第11話 〈早朝のお茶会と馬車の少女〉




大きなため息をついて、リビングへ下りていく。

時計は、既に午前5時を指していた。

起きるには早すぎる時間だが、もう一度寝るのにも少し躊躇する時間。


「……バカみたい」

顔も知らない人々のことを考えて眠れなくなるなんて、随分と私らしくないことをした。

こういうことはどちらかと言うと優しい優しい日向子がやりそうなことだけれど、当の聖女様はベッドですやすやと眠っている。腹立つくらいに、美しく。

諦めて本でも借りよう。そう思ってリビングへ行った。


「あら、おはよう。早いのね」

リビングのドアを開けるなり、可憐な声が私を迎える。

白いマグカップを片手に本を読むネグリジェ姿のジリアが、私に微笑んでいた。

夜明けの光が、きらきらと彼女の緑髪を飾っている。



「……あんたも、いつもこんな早く起きるの?」

「ええ。お花のお世話をしないといけないから。あなたは?」

私は言葉に詰まる。

そんな杞憂を、と笑われるかもしれない。外の人外たちのことを考えていたなんて。

けれど、上手い言い訳も見つからない。

だから、私はそのままを口にした。


「……そう。あなたって、変わってるわ」

こと、とマグカップがテーブルに置かれる音が、やけに大きく聞こえた。

ジリアは……遠くを眺めるようなジリアの瞳は、酷く寒々しい色に見えた。


「人外種は、野蛮よ。いつだって、戦争を望んでいるの。」

「心配するだけ損よ。あのひとたちは、いつだって奪うことしか考えていないわ」

……氷のような言葉に、思わず唖然とする。


「でも、あの人は人外は『差別』されてるって」

「テナシーさんは、人外種に優しすぎるのよ。

あれは『差別』じゃないわ。『区別』と『統治』よ。必要なこと」

ジリアの顔も、言葉も、冷えていた。

そこには、昨日の晩の温かさも、優しさも、存在しなかった。

まるで、別人と話しているようだった。


早朝のひかりがきらきら、きらきら、窓から差している。

ジリアの真っ白なネグリジェと、美しい緑の髪を照らしている。

五月の新緑。春の女神。

そんな形容が、私の頭に浮かんでは消える。


「あなたたちは、そんなひとたちのこと心配しなくていいわ。それより、酷い隈よ?まってて、今温かいお茶を入れてあげるから」

そう言ってぱたぱたとキッチンに消えていくジリアの後ろ姿を、私は呆然として眺めるしかなかった。


『区別』と『統治』。

私は、ユダの街を思い返す。

生きる気力を奪われ、卑屈な瞳をこちらに向けてくる下層の人々。

ごろつき共に囲まれ暴力を振るわれ、犯されそうになっていた無邪気な少女。

ここはまだしあわせな方だ、と諦めたように笑う葬儀屋の女。

あれが、あの姿が、正しい姿だとジリアは言うのだろうか。

これが『必要なこと』だと。

……ぱちぱちと、怒りの炎が心に湧き上がるのを感じる。


「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね?」

ごと、と目の前にマグカップが置かれる音で我に返る。

私に微笑みかけるジリアの顔の柔らかさも、マグカップから立ち上るやさしい香りも。

なにひとつ、偽りはないのだ。

怒りの炎は、優しい微笑と温かなハーブティーで鎮められてしまう。

私には、どちらが『正しい』のか、もう分からなかった。

私は、大人しくハーブティーに口を付ける。

穏やかな薄緑のそれは、舌を火傷しないようにと気の配られた温度だった。

寝室では、日向子がまだ寝息を立てている。




「それじゃあ、お世話になりました」

「ええ、気を付けてね。体調を崩さないように」


あの二人きりの『お茶会』から1時間とちょっとの後。

やっと起きてきた日向子の手を引いて、私達はジリアの家を後にし馬車に乗った。

ジリアは勿論、テナシーとアリス、ノッケンまで私達を見送りに来てくれた。


「困ったらいつでも頼っておいで。

『ヴァローナ商会のテナシー』と言えば、大体の商館で取り次いでくれるからねえ。」

ふにゃ、と笑うテナシーの顔にはどうにも覇気がない。

彼がそんな重役だとは、到底信じられなかった。

なので、曖昧に返事を返しておく。


「お嬢さん方、もうすぐ出発ですぜ」

黒い髭をたっぷりと蓄えた中年の男が、疎ましそうに私たちに声をかけてくる。

もう出発予定時刻が近いか、とうに過ぎているのだろう。

それならば、長々と止めている訳にはいかない。


「ああ、ごめんなさい。……きっとまた、会えますか?」

日向子が見送りに来てくれた四人の顔を見渡し、微笑んだ。

私も、日向子と同じ気持ちだった。

複雑な思いはあるものの、私は彼らを、珍しく気に入っていた。


「大丈夫。……きっとまた会えるよ。」

テナシーが柔らかく微笑む。

その横で、ノッケンがこくりと頷いた。


馬車の車輪が動き出す。

ゆっくりと、彼らの姿が遠ざかっていく。

ごとごととどこか不穏な音を立てて、馬車は走り出す。

人外種と魔物の住まう、外の世界へと。




「……できれば、そんな日は来ない方がいいんだけどね」

ぽつり、と呟かれたテナシーの言葉は木葉を巻き上げて吹く風にかき消され、

