第15話 〈マジックアップルと二人の従者〉
「本当に申し訳ありません……私達に馬があったら差し上げられましたのに……」
「あはは、いいよ……君たちからこれ以上奪う訳にはいかない」
短い夜が明け、朝が訪れた。
既にヴァローナ商会の馬車は彫金師を乗せて出発している。
早朝ラプタに乗っていくかと聞かれたけれど、方向を聞いてみれば真逆だった。さすがにそれはいくら私でも遠慮する。
……それに。今はあまりヘーレーをジークリードに会わせたくなかった。
別に、ジークリードが悪い奴だとは思っていない。昨日のあれだって、洞窟森の人々を想うが故の発言だったのだろう。
けれど……どこかに、拭い切れない不安があるのだ。
まるで、昔自分を殺しかけたやつの顔を忘れているような。
そんな、得体の知れない根拠不明の不安がある。
……日向子はそんなこと感じていないようで、呑気に伸びをしているが。
「さ、行こうか。徒歩になっちゃうけれど、ボクが確実にクラサスの街まで案内するよ」
ヘーレーが振り返って、お茶目にウィンクをする。
そして、迷いのない足取りで真っ直ぐ森の道を歩きだし始めた。
「クラサスまではどのぐらい?」
「そうだね……大体10モーントと350モントってとこかな」
「いやわかんないわよ」
……異世界、やはりというべきか単位が違う。
というか、この杖翻訳してくれるんじゃなかったのか。なんで単位なんていう地味に困りそうなところは翻訳してくれないんだ。意地悪め。
「あ……そっか君たち異邦人だったね。えーと……どう表現したものか……」
ヘーレーは歩きながらうんうんと唸る。心なしか歩くスピードが上がっていて、私達は小走りにならなければいけなかった。
「あ!そうだ。エトワールに貸してもらった本に単位の本があったね!えーと」
急にヘーレーが立ち止まる。私はなんとか急ブレーキを踏んだ……はずだったが、後ろから付いてきていた日向子がつんのめったことで、私もヘーレーの背中にぶつからざるを得なかった。
「いっっっった……日向子~~~っ」
「ご……ごめんなさい……いたた……」
「ああああ、ごめんね、ボクが急に止まったのがいけないんだ……」
ヘーレーは腕をわちゃわちゃと動かして慌てた後、おほんとひとつ咳ばらいをした。
「えーとね。1モントは大体平均的なエルフ系種族の男性くらい。イルフロンさんの身長がたしかぴったり1モントだったから、あれくらいかな。」
私はイルフロンの姿を思い浮かべる。2メートルくらいはありそうな、長身の男だった。
ということは。
「……1モントは、2メートル?」
「そうなりますね」
「ふーん、そっちはモントのことメートルって言うんだね。ちなみに1000モントが1モーントで、100分の1モントが1モンで、10分の1モンが1モーだよ」
「待って待って待って整理するから」
若干の混乱を始めた脳みそを落ち着けて、冷静にものを考えようとする。
その横で、日向子はテナシーから貰ったノートに何かをさらさらと書いていた。
「こういうことですよね。」
すっ、と日向子が見せてきたノートには、こんなことが書いてあった。
1モーント=2㎞
1モント=2m
1モン=2㎝
1モー=2㎜
「なるほど……微妙に1区切りの長さが違う訳ね。だから翻訳されなかったの……にしてもあんた頭いいわね」
「えへへ」
戸惑ったが、何のことはない。言われた数値を二倍すればいいのだ。
つまり、私達が歩く距離は……
「……待って。私達20キロ700メートルも歩くの?」
「キロメートルとメートルはわかんないけど、多分そういうことだね」
「はい、そうなりますね」
さらっ、と涼し気な顔で言う目の前の少女ふたりとは対照的に、私は目眩がしそうだった。
自慢じゃないが私は運動なんて碌にしたことがない。
体育は教師が嫌いすぎてサボっていたし、食生活も乱れまくりだし、趣味は読書とゲームと嫌いな奴の悪口だ。最悪。運動不足陰キャが滲み出ている。
……だから、20㎞以上も徒歩なんて地獄のような所業の訳で。
「……やっぱりあいつらに送ってもらえばよかったあ!」
「あはは!大丈夫だよお喋りしながら歩けばすぐすぐ!さあ元気よくいこー!」
「うふふ、ピクニックみたいで楽しいですね!いきましょ!」
「いやだあああああひとでなしどもめえええええ!!!!!」
……情けない悲鳴を上げてみるが、二人はずんずんと先へ行ってしまう。
このままでは置いてかれる。まずい。
魔物いるって言ってたよね?一人じゃ逃げ切れる気がしない……。
「……やだあ、おいてかないでえ……」
私はとぼとぼと、みっともなく二人のあとをついていった。
「ぜえ……はあ……もうむり……」
「だ、大丈夫……?」
「無理ッッッ!!!」
案の定、道半ばで力尽きしゃがみ込む。
既に森は抜けて、歩きやすく舗装された道に出ていたが、私の体力はすっかり限界だった。
