第24話〈アンネリヒト王宮の朝食と商会の仕立屋〉




無事雑用の手伝いを終え、もう空が白みかけた頃に寝付いた日の、翌朝。


「やあおはよう諸君!素晴らしい朝だね!」

「そーね……はぁ……」

相変わらずの暑苦しい笑顔で部屋を訪れたエルヴェ王子を、私と日向子、隣室のカルムとビオスはずらりと寝不足の顔を揃えて出迎えた。王位継承権第一位ってやつは、案外暇なんだろうか。

「あれれ、どうして皆そんなに隈を作っているのかな。ゲストルームのベッドに何か不備が?シーツの下にお豆でも入っていた?」

んなわけあるかアホ、こちとら激安ネカフェの言い訳みたいな椅子でも寝れるような女だぞ、という文句を謹んで、私はひきつった笑みを浮かべていた。勿論ラーミナとエトワールの仕事を手伝っていたからなのだが、こいつに言ったところで嘲笑されるのが関の山だ。気分を悪くするのは明白なので、笑ってごまかしておく。


「ラーミナさんとエトワールさんのお仕事手伝ってたら、寝るの遅くなっちゃったんです」

「……………。」

はあ。深く深く肺の底から溜息を吐く。こういう女だと分かってはいるが、どうしてこうも私が言わないでおこうと思ったことをこいつは全部言っちゃうんだろうか。もはやわざとに思えてくる。このまま窓から投げ捨てたい。そんな私の感情は露知らず日向子はにこにことエルヴェ王子に笑いかけている。


「はぁ、君たちも大概お人よしだねえ……まあいいや、朝食を準備させたから部屋に運ばせるね。じゃ、僕は公務があるから。じゃあね!」

きさくに手を上げ、言いたいことだけ言って去っていくエルヴェ王子を、私はなんとなく疲れたような心持でおざなりに見送った。ねちねちと腹立つことを言われなくてホッとはしたが、あいつと話しているとなんだかどっと疲れる。できればもうお目にかかりたくないものだ。心の中で、そっと中指を立てておく。黙ったまま私と同じようにひきつった愛想笑いだけを浮かべていたカルムとビオスも、ああ疲れたといった調子で溜息をつく。日向子だけは、やっぱりにこにことしたまま彼の豆粒ほどになった背中にお手手を振っていたが。


「あのぅ、皆さん朝食をお持ちしましたよ」

突然、疲れた顔を突き合わせ眉間を揉んでいる私達の輪へ、ごろごろしたワゴンの音と、可愛らしい声が割り込んできた。

顔を上げて振り返れば、背の低いメイドが朝食らしきものをワゴンに乗せてこちらに歩いてくるところだった。茶色の短い髪はふわふわで、目鼻立ちも柔らかく、愛らしい。昨日見たマルカラのものとは違って、明るい水色のメイド服だ。エプロンの裾には爽やかなストライプ模様まで入っている。メイドさんというより、どこかのオシャレなカフェの店員のようだった。


「あたし、パーラーメイドのミラです。どうぞよろしく、お客様~」

軽い調子でカーテシーをするミラはいかにも陽気そうで、昨日会ったマルカラとは正反対だった。なるほどミラのような人間がパーラーメイドを務めているのなら、マルカラには向いていなさそうだ。


「……? ユウキ様、あたしの顔になんか付いてます?」

そんなことを考えているとミラがそう首を傾げるので昨日のいきさつを話してやるとミラはおおきく口を開けて豪快に笑った。


「あっはは、マルカラに会ったんですね。あの子、いい子でしょう~。あたしの友達なんですよ。美人で優しくて仕事もできるのに引っ込み思案なのが玉に瑕で……あたしも同室じゃなきゃ友達になれてなかったかもしれないですね。お客さん、幸運ですよお」

にこにこと嬉しそうに話しながら、彼女はてきぱき朝食の配膳をする。男部屋用と女部屋用のふたつに分けようとしたとき、カルムがおずおずと相談事がしたいから一緒の部屋に並べてほしいと意見しても、ミラは笑顔で快諾してくれた。見た目通りの、快活で陽気で優しい女に思える。あまり私の得意なタイプではないが、悪い人ではないのだろう。


