第27話 〈舞踏会とレイヴン・ダンスホール〉
……綺麗なドレスに浮かれていたのも束の間。
一週間後の舞踏会の日は、あまりにもすぐにやってきた。
「いよいよ明日ですねえ……うふふっ、ワクワクしちゃいますね」
「……今話しかけないで。ゲロ吐くの我慢してるから」
「ええ~……?大丈夫ですか……?メイドさん呼びますか……?」
王宮客室のふっかふかベッドの上で、私は打ち上げられた魚のようにくたばっていた。
心配顔の日向子がつんつんと脇腹をつついてくるけれど、それにも一切反応できないほどへとへとだった。
理由は一つ。舞踏会のダンスレッスンとマナーレッスンだった。
私たちにそれを叩きこんでくれやがったのはジーナという宮廷教師で、きっと眉と目を吊り上げた厳しそうなおばさんだった。いや、『厳しそう』ではない。『鬼のように厳しかった』のだ。特についつい口答えしてしまう私にババ……彼女は厳しく、何度も手にした短い鞭であらゆる場所をシバかれた。めっちゃ痛くて泣くかと思った。「我が王家の客人として舞踏会に参加するのですから完璧にしなければなりません!ただでさえあの姫様のご友人として変な目で見られることは間違いないのですから……」云々と言っていた気がする(レッスンがキツすぎて片っ端から忘れたのでそこしか覚えてない)が、それも今日までだ。
「あはっ……明日が終わればもうあの鬼婆に鞭でシバかれなくていいんだわ……あははははははっ……!」
「ふふ、よく分からないけど幽鬼が元気で良かったです。明日、楽しみましょうね!」
言ってろ、秒でダンスもマナーもこなした完璧天使様め。
私はにこにこしながらベッドに潜り込む日向子に反論もできず、そのまま泥のように眠りに就いた。
そして、翌朝。
盛大なラッパかなんかの音で起こされた私達は運ばれてきた朝食を貪り、食休みもそこそこに黒服たちに連れ出され、あれよあれよとドレスを着つけられる。人に着替えさせてもらうことに気恥ずかしさと申し訳なさを感じつつ、「はい、自分で着てきてください」なんて言われなかったことに心底ほっとした。絶ッッ対リボンの結び方とか汚いことになる。
再び着せてもらったドレスは、少しの変更点が見られるもののやはり抜群に美しかった。
そしてやはり見た目よりも動きやすい。練習はずっとあの白いワンピースだったけれど、これなら十分練習と同じ動きができそうだ。
部屋から出されると、カルム・ビオスの男子組と再会した。彼らは漆黒の燕尾服を纏い、ビオスはフラワーホールに例のアマ―ルリリ―を刺している。髪型もオールバックにしていて、なんだか別人みたいだ。それは本人たちも自覚はあるのか、どこか照れ臭そうに微笑んでいる。生きているのがあんまり広範囲に知れるとまずいカルムは、お化粧までして人相を変えてあった。もうほんとに誰だかわかんない。
「わあぁ……!すっごいかっこいいですね!お似合いですよ、ふたりとも!」
日向子が子供の様に歓声をあげる。その声を聞いて、ふたりはさらに照れ臭そうにした。
「あは……まさか高名なヴァローナ商会の仕立屋さんに作ってもらった服でアンネリヒト王宮の舞踏会に出るなんて思いませんでしたね……」
ビオスが感慨深げにつぶやき、くるくると回ってみせる。青みがかった黒色の布が、王宮の照明を受けててらてらと不思議な光沢を映し出す。どう見てもその辺の安い布ではない。
「……僕は元々貧しい村の出身ですからね。まさかこんな綺麗な布で出来た服を着る機会があるなんて思いませんでしたよ。教会の神父服も、あれはあれで着心地が良いんですけれど」
確かに、私達もこんな高そうな布で出来た服を着る機会がくるなんて思っていなかった。成人式の振袖だって、用意されるはずもない私たちには。
「……お茶とかこぼしちゃったらどうしましょう。やっぱり弁償なんでしょうか……?」
少ししんみりしかけたところに、日向子のそんな一言で一気に雰囲気が変わる。
「ぜ……絶対気を付けるのよあんた……」
「ぼ……僕も気を付けましょう……はい……タリス司教に連絡が行ったら困りますし……」
「あの教会お金あるの?」
「ありません。でもタリス司教は絶対無茶をしてお金作ってくださろうとすると思うので……」
「ああ……そうね、そういうことしそう……」
にわかに青ざめはじめる私たちと「気を付ければ大丈夫ですよ!」と言い出しっぺのくせにやけに能天気な日向子。
それらを、カルムは呆れた様な冷たい瞳で見下ろした。
「……ねえ、お前たち目的忘れてない?」
ごめん。ちょっと忘れてた。
「み……皆様、ご用意はお済みですか……?」
そうこうしているうちにぱたぱたと廊下を走る音がしてそちらを見ると、そこには息を切らして走ってくるマルカラがいた。手に名簿のようなものを持っている。
「あれ、マルカラ。どうしてここに?」
キッチンメイドであるマルカラの職場は、厨房であるはずだ。舞踏会が昼からあるんだから、料理の準備とかに忙しいんだと思っていた。
「今年はお客さんが多くって……珍しいお客さんも多いですし……キッチンの方はとりあえず大丈夫だからって、私がご案内の手伝いをすることになったんですよ……ああ、緊張する……」
