第8話 〈小さな恋人と初めての魔法戦〉



「じっ、せん」

思わずステッキを強く握る。

正直目の前の優男がそこまで強いとは思えないが……私が勝てる相手とも思えない。

魔法なんて勿論使ったことがない。体育の成績も、万年底辺だ。

……不安しかない。


「……でも、二対一というのは……」

日向子は心配そうに眉を下げる。

目の前の相手が自信ありげな顔をしているとはいえ、清く正しい日向子はやはり気が引けるのだろう。


「ああ、そんな心配をしてしまうのか。君は優しい子だねえ。

それだったら……ちょっと待っててね。もうすぐあの子が来るから……」

そう言ってテナシーは出入り口のほうへふっと優しい視線を向ける。

その横顔は、家族の帰りを待っているようで。


およそ一分と数十秒の後。

「……テナシーさん。これ、頼まれてたもの。」

丸い綿帽子を目深に被り、重たそうな黒いロングコートに身を包んだ少年が、音もたてずに図書館に入ってきた。

テナシーと同じ、銀色に光る三尾の鳥がコートに付いている。


「ああ、悪いねノッケン。交代のすぐ後に寄ってもらっちゃって。助かったよ。」

テナシーは慣れた様子でノッケンと呼ばれた少年が差し出した箱を受け取り、彼の頭を撫でる。それは弟をかわいがる兄そのものだった。


「ノッケン!!今日はお仕事早く終わったのね!!私、嬉しいわ!」

テナシーの授業中、視界の端でつまらなそうに髪をいじっていたジリアが飛び出し、

子猫のようにノッケンへ無邪気に抱き着く。それを受けてノッケンの顔は耳まで赤くなった。


「じ、ジリア……!人前で抱き着かないでってば……恥ずかしいから……」

「ええー?いいじゃない、恥ずかしくないわ。ね?」

……なるほど。付き合ってるな、この二人。

もはや私たちなど眼中なくイチャついてやがる。けっ。


「こ~ら、図書館ではお静かに。勉強している人もいるからね。

……それよりノッケン、ちょっと付き合って欲しいんだけど、時間大丈夫かな?」

テナシーがやんわりと制止に入り、ノッケンに尋ねる。

特に何もないですよ、とノッケンが頷いたのを見て、テナシーは手短に私達を紹介し、

要件────『実践訓練の助手』を依頼する。


「うん……いいですよ。殺さないように、頑張る。」

……普段の生活の物騒さをにじませて、ノッケンはいまいち感情の読めない顔をこちらに向けた。



「じゃあ、はじめよっか。」

図書館の地下。静かで湿った、暗く広い空間。

分厚い魔導書を片手に持って微笑むテナシーと、無表情で黒いナイフを構えるノッケン。

その反対側に、私達は並んで立っていた。

しっかりと、杖を握って。

肩には、銀色に輝く大きなボタンが付いていた。


『ルールは簡単。このボタンを落とされた子は脱落。両方落とされたら負け。

僕らの方は……そうだね、ハンデをあげて、僕の方が落ちたら僕らの負けでいいや。

これは実践訓練だからね。殺さないように~とか、怪我させないように~、とかは考えなくていいよ。僕たちはそんな簡単に死んだり怪我したりはしないからね。』

……数分前に聞いた説明を、頭の中で反復する。

ふたりの黒い外套の肩で、やはり銀のボタンは照明の光を反射して煌めいている。


「あれを落とせば勝ち。……ふふふ、ゲームみたいで面白いですね。頑張りましょう。」

日向子は微笑んで、こちらを向いてぎゅっと拳を握って『がんばるぞ!』の動作をする。

その図太い神経に、私は少し嫌気がさした。


「よ~い、はじめっ!」

アリスの声とともに、カーンと高い鐘の音が鳴る。

向かいの二人はまだ動かない。……私たちに更なるハンデをくれているのだ。

それならばと、私は杖を恐る恐る構えた。


『これは意思発動型────って言ってもわかんないか。

「今戦いたい」って願うことで、戦闘モードになる杖だ。だから魔法を使うときは、その気持ちを杖に流し込む感じで────』


「……こうかな」

戦闘前、テナシーに教えられたようにしてみる。

戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦わなくちゃ。

杖に言い聞かせるように、脳内で繰り替えす。


何度かそれを繰り返して、十数回目にやっと変化が始まった。

杖から彼岸花が血のように吹き出し、私の体を包み込んだ────

かと思うと、私の体はいつの間にか黒い和服に包まれていた。

……思ったより少女趣味ではなくて安心する。

けれど、大きく開けられた脚の露出はやはり気恥ずかしかった。


「ちゃんとできましたね、よかった」

隣では汗一つかかず、天使日向子が笑っていた。

白いロリータドレスとナース服を混ぜ合わせたようなデザインに、対のようなデザインにされなくて本当によかったと胸をなでおろす。

しかし、天使日向子が恥ずかしげもなくそれを着こなしているのが無性に腹が立った。


「いいから行くわよ。あんたこの前の羽、どうやってやったの?」

この前強姦魔の腕を切り飛ばした天使の羽。

あれがあれば、戦えるはずだった。


「え?わからないです。ただなんとなく、助けなきゃ~って思ったら出てきたやつで……」

「はぁ!?あんたそんな軽い感じで使ってたのあれ!?」

……全く、この女は!

