第23話 〈エルヴェ王子と使用人たち〉




「やっっっとついた…………」

「あはは、お疲れさま。すっかり遅くなっちゃったね……」


夜もとっぷり深まったころ。途方もない距離歩かされた挙句門番にものすごく待たされること数時間。門番や貴族であろう住民に怪訝な目で見られること数十回。私達はやっと、ペトロ地区の門を潜り王城の前まで来ることが出来た。


遠くからでも堂々とした佇まいを見せていた美しい城は、近寄ればより壮麗なのだろう。ただ今は深夜であることに加えて、へとへとで霞んだ私の目にはただのばかでかい石の塊に見えない。今の無教養な獣と言っていい私には美城の鑑賞をする余裕などなく、一刻も早くなるべく柔らかなベッドとかで寝かせてほしいという思いしかなかった。


「あのぅ、こんな夜遅くに帰ってきて怒られないんですか?ヘーレーさんって『お姫様』なんですよね?王族ってそういうの厳しそうなイメージが……」

日向子がおずおずとそう聞けば、へ―レーは少し悲しげに微笑んだ。

「あは、ボクは騎士でもあるからね。深夜や早朝に帰還するなんてことも珍しくないのさ。

それを抜きにしたってボクは放蕩娘だからね……父上も、とっくに心配なんてしてくれないさ」

寂しそうな声色でそう答えて、ヘーレーは巨大な城門を見上げる。


ぎぎぎぎぎぎ、と億劫そうな音を立てて、城門がじれったく開いていく。

それはきっと侵入者を容易に立ち入らせないための仕組みであり、城を訪れる来賓たちにこの奥に広がる宮殿や庭園をより美しく見せるための演出でもあるのだろう。

しかし壮麗な城や庭が満を持して顔を出す前に、わずかに開いたその隙間から趣深い演出を無視して背の高い何かがシュッと弾丸のように飛び出してくる。

そして不審で不躾なそれはいきなり、がばりとあろうことかヘーレーを抱きしめた。


「ちょっ……何すんのよ!ヘーレーを離しなさいよ!!」

思わず杖をその不埒な人影に向ける。私はヘーレーに邪心を抱く不審者だと、瞬時にそう判断した。

だが、エトワールもラーミナもカルムもビオスも、抱きしめられたヘーレー自体も迷惑そうな顔をしているだけだ。……日向子はいつも通りぽかんとした顔をしている。


「あー……」

ヘーレーが気まずそうな、気恥ずかしそうな声を上げる。

天上をゆっくりと回る月が、スポットライトのように人影を照らした。

「ああ、こんなに夜遅くまで出かけていて……心配したんだよ、かわいい妹よ」

明るく照らし出されたその男は、ヘーレーと同じ麦穂のような、みごとな金髪を持っていた。

「……恥ずかしいから離してよ、兄上」




「いやあははは、まさかヘーレーが異世界人の友達を連れて帰ってくるなんてなあ。やっぱり我が妹は面白いなあ!」

数分後。私達は蝋燭の明かりしかない暗い廊下をこのやたら口数の多い男……ヘーレーの兄、アンネリヒト王国第一王子エルヴェと共に歩いていた。

第一王子、次期王位継承者だという割には、随分と口が緩い。表情も緩い。態度も緩い。おまけにヘーレーにでれでれだ。王位を簒奪せんと志す妹相手に。……正直、こいつとヘーレーだったら明らかにヘーレーの方が強そうだし、王に向いていそうだ。王の器の条件なんてわからないけれど。

「それに、霧の森の教会からわざわざお越しくださったビオス神父と……嗚呼、わが友カルム・バシレウス・ウィンドダリア!生きていたんだな……そなたの無事を、私は心より喜んでいる。あとでゆっくり、話を聞かせておくれ。あの戦乱の中を、どうやって生き延びたのかを」

エルヴェはビオスに深々と頭を下げ、カルムの頭を撫でて、慈愛に満ちた瞳をする。

そして私たちに向き直り、さっと私の手を攫った。

「ひっ……!?」

びっくりして手を振り払うと、エルヴェは悲しそうな目をして跪き、こちらを見上げた。

「嗚呼、すまない……手に親愛のキスをするのがアンネリヒトの貴公子から貴婦人への挨拶なのだが、異世界では違うのかな」

まるでお預けを食らった子犬のような、その哀れっぽい顔に、うっと喉が詰まる。

ファーストインパクトで軽薄シスコン野郎という印象が付いてしまっていたが、よくよく見ればなかなかどうしてこいつも器量が良い。ジークリードの破滅的な美貌には流石に負けるだろうが、こうしていればなるほど確かに『王子様』といった甘いマスクだ。

