第9話 〈魔力切れと訓練の終わり〉
ひりつくような緊張感と、スリルと入り混じる奇妙な楽しさ。
今まで感じたことのないそれは、私の心を少なからず躍らせた。
だが、いつまでも楽しさだけを感じることは許されなかった。
「初心者にしてはなかなかやる方だったよ、君たち」
ノッケンが、黒い刃を天使日向子に向けていた。
日向子はスタミナ切れしたのか、足元をふらふらさせている。
飛ばされた黒い刃を白い盾で防ごうとするがうまく形ができない。
減速はしたそれを辛うじて回避したが、次を避けられるかは分からなかった。
「日向子……?」
思わずテナシーに背を向け、日向子に駆け寄る。駆け寄ろうとした。
が、私もバランスを崩して──というより急に足の力が抜け、その場に頽れる。
顔が青い。ひどく寒い。視界がぼやける。脂汗もひどかった。
視界がぐらぐらする、と言って日向子は私の手を握る。
「……魔力切れが近いようだね。若い魔術師はよくやるんだ。
体内の魔力が尽きれば、意識を失う。死にはしないよ、安全な街中ならね」
テナシーが、ノッケンが私を見下ろしている。
愚かな獲物を捕らえた猛禽のように。
「先に教えなくて悪いけど、若い魔術師は魔力切れを侮りがちだ。
死ぬことはなく、手近な人が血などの体液やポーションを飲ませるなりして魔力を分け与えればすぐに治る、それより敵の方が怖い、とね。」
テナシーが滔々と語る。ノッケンがナイフを振り上げる。ああ、今回は私たちの負けだ。
「だけど……それが街以外だとそうもいかない。少し賢い魔物なら、弱った者から襲うよ。
魔力を失った体を狙う悪霊なんかもいる。……魔力切れは何よりも死や……それより恐ろしいものに直結しやすいんだ。」
だから私たちにわざわざ体験させたのか。なるほど恐ろしいほどの説得力だ。
寒い。視界がぐらぐらとぼやける。
こんな状態で、戦闘などできはしない。
艶やかな黒い着物の裾が、霧のようにほろほろと崩れていくのが見える。
嗚呼、ここで終わりだ。
これが『本番』だったのなら、きっと私達はなすすべなく殺されていたのだろう。
訓練でよかった。私はそう諦めて、杖を下す。
それと反対にノッケンのナイフが日向子のボタンを刈り取ろうと持ち上がり、
テナシーの魔法の腕が私のボタンにやさしく伸びる。
腕よりも先にノッケンのナイフが振り下ろされる、その時だった。
きゅ、といきなり日向子に手を握られる。
何よ、とそちらを見れば────日向子はまだ、杖を高く高く掲げていた。
その目は、まだ勝利を諦めていないかのように輝いていて。
そして。次の瞬間。
「────え?」
ボタンの落ちる音が、二つ分響いた。
一つは天使日向子のだ。では、もうひとつは?
私のは……まだ落ちていない。
女の腕は主と同じように────ボタンを落とされ、何が起こったのか分からないという顔をしているテナシーと同じように、固まっている。
「────これで、わたしたちの、勝ちです」
テナシーの後ろで、金色に輝く天使の羽が四散した。
日向子が魔法で、私のボタンが落とされる前にテナシーのボタンを落としたというのだろうか。でも、
「……あの子たち、魔力切れを起こしていたんじゃなかったの?」
私の疑問を、観客席のジリアが代弁してくれる。
それに答えたのは、アリスだった。
「……『魔力吸収』よ。人間が使うには、かなり高度な技術を要求するのに……。」
ふと自分の体を見れば、すっかり魔法少女の衣装は解けて、地味な黒セーラーに戻っている。
「日向子、あんた」
「ごめんなさい、立てますか?」
「無理」
さっきの弱り具合はどこへやら、日向子は衣装こそ解けているが元気そのものでそこに立っている。
おかげで私はもはや座っているのもだるいくらいで。
私は不機嫌を装ってぐだりと床に寝そべった。ひんやりしていて気持ちがいい。
「いや~、驚いたな。魔力吸収なんてよくとっさに思いついたね」
硬直から解き放たれたテナシーが、笑顔で手を叩く。
隣で納得いかないようすのノッケンがむすっとしている。
「ふたりで力を合わせたら、勝てるかなあと思って……」
おい待て。そんなふんわりした感じで私の魔力吸ったのか。
本当にこの女は…………。
「予備知識なしでできるのはすごいよ。水晶塔の学生だったら最上評価を貰える」
水晶塔?と私が聞くと、魔術の研究機関だよ、とすかさず教えてくれる。
なるほど、日向子は魔法少女として天才的ということか。
……だが、そのたびに私がカラカラにされてはたまらない。
「でも、いつもそんな戦法を取っていてはいけないね。窮鼠が猫を噛んだところで、その猫を確実に殺せるわけではないさ。現にほら、ノッケンのボタンはまだ残っているだろう?」
「実際の戦闘だったらあんたを日向子が殺してもノッケンが最後の一撃を放って力尽きた日向子と私を殺して終わり、って訳ね」
「そう。……そんなことにならないと良いけどね。よくできました」
褒められて少しだけ頬が火照る。どうも褒められるのには慣れていなくて恥ずかしい。
「本当は水晶塔で学ばせてあげたいんだけどね。今水晶塔は学長が毒殺されたとかでゴタゴタしてるから……ううんどうしようかな。ラプソディアに頼むわけにもいかないし」
「あの人の教育はスパルタだものね……あれについていけるのなんて旦那様くらいよ。
そうだ、クラサスの街なら確か元魔道兵が学校を開いてなかったかしら。馬車で一日弱くらいだし、どう?」
「ああ、それがいいね。二人がよければ」
テナシーとアリスは娘の進学先を決める夫婦のように顔を突き合わせて真剣な顔で話し合った後、にこやかにこちらを向いた。
「どうかなあ。僕たちは商会の仕事もあるし、そこまで付きっ切りにはなれないからさ。
ちゃんとした学校で戦い方だけでも教わってきた方がいいと思うんだ。人間たちは平和だといっても、なにかと物騒だし」
アリスが自分が収まっている額の中から、ずるりと何かを取り出す。
それは、その元魔道兵とやらに宛てた手紙と幾ばくかの金貨だった。
こんなに受け取れません、と日向子は断ろうとしたが、アリスにいいからいいからと押し付けられる。
「次のクラサス行の馬車は明日の早朝だ。それまでは図書館に泊まっていくかい?あんまりベッドは柔らかくないけど……おまけにちょっと、いやだいぶ狭いけど……」
申し訳なさそうに頬を掻くテナシーの横で、ジリアが元気に手を上げる。
「あら、じゃあ私のお家はどう?パパとママのだったお部屋があるし、ご飯も私が作ってあげるわ!」
「あら、それがいいわよ。子供を仮眠室の狭いベッドで寝かせるのはかわいそうだわ。
女の子同士だし。そうしなさいな。」
女子ふたりの強い押しに、私はたじろぐ。日向子も珍しく引き気味だ。
結局背後のノッケンからの「ジリアのご飯はおいしいよ、すっごく」という一押しに負け、私達はジリアの家に厄介になることにした。
〈10話に続く〉
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