「大丈夫ですか、幽鬼?ヘーレーさん、ここは休憩を取った方が……」
「うーん、そうだね。そうしよっか。ボクはまだ平気だけど」
……明らかに体育会系のヘーレーはともかくとして、日向子まで余裕そうなのは解せない。
やっぱりこいつ苦痛を感じる神経とかがいかれてるんじゃないだろうか。絶対そうだ。
差し出された革袋から水をがぶがぶと飲みながら日向子を睨んでみるが、日向子は微笑んで首を傾げるだけだった。
項垂れていると、目の前にすっと赤い球体が現れる。美しいつやを持つ、林檎だ。
「食べなよ。これは魔力をたくさん含んだマジックアップルっていう林檎でね。
食べると元気が出るんだ。」
ありがとう、と礼を言って早速かぶりつく。日向子もご相伴に預かったようで、林檎に小さな口で遠慮がちにしょりしょりと噛り付いている。
マジックアップルは、甘酸っぱくて美味しかった。
いままで食べていたものよりも水分が多く、果汁を飲み下すたび体に力が溢れてくる。
これなら、もう少し歩けそうだ。
「……ありがと、これならもう少し行けそうだわ。」
「ふふ、良かった。それならそろそろ出発しようか!」
ヘーレーが勢いよく立ち上がった、その時だった。
「ここにいましたか、姫様!」
どかっどかっと慌てたような蹄の音が聞こえ、二頭の馬が駆けてくるのが見えた。
馬上には真っ赤な髪の少年と、黒い毛先を除いて真っ白な髪の少女が乗っている。
二人とも上品なお仕着せを着ていた。お城の使用人だろうか。
「ラーミナ、エトワール!どうしてここに?」
ヘーレーが驚いた表情で、馬と使用人に駆け寄る。
エトワール、という名はヘーレーが言っていたスノウマーリンの従者の名だ。
では、あの二人が、人外差別渦巻く城で働くヘーレーの側近なのだろうか。
ヘーレーは私達の方へ向き直ると、馬から慣れた動作で降りる従者たちを私達に紹介する。
「ああ、紹介するよ。こっちの赤い髪の子がラーミナ。武術に優れた戦闘民族『アシュラム』だよ。それでこっちの白い髪の子がエトワール。魔力に優れた魔法民族『スノウマーリン』なんだ。ふたりともボクの大事な側近で、大切な友達だよ。」
ふたりの従者が、恭しく私達に一礼する。
そして、再びヘーレーへ向き直った。
「姫様、クラサスに向かわれる予定だったのでしょう?今すぐお引き返しください。
この先は危険です。」
エトワールの言葉は淡々としている。しかし、ヘーレーの肩を掴むその手には、汗がにじんでいた。
「クラサスに『ゴブリン』が大量発生しているのです!姫様といえど、危険です。ですので、お城にお戻りに……」
ラーミナの方はわかりやすい。慌てた様子で、必死にヘーレーを馬に乗せようとしている。
しかし、ヘーレーがそう聞いてはいそうですかと言うことを聞く女ではないことを、薄々私は感じ取っていた。
「なんだって、それなら助けにいかなくちゃ駄目じゃないか!ボクは行くよ。君たちは先にその子たちを王都まで連れ帰って!」
そういうが早いか、ヘーレーは従者が乗ってきた馬の一頭にさっと跨ってしまう。
ひとりでも行く気だ。
そんな彼女を、天使日向子は引き留めた。
「待ってください、私も行きます。……私達、魔法少女なんです」
おずおずと、日向子は白いステッキを見せる。
それの魔力を感じ取ったのか、あるいは一秒でも惜しいと感じたのか。躊躇いを一瞬だけ見せたヘーレーは、ついに日向子を馬上へ引き上げた。
「……わかった。しっかり捕まっててね!」
そういうと、すぐに馬を走り出させてしまった。その背中はどんどん遠くなる。
残された二人の従者は、深い深いため息をつく。まあそうだろうなと言いたげに。
「……それじゃあ、エトワールはそこの黒髪のお嬢さんを乗せて行ってくれ。俺もすぐに追いつく」
「分かった。すぐに来い」
「言われずとも」
ラーミナと短い会話だけを交わすと、エトワールは私を魔法で浮かせ、馬に乗せた。
「……私の腰をしっかり掴んで、放さないでくださいね」
エトワールは振り返り、背後の私をアメジストの瞳で見つめながらそれだけを言った。
「待って……私馬なんて乗ったことないの。それに、ラーミナさんは?ラーミナさんだけ徒歩?」
半ば混乱しながらエトワールに聞く。彼女はそんなことも知らないのかという風に小さくため息をついて、視線を前に向ける。
「……大丈夫ですよ。彼は『アシュラム』で私は『スノウマーリン』ですから。
それより、私の言ったとおりに。でないと落馬して踏まれますよ」
そう言うと、彼女は馬の腹を蹴飛ばして馬を走らせ始めてしまった。
ええい、もうどうにでもなれ。
私は彼女の腰にしっかり捕まり、ぎゅっと目を閉じた。
〈16話に続く〉
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