第19話 〈ふたりの王子とウィンドダリアの悲劇〉
「……この人が前に言ってた、ウィンドダリアのひと?」
洞窟森でされた、革命軍の話。
彼等に滅ぼされた、豊かな国の名だ。
王から民まで、皆殺しにされたと聞いたけれど……。
「はい。先ほどヘーレー王女に紹介して頂きましたが……。
ウィンドダリア王国にて宮廷教師を務めておりました、ジュウジカ教西方教会司教のタリス・ローズバードと申します。どうぞお見知りおきを……」
タリスは上品な一礼をする。
その所作には洗練された美しさがあり、彼の高潔な品性を物語っていた。
「あなたが、ウィンドダリア王国最後の生き残りなのですか……?」
日向子がおずおずとタリスに問う。
それを聞いて、タリスは顔を曇らせた。
「いいえ……私だけではありません。こちらに」
タリスはカンテラを揺らして、闇へと踵を返す。
頼りなげな光に導かれて、私達は彼の揺れるペレグリムの裾を追いかけた。
「こちらの部屋です」
教会の奥の奥のドア、突き当りの部屋でタリスは立ち止まる。
そして、私達の方を向いて真剣な顔で、声を潜めた。
「……このことは、他言無用でお願いします。私はともかく、彼らが生きているとなれば、また刺客が送られるでしょうから」
ぎぎ、と重苦しい音を立てて、木の扉が開く。
その部屋には、ふたりの人影があった。
ひとりは、桃髪の人物。性別は、はっきりしない。
長い髪の間から美しい顔が覗いているが、その瞳は不安定に揺れている。
細く痩せた腕が、ぼろぼろのぬいぐるみをしっかりと抱いていた。
もうひとりは、茶髪の少年。
動きやすそうな簡素な服を着て、桃髪に寄り添っていた。
橙色の大きな瞳が、彼女(彼?)を不安げに見上げている。
その顔はまるで、人に虐げられた野良猫のようだった。
「ねえ、この人たち誰……」
当然、この世界の人間なんて私達に面識があるわけがない。
だからヘーレーの知識を頼ろうと、彼女を振り返る。
彼女の、いつも溌溂と輝いていたはずの顔を。
「……うそ、アウラ王子、カルム王子……?」
彼女は、目を見開き衝撃と絶望に凍り付いた顔をしていた。
ふら、ふら、と彼らに歩み寄り、へたりと座り込む。
彼女が伸ばした手を、アウラと呼ばれた桃髪が握り返した。
「おねーちゃん、だぁれ……?」
甘える少女のようなその声に、私もヘーレーと同じように凍り付く。
25・6歳に見える容貌のひとだったが、その表情は幼子のようで。
……幼児退行。そのひと単語が、ひやりと浮かぶ。
タリスが悔しそうに俯いて、苦しみのことばを吐き出した。
「国が、滅ぼされて……生き残ってしまった私は生存者を探して、瓦礫の町を、周辺の村々を、当てどなく彷徨いました。
カルム王子は、城の庭師が掘っていた秘密通路に隠れておられて無事でしたが……アウラ王子は……賊の根城に……正気を失われたご様子で、囚われていて……」
彼の黒い手袋に包まれた手が、ぎりぎりと強く握られる。
彼の暗い赤の瞳には、悔しさと哀しみ、そして怒りが静かに揺れていた。
きっと、この状況を説明するのも辛いのだろう。
「……アウラお兄様は、スイエドお兄様が亡くなってからご様子がおかしかったけれど……僕たちが見つけた時は、もうこの状態だったんだ。……僕のことも、覚えてない。お兄様の子供時代に、僕はいないから」
カルムは目を伏せ、彼の髪を撫でた。
くすくすと笑いながら「くすぐったいよぅ」と身を捩らせる姿は、無垢そのものだった。
ヘーレーが私達の方を向く。その顔は憔悴して、酷く痩せたように見えた。
「……アウラ王子はね、ウィンドダリア王国史上最高と言われた魔術師だったんだ。
国中の本を全て読破しその内容を記憶している、とも噂された秀才で……うん、とても賢くて、理知的で……凄い人だったんだ。弟君のスイエド王子が病で亡くなられてからは、お部屋に籠り気味だと聞いていたけれど……まさか、こんな」
