第16話〈ゴブリンと仮面の少女〉





私がぎゅっと目を閉じた、次の瞬間。



「『овтсдерс еонтропснарт(乗り物)』『онаР(早く)』『рефйерг(捕まる)』『адгесван(ずっと)』『тотэ(これ)』」

いやに長文のスペルが、彼女の口から放たれる。

それと同時に、びゅっという風の音が、真横で流れた。

馬が、ジェットコースターもかくやというスピードで走っているのだ。


「おちる、落ちる……っ!」

「落ちません。私があなたに落下防止の魔法をかけましたから」

私が慌てているのにも声色一つ変えず、彼女はそれだけを告げた。

確かに、身体がぐらつく感覚はなく、彼女の胴体に回した私の手が離れることはない。

恐る恐る力を抜いても、投げ出される様子はない。

しかし、それとこれとは別だった。いくら馬とエトワールに糊付けされたようになっていると言っても、猛スピードの動物の上にぽんと乗せられていることは変わりないのだ。

……結局私は、村に着くまでぎゃあぎゃあと悲鳴をあげてしまった。

村に着いた時のエトワールの、「殺される前の獣のように鳴く方ですね」という言葉と氷点下の視線が忘れられない。


「で、でもラーミナさん置いてきちゃったけど……」

「俺が何か」

隣で聞こえた声に、きゅうりを置かれた猫のように飛び上がる。

汗一つかいていないラーミナが、そこにいたからだ。

今来たという様子でもない。私達と同時か、それより前に来ていたのだ。

突風のように駆ける馬よりも早く、それも徒歩で。


「ああ、貴方悲鳴上げてて見てませんでしたからね。ラーミナなら私達と並走して、同時に付きましたよ。いえ、私の方が早かったですが。」

「何を言ってる。俺の方が早かった。」

「私の馬です。寝ぼけてるんですか?」

「あんたら仲悪いの???」

私を差し置いて小競り合いを始める二人に、思わず突っ込む。

二人は私を無視して暫くにらみ合った後、「フン」と言って顔を背けあった。

……ああ、これは紛れもなく犬猿の仲だ。日向子だってわかる。二人は馬が合わないんだ。


「うふふ、お二人とも仲が良いですね」

前言撤回。分かってなかった。こいつはコミュニケーションを何だと思ってやがるんだろう。

案の定「仲良くありません」と綺麗に揃った否定の言葉がすっ飛んでくる。


「……いえ、ラーミナなんかに構っている暇はありませんでしたね。姫様を守らなければ」

「ボクは守ってくれなくてもいいよ。先に村人の救助とゴブリンの掃討だ。」

ヘーレーが言うが早いか、村の方へ走り出す。

村には火の手が上がり、悲鳴があちこちから上がっていた。

早くしないと、手遅れになるだろう。

私達は、ヘーレーの小さな背中に続いた。



「た、助けてくれえ!」

「どうして……なんでゴブリンが……!」

逃げ惑う村人。その背を追う、醜い緑肌の怪物。

大きさは子供ぐらいだが、鋭い爪と汚らしい牙を持っている。

その手には松明が握られ、振り回すたびに火の粉が散る。


「き、騎士さまッ、ヘーレー様ッ!どうか、どうかお助けを……」

足元に、泥まみれの男が転がり込んでくる。泣きわめく、小さな娘を抱えていた。

彼は、3匹のゴブリンに追われていた。そいつらはヘーレーを見ても引かず、キキキッと嫌な声で鳴きながら容赦なく男と娘に松明を振り下ろそうとする。


「ッ……!」

ヘーレーは男が目に入った時点で、もう剣を抜いていた。

そしてゴブリンが目に入ったころには、既に剣は振るわれていた。

美しい銀に煌めく刃が、ゴブリンの首を両断する。

3つの松明は振り下ろされることなく3つの首と共に地に転がり、土と彼女の足によって消火された。


「……おかしい」

ヘーレーが、眉を顰める。

エトワールとラーミナが同時に頷き、続いて述べる。

「はい。奴らが松明なんか持つなんて」

「それに人数が勝ってても逃げなかった。ただの食料目当ての襲撃じゃないですね」


私達が頭に疑問符を浮かべていると、ヘーレーが解説してくれる。

「ゴブリンっていう魔物はね、強い光を嫌がるんだ。それに意外と臆病な奴で、人数で負けていると感じたらさっさと逃げていく。それなのにこうして松明なんか持ち出して、人数が倍近い僕たちを襲ってくる。……何かおかしいんだ。もしかしたら」