助けを求めてヘーレーの顔を見る。彼女の顔には「イヤだったら断っていいよ」と書いてあったので、お言葉(?)に甘えることにした。私に拒絶されてもエルヴェは嫌な顔ひとつせず「そうか」と笑って日向子の方へ向かった。


「うふふ、貴婦人なんて照れちゃいますね。わたし達全然どこにでもいる平民なのに」

「私達みたいな家庭環境の平民がどこにでもいてたまるか」

にこにこ笑顔のまま『挨拶』を受け取った日向子の言葉を、私はおもわずそう突っぱねる。

クソみたいな世界だけど、流石に私達みたいな腐りきった家庭環境で育つ子供は稀だと思う。そう思いたい。

「いやいや、出自なんて関係ないよ。

レディはレディさ。貴族の娘も平民の娘も貧民の娘もね。」

そう言って軽快にウィンクしながら、おそらくゲストルームであろう扉を真っ先に開いて私達を通してくれ、男性であるカルムとビオスには隣の部屋を宛がう彼の姿は、『王族なのに驕らない、優しくて気さくな王子様』といった印象を与える。しかし……エトワールは確かに彼のことを『クソ野郎』と言っていた。その罵倒と似ても似つかぬその顔に、私はなんとなく嫌な予感を覚えた。


そして、その予感は即座に当たることとなる。

「さて……ユウキとヒナコには舞踏会での基本的なマナーを教えなくちゃね。エトワール、ラーミナ、夜遅くまで悪いのだけど、少しだけ手伝ってくれる?」

ヘーレーに手招きされて、ラーミナとエトワールは嫌な顔ひとつせずかしこまりましたと一礼をし、ゲストルームに立ち入ろうとする。ごく自然な、慕う主人の命令を聞く従者といった行動だった。

だが。


「ああ、その前にエトワールはランドリー室に残っている下着類を全て洗濯、ラーミナは武器庫の槍や剣を全て磨いておくように。夜明けまでにな。それが終わってから、妹のお客人の世話をするといい」

だが、それを遮ってエルヴェがふたりに素っ気なく命令をする。こんな夜中に言いつけるにはあまりにも重労働であろう仕事を、悪びれもせず。

ふたりは勿論、ヘーレーや私たちも驚きの声を上げた。


ヘーレーが使用人ふたりを背中に庇いながらエルヴェを睨みつける。

「……待ってよ兄上、洗濯はイレーナたちランドリーメイドの仕事だし、武器の管理はギルヴァンたち武具管理人の仕事だ。そしてエトワールとラーミナはボク専属の使用人、ボクの身の回りの世話や護衛が仕事だよ。担当がまるきり違うじゃないか。それにこんな夜中にそんな仕事を言いつけて、ふたりが眠る時間が無くなるだろ!?なんだってそんなことを言うんだ、ランドリーメイドや武具管理人たちは何をしていたんだ!?」

そうヘーレーがまくし立てても、エルヴェはやれやれといった調子で首を振った。

「イレーナもギルヴァンも、この仕事は人外種二匹の仕事だと言うんだ。城によく尽してくれる人間の使用人と、可愛い妹を誑かして城に入り込んだ薄汚い人外種風情の言葉と、どちらが信用に値するかは明白だろう?

こいつらは言いつけられた仕事を放ってこんな時間までお前に媚を売っていたんだろう。ああ、可哀想な妹よ、お前は優しいから、こんな世界のゴミにまで目をかけて……」

そう言って溜息を吐き、エルヴェは心底軽蔑するようにラーミナとエトワールを見る。

そんなこと二人はしてないとヘーレーが叫んでも、エルヴェは全く聞く耳を持たなかった。完全にラーミナとエトワールを悪だと決めつけて、使用人たちが不当に投げ出した仕事を押し付けようとしている。

我慢が出来なくなって、私はずいとエルヴェの前に出た。

「待ちなさいよ、黙って聞いてりゃあんた……『出自なんて関係ない』なんて言っておいて人間以外は差別すんの?おかしくないそれ?」

私の言葉にも、エルヴェは薄笑いで返す。

「おかしくないよ、異世界のお嬢さん。流石に異世界でも、人間の娘と世界を滅ぼしかけた害獣の雌は分けるだろう?分けないのだったら……君たちの世界は野蛮だと言わざるを得ないね」