これでは私たちは、ただかわいい服に着替えただけだ。

どうにかしないと、どうにか……!


「……ハンデの時間は終わり。隙だらけ」

ひゅ、と私たちの肩を何かが掠める。

ノッケンの、黒いナイフだ。瞬時に距離を詰められていた。

なんとかその一撃を躱したものの、直ぐに二撃目が飛んでくる。


「ッ……この、『来ないで』!」

黒いナイフを黒い杖で防ぎ、叫ぶ。

必死で、悲鳴とそう変わらない言葉だった。

けれど。


「うぐっ……!」

ノッケンの小さな体躯がゴムボールのように跳ね、弾き飛ばされた。

私の前には、シャボン玉の膜のようにてらてらと光る壁が生成されている。

……私が出したのだろうか。

もしかして、『来ないで』に反応した?

あの時赤髪の男を殴り飛ばしたのも、これだろうか。


「なるほどね。呪文の詠唱を必要とせず、意思を伴った言葉で魔法が発動するのか。」

後ろでにこにこと余裕そうに眺めながら、テナシーが分析している。

足元では光る文字列のようなものがぐるぐると渦巻いていたが、それが何を意味するのかはもちろん分からなかった。


「余裕ぶってるのも今のうちよ、『あれを取ってきて』!」

発動の仕方がわかればこっちのものだ。テナシーのボタンに杖の先を向け、一気にチェックメイトを狙う。日向子に手出しさせる暇なんて与えるものか。

思った通り杖から蝙蝠のような影が吹き出し、テナシーのボタンを奪い取ろうと飛翔する。

だが。


「甘いよ、お嬢さん。そんな簡単に僕に勝てるなんて思わない方がいい」

床に流れる一面の文字列。それがいきなり無数の女の手になって、蝙蝠たちを握り潰した。

娘の華やかな手に蹂躙された蝙蝠たちは、なすすべなく四散する。


「さて、そろそろ僕も遊んであげようかな。ノッケンに任せきりなのも大人としてまずいし」

モノクルが文字列のぼんやりとした光を反射して妖しく輝く。


「『nevar(烏よ)』」

テナシーが一言、英語に似た何かを呟く。

と、同時に。一羽のカラスがいきなり現れ、私に猛然と躍りかかってきた。

『来ないで』をする前に、白い羽の塊が私の盾になった。


「大丈夫ですか、幽鬼?」

やさしく微笑んで、日向子が杖を構えていた。

「これ……頭の中で考えるだけで行使できるようです。便利ですね」

「……あんたまさか、私が奇襲かけてる間に呑気に実験してたんじゃないでしょうね」

……この女は。

少し超えたと思えば、さらりと当然のように私の一歩先を歩いている。

本当に、嫌な女だ。


「……ねえ、僕の事忘れてない?」

先ほどのカラスより大きな黒い影────ノッケンが再び襲い掛かる。

日向子は杖を盾に変化させて(そんなことまでさらりと習得していたのだ!)、彼の凶刃を防御する。


「大丈夫ですよ、忘れてません。私人の顔覚えるのは得意なんですから」

「そういうことじゃないんだけど……君と話してるとなんか肩の力抜けちゃうね。

早く終わらせないと僕が負けちゃう」

ノッケンは果敢にナイフを躍らせ、日向子の肩のボタンを狙う。

日向子はひらりひらりと逃げ回り、あるいは白い盾で防いで、ボタンを守る。

……一見日向子が有利に見えるが、あれは防戦一方なだけだ。

何か、何か打開策は────


「おや、よそ見をしていていいのかな?『dniw(風よ)』」

「ッ!」

顔の横を鋭い風が掠める。ボタンを鋭い音を鳴らして揺らす。


「おや、今の避けられるのはすごいねえ。花丸をあげよう」

「……そんな見え透いたお世辞言うのはやめて。」

「あはは、ごめんごめん」

……今のは。ボタンを取る気なんてなかったのだ。

私の逸れた注意を引くために、わざとギリギリ当たらないような攻撃を放ったのだ。

そんなこと、私でもわかった。


「魔術師同士の戦闘はね、いかに相手よりも早く、確実な手を打つかだ。勿論回避の技術とか魔力の向上とか、そういうのも大事だけどね。ゆっくりと、僕らで勉強していくといい。世界は冷たく、悪辣だ。」

そうしてまたテナシーは少しばかり陰のある笑みを見せて、スペルを口にする。


「『emalf(炎よ)』」

私のボタンめがけて炎が飛ぶ。私はそれを身を捩って回避する。

「『あれを取って』」

テナシーのボタンめがけて蝙蝠が飛ぶ。彼はそれを魔導書で軽く叩き落とす。


「『edalb(刃よ)』」

私のボタンめがけて刃が飛ぶ。私はそれを、杖で打ちかえす。

「『彼を捕まえて』」

テナシーの足を蔓が絡めとろうとする。それは足元の女の手で引きちぎられた。


私と彼が交互に一言呟き、それに伴う魔法が相手のボタンを刈り取らんと交錯する。

まるで口喧嘩のようなそれに────私の口は、確かに楽し気に歪んでいた。


4つのボタンは、まだひとつも地に落ちていない。



〈9話に続く〉

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