EPISODE13 ファシリテーター
薬品の臭いが、意識を取り戻させる。
薬品という単語が脳の表層に浮かび上がり、肉体が昇っていく感覚だ。
意識は頂上の光を求めて泳ぎ、輝きは増していく。
やがて、目を開けることができた。
「お目覚めね、トオルちゃん」
ところどころ黒ずんだ天井、見知らぬ女の声。
上半身が冷える。
被せていた布団が、美人の女性によって剥がされたからだ。
潤った唇が、目の前に近づく。
笑みを浮かべて、形のいい瞳でじっと見つめてくる。
そこで不安定だった視野が、ハッキリと機能した。
勢いよく上半身を起こしたため、女性は驚いていた。
俺は息を整えながら、女性を眺める。
長い金髪を後ろでくくり、白衣を身にまとっている。
三上が闇医者を紹介すると言っていたから、たぶんこの人が。
「あなた、歳はいくつ? 職業は?」
唐突な問いに、疑問を持たず答えた。
「26です。警察官を職業にしています」
「へぇー。階級は何?」
「巡査部長です」
「良い体してるわね……」
俺は半裸状態で、肩は包帯が巻かれていた。
左肩から腰に掛けて、きめ細かい手で撫でる。
光悦とした表情で、肺と肝臓を指で突く。
「検査させてもらったわ。綺麗そのものの肺、煙草は吸わないのね。お酒も嗜む程度で、肝臓は臓器移植してほしいくらい美しい」
「あ、あの……骨は折れてなかったですか?」
「すこーし、折れていたわ。激闘の痕が凄まじかったわね。まあ、折れた骨ぐらいは何とかしたから大丈夫よ」
「何とかした、って」
「それよりも、ご褒美が欲しいの」
女医はくねくねとした動作で、俺の腕に指を絡ませてくる。
細い指先が、妙にくすぐったい。
「治療費のことですか? それなら、払いますよ」
「本当に? なら今、払ってもらうわ!」
「今?」
信じられない速度で、馬乗りになって両腕を掴まれた。
直後、薬品の臭いに紛れて、酒臭い息がかかってきた。
「あ、あんた! 酔ってるのか!」
「酔ってないよぅ」
起きたばかりで、抵抗するにも腕に力が入らない。
不意に笑い始め、彼女の顔が迫ってきた。
色っぽく舌舐めずりした唇を近づけてくる。
直後、部屋の扉が開き、異変に気付いた三上が助けてくれた。
「ちょっと! ヤミコちゃん! トオルくんを離してくれ!」
「嫌よ! やっと見つけたイケメンなんだから!」
「すまない、ヤミコちゃん」
三上は彼女のうなじに手刀打ちを決めて、意識を飛ばした。
色情に飲まれた顔が耳の側で埋まり、三上は彼女を持ち上げて、隅のソファに寝かせる。
「謝るよ、トオルくん。彼女は優秀な闇医者なんだけど、出会いがないのが原因か、酒癖が原因か……色男を強引に誘惑するんだ」
「起きて早々、災難でしたよ」
悪い気はしないが、いきなりすぎるだろ。
「彼女……丸吞ヤミコは、ヤクザや権力者お抱えの闇医者だよ。医師免許を持っていなくても、腕は確かだ。包帯は、もう外してもいいんじゃないかな」
「……ちゃんとした医術で、治しているんですか?」
あれだけの痛手を負わされた後だというのに、痛みはなかった。
治療後特有の不快感もない。
魔法で治療されたような感覚だから、ますます不可解な気持ちになる。
包帯を外しながら、彼に訊いてみたが首を傾げられた。
「いや、そこらの医術とは次元が違うよ。闇医者の彼女だからこそ、できる医術があるらしい。噂によると、特殊なナノマシンを注入し、欠損した細胞を補って傷を塞いでいるそうなんだ。ヤクザや権力者が彼女を頼る理由は、君の左肩を見れば分かるよ」
言われた通り、撃たれた肩に目を向ける。
そこには、何もなかった。
弾丸の痕さえも、綺麗サッパリ消えていた。
「そう……なかったことにできるんだ。一生モノの傷や痕を『リセット』することができる。金さえ積めば、顔や指紋も変えてくれる。有名人のそっくりさんがテレビに出演しているけど、約一割はここで手術を受けているよ」
