第18話 〈赤い旗と教会の再会〉



ばたばたとはためく赤黒い旗。その元に立つ、三つの人影。

ヘルツと言う名の少年と、赤い髪の女と、黒い鎧の男。

誰も彼も酷く冷たい顔をして、こちらをじっと見降ろしていた。


「待て……!」

私達の後ろからヘーレーとエトワールが駆けてくる。

二人とも服が煤けて破れ、所々に傷を負っていた。住民の救助のために駆け回ったのだろう。


「け、怪我してるじゃないですか……今治しますっ」

日向子が慌ててステッキを手に二人に駆け寄る。それをやんわりと手で制しながら、ヘーレーは革命軍に一歩踏み寄る。


「ねえ、こんなこともう止めておくれよ!無辜の民を殺したって何も変わらない、変わらないんだよ!!」

狼のように、彼女は吠える。

彼女の切り裂くような叫びを聞いても、彼ら彼女らは冷笑を浮かべるだけだった。


「何も変わらない?馬鹿なことを言う。お前たち人間を絶滅させれば、この地は我らのものだ。我らは虐げられず、『大縮小』で滅ぶこともない」

ヘルツは朗々と野望を語る。仮面の奥の赤い瞳が、静かに燃えていた。


「……貴方達のやっていることは、貴方たちが憎む者と同じだ。憎しみによる暴力、憎しみによる支配は、憎しみしか生まない」

ラーミナが絞り出すように呟く。それを聞き逃さず、地に引きずるような赤い長髪を持つ女剣士は嘲笑した。

「ははっ、目には目を、牙には牙を、憎悪には憎悪をだ。アシュラムの誇りを忘れてしまったのなら、その髪を短くハリネズミのように刈るがいい」


「……彼らに何を言っても無駄ですよ。彼らは憎悪の奴隷ですから」

エトワールが氷色の杖を呼び出し、襲撃に備える。

それを疲弊した顔をした黒い鎧の騎士は、凪いだ瞳で見つめていた。

「……ああそうだ、俺達は憎悪の奴隷さ。だがそうしたのは誰だ?お前たち、人間じゃあないか。俺たちは皆そうさ。お前らの言う、『無辜の民』とやらに……」


冷たい睨み合いが続く。牙を剥き合うような膠着が続く。

少しでも体を動かせば、そこから争いが始まりそうな。

私も日向子も、息を呑んで固まってしまう。


それを先に打ち壊したのは、エトワールだった。

「『туман(霧よ)』『Глубокий туман!(深き霧よ!)』」

彼女が杖をかつんと突けば、そこからぶわりと風が生まれ、辺りに濃い霧が満ちる。

革命軍側から困惑の声が上がると同時に、ぐいとエトワールに強く手を引かれ、無から現出した箒のようなものに乗せられた。

「こっちです、一旦逃げますよ!」


「えっ、戦うんじゃないの!?」

完全に戦闘態勢に入っていた私は驚いて、思わずそう叫ぶ。

あっちは4人、こっちは5人。ギリギリ数で勝ってはいるけれど……。


「馬鹿言わないでください。『四厄災』全員相手に素人二人抱えて戦闘なんて御免です。

間違いなくヘーレー様はあなた達を庇いますから」

ぴしゃりとそう言われて、私は黙る。

確かに、万能に近い魔法少女のステッキを持っているとはいえ、私達はろくに戦ったこともない素人だ。『練習』のテナシーさんとノッケンに殺意は無かったけれど、あの4人は確実に、私達を殺すつもりなのだ。見逃す気なんて、毛頭ない。

きっと、殺される。それも私達ではない。

正義感に溢れたヘーレーが私たちを庇って、それで────。

ひゅッ、と。その光景を想像しただけで、私の喉元に冷たい感覚が走った。


「『四災厄』とは……?」

ラーミナに抱えられた日向子が呑気に首を傾げる。

恐らくはあの4人のことを指しているのだろうけれど……それにしても不吉な呼び名だ。


「今追ってきている4人のことです。彼ら彼女らはここ数年で起こした暴動で最も甚大な被害を与えたので、こう呼称されています。言うなれば、『人間を滅ぼしかねない人の形をした災厄』と言ったところでしょうか。……彼らも、ただのヒトではあるのですが」

息も切らさず、ラーミナが簡単に解説した。二人の少女、それも片方は剣や防具を身に着けた少女を抱えて良くもこんなに早く走れるものだ。

それに追いつけているエトワールもそうだ。こんなおとぎ話の魔女みたいに箒に跨って飛ぶのは初めてだったけれど、それ以上にかなりのスピードが出ていた。不安感は馬以上だったが、あの4人に見つかって殺される恐怖が悲鳴を自重させていた。


「エトワール、どこへ向かうつもりなの?洞窟森は反対側だし……」

ヘーレーが首を曲げて、二人の従者に問う。不安さは無く、彼らを信頼しきった、毅然とした声色だった。

「この先の『霧の森』の奥に、ジュウジカ教サラス派の教会がありました。保護した村民も、そこに避難して頂いています。あそこは私の魔力と相性が良いので付近に近づいてしまえば既に掛けてある隠蔽魔法で逃げ切れます」

