第10話 〈少女の家と戦争のつめあと〉
「さっ、ここが私のおうちよ!かわいいでしょ~」
陽はとうに落ち、夜の闇に包まれた街を橙色の光を放つ街灯が暖かく照らしていた。
その灯に、一軒の小さな家が照らされていた。
ミントグリーンの壁を持つそれは、確かにファンシーなドールハウスのようだった。
ジリアがにこにことしながら開けてくれた木製のドアをくぐり、
案内された居間の扉を、私は恐る恐る開ける。
「わぁ……」
感嘆の溜息は、私のものか日向子のものかわからない。
柔らかな緑と茶色で統一された可愛らしいインテリア。あちこちに飾られた、瑞々しい花。
そこから微かに漂う、品の良い香り。
その空気から、家具のひとつひとつから、家主の趣味の良さが伝わってくる。
家電などがない代わりに、見たこともないオブジェのようなものがあちらこちらに浮かんでいたり、床に設置してあったりする。
これが、電化製品の代わりになっているんだろうか。
「これ、全部あんたが……?」
「ううん、パパよ。パパはとってもセンスが良かったの」
ジリアはそう言って笑った後、少し寂しそうな顔をした。
「お父様とお母様は、今何を?」
日向子が首を傾げながら、何気なく言う。
「馬鹿」と止めようとした口は、間に合わなかった。
「……死んじゃったわ。お仕事で隣の国へ行った時に、人外種に襲われて」
思わず、苦い顔を浮かべる。
さっきからジリアは、両親のことを過去形でしか話していない。
明らかに、両親はもういないのだと分かるじゃないか。
「ご、ごめんなさい。気づかなくって」
「いいのよ。私が言ってなかったんだもの」
ジリアは朗らかに笑う。その愛らしい顔に、僅かに悲しみの色を滲ませて。
「私のことはいいの!二人とも、お腹すいたでしょう?今ご飯つくるから、座ってて。」
この話は終わりとばかりにジリアは私たちの背中をぐいぐいと押し、鮮やかな緑のソファに沈める。
ふかふかとして、気持ちのいいソファだった。固すぎず、柔らかすぎず。
優しく体を受け止めてくれる、そんな良質なソファだった。
これも、ジリアの父親が選んだものなのだろう。
恐らくは、愛娘と愛しい妻のために。
そんなことを考えて、ため息が出た。
どうして、そんな暖かな父親と母親が死んで、私や日向子のみたいなクソ親がのうのうと生きているのだろうと。
神様ってやつは残酷ねと、月並みな感想を頭に浮かべて、吐き出さずに消しておく。
当然ながらテレビはない。携帯もポケットには入ってない。
隣の天使日向子はといえば、珍しく少ししょんぼりしている。
暇をどうやって潰そうかと考えてあたりを見回し、本棚を見つけた。
読んでいいものだろうかとしばし考え、ついに暇に耐え切れなくなった。
本を取りに行こうと立ち上がった途端、足にひんやりとした弾力のあるものが触れた。
「うわっ!?」
慌てて足元を見てみると、透き通った青色の、ゼリー状のものが蠢いていた。
大きさは小さめの猫くらい。黒くて細い角が生えている。
顔はないが、角の生えた頭(と思しき部分)をもたげて私を確かに見つめていた。
「あら、どうしたんですかこの子。かわいいですね!」
いつの間にか復活した日向子が、その謎のゲル状生物を抱き上げる。
ゲル状生物は、抱き上げられたのが不満なのかびちびちと魚のように暴れていた。
「あら、プリル。いつのまにお客さまと仲良くなったの?」