ヘーレーはそこで言葉を切って、足元で震えている男と娘の方へ顔を向ける。

大丈夫かい、と優しい声を掛けられて、その男が顔を上げる。


「き、騎士さま……ありがとうございます……」

その、男は。

あの馬車で私達に怒鳴り散らした、あの農夫だった。


「お前、どの面下げて……!」

腹が立った。

あんなに口汚く罵った女に、いざ自分が死にそうになったら助けてもらおうだなんて!

醜い。醜い。醜い!

……そう言われることは百も承知だったのか、男は娘を抱えたまま俯く。

そしてぽそりと「仕方ないだろ」と言った。

その言葉でカッと頭に血が上る。


「こら。だめだよ」

気付けば、振り上げた手をヘーレーにしっかりと掴まれていた。

予想以上の握力で、少しも手が下がらない。

「……どうしてよ。あんた腹立たないの!?あんたのことあんだけ悪く言ってたのに……そうだ、あの馬車のやつら皆この村に住んでんじゃないの!?じゃあもう帰ろ?あんな奴らがいる村なんか焼けたって……」


「やめてくれ」

ぴしゃ、と厳しい声が投げられる。

ヘーレーは、怒った顔をしていた。聞き捨てならないことを聞いた顔。

「王族であり騎士であるボクの責務は、国民の命と生活を守ることだ。それを抜きにしても、ボクはアンネリヒトの民を愛している。誰一人、死んでいい奴なんていない」

それから、少し表情を崩して、こう言った。

「……ボクの為に怒ってくれてありがとう。

でもボクは、ここにいるみんなの命を守りたいんだ。」

ヘーレーは男に怪我はなかったかと手を差し伸べ、泣きじゃくる娘の頭を撫でる。


「……でも……だって……」

私は子供のようなことを呟きながら、スカートを握りしめることしかできなかった。


「行きましょう、幽鬼。まだゴブリンはいます」

日向子が、手を引く。元より男には関心を抱いていないようだった。

ヘーレー達のことは気になるが、今はあの男の顔を見たくない。

私は、日向子についていくことにした。

ヘーレーが心配そうな声をあげ、ラーミナについていてやるように言った。

彼は恭しく頭を垂れ、私達の後をついてくる。

正直、私と日向子では不安なところもあったから、これはありがたかった。

……この人たちヘーレーとそれ以外で明らかに態度が違うから正直苦手なんだけど、まあ仕方がない。



「〈さようなら〉」

「『死んじゃえ!』」

「ハァッ!」


三人で、ゴブリンを一匹一匹殺していく。

ラーミナは驚くべきスピードと脚力、そして小柄な見た目に反した腕力でゴブリンをねじ伏せ、叩きつけ、ぶちのめしていく。

私達も私達で魔法少女の衣装を纏いゴブリンに魔法を撃つが、とてもラーミナのスピードには叶わなかった。

戦闘民族アシュラム。砂漠に暮らす、生まれながらの戦士。赤い髪の闘獣。

あのユダ地区で会ったアシュラムの青年も恐ろしかったが、栄養状態が良い分ラーミナの方が動きのキレは上だった。面白いようにゴブリンが片付いていく。


しかし、私達もただ後ろでサイリウム振ってたわけではない。それなりに収穫はあった。

まず、魔法の発動の仕方と威力。

想いが形になる以上、『死ね』『消えろ』と思えばその通りの効果が出る。

ただし、相手にも装甲のようなものがあるらしく……死なない奴もいるのだ。

それでもいくらかのダメージは通っているようなので、これは攻撃の呪文として作用できるのだろう。……魔法のスペルを一々覚える必要は無いわけだ。

それから、肉体強化効果。

『練習』の時は気が付かなかったが、脚力も腕力も格段にアップしている。

そして、ゴブリンの攻撃を受けてもあまり痛くはない。

現代社会で生きた戦いと無縁の少女も、これを纏っている間は十分戦力になる。

これらのことが分かっただけでも、収穫だった。


