第12話〈『変人』王女と洞窟森〉

 馬車は再び、ガタゴトと走り始める。

 もう乗客たちは静かになっていたが、

 あの刺々しい視線はこちらに容赦なく突き刺さっていた。

 ヒソヒソと、陰口のようなものも聞こえる。


(……なによ、こいつら。助けてもらったくせに!)

 私はとても腹が立って、文句を言ってやろうと立ち上がる。


「……皆さんは、どうしてそんなにヘーレーさんのことがお嫌いなんですか?」

 私の口から毒が吐き出される前に、日向子が首を傾げて乗客に問う。

 ヘーレーは驚いた顔で、日向子の横顔をまじまじと見つめていた。


「……なんでって、決まってるじゃない。

 その女が国を治める王族で、国を守る騎士のくせに、人外種なんかに肩入れしてるからよ」

 日向子の無垢な問いに、赤子を抱えた女が答えた。

 嫌なものを見る様な目でヘーレーを見、腕に抱いた赤子を遠ざけるように衣服で隠した。

 俯いたヘーレーのローブの下で、鈍い光を放つ飾り気のない剣がゆらりと揺れる。


「はあ!?その『肩入れ』のおかげであんたたちさっき盗賊に襲われずに済んだんじゃない!それに対しての感謝はないわけ!?」

 ……思わず怒鳴る。

 腹が立って、腹が立って、しょうがなかった。

 女の抱いた赤子が、まるで破裂したように泣き出す。


「黙れ!何も知らない小娘のくせに。騎士なら国民を護って当然だろう!?

 それ以上にその女は、俺たちの収めた税で人外種どもを支援し、あまつさえ俺たちと人外種の格差をなくす法案をしつっこく国王様に出してるそうじゃないか。俺たちは薄汚い人外種どものために働いてるわけじゃないぞ!」

