EPISODE5 大倉ツカサ
自宅のチャイムが鳴る。
玄関ドアを開けるとリュックを背負った青年が入ってきて、挨拶をした。
「トオル兄、久しぶり! 元気だった?」
「ああ、元気だぜ。ツカサも元気みたいだな。さ、中に入れ」
「おじゃましまーす」
約二年ぶりの再会だ。
身長は俺より小さい173センチで、好青年な印象を与える顔つきだ。
人懐っこい笑顔を見せられ、自然と彼の頭を撫でまわしてしまった。
嫌がる素振りを見せながらも、どこか嬉しそうな雰囲気を発している。
彼の本名は、大倉ツカサ。
ツカサは俺を兄だと慕っているだけで、血は繋がっていない。
ツカサと出会ったのは、今から七年前。
俺は大学入学と同時に、一人暮らしを始めた。
自分の住居が定まったところで、近くを散歩することにした。
地域の特色、雰囲気が見えてくるからだ。
堤防の上を歩いていると、遠くから叫び声が聞こえた。
叫び声と言っても恐怖ではなく、猛り狂う獣の咆哮だ。
音の出どころである下を見ると、大きなグラウンドが広がっている。
野球をするにはもってこいの場所だ。
奥では、制服を着た男連中が集まっていた。
目を凝らすと、男連中の先には男子三人が倒れている。
側には、小学生のランドセルが転がっている。
どう見ても、いじめの現場だった。
居ても立っても居られず、急いで坂を下りて、小学生たちのもとへ走った。
どうやら、男連中はカツアゲをしたらしく、片手に財布を掴んでいた。
そして、男子の一人が他の小学生を庇うように立ち、腕を広げている。
「俺の分だけで十分だろ! さっさといけよ!」
「大倉……くん」
庇う男子の後ろで倒れている子が、涙声で呟いている。
その子の顔には涙だけではなく、殴られた跡があった。
小学生相手にカツアゲ、おまけに暴力。
怒りの感情が波のように全身へ伝わり、拳を固く握り締めていた。
体が熱くなるほど頭にきた自分は、憤怒を腹の底から吐き出した。
「中学坊主! 金もってんじゃねぇか。俺に寄越せよ」
ぎょっとした顔で、こちらを注目してくる。
それは小学生も同じだ。
やや間をおいて、男連中のリーダー格が声を上げた。
「な、なんだよ。これは俺たちの金だ!」
「奪えば、俺の金だよな。お前らも、そうして奪ったんだろ。ほら、かかってこいよ」
油断する気は毛頭ない。
腕を軽く遊ばせてから、胸元で構える。
リーダー格の男は吼えて、殴りかかってきた。
そこを迎え撃ち、まず顔面に一発殴り飛ばす。
バランスを崩したところで連続してパンチを入れ、最後は蹴っ飛ばした。
砂ぼこりが舞い、リーダーが転がる。
気を失いかけているリーダーを支えて、男連中は逃げ帰っていった。
なんだ、あっけないな。
小学生から奪った財布は地面に捨てられている。
風がやんでいる内にさっと回収して、財布についた砂を払った。
「おい、それは俺の金だ。返せよ」
振り返ると、庇うように立つ男の子がいた。
体格差がある相手でも、鋭い目は衰えない。
手足の震えは隠しきれていないが。
友達を庇う彼の全身からは、とてつもない勇気と正義を感じた。
「言われなくても、返すさ。ほら、お前の財布なんだろ」
堂々と庇う彼に近づき、手を掴んで財布を握らせた。
返しても、表情は険しいままだった。
疑うのも無理はない。
次にやられるのは、自分かもしれないと思われているに違いない。
警戒を解かせるよりも、俺から離れた方がいい。
「じゃあな。気を付けて帰れよ」
「……おい!」
堤防に戻ろうとすると、さっきの少年に呼び止められた。
振り返ると、少年が必死な顔をした後、一気に頭を下げた。
「俺たちを助けてくれて、ありがとう……ありがとう!」
後ろで怖がっていた男の子たちも、彼と同じように頭を下げて叫んだ。
「ありがとう!」
