じように、上品なしぐさで椅子から降りた。

「じゃあね、異世界人さんたち。この国は良い国よ。また会いましょう?」

エルジェベトは私たちに軽く手を振り、カーミリアを伴って庭園の方へ行ってしまう。

ニンファもまた、カーテシーをするとシュシュを連れてエルジェベトと一緒に去っていった。……彼女に付き従うシュシュは、片足を引きずるようにして歩いている。手枷や足枷が付けられている訳でもなし、体格だって圧倒的にシュシュの方が大きいのに、どうしてあんなに憎々しげに睨みながらも大人しく従うんだろう。私は、それが不思議でならなかった。

「……シュシュさん、苦しそうでした。助けてあげられないでしょうか……」

日向子の悲しげな声に、私は黙り込む。

魔法少女のステッキは、別に取り上げられなかった。多分武器とは判断されず、おもちゃだと思われたのだろう。例えばここで私たち二人が魔法少女になってニンファを殺せば、シュシュは解放されるだろう。けれど、それだけだ。私たちは多分捕まり、同行者のビオスやカルム、招待者のヘーレーも捕まる。この国の法律なんて知らないけど……多分判決は、死刑だ。そうなればカルムの復讐あるいは和解も、私たちの『世界焼却』を阻止するという使命も果たせないままだ。それに……ニンファひとりがこの世界の人外種差別を担っている訳ではない。彼を救うには、もっと根本的な何かを変えないとだめなのだ。

世界はそんなに、簡単に変わらない。少女ひとりの死くらいでは。


「ユウキ様、ヒナコ様!」

沈みかけた私たちに、声を掛けてくる人がいた。

明るい水色のメイド服を着た、子犬のような茶色い短髪の少女。

前にも一度会った、パーラーメイドのミラだった。

「エルヴェ殿下のご挨拶が、すぐ下のお庭で行われます。どうぞ、ご移動を!」

ミラのまぶしい笑顔に、ほっと心が救われる。周りを見ればほかのお喋りしていた貴族グループも、お城の使用人に案内されてみんなぞろぞろと移動していた。これなら、ヘーレーやカルムたちとも庭で会えそうだ。……ニンファ達や、目的であるヴェロナ伯爵とも。

「行きましょうか」

「……そうね。ここでうじうじ悩んでたって、仕方ないもの」

私たちも大人しく、ミラの案内に従って庭へ降りる階段の方へ歩き始めた。


「……ん?」

歩きながらふと、私は小さな違和感に気が付く。割と、今更ながらの違和感だ。


「なんであの人たち、私たちが異世界人だって気が付いてたんだろ……?」


《29話に続く》

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