 年老いた農夫が、拳を握って立ち上がる。

 唾を飛ばしながら顔を真っ赤にして怒鳴る姿に、私は激しい嫌悪感を抱いた。


「何が薄汚い人外種よ、あんたたちが差別するから、あんな風に────」

「もうやめて!!」


 馬車の中に響き渡る悲痛な叫び声に、私も乗客もはっと我に返った。

 声の方を見れば、蹲ったヘーレーが日向子に宥められながら泣きそうな顔をしていた。


「……やめてよ。みんなボクの国の大事な国民なんだ。

 怒ってる姿より、楽しく笑ってる姿が見たいよ。」

 その泣きそうな顔で無理やりに笑顔を浮かべながら、ヘーレーは立ち上がる。

 そしてしっかりとした足取りで、乗客の群れから離れた。


「ボク、ここで降りるよ。騒がせちゃってごめんね。

 はいこれ、お代。ちゃんとクラサスの分まであるから……」


 御者に金貨を握らせると、ひらりと軽い動作でヘーレーは馬車を下りて行ってしまう。

 その様子を、乗客たちはあっけにとられた様子で見送っていた。


「……日向子、私達もここで降りましょ。これ以上こいつらと同じ空間にいたら腐るわ」

 日向子の真っ白な手を引いて、私も馬車から飛び降りる。御者に二人分の代金を投げてやるのも忘れずに。

 御者は文句ありげだったが、鼻を鳴らすだけで私達を引き留めはしなかった。


「……そうですね。ヘーレーさんが心配ですし……」

 日向子は、ちゃんと私のあとをついてきてくれた。

 私がお金を投げた御者に、丁寧に「ありがとうございました」と頭を下げてから。


「……かわいそう」

 ぽつりと投げられた憐憫の言葉は、一体どちらに向けられた物だったのか。




「あれっ!?君たち付いてきちゃったの!?」

 先ほど盗賊たちが消えていった森へ差し掛かるところに、ヘーレーはいた。

 明かりの殆どない夜でも、彼女の黄金の髪はよく目立つ。


「はい。どうしてもあなたが心配で……」

 眉を下げる日向子と、恐らくはおなじ表情をしていたのであろう私の顔を見て、

 ヘーレーはけらけらと、愉快そうに笑った。

「あはは!大丈夫だよ、ボクは強いからね。これでも騎士さまなんだよ?」

 ばさっ、とローブの裾を宙に舞わせ、キザったらしくウィンクをしてみせる。

 けれど、あの泣きそうな少女の顔を見てしまった後では、どうも説得力がなかった。



「……あんた、もしかして森で野宿するつもりなの?危ないんじゃ……」

 これ以上彼女に虚勢を張らせたくなくて、話題を変える。

 実際、気になるところでもあった。

 騎士とはいえ、少女が、それも『お姫様』が森で一人野宿などと。

 絶対に、良くないことを企む輩がいるに決まってる。


「大丈夫だって。それに野宿するわけじゃないしね。」

 ヘーレーは微笑んで、ずんずんと森を進んでいってしまう。

 私達は顔を見合わせ、首を傾げながら彼女についていくことしかできなかった。




「へ、ヘーレー様!?先ほどはとんだご無礼を……」

「いいんだ。それより、物資をもってきたよ。少なくて悪いんだけど……」

「いいえ……いつもありがとうございます……」

 ヘーレーが足を止めたのは、森の奥にある洞窟の入り口だった。

 そこから出てきた男に、私達は見覚えがあった。


「あっ、さっきの盗賊の……」

 さっき馬車を襲った、人外種の盗賊。

 その、先頭にいた長い耳の男だ。


「ああ、紹介するよ。彼はイルフロン。この洞窟の中にある集落を纏める、ダークエルフだよ」

 ヘーレーが軽く彼を紹介すると、イルフロンと呼ばれた男は恐縮そうに頭を下げた。

 その手には、いつのまにかタロットカードのようなものが握られている。


「あれ、そのカードは……?」

 日向子が、興味深々といったようすでカードを指さす。

 見た目には、ただのタロットカードだ。けれど、裏面にはなにやらびっしりと文字と模様の中間のような、不思議なものが書かれている。


「お見せした方が早いかもしれませんね。こう使うんです」

 イルフロンは微笑んで、そのカードをおもむろに二つに割る。

 すると砂になって床にさらさらと落ちたかと思うと、夜の暗い森が昼間のように明るくなるほど、激しく発光した。

 思わず、眩しさに目を塞ぐ。


 輝きが収まり、恐る恐る目を開けてみると、そこには。

 大きな木箱が4つ、砂の上にまるで手品のように出現していた。


「エトワール……ボクの優秀な従者が作った魔法道具でね。こうやって物をカードの中に閉じこめて運べるんだ。重量制限があるのと、量産ができないのが難点らしいけど」

 ヘーレーは得意げにふふんと鼻を鳴らした。自分の従者のことを、相当誇りに思っているらしい。

 しかし、彼女はすぐに、その大きな目を伏せてしまった。


「……エトワールはスノウマーリンという魔法に秀でた種族でね。人間じゃないから彼女をボクの側近にしようとしたときもたくさん反対されたし、今もあんまり良い目で見られてないんだ。あの子は気にしていないと言っていたけれど……」


 彼女の夕日を閉じ込めたような橙色の目に、哀しい影が落ちる。

 私は、またユダ地区の人外種たちのことを思い浮かべていた。

 死んだ目で往来を行く人々。死体を片付けることを仕事にする青年たち。犯されかけていた少女。卑屈にまだ幸せな方だと微笑む女……。

 陰口を叩かれながら美しい城で働くのと、下層でドブを啜るような仕事しながら暮らすのと。

 一体、どちらがマシなのだろう。私には、わからなかった。


「……差別をなくす方法は、ないんですか?」

 日向子が悲し気に、ヘーレーに問う。

 恐らくは彼女も、ユダ地区のことを思い出しているのだろう。

 彼の国の王族であるヘーレーは、あの街のことをどう思っているのだろう。


「……あるさ。ボクが王になるんだ。」

 日向子の問いに、ヘーレーは顔を上げる。

 その瞳には、情熱の炎がめらめらと燃えていた。

「ボクが王になって、こんなふざけた差別をやめさせる。アンネリヒトは北をまとめ上げる大国だ。そこが差別をやめるだけでも、この異種族差別に満ちた世界は大きく変わると思うんだ。」

 彼女の言葉に、イルフロンがうんうんと頷く。彼と同じように、ヘーレーを信奉している人外種たちはたくさんいるのだろう。


「ささ、どうぞお入りください。お嬢様がたも。

 希望の星であるあなたが、お風邪でも召されたら大変ですから。

 今日はがいるので少しばかり狭いかとは思いますが……

 ヘーレー様のお陰で、今日は温かいスープが作れそうです」


 イルフロンが箱のひとつを抱え、洞窟へ入っていく。

 ヘーレーもその細腕で箱をひょいと抱え、彼に続いた。


 箱を持ち上げようとしたが、とても重くて持ち上げられない。

 仕方ない、集落の人に運んでもらうしか────と思った矢先、日向子がその箱を軽々と持ち上げているのが見えてしまった。


「ちょ、ちょっと待って。あんたそれどうやって」

 日向子は私より腕力がない。そうだったはずだ。

 なのになんで、と言葉を続けようとしたところで、箱の上に乗せられたステッキに気がつく。


「……まさかね」

 まさか、と思いつつ、私も自身のステッキを箱に乗せて、再度持ち上げてみる。

 すると、まるで空の段ボールのように軽く持ち上げられた。


「……本当に万能だなこのステッキ」

 あの女神は嫌いだけれど、これは悪くない────

 自分の非力さが昔から嫌いだった。だから、このステッキがあれば、私は何でもできる気がしていた。


 暗く長い下りの階段も、もうさほど怖くはない。

 私達は湿った洞窟の階段を、黙々と下っていった。

 人外たちの暮らす、洞窟森の集落へと。



〈13話に続く〉

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