呼びに来たのであろうエプロン姿のジリアが、そのゲル状生物をプリルと呼んで笑った。
「これ、なに……?」
私が恐る恐るそれを指さしながら訊くと、ジリアは不思議そうに首を傾げた。
「何って、モーチィ・スライムよ。スライムの一種。知らないの?」
何だモーチィって。スライムはゲームの中で見たことあるけれども。
そんな「何って、猫よ。動物の一種。知らないの?」みたいな感じで言われても。
「こっちはスライムがこんなに普通にいるんですね……」
日向子が感心したようにしげしげとプリルと呼ばれたスライムを覗き込む。
そんな彼女から逃げるように、プリルは私の腕の中に滑り込む。
うっ……ひんやりする。柔らかくしたゴムボールを抱いているような奇妙な感触だった。
「……飼ってんの?これ」
「ええ。大人しいし、お花につく害虫を食べてくれるの。割とポピュラーなペットよ?」
ジリアは私の方に歩み寄り、腕の中のプリルをもちもちと撫でる。
にゅるんと体の一部をジリアの腕に絡ませ、プリルは気持ちよさそうにぴこぴこと角を動かしている。
「そうだ、ご飯だって呼びに来たの。ダイニングはこっちよ。」
思い出したように、ジリアは手をぱんと叩く。
それを合図にして、私達ふたりの腹がぐうぅと大きな音を立てた。
「あんまり豪華なものじゃないけど」
ジリアはそう言っていたが、いやいや十分に立派な食事だった。
チーズとマカロニ、鶏肉がたっぷり入ったグラタン。
香ばしい匂いを放つ、きつねいろのパイ。
鮮やかなトマトやパプリカやレタスの散る瑞々しいサラダ。
料理が好きなのだ、ということが一目でわかる、美しい食卓だった。
……私や日向子には、随分と縁遠いものだ。
「すごい、すごい!すごいですよ、ジリアさん!料理お上手なんですね!」
日向子が目をきらきらと輝かせてジリアを見る。
料理がまったくできない日向子には、彼女と成果物がひどく輝いて見えるだろう。
そんなキラキラした視線を向けられて、ジリアは照れ臭そうに頬を掻く。
「そ、そんな褒めてもらっちゃ困るわ。
母さんがくれたレシピの通りにやっただけだもの……」
「いや、それでも十分凄いわ……私ここまで凝ったの作れないもん」
料理のどれも手間がかけられ、丁寧に作られているのがよくわかる。
がさつな私ではこうはいかないだろう。羨ましい。
「も、もう!お料理冷めちゃうわ、早く食べましょう!」
ジリアは耳まで真っ赤にして叫ぶと、少し乱暴に席に着いた。
少しうつむいて、「もう……」と小声で呟いている。
当然ながら、味も素晴らしいものだった。
塩気のあるグラタンも、白身魚の入ったパイも、鮮やかなサラダも。
ジリアが可愛らしいティーポットでカップに注いでくれた紅茶も、上品で控えめな甘味が料理とよく合っていた。
……なにより、全てが温かかった。
冷たいコンビニのおにぎりやパン、四方から嫌みの飛んでくる家の食卓。
今まで慣れていたはずのそんなものは、短いまどろみの中で見た悪夢にすら思えた。
「おいしいですねえ、そういえば幽鬼以外のひとと食べるの、久しぶりな気がします」
甘い紅茶を一口飲み、ほうと溜息をつきながら日向子がそんなことを言う。
そういえば、私と日向子は朝食も昼食も夕食も一緒だった。
日向子とふたりきり、コンビニ飯やジャンクフードをひっそりと食べる。
そんな惨めな食事が、私達の日常だったから。
「あら、そうなの?