「んじゃ、あたしは戻りますんでごゆっくり~。何かあったらそのへんの使用人呼びつけちゃって大丈夫ですよ、みんないい人ばっかですから!」

そして、無駄におしゃべりを続けて長居することもなく立ち去っていく。

ああ、とても好感の持てる人物だった。エルヴェ王子もあのくらいさっぱりしていたらいいのにと思いながらも、私の意識は既に朝食に移りつつあった。思えば昨日取った食事といえば、タリスさんが持たせてくれた保存食だけだ。味は良かったし腹持ちもしたけれど、やっぱり食事は腰を落ち着けてしたいし、もっと欲を言えば温かいものが食べたい。


「えへ、楽しみですねえお城のお食事って!わたし初めてです!」

「そりゃそうでしょ、私だって初めてよ」

クソ親や繁華街のオッサン達の財布からくすねた金で食べるジャンクフードがごちそうの私達にとって、王宮の食事なんて夢のまた夢だ。私はクリスマスプレゼントを開ける子供の様に(そんなもの、生まれてから一度も貰ったことないけれど)わくわくとして銀のフードカバーをあけた。


「わぁ……!」

思わず、歓声をあげる。きらきらとした輝きが、私の目を惹きつけた。

まず目に留まったのは、明るいオレンジ色をしたマーマレードを塗った柔らかそうなトースト。それから、向日葵のように黄色いふわふわのスクランブルエッグ。控えめに、サーモンのような赤身魚と何か葉野菜、ドレッシングのかかった白い花が添えてある。その傍の流麗な細工が施されたガラスボウルには、サクランボにもスーパーボールにも似た色とりどりの小さなフルーツが盛られていた。ミラが置いていったティーポットにも、あのコンビニのペットボトルミルクティーなんかとは比べ物にならないほどの芳香を放つ紅茶がたっぷりと満たされている。まさに、貴人の朝食といった風格だった。量だって多すぎることも少なすぎることもなく、やせっぽちの少女と育ち盛りの少年や青年とで別々に丁度いい量が設定されていた。……もっとタンパク質とかを取れというメッセージなのか、私や日向子の皿は心なしか魚や卵の比率が多めに見える。


「やっぱり、アンネリヒト王宮の朝食はすごいね……豪華だ」

唯一王宮の食事を経験したことのあるカルムもほうと溜息をつく。暫く教会暮らしだったとはいえ別の国の王子からしても、ここの食事は良質なものらしい。

「ウィンドダリア王国は、一大穀倉地帯として有名でしたね。そこの王子からしても、やはり豪華ですか?アンネリヒト王国は飯が不味い、なんて噂を外国の旅人から時折聞くもので」

僕は特にそう思ったことないですけど、と首を傾げるビオスの横で、私は顔をひきつらせた。

なんだそりゃイギリスかよ、と思ったがよく考えれば建物の外見は私達(現地の彼らに言わせれば、異界レアリテ人)がぱっと想像する所謂ヴィクトリア朝、19世紀イギリスによく似ているのだ。

異世界だからぴったり同じではなかろうが、と私は見慣れない葉野菜や色とりどりのフルーツを警戒した。しかし腹は文句を唱えるようにきゅうと鳴る。


「え、全然美味しいですよ?」

その横で日向子は無頓着にもうトーストを頬張っている。そりゃ昨日の朝食は部屋の隅の埃だった、なんて話をしたことのある女に言わせたらみんな美味しいでしょうよ。

私も恐る恐る、赤身魚にフォークを伸ばしてみる。さっと見た感じは、サーモンのように見えるが……。ぱく、と決心して口に入れれば、新鮮な脂と魚介の味がふわりと広がる。うん、何のことは無い。普通にサーモンだこれ。すごくおいしい。

「……うん、おいしいわよ?ほんとに不味いなんて噂があるの?」

私も日向子と同じように首を傾げる。貧乏舌の庶民以下どもに言われても説得力はなかろうが。


紅茶で喉を潤しながら、一旦食事をやめカルムが難しい顔で口を開く。

「うーん……アンネリヒトの食材は癖が強いのも結構あるから……それに素材の味を生かすものが多いからスパイスや調味料で濃い味付けをすることを好む南や東の人の口には合わないのかも。」

彼は皿に視線を落とし、ドレッシングが掛かった白い花をさす。

「例えば……これはアマールリリーっていう食用花なんだけど、嫌いな人が多いんだよね。

ほぼ飾りみたいなものだし、食べたくなかったら食べなくても大丈夫だと思う。」

僕は好きだけど、とカルムはそれをフォークで半分に割り口に入れる。しゃくしゃくという瑞々しい音がするが、そう言われるとやっぱり身構えてしまう。しかしその隣で案の定日向子は躊躇もなく口に放りこみ「おいしいです~!」なんて言っている。