照れくさくなって、頭を掻きながら早々に去った。
まさか、彼らからお礼が聞けるとは思わなかった。
少し変わった小学生だと思いながらも、思わずニヤケてしまうほど誇らしい気持ちになった。
気分を良くしながら帰った次の日の朝。
外に出ると、目の前にあの少年が立っていた。
ランドセルを背負って、これから登校しようとする小学生の姿だ。
通学路とあって、遠くからは子供たちの声が響き渡っている。
少年は俺と目が合うと途端に笑顔になって、走り寄ってきた。
「俺の向かいに住んでるのか! やった!」
「朝から、テンション高いな少年。向かいの家に住んでるのが、まさかお前だったとはな」
少年はやけに嬉しそうな顔をして、ガッツポーズを決めていた。
俺は視線を向かいの家に移す。
親が金持ちだと思わせるような大きい家だ。
少年は突然、姿勢を正して、首と体を折って頭を下げた。
「俺は大倉ツカサ! 頼む! 俺を……弟子にしてくれ!」
「弟子にしてくれだと?」
呆れて、開いた口が塞がらない。
今時、こんなセリフを言う奴がいるなんて。
馬鹿にしたのも束の間、本人は本気で口にしているのだと知って、真剣な顔つきで向き合った。
決死の表情をした彼を笑うことなんてできない。
自分には理解できない彼の覚悟があるのだ。
「お前は俺から何を学びたい?」
「友達を守るために強くなる。格上が相手でも勝てる戦い方を学びたい。もう……負けたくないんだ!」
目に涙を溜めて訴える彼のために、俺は選択した。
彼の全力に、俺が応えてやるか。
「分かった、お前を弟子にしてやる」
「ほんとに!?」
「ただ、俺は厳しいぞ。しっかり付いてこいよ」
ツカサは興奮した面持ちで、大きく頷いた。
「そんなこと、分かりきってるよ」
「そうか。それなら、安心だ」
俺はツカサの前に、開いた手を伸ばした。
「俺は龍道川トオル。よろしくな」
大きい手のひらを、小さな手が掴むように握手する。
小さいが、力強さを感じる白い手だ。
「よろしくお願いします、龍道川師匠!」
これが、大倉ツカサと龍道川トオルの初めての出会いだ。
あれから時は流れ、俺は26の警察官。
彼は18になって、今は大学受験の真っただ中にいる。
リビング中央に置かれたテーブルで、ツカサと向かい合って、家庭教師の真似事をしていた。
彼は開かれた問題集と睨めっこしながら、愚痴をこぼす。
「こんなに頑張らなくてもいいだろ。俺、そこそこの大学を目指しているんだから。模試判定でもBだったし」
「将来は教師だったっけ? なら、勉強して損はない。判定もAにしておこう。はい、次の問題へ進め」
「えー、まだやるの」
シャーペンを置いて、顎をテーブルにつける。
疲れたと訴える表情で、ツカサは提案してきた。
「せっかく、T京都に来たんだから観光がしたいよ」
「まあ、半日近くも勉強したんだ。それに、成果も出てる。わかった、焼き肉でも食いに行くか」
そう告げた瞬間、さっきまでの態度とは打って変わり、立ち上がって喜んだ。
「トオル兄、最高だぜ!」
「これが御褒美の効果か」
ツカサは問題集や文房具を手際よく片付け、テーブルは綺麗になった。
こうして喜んだ姿を見せてくれて、俺は安堵している。
ツカサは両親を早くに亡くし、養親に引き取られた。
養親は現在、O阪府警察本部副本部長だ。
その養親というのは、頑固一徹で表情は常に厳しい。
大学生時代、何度か目にしたことはあるが、人を近づけさせないオーラに圧され、言葉も交わすことができなかった。
ツカサは家でも学校でも疲れ果てているような様子だったが、俺の家に来たときは本心で楽しんでいる。
だからこそ、大切にしようと思った。
弟子として、というよりも頼れる親友として側に居たい。