消え入りそうな声でそう嘆いたマルカラの持つ名簿は、既に半分ほど印が付けられていた。
……ということは、あと半分ご案内しなきゃいけないのか。ご愁傷様。
「そういえばヘーレーさんってどこですか?わたし達はヘーレーさんと一緒に会場に行くのでも……」
「あんたお姫様に道案内させる気なの???」
思わずツッコむ。もうちょっと考えてから発言しなさいきみは。マルカラもカルムたちも苦笑いだぞ。
「うふふ……ヘーレー様はもう会場におられます。誇り高き騎士姫様に相応しい、美しい装いでしたよ……」
マルカラは微笑み、こちらですと左を指さして歩き出した。
私たちも鳥の雛のように彼女の後ろにくっついて廊下を進む。途中で雪色の花が咲き誇った中庭を通り、そこを見渡せるようにか大きな窓がついた明るい廊下を渡る。薄そうに見える生地の上に白いもこもこした上着を羽織っただけなのに、不思議とあまり寒くはなかった。
「えーっと、つきました!ここです、ここが『レイヴン・ダンスホール』、第一王子エルヴェ様のお誕生日パーティが行われる、アンネリヒト王国で一番のダンスホールですよ!」
歩くこと十数分。マルカラが仰々しい扉を開けた先には、煌びやかなダンスホールが広がっていた。銀と青と白を基調とし、統一された厳格なのに流麗な装飾に彩られたそこは、まさに北国の芸術の結晶といった美しさだった。この世界の芸術とか知らんけど。
「すっごい……こんなに豪華で綺麗なのになんで『カラス』なの?」
「え、えっと……ごめんなさい、何でだったかな……」
答えに窮したマルカラの代わりに、ビオスとカルムが口を開く。よく考えたら、移民のマルカラより領地の聖職者であるビオスと、以前親交のあった王族のカルムの方が詳しいか。
「この国の伝説に出てくる、三尾のカラスが由来ですね~。善き世界を護る、善悪のバランスを取る神鳥とされていて、この国ではカラスは大事にされているんですよ。」
「僕の国だと、災いを運ぶ不吉な存在とされてたけどね。でもアンネリヒトではいなくなると国が傾く、なんて言い伝えもあるらしい。カラスを家紋に入れてる貴族も多いよね」
へえ~、と私と日向子とマルカラ三人そろってあほ面で感服の声を上げてしまう。
それにしても、三尾のカラス。なんか最近どこかで見たような……?
「あぁっ!まだお呼びしなきゃいけないひと沢山いるんでしたぁ!!!!ごめんなさい、ごめんなさい、失礼しますッ!!!ダンスホールであの、開始時間までご自由にお過ごしください!!!」
マルカラの素っ頓狂な声ではっと我に返る。どたばたと走り去っていくマルカラ、つやつやの廊下にずべしゃっと転んではよろっと立ち上がってあっという間に見えなくなるマルカラを呆然と見送り、わたしたちは言われたとおり扉の先のダンスホールへ足を踏み入れた。
「変わらないね、ここは……」
カルムがダンスホールを歩みながら、懐かしそうにため息をつく。
彼にとっては、幼いころ兄王子たちやタリスさんと訪れた思い出深い場所だ。きっとあちこちに、昔日を偲ぶような何かがあるのだろう。だが。
「……ご自由にって言われたけどさあ、正直何して良いかわからなくない?」
「そ、そうですね……?」
彼には悪いがカンペキ余所者の私は同じく余所者の日向子と顔を見合わせて、それから頼りなくあたりの招待客らしき人々に目をやっていた。煌びやかなドレスやスーツに身を包んだ彼らは、もう既に何グループかにまとまって談笑している。そのなかに放り出された私達は、さながらクラス替え初日に友達と引き離され既にある友達グループに割り込むこともできない不運なコミュニケーション弱者のようだ。どうしようもねえ。
こんな時には、幸運が起こらないかぎり、この構図は変わらない。
「あら?その純白……デビュタントかしら?」
「まあ素敵!あたらしいお友達が増えるのね!」
そう、グループの中心人物が声を掛けてくれる、なんて幸運が起こらなければ。
「ああ、急に話しかけてごめんなさいね。私はニンファ。ベラドニア子爵家のニンファよ。よろしくね、社交界へようこそ」
「わたしはエルジェベト!エルジェベト・バトリー辺境伯よ、よろしく!」
話しかけてきてくれたのは、頭に睡蓮の花を飾った長い銀髪の少女と、血のように赤い薔薇の花飾りをつけた、金髪でボブヘアの少女だった。
名前と一緒に名乗られた爵位がどれぐらい偉いかは忘れてしまったけれど……ニンファが身に着けている黒い妖艶なドレスと多分豹の毛皮を使った暖かそうなコートも、エルジェベトの重厚な濃紫のドレスも、どちらも安そうな生地には見えなかった。間違いなく、金持ちで、偉い人たち……。容貌は中学生くらいだけれど、私達よりずっと落ち着いた大人に見えた。
「私達、デビュタントの子って大好きなの。パーティが始まるまで、私達とおしゃべりしない?」
ニンファはそう言って、私達の方へ白く美しい手を差し出した。
アンネリヒト王国の、貴族。苦しむ人外種の、上に生きる人々。
この世界で初めて出会ったその人たちは、まるで妖精のように可憐な姿をしていた。
《28話に続く》
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