奮戦のお陰で、ゴブリンは村から大分姿を消していた。

同時に魔法での消火活動もしたおかげで、火事も収まりつつある。

村人も、何人も助けた。

その中にはあの馬車で見かけた顔もあったが、私は気づいていないふりをした。


「さて……こちらはもう大丈夫なようだ。一度ヘーレー様のところに戻りましょうか」

ラーミナがゴブリンの死体を片づけながら、後ろを振り返る。

私達もそれが良いと言い、ヘーレーを探そうと歩き出した、その時だった。



「ひどい、ひどい……ごぶりん、いっぱい、しんじゃった……」

背後から、幼い少女の声がする。

無邪気な、でも薄暗い、嫌な声だった。

ばっと振り返ると、そこには異質な少女がひとり、ぽつんと存在していた。


まず目を引いたのは、その髪だ。

まるで透き通るような色をしており、風もないのにゆらゆらと揺れ動いていた。

蒼褪めたようなワンピースを着ており、それには一片の染みも汚れもない。

そして、仮面。梟のような、真鍮の仮面。

彼女がただの村人でないことは、誰が見ても明らかだった。


ラーミナが私達の前に出て、拳を構える。

ぎっと彼女を睨み、鋭く叫ぶ。

「そうか、お前の仕業か。『魔物使い』プシュケ!」

プシュケ、と呼ばれた少女は薄く笑う。

「そう、そう……わたし、ぷしゅけ。よろしく、ね?」

無邪気な少女のような、疲れ果てた女のような、不気味な笑みだった。


「……あの子が、この村を襲ったんですか?」

日向子が、首を傾げてラーミナに問う。

少女は痩せていて、ちょっと突飛ばしたら死んでしまいそうな儚さを持っていた。

その彼女が恐らくはゴブリンを操って、この村を襲撃したというのだろうか。

私にも、信じられなかった。


ラーミナが、プシュケから目を逸らさないまま教えてくれる。

「……あいつは、『革命軍』の副長です。近隣の魔物を操って、いくつもの人間の国や村を潰した、第一級危険人物です。それから、ッ!?」

説明の途中で、ラーミナの身体が吹っ飛ぶ。

家屋の壁に叩きつけられ、激しく咳き込み血と吐瀉物を吐いたあと、動かなくなった。


「ラーミナさんっっ!!!」

日向子が真っ先に飛んで行って、治療をしようと杖を向けた。

私は日向子の無防備な背中が撃たれないよう、プシュケに視線を向ける。

プシュケは微笑を浮かべたまま、言葉を続ける。

白く小さな指先から、紫色の煙が細く細く登っていた。


「わたしね、まほうとくいなの。えいしょうもしょくばいもいらないわ。

あしゅらむは、まほうがにがて。だからね、うっちゃった。ごめんね」

ラーミナが出来なかった解説の続きを、プシュケは語る。

そして、『何をしようとしているか』も、彼女は堂々と宣言する。


「わたしね、にんげんがきらい。にんげんとなかのいいひとたちもきらい。にんげんをみんなころして、わたしたちのせかいをつくるの。ここにはにんげんがいっぱいいるわ。だからね……」


プシュケはにっこりと、少女の笑みを浮かべたまま。

「だからね。むらのひとも、おひめさまも、あなたたちも。

みんなみんな……ころしてあげる。」

殺戮の宣言を、高らかに告げた。


ざり、と踏みしめた砂が鳴った。

正直、この村の奴らがどうなろうがどうでもよかった。

きっとゴブリンに襲われて全滅しても、私はきっと涙すら零さないだろう。


けれど。

この女は、ヘーレーも、日向子も。ラーミナとエトワールも殺すと言った。

ならば。


「やってみなさいよ、バカ女!そんなこと、私がさせないわ!」

震える脚、迷う腕をひた隠し。

私は、微笑むプシュケに杖を向けた。



〈17話に続く〉



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