彼の愛しき伴侶以外の耳へ入ることはない。



馬車の乗りごこちは、お世辞にも褒められたものではなかった。

道が舗装されてないのか度々酷く揺れ、そのたびに尻を打ち付けた。

「……お尻真っ赤になってそう」

「あはは、おさるさんみたいになっちゃいますね」

こんな時でも朗らかに天使日向子は笑っている。

その鈍感さにむかついて、軽くぺしんと彼女の尻をはたいてやったが、特に効果はなかった。


「……ねえ君たち、見ない顔だね」

そうやって軽くじゃれていると、不意に知らない奴が話しかけてきた。

背丈は私達と同じくらいの、古びたローブを被った人物だ。

性別ははっきりしないが、見たこともないくらい美しい、豊かな黄金色の髪がこぼれている。


「それに、珍しい服を着ている。まるでおとぎ話の『異邦人』のようだ!」

私達のセーラー服を物珍しそうに眺めて、ローブの子供は目を輝かせた。

異邦人とはなんなのだろう。

恐らくは違う世界からの来訪者を指しているのだろうけど。


「……そんなに珍しいですか?けっこうよくあるデザインの制服だと思うんですけれど」

「そうだね。水夫たちの服に似ているけれど、女の子の服では見たことないかな。

学校制服だともっとスカートの丈が長いものが多いし……。

あっでも、凄くかわいいと思うよ!」

ローブの子供は、にっと太陽のような笑みを浮かべた。

……得体の知れない奴だけど、悪い奴ではなさそうだった。


「……ねえ、あんた名前なんて言うの?」

警戒を解されて、つい問いかける。

ローブの子供は何故か少し困ったように視線を一瞬だけ彷徨わせるが、

すぐに戻って再び口を開く。


「あ、ああ。ボクの名前はね────」



そこで急に、がたん!と音を立てて馬車が大きく傾く。

今までの悪路の揺れではない。おまけに馬が怯えたように激しく嘶いている。

異常事態にざわざわと乗客のどよめきが広がり大きくなっていく。


なにごとか、と私達三人が馬車の幌から顔を出すのと、御者の「盗賊だ」という悲鳴はほとんど同時だった。


見れば、馬車の進路を、たくさんのボロを纏った人々が塞いでいる。

そこには若い女も、子供もいた。


「積み荷をよこせ、人間ども。さもなくば命はない」

リーダー格なのであろう先頭の男は、曇白の肌に長い耳を持っていた。

彼だけではない。ほかの盗賊たちも、残らず獣の耳や鳥の翼、鋭い角などを有していた。

人外種よ、だれか早く殺せ、野蛮な、という囁きがあちこちから上がる。


「いけません。私が無力化して────」

ステッキを持って立ち上がる日向子を、ローブの子供が片腕で制止する。


「待って。あの人たちはボクが止めるから。大丈夫、あの人たちはボクの『友達』なんだ」

「『友達』って────」

盗賊たちと?ならばあなたも盗賊なのかと問う前に、ローブの子供はひらりと馬車から降りてしまう。

おいあんた危ないぞ、と止める御者の声や悲鳴を上げる若い女の声も気にせず、

険しい顔で剣を握るリーダー格の男の前へ進み出る。


「……剣を収めてくれないか。誇り高き洞窟森の民たちよ」

吹いた激しい風が、着替えを手伝う女中のようにローブのフードを外した。

夕暮れの麦畑のような、豊かな長い金髪が惜しみなく晒される。


それを見たリーダー格の男は、鋭い目を大きく見開き、からんと音を立てて剣を取り落とした。

困惑のどよめきと密やかな歓声が、盗賊たちの間に満ちる。

そして、リーダー格の男が静かに跪いたのを皮切りに一斉に盗賊たちがひれ伏した。

この異様な光景を、御者も乗客も勿論私達も、思わず固唾を飲んで見守っていた。


「この馬車に、君たちの求める食料は乗ってない。だからこんなことしないで、すぐに帰ってくれ。ボクからの、お願いだ。」

優しくリーダー格の男の骨ばった手を取り、穏やかに語り掛ける。

男はまるで子供のように頷くと、仲間を引き連れてあっという間に森の中へ姿を消した。


「はー……よかった。やっぱり食料不足は深刻だなあ……」

安堵したような溜息をつくその後ろ姿に、今まで硬直していた御者が恐る恐る声を掛ける。


「な、なあ……もしかしたあんた……いや、あなたは……」

くる、とローブの子供が振り向く。

はっきりと日の下に晒されたその顔は、気品と溌溂さを兼ね備えた少女の顔だった。


「ヘーレー『王女』……」

隣の若い女が、御者の言葉の続きを代弁するように呟く。

しかしその声は、どこか恐れを孕んだものだった。

彼女だけではない。

他の乗客たちが少女に向ける視線は、感謝どころか恐れや蔑み、侮蔑を含んだものばかりだった。



「まあ、こうなれば仕方ないよねえ……背に腹は代えられないし」

やれやれと首を振って、ヘーレーと呼ばれた少女はつかつかとこちらに歩み寄ってくる。




「自己紹介が遅れたね。ボクはヘーレー。

ヘーレー・ダラジア・アンネリヒト。

……ご紹介の通り、ちょっとだけ慕われてて、ちょっとだけ嫌われ者の王女様だよ。」

そう言って少女は、悲し気に笑いながらのウィンクをした。




〈12話へ続く〉

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