EPISODE6 まさか、こんなところで会えるなんて

「トオル兄、ゲームしようよ! 今日も容赦しないぜ……って、あれ? どこか出かけるの?」



 いつものスーツに身を包み、洗面台の鏡で寝ぐせがないか確認する。

 薄赤く染めた髪は、しっかりと整っている。

 ツカサは部屋のソファで寝ころびながら、忙しない俺を眺めていた。



「ああ。これから、真犯人を捕まえる。だから、家で留守番しとけよ」

「えー。せっかく、トオル兄に勝てるゲームで、ストレス解消しようと思ってたのに」

「俺をストレスのはけ口にするなよ。っていうか、ゲームで惨敗して、こっちは泣きそうなんだよ」



 俺にどうやら、ゲームの才能はないみたいだ。

 それを知ったツカサはストレス発散のために、いつもゲームを持ち込んでくる。

 対戦ゲームで、一度も勝てたことがないほど最弱な俺だ。

 ゲームから逃れるためにも、急いでネクタイを締めた。



 テーブルに十分なお金を置いてから、声をかける。



「これで昼飯、食べとけ。じゃ、行ってくる」

「んん、行ってらっしゃい」



 不満そうな口調で見送られた俺は、玄関から飛び出した。

 ドアが閉まると、自動で施錠される。

 すまないな、ツカサ。

 謝罪の想いを抱えながら、俺は地下駐車場に向かった。







 自宅マンションから離れ、郊外へ車を走らせている。

 高速道路を駆け抜け、数分後には目的地に近づいていた。

 目的地は、薄汚れた雰囲気のアパート。

 付近に駐車した後、車から降りて、左手首を捻る。

 手首のブレスレットデバイスが反応して、ロックがかかった。

 白いブレスレットは浮いて漂っており、まるで皮膚を拒絶しているように見える。



 このブレスレットは、警察から支給された装備品。

 警察官としての任務を最大限サポートしてくれるコンピューターだ。

 そして、警察手帳でもある。

 つまり、これを付けている者は警察官だという証明になる。

 もっとも今の俺は、警察官に成りすました一般人だ。

 グレーゾーンに足を踏み込んでいるが、引き返すわけにはいかない。

 アパートの階段を上り、奥の部屋を目指す。

 チャイムを鳴らし、木製の玄関ドアを横目に待った。

 しばらくして、中から声が聞こえてきた。



「龍道川か。待っていたよ」

「すみません。こんな朝早くに」



 開いた扉から白シャツの腕だけが飛び出している。

 中に明かりはなく、住人の全身が影に紛れていた。



「君から連絡をくれるとは珍しい。それで、何の用だろうか」



 暗闇が単調な声色で尋ねてくる。

 アパートの雰囲気も合わさって、不気味な空間に思えてきた。

 普通の人間なら、まず近づきたくない場所だ。

 だけど、目的を達成するには必要な人物なんだ。

 その意気を込めて、目の前の影に頼み込む。



「あなたのAIで、真犯人を見つけ出したいんです。……村雨さん」



 表札には『村雨マサムネ』と彫られている。

 ドアが住人の手によって大きく開かれると、日光が室内に差し込んだ。

 人物の様相が明るみに出て、全身を露わにさせた。

 白シャツとスラックス、眼鏡をかけた男。

 ぼさぼさの髪を後ろで束ねている。

 この人こそ、真犯人を見つけ出すのに必要不可欠な人物である。







 彼と最初に出会ったのは三年前、ボランティアとして向かったアフリカ南部の小さな村『アンダイン村』。

 俺は知り合いからボランティア員を募集していると聞いて、参加したのだった。

 海外でのボランティア活動は、職業診断AIで大きくプラスになる。

 大学三年の俺は意気揚々と現地へ向かった。

 そのとき、医療機器開発会社主任技師の村雨マサムネと出会った。

 彼は国から依頼され、アンダイン村に蔓延している謎の病を治すための医療機器を開発していたのだ。



 村雨マサムネが開発するAIは、謎の病でも対抗できる医療機器。

 完成すれば、未知の病気でも的確に処置が可能となる。

 まさに、夢の機械だ。

 俺はその医療機器に感動し、完成させるために彼を助けようと決めた。

 同時期、村の人たちもボランティア員に懐き、俺たちも村を愛おしい存在と思っていた。

 子供たちだけが発病する病を治したい。

 その想いが、医療機器開発を進める動機となった。



 だが、突如として終わりを迎えたのだ。

 二ヶ月経った日、日本政府から全員の帰還を命じられた。

