第7話〈退屈な授業と或る提案〉
「あのう、それで紹介状には何と?」
日向子が小首を傾げながら、人目を憚らず睦みあう二人(一人と一枚?)に遠慮なく問う。
その目は、動く絵画を女性のように扱う男の異常性に微塵も感情を向けていなかった。
「……やっぱすごいわねあんた」
「何がですか?……うふふ、仲のいい恋人同士って素敵ですね。」
私の引き気味の呟きにも、日向子は笑顔だ。
そして、普通の女の子みたいな返事を返す。
日向子の前では、対物性愛も異性愛も同性愛もさして変わらないのだろう。
……私には到底無理だ、その領域に達するのは。
「おっと、ごめんね。デイジィさんから『この世界のことを教えて、ついでに杖も解析してあげてください』って頼まれたんだ。杖の解析はアリスがしてくれるから、その間に軽く僕がこの世界────幻想世界『トゥルマ・イリュシオン』についての授業をしてあげよう。」
その言葉と共に、やさしい引力で二本の杖が中空に浮く。
そしてふわふわと漂いながら、ゆっくりとお化け絵画アリスの中へ吸い込まれていった。
「安心して?盗んだり壊したり、細工したりもしないから。」
私の思考を見透かしたかのようにお化け絵画はゆったり笑うと、ふっと幻のように消えてしまった。
……不気味だとすら感じていた杖だが、いざ手元を離れてみると足が宙に浮いているかのような不安に駆られた。
「アリスは美しいだけではなくて、とっても優秀な魔術師だからね!……さて、君たちはさっき僕が『幻想世界トゥルマ・イリュシオン』と言ったとき、頭上にハテナマークを浮かべたね?そこから説明してあげるとしよう。」
彼は私たちにノートを渡し(それは安価なクラフト紙のノートによく似ていた)、
張り切った様子で、白い手袋に包まれた指をモノクルの金縁に滑らせた。
その姿は授業を始める前に決まって眼鏡をかちゃりと動かす、私たちの現代文教師を思い起こさせる。……嫌な予感が再来した。
……結果として。
彼の話は、彼の『授業』は。非常に…………非常に長かった。
なんども船を漕ぎ、なんども意識を刈り取られ、そのたびに首を振り、腕をつねり、
やっとのことで聞き終えた。
ほとんど覚えてはいないが、なんとかノートに残っていたのは……
①この世界(私たちのいた現実も含めるらしい)は二つの異なる様相を持つ世界で構成されており、私達のいた『現実』の世界が『トゥルマ・レアリテ』、この『ファンタジー』の世界が『トゥルマ・イリュシオン』と呼ばれていること。
(誰に?……おそらくはこの世界の学者たち、或いは『外』からきた人々)
②この世界では600年程前に巫女マリーツィア・ボースハイトが告げた『世界縮小の予言』を火種に人間と人外が土地を奪い合い争った『種族戦争』なるものが行われ、結果勝利した人間たちが人外を差別、迫害、支配している。
辺境に人外の居住区は残ってはいるが、段々制圧されつつあること。
③この世界には元の世界で見られた動物たちの他に『魔物』と呼ばれる生命体が活動しており、人類の生活を脅かしている。
戦争後にできた人間の居住区周辺には弱く馬鹿な魔物しかおらず、強く賢い魔物は辺境へと散っていった。
……以上の3つだ。あとはミミズか解読不能文字が散っていた。
後半は全滅だったので、隣でしっかり起きていて真面目にノートを取っていた天使日向子のノートの記述を付け加える。
④この世界には『魔法』『魔術』『呪術』の類が存在しており、大半の種族が杖や魔導書などの『触媒』を介してのみ体内の『魔力』を使って魔法などを行使できる。
(唯一南の砂漠に棲む赤い髪の戦闘民族だけ、魔力を保有せず魔法類が行使できない)
また人類より上位の存在(悪魔とか、天使とか?)は触媒を使わず魔法類を行使する。
極北にはこの魔法をどの種族よりも得意とする白髪の民族が生息している。
⑤戦争に勝利し、この世界の支配者となった種族『人間』は、まだ領地争いを繰り返している地域や国もあるものの、戦争以前の『暗黒時代』よりはるかに豊かになり、もともと多かった人口がさらに増加している。貧困や人間同士の差別は概ね解消し、現在は人間史上最も幸福で平和な時代と呼ばれている。