「ありがとう。やっぱり君たち優秀だね」

「それはどうも」

褒められて、エトワールは嬉しそうにふふんと鼻を鳴らす。

クールな女の人に見えるけれど、こういう仕草は少し子供っぽい。


「ありました。あれですね」

ラーミナが視線だけで、私達の前方を指す。

しかし、そこには何も見えない。ただ、古びた剣がぽつりと立っているだけで。

日向子とヘーレーが揃ってぐぐぐと目つきが悪くなるほど目を凝らしている。彼女らにも見えないのだろう。


そんな私達に構いなく、ふたりはその古びた剣の前で止まった。

ラーミナに周囲の警戒を任せ、エトワールは箒から降りて剣に向かって跪く。

彼女が古びた剣の柄を指でなぞり、三回足を踏み鳴らし、一輪の花を供えた、その時だった。


「あっ……!」

まるで木々の柄のベールが剥がされたように、ゆらりと空間が揺らめいて、そこにこじんまりとした、キリスト教の教会のような建物が現れる。

その石造りの建物はひどく苔むして、まるで時間に置いて行かれた廃墟のようだった。

「……ねえ、ここ本当に人住んでる?」

思わずそう口に出て、住んでますよ何言ってるんですかと容赦のない返答をエトワールに投げ渡された。


中は意外にも綺麗に掃除されていた。

青いステンドガラスが弱い光でも懸命に光の芸術を照らし出し、小さくとも荘厳な雰囲気を醸し出していた。

「おかえりなさい、エトワール様。王女様もよくぞご無事で。クラサス村の方々は、全員無事ですよ」

教壇の後ろから現れた小柄な若い神父は、にこやかな表情でそう言った。


「……あれ、村の皆さんってどこにいるんですか?あなた以外いないように見えるのですけど……」

日向子が首を傾げて神父に問いかける。

確かに、辺りを見回しても人影は全く見えない。子供も結構な数いたように思えるけれど、声一つ聞こえない。


神父は日向子と私を見て不思議なものをみたと言うような顔をしたが、すぐに元の表情に戻ってみせた。

「ああ、それは────」


「教会の奥。そこに地下への階段がある」

突然、背後から男の声が聞こえ、私は飛び上がる。

ばっ、と振り返ればそこには、まるでRPGの狩人か吟遊詩人のような恰好をした男がいた。


「あ、レーゲンさん。おかえりなさい」

神父は彼を知っているようだった。誰かな、と首を傾げるヘーレーや戸惑う私達の顔を見て、レーゲンと呼ばれた彼は溜息を吐いて自己紹介をした。


「レーゲン・テンペランティア。見ての通り旅の吟遊詩人だ。

……覚えなくても構わない。どうせすぐに忘れるだろうからな」

「彼は先日ここに立ち寄った吟遊詩人です。だれか待っている方がいるようで、暫くここに逗留なさっているのです。彼の美しい詩歌は、我々の心を癒してくださっていますよ」

ぶっきらぼうなレーゲンの言葉を、神父が補足する。

彼の鋭い眼光や愛想の悪い雰囲気からは想像できないが、どうやら良い人っぽそうだ。

「わあ、いい人なんですね、レーゲンさん!」

……すぐに自分が日向子と同じ思考をしていたと知って、なんとなく自分の頬を叩きたくなった。


「それで、クラサスの皆は?村によりにもよって『四災厄』が来てしまってね。ゴブリンが片付き次第帰す、という訳にはいかなくなったんだ。」

四災厄、と聞いて神父の顔が曇る。やはり民間人にとっても、彼らは恐ろしい存在らしい。

「それはそれは……。こちらは構いません。エトワール様が隠蔽魔術を掛けてくださっているので、そう簡単には発見されないかと。王女様方も、暫くは身を隠さないといけないでしょう?」

どうぞこちらへ、と私達は奥へ案内される。

確かに教会の隅には石造りの階段があり、壁に埋め込まれた蝋燭の光によって地下へと続いているのが見て取れた。おそらくはこの教会よりも、地下室の方が広いのだろう。

「この教会、元は避難壕でしてね。種族戦争の時代はここに民間人が逃げ込んで戦火をやり過ごしたと言われています」

そう言いながら神父はカンテラに火を灯し、それを手に階段を降り始める。

すたすたと臆面なく彼に続くヘーレー達やレーゲンの背中を見ながら、私はごくりと唾を飲んだ。

壁の蝋燭と神父のカンテラのみに照らされた石の階段はどことなく不気味で、先の見えない暗闇へ続くそれは、地獄への道のように思えた。

そんな子供じみた恐怖に駆られている私の手を、日向子が優しく取る。

「わたしと一緒に行きましょう。ね?」

……日向子に頼るのは癪だが、仕方がない。

私はこくりと頷いて、彼女の手を握り返した。


不気味な階段は、そう長く続くものではなかった。

終着点にたどり着けばそこは、蝋燭の柔らかな光に照らされた穏やかな空間だった。

あちこちで焚かれた清浄な香りのお香が、地下空間特有の湿っぽさや息苦しさを軽減している。

「ああビオスさん、全員の治療が終わりましたよ。皆さんよく眠っていらっしゃいます」

こつ、こつと静かな足音がして、暗がりから優し気な声が聞こえる。

一瞬遅れて闇からカンテラの光と共に現れたのは、長い白髪と暗い赤瞳を持った小柄な男性だった。神父の着ているそれよりも随分着古されたペレグリムを纏い、顔の半分を包帯で覆っている。退廃的な美しさを持つ彼の顔は、どこか酷く疲れているようにも思えた。


「……タリス、先生!?」

ビオス、と呼ばれた神父が答える前に、ヘーレーが素っ頓狂な声を出す。

タリスと呼ばれた彼もそちらを見て、驚愕に目を見開く。

「ヘーレー王女、ああ、またお会いできるとは……!」


困惑する私達に構わず、ヘーレーはタリスに飛びつき、抱きしめる。

その瞳には、涙が浮かんでいた。



「生きていたんだね、先生……ウィンドダリア王国宮廷教師、タリス・ローズバード!」

彼女は、滅んだ国の名を口にする。

それを聞く彼の片目にも、涙が浮かんでいた。


〈19話へ続く〉

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