……そういえば私も、ノッケン以外の人をお家に招くのって随分久しぶり」
トマトをフォークで突き刺しながら、ジリアが微笑んだ。
「意外。あんたは友達がいっぱいいるんだと思ってた。」
「……ご近所づきあいはしているわ。でも、お家にお招きするほどじゃないってだけ」
ジリアは、ティーカップの中の、赤褐色の水面を見つめる。
伏せた目がどことなく寂しそうに見えて、私は慌てて話題を変えることにした。
暗い話題は御免だ。
「そ、そうだ。そのあんたの彼氏は今日は来ないの?」
彼氏、という言葉にジリアの顔がぱっと明るくなる。
……しまった。瞬間的にそう思った。
好きな男の話をしてもいいのか、という顔だ。
「ええ、ええ、残念だけど。彼は商会が用意したお家にいなきゃいけないの。
あのね、ノッケンは私と同い年くらいなのに、『ヴァローナ商会』で働いてるのよ!あそこに入ることができるのはヴェロナ伯爵家の当主様に認められた人たちだけなの。だからノッケンはすごいの!私よりいろんなことを知ってるし、とっても強いのよ!だってね、この前街に魔物が入り込んだ時も……」
ジリアは嬉々として惚気だす。
これは藪蛇だったなあと思いつつ、適当に相槌をうつ。
……隣の日向子はというと、ジリアの惚気にいちいち頷き、会話を辛うじて成立させている。
他人の惚気なんて聞いて何が楽しいんだろうと思うが、まあなんにでも全力で優しいのが天使日向子だ。彼女の悪癖だと思ってスルーするしかない。
私は心の中で、大きくため息をついた。
……ジリアの惚気は、随分と続いた。よほどため込んでいたのだろう。
ジリアが話し終わる頃にはとっくに全ての皿はきれいに空になっていたし、時計は日付の変わる3時間前を無慈悲に指していた。
「やだ、私ったら……ごめんなさいね。明日は馬車に乗るっていうのに。
寝室はパパとママのがあるわ。毎日掃除してるからきれいよ」
ジリアの言葉に偽りはなかった。
落ち着いた、大人っぽい色彩で纏められた寝室には、埃の一つだってなかった。
心地よいハーブの香りが微かに漂い、ぐっすりと眠れそうな空間だ。
けれど。
「はあ……」
トイレと浴室の場所を説明し終えたジリアが去ったのを確認して、ひとつ溜息をついた。
「どうしたんです?ため息なんかついて。」
ひょい、と天使日向子が心底不思議そうに顔を覗き込んでくる。
……おまえは原因のひとつだ、この野郎。
「……ベッド、ひとつしかないじゃない」
そう。そうなのだ。
余程ジリアの両親は仲が良かったらしい。
大人二人が寝転んでも余裕のある、ダブルベッドだ。
それがデンと、寝室にはおいてある。
他には簡素な棚とかそういったものしかない。
つまりは……私は日向子と一緒のベッドで寝なければいけないわけで。
「あら、わたしは気にしませんよ。」
「私が気にするんだっつーの!」
なんにも分かってない純粋無垢なほわっほわの笑み。
こいつにとっては、私なんぞと一緒のベッドで寝ることなど、ペットの猫と寝るのと同じような感覚なのだ。多分。
だがそんな平和な奴の胸中とは裏腹に、私の心は大荒れだった。
でも……そんなわがままを言っていると。
「うーん、じゃあ私が床で寝ますね。幽鬼はお気になさらず」
「そういうことじゃなくってえ………」
ほらこれだ。日向子は自分を犠牲にすることに躊躇がない。
「……ちょっと愚痴りたかっただけよ。あんたが床で寝ろとは言ってないの。
それであんたと……寝るのが……嫌だとも言って……ない……」
くそ。言ってて恥ずかしくなってきた。
これじゃ私が照れ隠しツンデレ野郎みたいじゃないか。私はそんな萌えキャラじゃないぞ。
だが、日向子を床に寝かせておいて自分はダブルベッドを優雅に一人で、なんて何と後味の悪い。
「じゃあ一緒に寝ていいんですね!ふふ、お泊り会みたいですね。」
嬉しそうにぴょんとベッドに乗ってきた日向子に、苦い顔をしてやる。
……けれど、お泊り会みたいというのは少しだけ素敵だった。
お泊り会。それは心の踊る単語であり、同時に私達には縁のないものだった。
……少しだけ、素敵だ。
お風呂をさっさと済ませて、余計なことをせずベッドに潜り込む。
ベッドは適度にふかふかで、シュティルの家の床とは天と地の差だった。
……いや、ベッドだけではない。家の調度品や設備、なにもかもが。
テナシーの言っていたことを思い出す。
『今の人間たちの平和は、数多の血と死と嘆きの上に積みあげられた平和なんだよ。』
「人間たちは」。……では、人間「以外」は?
デイジィは、あの下層をまだマシなほう、と言っていた。
自分たちはまだ、幸せなほうなのだと。
ならば、この街の外には……いったいどんな光景が広がっているのだろう。
ジリアの両親が殺された、外の世界。
『ユダ』の方がまし、と言われる、外の世界。
そこで暮らす、『人間以外』たち……。
……結局、私は次の朝まで一睡もできなかった。
〈11話へ続く〉
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