第25話〈デビュタントドレスとヴェロナ伯爵のこと〉



「まあまあ!こんな可愛らしいお嬢さんがたのドレスを仕立てられるなんて、わたくしとっても感激ですのよ!感謝いたしますわ、ヘーレー第一王女殿下!」

お辞儀をした二人の女のうち、先に口を開いたのは体格のいいヴァネッサだ。

銀縁の丸眼鏡の奥にある大きな蜜色の垂目をぎゅっと細めて、人好きのしそうな笑みを浮かべたまま、両手を組んで嗚呼と多少大げさに嘆息をしている。

小柄なインカローズの方はというと、おべっかはおしゃべりヴァネッサに任せて一言も発さないまま、そのドールのような顔でじっと私達を観察していた。……ちょっと怖い。


ヘーレーはヴァネッサに笑みを返し「じゃあよろしく頼むよ」と言ったきり甲冑を鳴らして足早に去ってしまう。思わず追いかけようとした私を阻んだのは、あとからぞろぞろ入ってきた女たちや男たちだった。みんな一様に黒い服を着て、大きな鞄を持ち、三尾鴉のしるしを付けている。彼ら彼女らは素早く男女に別れると、男たちはカルムとビオスをあっという間に別の部屋に連行してしまった。あとには呆然とした私たちと、黒い服の女たちが残される。


「お洋服を脱ぎますからねえ、殿方には退場して頂きましたわ。ああ、それにしても……異世界人なんですってねえ。確かに、見ないお洋服ですわ!水兵の服を女の子用のデザインに変えていますのこれは……素材も見ないものですし……」

ヴァネッサは男たちが出ていくなり、私のセーラー服をしげしげと眺めて頬を染め、はあと溜息を吐いた。……間違いない、こいつ変な奴だ。絶対変な奴だ。服飾に興奮するタイプの奴だ。あまりの圧に私は身を引こうとするが、見た目以上に力が強くて引きはがせない。甘い香りの香水がむっと私の鼻腔を責め立てた。


「こらヴァネッサ、ちゃんと仕事して。あたしも気になるけど……今回の仕事は異世界人の服飾の研究じゃないでしょ。あたしも気になるけど」

インカローズが小さな手で、ヴァネッサの後頭部をぺんと軽くはたいた。それを受けてヴァネッサはぷうと頬を膨らませながらも私の身体を離してくれる。じたばた藻掻いていた私は急に離されよろけたが、彼女の甘い香りから解放されてほっと息をついた。悪い匂いではないけれど、あれに包まれているのはちょっと辛い。


「それにしても……見てよヴァネッサ、この子の身体……ありえないくらいガリガリよ。あばら骨も浮いてるし、傷や痣だらけだし……異世界も大変なのね」

インカローズの方を見れば、もう既に日向子は下着一枚にされていた。血の気の感じられない青白い肌に、痩せてあばら骨が浮いた平坦な胸。あちこちにある殴られたような痣や傷……朗らかに微笑む日向子にはそぐわない、みすぼらしい身体だった。私も人のことは言えないけれど、ここまでではない。……全部、あいつのクソ親父や学校のゴミ共に付けられた傷だ。彼女は「かわいそうな人たちなんですよ、仕方ないです」と笑っていたけれど。


ヴァネッサは瞳を潤ませ唇も歪ませて、ちょっと大仰に悲しそうな顔をしてみせた。

「まあひどい!でも大丈夫よ、お姉さんたちがこんな傷もやせぎすの身体も問題にならないくらいに、素敵なレディにしてあげるから!」

そう言ってがばと日向子に抱き着く。日向子は何をそんなに感極まっているのかわからないといった顔で、ただにこにこ笑って「うれしいです、ありがとうございます」と言ったきりだった。