周囲の絶望をよそに、アウラはぬいぐるみを赤子のように抱いて、子守唄を歌っていた。
その優しい声を聞いて、私は酷く悲しい気持ちになる。
……こんな美しい人に、そんなにも凄かった人に、こんなにもぐちゃぐちゃになるまで、酷い暴力を振るったのは一体何処の誰なのだろう。自然と、下手人であろう賊をこの手で滅ぼしてやりたかった。彼らの国を崩壊させた奴らのことも。
「……かわいそうに。この杖でなんとかできないでしょうか……」
日向子がアウラの前に跪き、〈このひとを治して〉と杖に囁く。
柔らかな光が彼を包んだが……彼はそのまま、きょとんと首を傾げるだけだった。
女神の杖ならもしかして、と思ったけれど。
……嗚呼。あの女神らしい。哀れな人間を救おうなんて、あいつは考えてないんだ。
「……。」
いつの間にか入ってきたレーゲンが、私達をひどく悲しそうに見ていた。
冷たい石壁に、寄り掛かった彼の外套の影が寂しく揺れている。
「それでは、今夜はここでお休みください。数日すれば、四災厄も根城へ戻るでしょう」
彼等は人間を滅ぼすのに忙しいですからね、とビオスは冗談めかして微笑んで見せた。
冗談にしては少々悪趣味だが、彼なりに不安そうな私達を励まそうという心遣いなのだろう。……複雑ではあるが、その心遣いは純粋にありがたかった。
昼間の戦闘で疲労が溜まっていたヘーレーたちは、申し訳なさそうにしつつも眠りについた。タリスが寝ずの番を引き受けると言っていたけれど、彼は眠らなくて大丈夫なのだろうか。彼の顔はひどく青白く、まるで死人のようだった。いかにも病弱そうな彼に見張りを任せきりなのも申し訳なくて、一度眠った私は夜明け前に目覚めてしまった。
『トイレに行くときに転ばないように』と貸してもらったカンテラの蝋燭におっかなびっくりマッチで火をつけて、恐る恐るあの階段を上る。女神のステッキは勿論しっかり握って。
「タリスさん、どこだろ……」
あたりを見回す。
見張りをしている彼を見つけたら、声を掛けよう。
声をかけて、見張りの交代を申し出よう。
そう思ってきょろきょろしていたら、何かを振る音がした。
恐る恐る見に行ってみると、そこには揺れ動く茶色の影があった。……カルムだ。
「……ふっ!はッ!やあっ!」
彼は森の木を相手に、汗だくで短剣を振り回していた。
木の幹についた無数の傷は、彼がこれを何回も行っていることを物語っている。
「……何やってんの?」
「うわっ!?!?」
忍び寄って後ろからぽん、と肩を叩けば、カルムはびょんと飛びのいて私にナイフを向けた。
しかしさっき見た私だと分かれば、安堵したようにすぐにそれを下げる。
「脅かさないでよ……何の用?」
それはこっちの台詞だった。こんな真夜中にこいつは何をやっているのだろう。
「こっちの台詞よ……。何やってんの?」
だからそれをそのまま言ってやる。カルムはそれを聞いて、野良猫のような目を伏せた。
彼はしばし、口を噤む。もごもごと、言葉が引っ掛かっているように口を動かす。
しかしその言葉は結局、彼の口から溢れだした。
「どうしても殺したいやつが、いるんだ……」
唖然とする私をよそに、堰を切ったように彼は話し始める。
「……復讐したい奴がいるんだ。父上を誑かし、戦火をばら撒き、革命軍を招き入れ、ウィンドダリア王国を崩壊に導いた、僕たちを不幸に堕とした、諸悪の根源……」
カルムはナイフをぎゅっと握りしめる。
彼の夕焼けのような瞳が、ぎらぎらと不穏に輝いていた。
その瞳の色は、紛れもなく燃え上がるような憎悪だった。
燃え上がる怒りが、復讐の意志が、こちらをみている。
革命軍の、四災厄の彼らと、同じような瞳が。
「銀色の髪を持ち黒衣を纏った美しい人魚、『戦火のファム・ファタール』を」
彼の声は、揺らがない決意と憎悪とで出来ていた。
〈20話へ続く〉
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