世界を滅ぼしかけた害獣。それが人外種たちを指していると、嫌でも分かる。

人間と人外種は戦争をしていたと、テナシーが教えてくれた。でもそれは、100年も前のことじゃあないか!それに……百年も昔だと言うなら、まだ十代のエトワールとラーミナには全く関係がない。謂われなき差別であることは明白だった。


その憤りを口にする前に、日向子が付け加える。

「それに、エトワールさんとラーミナさんはちゃんとお仕事をしていましたよ。馬でヘーレーさんを迎えに来て、一緒にゴブリンや革命軍に襲われた村を救いました。ラーミナさんだってエトワールさんだって、怪我をしたんです。それなのにどうして、そんな酷いことを言うのですか?」

日向子の言葉に怒りはない。ただ静かな困惑と疑問があるだけだ。

彼女の問いにもエルヴェは笑って答える。

「ははは、それはあたりまえ、最低限の働きさ!妹の手伝いはその人外種二匹の仕事だからね。しかしその襲撃にそこの二匹が関わってないとなぜ断言できる?妹にすり寄るための自作自演じゃないと、どうして?いいかい、人外種っていうのは、凶暴で、野蛮で、乱暴で、世界の覇権を人間から奪い取ろうとしているとんでもない奴らなんだよ。特にそこの雌みたいなスノウマーリンなんてのは、極北の地でザミェルザーチ教なんていう邪教を立てて人間を殺しまわっているそうじゃないか。だから────」


「エルヴェ様、そこまでに」

エルヴェの恐ろしい演説を打ち切ったのは、ひどく静かなラーミナの声だった。

ラーミナは床に膝を付け、エルヴェに深々と頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。即刻、役目を果たしてまいります」

皆が目を剥くなか、ラーミナはただただ意志を殺した表情で傅き、何か声を投げかけられる前にさっと立ち上がって長い廊下の奥にあっという間に消えてしまった。その背を呆然と見ていたエトワールも、はっとしたようにエルヴェに一礼をして別の方向へと走り去ってしまう。あとには呆然とした私達と、呆れたような表情のエルヴェだけが残った。

「やれやれ、これだから人外種は愚鈍でいけないな。ではお休み、我が可愛い妹とお客人方。アンネリヒトの夜は特に冷えるから温かくして寝るんだよ」

そのエルヴェも、何事もなかったかのようにさっさと踵を返して行ってしまう。

一発殴ってやろうと走り出そうとした私を、ヘーレーはそっと抑えた。

「……我慢してくれ。今のところ兄上は、この国で二番目に地位が高い。彼に危害を加えれば、ボクも庇いきれない。最悪死刑になるだろう。父上は兄上の方を特に愛しておいでだから……」

真摯な目でそう願われてしまっては、私も拳を納めるほかない。

嫌な空気の中で、一番最初に口を開いたのはカルムだった。

「……エルヴェ王子って、あんなに異種族嫌いだったっけ。僕は小さかったからよく覚えてないんだけど……」

カルムの呟きに、ヘーレーは首を振った。

「……ううん。異種族との戦争の歴史を教え込まれてたから、元々好きではなかったんだろうけど……5年前から、ウィンドダリアが滅亡してから、特に激しくなった。ボクが城にいられない時に、エトワールとラーミナに折檻もしてるみたいで……ふたりは隠すけれど、分からないはずないよ。ボクは彼らと、とても長い付き合いだもの……」

そう言ってヘーレーは、俯いてしまう。瞳にはやはり、深いかなしみの色が浮かんでいた。

ヘーレーはこの城で、殆ど孤独なのだろう。父には嫌われ、兄や使用人たちは信頼する側近に嫌がらせをする。私も家族に嫌われて、家では孤独だったからよくわかる。あんな場所には一秒だっていたくもなくて、しょっちゅう夜の繁華街を遊び歩いていた。ネットカフェやラブホテルを渡り歩き、1か月帰らないなんてこともザラだった。……大国の王族で、変革を望む騎士である彼女は、きっとそんなこともできないのだろう。あの日、イルフロン達の住む洞窟で彼女から王宮の愚痴を聞きだせはしたけれど……そこに憎しみの色は無かった。ただただ、『こういうことがあってこういう人がいて辛い』という吐露だったのだ。