そんな二人に呆れたように肩を竦めて、インカローズがこちらへ歩み寄ってくる。

「……ヴァネッサは感激屋なの、勘弁してあげてね。さ、あなたも脱いで。採寸するの。

あなたの身体、あなたの肌にぴったりのアクセサリーも選ばなくっちゃいけないし。」

「わかった……」

インカローズの大きな瞳に気圧されて、私もさっさと服を脱ぐ。

安物のショーツ一枚になった私をインカローズはじいっと観察して、「あなたも痩せすぎね」と呟いた。「肌も荒れてる」という一言が胸に刺さる。そりゃそうだ、不健康にもほどがある生活を送ってきた不良少女なのだから。


少し寒い部屋で裸に剥かれて鳥肌を立てている私達を容赦なくあちこち採寸したふたりは、服を着せてやるように他のスタッフに頼むと持ってきた大きなトランクをいくつも開いて中身を吟味し始めた。

今まで着ていた黒セーラーは汚れているからと取り上げられ、代わりに白い無地のワンピースを渡される。風邪引くからとりあえず着とけ、みたいな服だが、肌触りはさらさらとして、けれど温かく、一言でいえばとても良かった。私に似合うかはともかく。(なお、日向子には非常に似合っていた。ただそれで雪原とか行かれたら間違いなく見つけられなくなると思う。)


さて。ヴァネッサとインカローズのふたりはというと、私達をまるでほっぽって布や宝石を手にぶつぶつと話し合っている。

「どっちの子もシンプルなのだと幽霊みたいになっちゃいそうねえ、なるべく豪華なのにしましょ。この模様入りの布を使うのも良いわね!」

「ユウキ様のほうは綺麗な黒髪だからシノワズリとか、カンナギ・スタイルとかも良いと思う。ああでも折角仲良さそうなふたりなんだしお揃いにしたいな……双子風って最近流行だし」

と、好き勝手話しているわけだが、手にしている布は全部白、白、白。

多少の光沢や模様の違いはあるが、私には正直全部同じに見える。

……というかこっちでも流行ってるんだ、双子コーデ。ちょっと見てみたい気がする。


しかしやはり気になることがあって、夢中なふたりに口を挟む。

「……ね、白しかないの?私あんまり白似合わないと思うんだけど」

そう。私は目つきが悪すぎて、白が似合わないというかフェミニンな服全般が似合わない。

対して日向子は生まれながらの天使的美少女なものだから、淡い色も濃い色もきっとなんだって似合う。特に私の似合わないフェミニンなワンピースやドレスなんか着せたらあっというまにプリンセスだろう。そんな彼女と揃えられてみろ。お姫様と鬼婆だぞ。酷いぞ。


「あら、そんなことありませんわ!それに、デビュタントドレスは純白!って決まってますのよ、他の色がお好きでもこればっかりは諦めてくださいまし」

ヴァネッサが眼鏡の位置を正しながら強情に返す。どうしても白以外は作ってくれなさそうだった。……居候みたいな身で我儘言うのも悪いけれど。


「あのう、そのデビュタントドレスってなんですか?」

日向子が私の後ろからひょっこり顔を出し、首を傾げる。丁度、私も聞きたいことだった。

普通のドレスとは違うもんなんだろうか。ドレスなんて着たこともなければ、舞踏会なんて出たことも無い。私達に比べれば、まだあの貴族街に住む幼児の方がものを知っているだろう。そんな無知な私達の問いにも、ヴァネッサは笑って答えてくれる。

「うふふ。デビュタントドレスっていうのはですねえ、社交界に初めて出る女の子が着るドレスのことですわ!国によって違うようですけれど、アンネリヒトでは無垢な純白を纏うことでまだ何物にも染まっていない純粋な少女であることを示すと共に、仲間入りしたばかりでまだ不慣れであることを示す目印の役目も果たしますわね。ちなみに男性はフラワーホールにアマ―ルリリ―の花を差しますわ」