……このくらいか。
②と⑤には丁寧にアンダーラインまで引かれていた。
……日向子が学校の試験で常に上位を取っている理由を垣間見た気がする。
「『暗黒時代』には……何があったのですか?」
日向子は真面目な瞳でテナシーに問う。
長い授業の再開かとも思ったが、テナシーは目を伏せ、静かに首を振っただけだった。
「……君たちのような幼い子供に詳しく教えられることではないよ。刺激が強すぎる。
ただ、掻い摘んで言うなら……魔女狩り、迫害、虐待、子殺しに親殺し……そういったものが今よりも地上に溢れかえっていた、そういう酷い時代さ。そこにあの『世界縮小の予言』だ。……あちこちに死体が転がり、いくつもの国や村や街が焼かれ、いくつもの種族が絶滅した。今の人間たちの平和は、数多の血と死と嘆きの上に積みあげられた平和なんだよ。」
まるで当事者のようにそう語るテナシーの緑色の瞳には、今までの朗らかな様子が嘘か幻であったかのように、陰鬱な影が宿っていた。
その豹変に私たちは顔を見合わせ、戸惑いを浮かべるしかなかった。
「テナシー!杖の解析終わったわよ!」
日向子が何か声を掛けかけたところで、頭上から女性の声が振ってくる。
見上げれば案の定、水色のドレスのお化け絵画────アリスがふわふわと浮かんでいた。
「……ああアリス!お疲れ様。それでどうだい、その可愛らしい杖の正体は?」
テナシーが首をもたげて、ふにゃっとしたどこか間の抜けた笑顔を浮かべる。
あの暗い影は、どこにも見られなかった。
「すごいわ、すごいのよ!?……子猫ちゃんたちにもわかりやすいように説明すると、
魔法を習い始めたばっかりのド素人でも超高度の魔法が行使できるようになっているの」
……つまり、所謂チートアイテムということ?
しかしあのいかにも性の悪そうな女神がそんな都合のいいものをくれるだろうか?
いや、『自分の力を分けた』なんて言っていたけれど。
「あと、あなたたちが私達の言語を理解できるのもこの杖のお陰ね。所有者に恒常的に『翻訳』の魔法がかかるようになっていたわ」
そこで今更ながら気づく。
今まで明らかに異国の顔立ちをした人々の言葉も、紙に書かれた文字も、
何の疑問もなく日本語と認識していた。
なのにそう気づいてから手元の本をめくってみれば、それは文字も文法もとても日本語とは似つかない、全く知らない異界の言語だ。
なのに頭の中にすんなり何が書かれているか流れ込んでくる。これは園芸についての本だ。美しい薔薇を育てるにあたっての注意点が書かれている。
思わず、ぞっとした。
「へえ、そりゃすごいや……どこの魔道具職人の作だろう。エルードはこういう女の子っぽい装飾嫌いだしなあ。ソルジのお爺ちゃんが作るとも思えないし。装飾の趣味はモニカに似てるけど、あの子は魔法人形が専門だからここまで高度な『魔法の杖』は作れないし」
テナシーは感心したように私たちの知らない人名(おそらく高名な魔道具職人だ)を含んだ独り言を少年のようにつぶやいたあと、ああごめんね、と笑って私達に杖を返した。
杖を受け取ると、ようやく地面に下ろされたような安堵が全身にじんわりと染み渡った。
「でも……この子たちにこのままこれ持たせておいて大丈夫かしら?」
過ぎた道具は使用者にも周囲にも危険よ、とアリスは眉を下げる。
それを聞いてテナシーは、そうなんだよねえと腕を組んで考えるしぐさをした。
……胸に不安がよぎる。
まさか、危ないから取り上げるなんて真似をするんじゃなかろうか。
そんな私の疑心暗鬼をよそに、テナシーは朗らかな表情で手をぱんっと打ち合わせた。
「よし、じゃあこうしようじゃあないか!」
「僕が特別に、君たちに『魔法の訓練』をしてあげよう」
まあつまり────実戦だね、と。
頼りない優男は、それでも負けると思っていない顔でそう提案した。
〈8話へ続く〉
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