だから、彼女は父も兄も使用人も憎んではいないのだろう。それがなんだか、私には腹立たしく思えた。


「あの、皆さん。舞踏会は一週間後なのですよね?」

私が煮え立つ腹を抑えこもうとしたその時、仕切り直しの手拍子のようなビオスの声が響いた。このままでは余計に『異種族差別派』達への忌避感をこじらせ、空気が悪くなると気を使ってくれたのだろう。ビオスは重荷の老婆を気遣うような顔で、こう提案した。

「だったら今日のところはお勉強をお休みして、ラーミナさんとエトワールさんを手伝いに行きませんか?ひとりでやるより皆でやった方が、きっと早く終わりますよ」



ビオスの提案に、反対する者はいる筈もなかった。

その場で適当に分かれ、洗濯をヘーレーと日向子とカルム、武器磨きを私とビオスで手伝いに行くことになった。ヘーレーに教わった武器庫の場所に、温かなケープを着て駆けつける。勿論、ラーミナの分も忘れずに。

「アンネリヒトの夜は冷える」。エルヴェの言葉通りに、一歩外に出れば刺すような北風が吹き抜ける。ここまでの道のりでは疲労と門の仕組みへの怒りでそこまで感じなかったが、夜も更けた今ではその残酷な冷たさがより強く体を通り抜ける。この寒さのなかで、武器庫でひとり武器を磨き続けるのはさぞ辛いことだろう。暖房もない、ランタンの頼りない明かりしかない武器庫で冷たい武器を黙々磨き続けるラーミナを想像して、私はなんだか悲しくなった。


「……あれ?話し声が聞こえますね。こんな時間なのに。」

ビオスが倉庫のほうを見ながら、不思議そうにそう呟く。

私にはまだ何も聞こえない。まさか幽霊の声でも聞こえてるんじゃないか、とぞっとした。

思えばこの古めかしい城は如何にも『出そう』だ。例えばほら、いじめ殺されたメイドの霊とか……。そう自分で考えて自分で怖くなってしまい、惨めにも足がすくむ。

けれどそんな私にはお構いなしに、ビオスはずんずん行ってしまう。幽霊も嫌だけれどこんな夜にひとり取り残されるのも嫌なので、私は内心べそをかきながら武器庫へ向かった。




「お気遣いどうもありがとうございます。ビオス様、ユウキ様。」

「いや、良いんですよ。災難でしたね」

倉庫はやはり、どこか薄暗かった。殺風景な倉庫の中に、物言わぬ冷たい刃物がずらぁりと並んでいる。折り目正しくきちんと整頓されたそれは、昼間であれば秩序的な美しさを演出するのであろうが、夜闇にあっては冷酷に見下ろす冥府の軍隊のようにも見えた。自分の無駄に豊かな想像力に嫌気がさしつつ、私はラーミナの隣に目をやった。

そこには暗闇に溶けるように、見知らぬ美しい少女が立っている。きちんと脚が二本揃っている辺り、幽霊ではなさそうだ。


「……誰?」

「失礼ながらこちらの台詞なのですが……」

まあそうでしょうよ。これは私が悪い。

エトワールと同じお仕着せに身を包んだ背の高い少女は、かわいそうに困惑した顔で眉を下げてそう答えた。

彼女は緑がかった艶やかな黒髪を、豊かに腰まで垂らしている。鮮血色の赤い瞳は、この夜闇にあっても心なしかほんのり光って見えるような気がした。おまけにこの透けるような白い肌。若干青白いような気がするものの、それが寧ろ彼女の儚げな美しさを際立たせていた。根暗そうな雰囲気を持っているものの、どこからどう見ても美少女だ。それがどうして、こんな真夜中に武器庫なんかにいるのかと言うと。

「……私はキッチンメイドのマルカラです。職場は城のキッチンなので……その、武器庫には本当は入ってはいけないのですが、昼間に武器管理人の男たちが『人外種共に仕事を押し付けて早く酒を飲みに行く』という旨の話を聞いてしまって……その、眠れなくって……」

もじもじとじれったく話す彼女だが、武器を磨く手は止めない。そのてきぱきとした手つきは、彼女が有能な使用人であることを物語っている。職場でさぞ可愛がられていることだろう。……或いは妬まれ嫌われているかもしれないが。漏れ聞いたランドリーメイドたちの陰険さを思い出し、おもわず渋面を浮かべた。


「マルカラさんは俺が寒くないように毛布を持ってきてくれましてね。昼間の仕事も忙しかったでしょうに、こうして言いつけられた仕事も手伝ってくれて……」

受け取ったケープを纏うラーミナが頬を緩めて、マルカラに感謝を示す。こうして笑うと、随分と幼い印象の顔になる。そういえば、彼は幾つなのだろう……。身長や顔立ちだけ見ると私たちと変わらないように見えるが、振る舞いや態度は大人っぽい。……エトワールと喧嘩しているとき以外は。