……食わず嫌いは良くないか。私も花弁の一片だけをはがし、口に入れてみる。


「……う」

しゃく、と噛んだ途端、生玉ねぎとパクチーのあいのこような味と触感を感じた。

まったりとしたドレッシングが癖の強い辛味と苦みを中和してくれるが、あんまり好きな味ではない。私の青い顔を見て、ビオスは苦笑いをしながら紅茶を継ぎ足しカルムは肩を落としながら残りの花を引き取ってくれた。

「……こんなわけで、こういうのを食べた旅人が『アンネリヒトの飯はまずい』なんて言うんだって。宮廷料理人の料理でそれなんだから下手な料理屋で食べたらもっと酷いかもね、ってヘーレーが言ってた」

そう話を結んで食事を再開したカルムに受け売りなんかいと突っ込めば、当たり前でしょ僕現地人じゃないしと返された。そりゃそうか。


幸いにも苦手な食材はさっきのアマ―ルリリ―くらいしかなく、例のスーパーボールのようなサクランボのようなフルーツ(トリドリベリーというらしい。変なの)も何味と形容しがたい感じではあったものの、甘酸っぱくて美味しかった。生まれて初めての高級料理にお腹壊さないかなと心配しつつ美味しいものを腹いっぱい食べた満足感に紅茶をすすりながらふうと息をついていると、控えめにゲストルームのドアが開けられて、ひょこっと麦畑色の髪を備えた愛らしい少女の頭が覗いた。疑いようもなくヘーレーだ。

「みんな、朝ごはん終わった?」

既に彼女は身支度をすっかり終え、昨日とは違って銀色に輝く防具のついたドレスアーマーを着ていた。片手には兜を抱えている。まさに姫騎士といった装いだ。動くたびにかしゃんという金属的な音が鳴る。重そうだが、彼女は慣れ切っているのかその動作に気だるそうな様子はない。すごいなあ。


「あれ、こんな朝早くどこか行くんですか?」

呑気な日向子の問いに、ヘーレーは笑って答える。

「うん、王都の巡回。アンネリヒト騎士団の重要なお仕事だよ。困っている人がいたら助けてあげなきゃいけないし、魔物が近くにいるようだったら駆除しなきゃ。国民を護るのが、騎士の義務であり王族の責務だからね!」

それじゃあ短い間で済まないけど、と部屋を出て行こうとするヘーレー(出立前に顔を見に来ただけだったらしい)を、カルムはああそうだと引き留める。


「舞踏会なんだけど、僕たち全員燕尾服もイブニングドレスも持ってないんだ。借りられる?」

カルムが言っていた相談事ってそれだろうか。確かに私達が持っているのはこの黒セーラーとジリアに貰った着替え数枚だけだし、カルムとビオスもこの様子では舞踏会用の服なんて持っていないだろう。まさか、平民も招かれているとはいえこの地味な服で舞踏会に出る訳にもいかないし。しかしヘーレーは彼を安心させるように、にっこりと笑った。


「ああ、そのことなら大丈夫。貸すこともできるんだけど、今回はもっといい手段があるから。」

そう言って、ヘーレーは横にどける。扉をもう少しだけ広げて、隣にいたらしい誰かを手招いた。はぁい、という軽やかな女の人の声がして、すっと二人分の影が差した。

いいや、影ではない。ふたりとも、真っ黒なドレスを着ているからそう見えたのだ。


「こんにちわぁ、皆様」

「こんにちは」

扉から現れたのは、豊満で堂々とした体格の、桃色の髪をハーフアップに結い上げた長身の女、それから生クリームのようにふんわりとした髪をツインテールに結んだ細身の少女だった。ふたりともドレスの裾を優雅に摘まみ上げて、綺麗に揃ったお辞儀をする。

そしてゆっくりと顔を上げ……女の方はふっくらとした唇を曲げて笑い、少女の方はにこりともせず眠たげな眼を真っ直ぐとこちらに向けた。


「紹介するよ、彼女たちはヴァローナ商会に所属する、服飾商のヴァネッサ嬢と宝飾商のインカローズ嬢だ。君たちのデビュタント・ドレスの仕立てを快く引き受けて下さった方々さ!」

ヘーレーの紹介に、ふたりは感謝するようにもう一度頭を下げる。

喪服のような彼女らのドレスの胸元で、三本の尾羽を持つ鳥のピンバッジがきらりと光った。



〈25話に続く〉

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