「聞きたくなかったですよ、その情報」
「今はそんな情報、関係ないか。現時刻は、朝の3時だ。もうじき、村雨さんが帰ってくるはずさ」
丸呑が目を覚まし、三上が退出するよう促した。
彼女は結局、恋冷めることないまま追い出され、代わりに村雨が入室してくる。
片手にコンビニの袋を携え、中の弁当を配った。
「ありがとうございます」
「それと……これを返しておく」
ゆっくりと出された手には、警察拳銃が握られていた。
俺が所持していることになっている拳銃。
申し訳なさそうな声とともに、拳銃を返してくる。
「他の弾倉は持っていないんだろ。込められている弾は、残り7発だ。すまない」
「俺を救うために使ってくれたんです。気にしませんし、むしろ感謝しています」
「そう言ってくれるだけで、心が救われる。これで、このことは水に流してもいいか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
頷くと村雨も微笑み、近くの椅子に腰を下ろした。
三上は既に、弁当へ箸を伸ばしている。
村雨は弁当の蓋をあけながら、話を切り出した。
「実は買いに行くついでに、裏社会に詳しい奴から情報を仕入れてきた。真犯人に関する情報だ」
「すごい知り合いがいるんですね」
「ネットで知り合った情報屋だ。元O阪府警サイバーセキュリティ対策課の課長らしい。情報を横流ししていたことが、部下にバレて辞職させられたそうだ。それよりもだ」
村雨は勿体ぶるように言葉を切り、買ってきた水を口に含んだ。
「有名企業の重役だけが参加できるグループがあるらしい。年に一度、どこかのホテルで集会を行っているそうだ。政府の連中も加わって、都合よく国民を操る手段を議論しているらしい。奴らが議論する内容に『誰を殺すか』……という議題もある」
「そこに出てくるのが、あの殺し屋なんですね」
あの殺し屋の背後には有名企業だけでなく、政府もいたのか。
国からも重宝されているだけあって、実力は本物だ。
まともに殴れなかったことが悔しい。
「ああ、奴は『
「私怨を抱く者でも、殺しを依頼できるということか。ファシリテーター……殺人の技術は本物だ。俺みたいに我流で格闘する……雑さはなかった。あんなのが、世間と混ざって生きているというのが考えられない」
奴らが使っていた拳銃はID銃。
国に認められた人間にしか、引き金を引けない銃だ。
村雨が話す。
「君が眠っていた間に、もう一度さっきの場所に行ってみたんだ。……何もなかった。証拠は完全に隠滅された。壁の弾痕さえ、埋められていた。慎重なまでに用心深いからこそ、世間は一切気付かないのだろう。現に私達も追跡に苦労している」
「だけど、奴を確実に追い詰めている。その証拠が、昨日の襲撃だ。部下をけしかけ、失敗と悟るやいなや、自分自身が決着をつけにきた。本来なら見守るだけだったところを、俺の前に姿を晒さねばならなかったほどだ」
「次、会ったときは容赦なく殺しに来るだろう。そのためにも備える必要がある」
三上が手を挙げて、発言する。
「そう簡単に会わせてもらえるだろうか。相手は殺し屋だよ。不意打ちでも仕掛けてくるんじゃないだろうか」
「いや、今度はこっちから攻める」
驚愕した表情で、三上が質問する。
「まさか、場所が分かったのかい!?」
「場所なら知っている奴から訊けばいい」
「そうか、小林ヨシノリ! 今回で、奴と繋がっていることがハッキリした。でも、会社を尋ねてもいなかった」
「今日は何日でしたっけ」
村雨は、スマートウォッチを覗く。
「7月25日だ。……なるほどな」
村雨と三上は察して、俺は話を続けた。
「おそらく、水難事故が起きた渓流にいるはずだ。朝、小林を問い詰める」
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