 いつまで経っても、成果を上げられないプロジェクトを続ける余裕がなくなった。

 それが国の言い分だ。

 飛行機の機内はどんよりとした空気が流れ、窓から見えるアフリカ大陸は海の底へ沈んでいくように見えた。

 村雨は握り拳をきつくして、ひたすら嘆いていた。

 あと、もう少しで完成したんだ……あと、もう少し、もう少しだけなんだ。

 元アメリカ軍所属の軍人だったという彼は頼りがいのある人だったが、その時ばかりは小さな存在に見えてしまった。



 それから、二年後。

 刑事として事件を追っている最中、犯人が住宅街に逃走。

 俺は、逃げる犯人をひたすら追いかけていた。

 すると、犯人の前に一般人が見えたのだ。

 犯人はナイフを取り出して、一般人目掛けて飛びこんだ。

 人質として利用するつもりなのだ。

 だが、一般人は怯むことなく、ナイフを叩き落した。

 腕を押さえてよろめいた犯人を、その人は一瞬にして取り押さえたのだ。

 そのあまりの綺麗な行動に、俺や他の刑事が見惚れてしまうほどだった。

 ようやく追いついた俺は、犯人に手錠をかけることができた。

 そして、一般人に顔を向ける。



「すみません、巻き込んでしまって。あの、お怪我はありませんか」

「いや、大丈夫だ。なんともな……」



 その人は俺を注視すると突然、言葉が詰まった。

 深く帽子を被り、サングラスをかけている。

 顔をじっと見つめてくる男に、俺は困惑していた。

 しばらくして、男が声を出した。



「君は……龍道川トオルか」



 知らない人に名前を言われて、訝しげな目をしてしまうのが普通だ。

 ぼんやりと輪郭しか捉えていなかった男を、ちゃんと認識する。

 男は帽子とサングラスを外して、髪を後ろになでつけた。

 そこで、この人が村雨マサムネだと気付いたのだ。



「村雨……マサムネさん!?」

「君は忘れていないのだな、私を」

「忘れるはずがありません。あなたのことも、あのボランティアのことも」



 捕まえた犯人は他の刑事に任せて、俺は村雨と会話した。



「まさか、こんなところで会えるなんて」

「私もだよ。君に会いたいと思っていた。偶然というのは恐ろしいものだ」

「俺に会いたい、って……」



 気楽な感じが一瞬にして変化する。

 まるで真実を告げるような低い声音と共に、スマホを取り出した。

 画面には、村雨マサムネに繋がる携帯番号を表示している。



「暇ができたら、私に連絡してくれないか。あのボランティアのことで話があるんだ」

「……わかりました」



 彼に合わせるように声を重くして、携帯番号を自分のスマホへ登録した。



 なんとか休みを見つけて、村雨に電話をかける。

 繋がると、若干嬉しそうな声で約束を取り付けられた。

 約束通り、高級料理店へ足を運ぶと彼が待っていた。

 ジャケットを着こなし、高級店に相応しい見た目だ。

 既に予約してあるようで、個室に通される。

 扉を閉めれば、出る隙間のない完全な個室だ。

 村雨はデバイスで一通り注文すると、こっちに手渡してきた。



「好きなものを頼むといい。私が全部、払おう」

「そういうわけには」

「遠慮しないでほしい。代わりといってはなんだが、私の話を聞いてほしいんだ。これは君にとっても重要な話だ」



 そう言われては、引き下がるしかない。

 注文した料理が届くまでの間、会話はなかった。

 ただ、沈黙と時が流れていくばかり。

 白を基調とした部屋は高級感もあるが、言い知れぬ恐怖もあった。

 綺麗すぎるがゆえの完璧さ。

 欠点を探そうものなら、逆に取り込まれるような白さだ。

 二十分もすれば、全ての料理が届いていた。

 箸は目の前にあるが、手に取ろうか迷っていた。

 それを察したであろう村雨が、どうぞと手を広げる。

 一礼してから、できる限り丁寧な動作で合掌して、箸を掴んだ。



 二人は黙々と調理されたものを口に運ぶ。

 高級料理とあって美味しいのだが、上手く味わうことができない。

 相変わらず会話もなく、俺の胃は食べ物と気まずさで満腹になっていった。

 残っている料理もあとわずか。

 何か話ができないかとタイミングを窺っていたところで、唐突に村雨が話を切り出した。



「後悔と怒りが、この二年間……私を苦しめ続けてきた。それから逃れようと会社を辞めて、一人で医療機器の開発に着手したのだ。そして、ようやく完成した。これを見てくれ」