「あ、ここでも出てくるんだアマ―ルリリ―……本当に名産なのね……」

しかし、と私は溜息を吐く。純粋な少女のための衣装だなんて、いよいよ私には似合わない。

私は純粋とは真逆の女だ。親に逆らい、家出を繰り返し、援交で食いつなぎ、世間と言うものに中指を立てながら生きている。私が纏えば、きっとあの黒いトランクに詰まった純白の布の全ては、泥水の中に落としたように汚れてしまうだろう。それが、なんだか申し訳なかった。


しかし憂鬱な思いを抱く私をよそに、ヴァネッサは笑顔で話を進める。

「ああそれから、花嫁探しの指標にするお家もございますわね。今回は平民も混ざっているパーティですからそこまで真剣な方はいらっしゃらないでしょうけど」

花嫁探し。その言葉に、私と日向子は揃って顔を曇らせる。

「えっ、困るんだけど……私結婚とかするつもり一切ないし……」

「はい、それにいつかは元の世界に帰らなければいけませんし。」

困惑する私達を安心させるように、黙ってジュエリーを吟味していたインカローズが装飾品から目を離さないまま応えた。

「ああ、大丈夫よ。昔と違って今は女から断れるもの。求婚されても『お断りします』でいいのよ。それでもそいつが何か言ってくるようなら近くの使用人に言えば止めてくれるわ」

なるほど、それなら安心だ。……というか断れない時代があったのか。送られた時代がそこじゃなくて良かった。まあ、日向子はともかく私みたいなみすぼらしくて怪しい異世界女に声をかけてくるような奴はいないだろうけど。


「ふふふ。でも着飾っておいて損はありませんわ。ここだけの話、今回の舞踏会には珍しくうちのボスがいらっしゃりますのよ。お忙しい上に舞踏会嫌いでめったにお顔をお出しになりませんのに。」

ボス?と聞こうとして、ヴァネッサのドレスについた銀のバッジが目に入る。

インカローズにも、ラプタにも、ノッケンにも、テナシーにも付いていたバッジだ。

勿論、問題のジークリードにも。

三つに分かれた尾羽を持った、鳥のバッジ。ヴァローナ商会に所属する者を示す証。

彼女が言う、『ボス』。私達はその正体を、名前だけでも知っていた。


「……それって、ヴェロナ伯爵のこと?」

「ええ、ええ!そうですわ、よくご存じでしたわね!そうですわ、ヴァローナ商会の当主、コルニクス・ヴェロナ伯爵がいらっしゃいますのよ。彼は優しく寛大、とても慈悲深いお方で、種族も性別も出身も問わずお認めになった者には支援を惜しみませんの、だからあなた達も気に入られれば、ぐっとこの世界で行動しやすくなりますわ!かく言うわたくしも、南の砂漠に暮らす貧民から一転してこの職を得た訳ですもの!」

ヴァネッサの明るい笑顔を見て、私はその『ヴェロナ伯爵』への緊張感が薄れていくのを感じた。なあんだ、いい人なんじゃないか。小説や漫画で見る、貧しい芸術家のパトロンになってくれるお金持ちみたいな、そんな感じだ。愛想よくするのは苦手だけれど、上手く立ち回ればいろいろと援助してもらえるのかも知れない。彼の脳内イメージが厳めしい髭のおじさまから優しい笑顔のおじさまに変化していく。


「……ヴァネッサ、喋りすぎ」

しかし選定を終えたらしいインカローズが、宝石箱を抱えながら不機嫌そうな顔で口を挟む。そして、私達をじっとりと睨むように見た。

「旦那様に気に入られようとするのは勝手だけど、あの人あからさまに媚売ってくる奴は嫌いだかんね。期待外れだったら切られるし、裏切って不利益でも与えようものならこれだから」

そう言って、彼女は手で銃を作り私のこめかみを撃ってきた。えっ、殺されるってこと?


……前言撤回。私のヴェロナ伯爵のイメージはまた厳めしい髭のおじさまに戻ったばかりか、その片手に拳銃が追加され、恐ろしさが倍増された。



〈26話に続く〉

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