「なるほど。優しいのですね、マルカラさんは……」

ビオスが感心したように頷き、微笑む。私もそれに同調して、うんうんと頷く。

この差別意識の強い世界で、異種族だとバレているラーミナたちをこうも気遣ってみせる。今ここにヘーレーがいたら、きっと大喜びしただろう。あるいは、もう知っているのかもしれないが。私もなんだか、暖かく輝く芽が胸の中にうまれたような気持ちになった。全員が全員、異種族を嫌っているわけでは無いのだと。


「いえ……そんなことないですよ。ただ、移民である私にラーミナさんもエトワールさんも優しくしてくださったので……はい。私がパーラーメイドにならなくて済んだのは、エトワールさんとラーミナさんが庇ってくれたり励ましてくれたりしたお陰ですし」

パーラーメイド?と私が疑問符を浮かべると、主に接客を担当するメイドのことだとビオスが教えてくれる。なるほど彼女は美しいが、いかにも接客業は苦手そうだ。スーパーのバイトで声が小さいと怒られている彼女を勝手に想像しては、そっと胸を痛めた。


「移民ってことは、アンネリヒトの出身じゃないのね。どこの人なの?」

私が武器を磨きながらそう問えば、マルカラは一瞬だけ武器を磨く手を止めて目を閉じ、そして厳かな声で語り始めた。

「……西方にあった、小国です。滅びたのは、4年前……小さくて、ウィンドダリアやアンネリヒトのような栄華は無かったけれど……平和で、とても良い国でした。賢くて優しく、そして強い王が治めていたのですが……王に恋をした女が傭兵団を雇って、私達の国を滅ぼしたのです。王は私達を逃がすために敵の要求を呑んで女の手に落ち……それきり、行方は分かりません。私はなんとかアンネリヒトに辿り着き、老いた母と幼い弟のために、ここで働いています」

そこまで話して、マルカラは関係ないことまで話してしまいましたねと謝った。

頭を下げる彼女に、私はどうしていいかわからなくなった。

「……ごめん、辛いこと聞いちゃった」

私がそう謝り返せば、マルカラはゆるやかに首を振った。

「いいえ。私が勝手に話したことですから……不思議ですね、あなたには話してもいいかなと思ったんです。私と一緒に、怒ってくれるかなと思って」

マルカラはゆるやかに微笑んで、私の顔をそっと見つめた。

「いやね、そんな話聞かされたら私じゃなくてもムカつくわよ。何その女!自分勝手にもほどがあるじゃない!ロクな死にかたしないわよ、そいつの名前とか分からないの?」

鼻息荒くそう問えば、マルカラは少し可笑しそうにくすくすと笑った。

そしてまた、申し訳なさそうな顔をする。

「ごめんなさい、分からないんです。顔も、名前も、住んでいる場所も。ただ傭兵団を雇える財力のある女だってことくらい。その傭兵団を追えばいいかなって最初は思ったんですけれど……既に壊滅した後でした。東国のマフィアを攻めて、返り討ちにされたみたいで」

ヤクザはいないのにマフィアはいるのか……と私が的外れなことを考えている横で、マルカラはまだ磨いていない剣を手に取った。四人でやれば流石にスピードは段違いで、残りの武器はもうあと十分の一ほどを残すばかりだった。


美しい銀色の刃に、マルカラの顔が映る。

少し古い武具のようで、彼女が磨いても刃に浮いたわずかな曇りはなかなか取りきれない。

彼女は拭ききることを諦めて、剣を鞘に戻す。小姑のようによくよく見なければ、分からないほどの曇りだ。それ以外はきちんと綺麗にしたから、切れ味に影響がある訳でもない。

別に放置しても、見とがめられるわけでは無いのだろう。


「……どうすれば良いんでしょうね、やり場のない怒りというのは。

恨みを持ち続けることは、悪いことでしょうか……?」

ぽつり、マルカラが呟く。

その表情は暗い影に隠されて、よく見ることができない。

「……わかんない。私も知りたいのよ、それ……」

彼女の静かな呟きに、私はそう返すことしか出来なかった。


会話の途切れた部屋に、真夜中にふさわしい静寂が戻る。

仄明かりの倉庫に響くのは、ただ武器を磨く単調な音だけになった。



《24話につづく》




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