 胸ポケットから何かを取り出すと、手のひらを広げて見せてくれた。

 そこにあったのは、小さな注射器だった。

 無色透明の液体が、注射器の中を満たしている。



「あの病に対抗できる……ワクチンだ」



 俺は驚きで見開いていた。

 箸を置いて、興奮しながら興味を示した。



「これが、ワクチンですか!? すごいじゃないですか! さすが、村雨さんです! これを、あの村に持っていけば、彼らを救うことが」

「――死んだよ、彼らは」



 俺の言葉を断ち切って、村雨が発言した。

 今、信じられない単語を聞いた気がする。

 聞こえていたけど、俺は信じたくなかった。

 思わず、小さく声を漏らしてしまう。



「かれらが……しんだ」

「ワクチンが完成したのは、一年後。大量生産はできなかったが、これを持って村に向かえば、一人を救うことができる。そうすれば、効果が証明され、国が補助してくれるはずだと考えた。もう一度、アンダイン村に急いだ」



 村雨は顔を俯ける。

 まるで何も目に入れないように、顔を逸らした様子だった。



「だが、そこに村はなかった。あったのは、消し炭となった死体と家の跡だけだった」



 スマホを操作して、それを俺に向けて置いた。

 恐る恐る手に取って、写真を見つめる。

 写真には、黒い炭の山がぽつぽつと映っている。

 それが何なのか理解した瞬間、恐怖で顔を引きづった。

 肌が青白くなっていくのが感じ取れる。

 目を背けたくなる気持ちを抑えて、次の画像を表示する。

 その画像を目にした後、スマホを伏せた。

 別の画角から撮られた写真なのだが、そんなのを見ても信じることはできない。

 よく似た別の村だと思い込んでから、口を開いた。



「な、なにかの間違いじゃないですか? 場所を……間違えたのでは……」

「GPSを確認したが、間違いない。アンダイン村だ。炭の数を数えたが、住人の数と一致した。……焼き殺されたんだ。私たちが去った後、何者かの手によって」



 何者かの手……思い当たるのは、近くの街を根城にするテロリスト集団。

 宗教によって正当化された武力と暴力で、理想を実現させようとする狂気の戦闘組織だ。

 ボランティア活動の事前説明で、国から忠告を受けていた。

 何があっても街に近づくな、と。

 国が注意喚起するほどの恐ろしい街。

 そこに住むテロリストが、村を火炎放射器か何かで焼き尽くしたのか。



「テロリスト集団……?」

「実行犯は、そういった連中だ。だが、裏で糸を引いていた人物がいるという噂を耳にした」

「誰かが、テロリストに依頼したと? バカな」



 顔を俯け、声を小さくした。

 完全な個室で、外に声が漏れる心配はないと分かっているのに用心してしまう。



「だから、私は真実を追い求めた。言語も習得して、アフリカ大陸南部を歩き回った。そして、実行犯のテロリスト組織を壊滅させた」

「村雨さん一人で!?」

「実行したのは私だけだが、支援してくれた仲間もいた。おかげで、スムーズに事を運べた」



 大した問題ではないと言わんばかりの口調で、テロリスト壊滅の話は流れていった。

 彼が問題にしたのは、暗躍している人物の事だ。

 テロリストに、村を滅ぼすよう依頼した人物。

 そいつはデバイスで料理を頼むように、村を消すよう注文したんだ。



「親玉を拷問して聞き出したのは、依頼はインターネットを介して飛んできたということだけだった。最初は渋っていたらしいが、部下の一人が惨殺されたというのだ。全身の皮を剥がされた部下は焼死体となって、組織のある建物の前に放り出されていた。その直後に強制的に前金も支払われ、実行するに至ったそうだ。依頼を達成した後は、口止め料もプラスされた大金が振り込まれた」

「依頼のメールは追跡したのですか」



 そう質問すると予想していた通り、首を横に振って返答された。

 不可能だった、と。

 テロリストに依頼できるほどの人物で、大金持ち。

 そんな創作物に登場する黒幕がいたとは、夢にも思わなかった。



「仕方なく私は帰国して、今度は日本政府を調査した。ボランティア活動を打ち切ったのは、日本政府による指示だからな。それに唐突なものだった。何か裏があるかもしれないと考察した」



 彼の話は、まだまだ続きそうだった。

 真っ白な個室で過ごしていると、時間感覚が狂った気分になる。

 もう何時間も居続けているのではないかという錯覚を引きづったまま、村雨の話に耳を傾けた。

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