いつの間にか、俺をトオル兄と慕い、距離も近くなっていた。
俺の中の孤独感が、ツカサによって消えていた。
車を走らせて、10分ほどのところにある焼肉店に来た。
店員のいない店として人気で、ロボットが肉を切って、注文した客に持っていく。
会計も自動化され、瞬時に決済されるシステムだ。
客はただ、肉を焼いて、スマホを持っていればいい。
世の中は、見知らぬ人と会話すらしない社会となった。
関係のある人物だけとしか交流しないから、人付き合いは楽になったかもしれない。
俺はツカサの思い出話を聴きながら、肉を焼いていた。
店内は脂の弾ける音で賑やかだ。
ツカサの話に頷きながら、焼き立ての肉をタレにくぐらせて口に突っ込む。
これぞ、贅沢の極みだ。
「トオル兄、最近なにか悩んでる?」
「ん?」
「前会った時とは、元気がない気がする。情熱も、かな」
肉を飲み込んで、箸を止める。
俺は驚いていた。
事件のことで頭を悩ませていたが、ツカサの前で弱みを見せたくない。
バレないように、いつもの元気さを演技していた。
自分でも信じられないくらい、隠すのが上手いと思っていた。
それを、ツカサは見抜いたのだ。
いや、自分の思い上がりだったのだろうか。
「なんで、そう思った?」
「んー……ほとんど、勘なんだけど」
「勘? 勘が鋭いんだな」
ツカサの勘に負けたのか。
ツカサに何も言われず、得意げになっていた自分はなんと間抜けな事か。
恥ずかしさよりも、不甲斐なさで気分が落ち込んだ。
右手にある注文デバイスで、ビールを頼んだ。
「ちょっと、トオル兄!? 車で帰れなくなるよ!」
「ツカツカも運転免許とったんだろ。自動運転機能オンにしとくから、運転席に座ってくれ」
「それなら、分かったよ」
納得したツカサは、箸を動かし始めた。
俺は胸の内から溢れる悩みを、言葉にして声を出した。
「NewTuber連続殺人事件は知ってるよな。あの事件の犯人は、俺が捕まえたんだ」
「トオル兄が!? すげぇ!」
「でも、そいつは冤罪を主張している。逮捕したのは俺だが、そいつが犯人とは思えないんだ。この事件には真犯人がいる。真犯人がいるってのは分かってる。だけど、上が止めてくるんだ」
まだ、アルコールを摂取していないというのに饒舌に語りだせた。
これも、ツカサを信頼しているからだろうか。
ものすごく安心できるのだ。
「いわゆる、正義と命令の板挟みだ。俺は、どっちに従えばいいんだ」
「トオル兄がそんなことで悩むなんて、驚きだよ」
「え……」
ツカサはあっけらかんとした態度で、肉を頬張っている。
「自分の正義は何があっても貫く! って、いつもなら励ましてくれるのに。トオル兄の言葉は力強くて、いつも俺を勇気づけてくれる」
「ツカサ……」
「正義を貫きつつ、命令に反しない戦い方がきっとある。贅沢な願いかもしれないけど、叶えられると思うんだ」
ロボットがビールジョッキを持ってくると、奪うように取って一気に呷った。
食道を上ってくる悩みは、酒で押し返す。
決して、不安を口にしない。
たとえ、ツカサに内心がバレていようが、弱音は吐きたくない。
ジョッキをテーブルに叩きつけて、俺はようやく決心することができた。
「ト、トオル兄……? 顔が怖いよ」
「ありがとうな、ツカサ。悩みは捨てることにしたよ。やるからには、徹底的にやってやる」
真犯人を必ず捕える。
これも復讐計画のためだと考えたら、やらなくてはならないことだ。
昇進し、ある程度警視庁で幅を利かせられるようにならなくては。
決心した俺は網の上の肉を全て、口に含んだ。
それを見て、ツカサは仰天した。
「俺の育ててた肉がぁー!」
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